シーン 2【刃、未だ鈍く】PART2

 名雪との手合わせから数日後。

 流星は、屋敷の最奥──綱の寝室の前に居た。


 「失礼します」


 戸を開き、部屋へと足を踏み入れる。

 時刻は既に亥の刻を過ぎ、燭台の灯りのみが薄暗い室内を照らしている。その輝きに照らされて、屋敷の主──渡辺綱が床に臥せていた。


 「よく来たな、流星」


 綱は緩やかな動きで半身を起こし、流星へと向き直る。白く染まりきった髪に、連日の発熱で痩せこけた身体。そんな容貌の中で、なお鋭く輝く双の眼光。


 渡辺綱。

 かつて朝家の守護と呼ばれた武将──源頼光。その配下にして、頼光四天王の一員と呼ばれた武士である。


 「義父上、お身体の具合は如何でしょうか?」


 「如何も何も、ご覧の有様よ。長生きし過ぎるというのも考えものだな」


 口の端のみを釣り上げての自嘲、快活な義父らしくもない表情。それに言及するよりも早く、綱は言葉を続ける。


 「名雪のことは、知っているな?」


 「……はい。任務中に行方不明になった、そう聞いています」


 『任務中に行方不明』という言葉は、果たして正確なのだろうか?

 名雪が残した血文字の報告文の側には、彼女のものと思われる血痕と野犬の足跡が残っていたのだから。

 京の野犬は凶暴だ。昨年の暮れにも、花山法皇の娘が野犬に貪り食われたという事件が起こっているほどに。

 

 おそらく、名雪は死んでしまった。頭ではそう考えられても、それを認められないのは流星の心の弱さなのだろうか?

 そんな流星を見つめながら、綱は落ち着いた口調で呟く。


 「まぁ、死んじまったんだろうなァ。生きていれば、連絡のひとつくらいは寄越す奴だ」


 「信じたく、ありません。姉上が亡くなられるなんて……」


 「死んだ人間が慕われているほど、周囲の人間はそれを受け入れるのに時間がかかるもんだ」


 淡々とした、それでいて深い悲しみを宿した声色で綱は語る。綱自身も、完全に受け止められたわけではないのだろう。


 「それよりも、今はアイツが遺した情報の方が重要だ。酒呑童子に──茨木童子。お前さんも名前くらいは聞いたことがあるだろう?」


 「……ええ、幼い頃から寝物語の中で聞いてきた名前です」


 鬼達の名前を口にした際、綱の眉間に深いシワが刻まれる。

 無理もないだろう。何故ならば、彼らは綱にとって忘れることのできない──人生の一部とも言える相手なのだから。


 丹後国と丹波国の境に聳える大江山、そこに住み着いた鬼の一団──悪鬼 酒呑童子とその配下。義父達が討伐した恐るべき悪鬼達の伝説は、三十年もの月日が流れた今でも京の人々に語り継がれている。


 「その鬼、特に茨木童子と俺は……“因縁”がある。大江山での討伐を生き延び、その後も幾度となく刃を交えた相手だ」

 

 ここではない、どこか遠くを見つめるような表情で綱は語り続ける。


 「──アイツは、俺の“運命”だ」


 “運命”。

 老いた義父はどのような想いで、その言葉を選んだのだろうか。


 「本来なら、俺が行かなきゃならねぇ。俺が……ッ!」


 直後、綱が大きく咳き込む。口を覆った手、その指の間から赤黒い血が滲んでいた。

 思わず駆け寄ろうとした流星を、綱は片手で制す。


 「義父上……!」


 「十年、早ければな……、そうすれば名雪も出ず済んだかもしれねぇのによォ」


 綱はそう呟きながら、弱々しい動きで手を伸ばす。床の横、その場に置かれた一振りの刀へと。


 鬼丸おにまる、かつての名を髭切ひげきり

 罪人を用いた試し切りで、その首のみならず髭までも両断した名刀。そして綱の愛刀として、茨木童子を始めとする多くの鬼と切り結んできた鬼殺の刃。

 骨張った手で鬼丸の鞘を掴み、流星へと差し出す。


 「流星、受け取りな」


 「そんなッ!? 私には過ぎた代物で──」


 差し出された鬼丸を思わず突き返そうとして、


 「お前にしか、託せない」


 強い意志を宿した瞳が流星を押し止める。

 

 「……どうして、私なのですか? 未熟者の私には、鬼丸そのやいばは重すぎます」

 

 視線を落とし、服の布地を握りしめる。

 どこまでも情けない、弱音だとわかっている。それでも、言わなければ不安に耐え切れなかった。

 

 「──“弱きを助け、強きを挫く刃”」


 「えっ……?」


 「そんなものになれると信じていた馬鹿餓鬼と、それを信じてくれた馬鹿がいたって話さ」


 深く目を閉じ、ゆっくりと綱は語り始める。

 遥か遠くを見つめるように。

 眩い輝きを見つめるように。


 「俺には、なれなかった。その足元にも届きはしなかった」


 「義父上……」


 「だが、お前はまだ走り始めたばかりだ。だからこそ、お前に託す」


 真っ直ぐに流星を見つめる。一片の揺らぎもない、流星への信頼。


 鼓動が高鳴る。

 義父の期待を裏切ってしまうかもしれない。そんな恐怖で、震えが止まらなくなる。

 

 ──それでも、流星の手は鬼丸へと伸びていた。鞘を掴み、鬼丸を受け取る。

 

 「……御意。この流星、義父上のご期待に全力で応えてみせます」


 「頼んだぞ流星。京の人々を守るという武士の役目、見事果たして見せよ」


 一礼しつつ、部屋から立ち去る。──長居をすればするだけ、決意が鈍ってしまいそうだから。

 

 腰に佩いた鬼丸の重み──綱の人生そのものとも言えるその重さを感じながら、流星は夜の京へと足を踏み出した。


――――――――――――――――――――――――――――――


 薄暗い寝室。一人残された綱は、そっと自らの手を見つめる。

 病と老いにより、痩せ細ぼった己の手──多くの鬼を斬り伏せてきた、血塗られた手。


 「……もう少し、早く来てくれよ。お陰ですっかり爺になっちまったじゃねぇか」


 誰かに語りかけるような呟き。親愛と、それ以上に深い悲しみを込めた言葉。


 ──脳裏に浮かぶ、かつての光景。

 

 あの大江山の、血塗られた夜の記憶。炎の中、怨嗟の視線を向ける少女の姿。


 「この身体じゃ、お前の敵になってやれねぇ。“約束”を、果たせねぇ」


 「……すまねぇな、


 その呟きは誰の耳にも届くことはなく、平安京の闇へと溶けていく。

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