日常モノローグ

@toki_chika

第1話 傷と交差

「傷」というものには、二種類ある。

一つは、目に見えるもの。一つは、目に見えないもの。

目に見えない傷、簡単に言うならば「病気」という言い方がしっくりくる。

ならば高校時代のあの傷は、一体何と言うのが正しいのだろう。


「あなたに傷つけられたと辛い思いをしている人がいるの。もっと人を思いやり、言葉に気をつけなさい。」

私を呼び出した教師は、私に言葉を投げつけてきた。

「えっと…」

当然の困惑だと思う。私は、日常を、ただの高校生活を送っていただけなのだから。確かに、私は少々口が悪い。辛辣な言葉をたまに吐く、テレビなら嫌われ辛口タレントだ。だが、それは仲の良い人にしか出さないし、女子同士の陰口の方が重みがあると言われるくらいだった。

「それだけ、もういいわ。あ、テスト、もう少し頑張りなさい。」

そう言って、その教師は私の思考能力を無意識に奪った。


教室に戻り、私は本を読むことに夢中になった。フリをした。

言葉が無意識のナイフだと、改めて思い知った。臆病を隠すように口から溢れる辛口も漏れないようにすれば、人を傷つけないと考えたからだ。

そこからは、必要最低限の業務連絡と相槌のみに徹していた。友達は、少し不思議そうな顔を向けてくるが、何も言わないでいた。元から寡黙がベースだったのが功を奏したのか、彼女なりの気遣いなのか。

…話が一区切りつくと、彼女は私にあまり痛くないデコピンをお見舞いして、前を向いた。

彼女が作ってくれた静寂の中で、ずっと考え事をしていた。


もしも私に目がなくなったら、声色だけの世界に恐怖するだろう。

もしも私に耳がなくなったら、その静寂さ、顔色の見えない不安に押しつぶされそうになるだろう。

「もしも私に口が、言葉がなくなったならば、貴方を傷つけるナイフはなくなりますか。」

…私は口がなくなったなら「表情」、「顔」が、顔がなくなったなら「行動」、「手足」が、きっと貴方を傷つけてしまうのではないかと思う。


結論として、私はこの離せない無意識の凶器をどうすればいいのか、答えは出なかった。しかも、話さない現状、これはこれで心配をかけているのだから、早く通常運転に戻さなくてはいけない。そんな行き止まりで気が付いた、私は「私に傷つけられた貴方」が誰なのかを知らないのだ。

知らなければ謝れないし、また同じことが原因で誰かを。そう考えるのが先か後かもわからないほど、すぐに私は職員室に向かっていた。


私が誰かを傷つけていると数時間前に教えてくれた教師を見つけ、尋ねた。

「先生、私が誰かを傷つけたというお話ですが、考えてみても誰を傷つけてしまったのかわかりません。どんな言葉で誰を傷つけたのかを知って、その人に謝りたいです。教えてもらえませんか。」

答えは流れるように返ってきた。

「それは、できない。」

一瞬だった。


私は、教師に淡白な返事と感謝を述べると、生物実験室に向かった。なんとも言えない独特な匂いと水槽のポンプの音だけが響く、そんな空間が好きでなんとなく行く場所だったが、今回についてはただ「一人」になりたかった。

生物実験室はいつも通り、誰もいなかった。

振り出しに戻ったのだ、解答はないが答えを求めて最善を探したのに。

しばらくして、教えてもらえないのも仕方ないと理解できたと同時に、また答えを求めて考えた。

答えは私の中にはなかった。


謝れない。「貴方が見えない」ことは何よりも、「酷」だった。

もしも、貴方を知り、話すことができたならば、謝ることも、理由を知り、気をつけることもできる。その後も、それを繰り返せたならば、もしかしたら私と貴方は、「友達」にだってなれたかもしれない。

「加害者」には知られたくないのだろう。そう思いながらも、思わずにいられなかった。

今回は何も知れなかった。けど、もしも私が考える通り、貴方と理由を知り、気をつける、を繰り返せる環境だったなら。

ぶつかり合うことができたなら、それはそれで壊れてしまうかもしれない。現状より良くなるか、悪くなるかの二択で、きっと現状維持はないのだろう。



この世の中、世界七十憶以上の人の感情を集めたのなら、もっといろいろなことが、地球全体をスクランブル交差点のような状態にするだろう。そんな、交わることも難しそうな場所で、衝突が起きることは当たり前なのだ。

それを日本人お得意の「避けて通る」を使うのか、「あたってみる」かはその人次第である。


これから私はどうにも抜け出せない中を、どうやって生きていこうか悩むことしかできなかった。


今日も、スクランブル交差点を渡る。

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