第29話
私たちは「王妃と侍女が一緒に散歩をしている」という形を保ったまま、表面上は穏やかに話をした。
「視察先で小犬を拾ってくるなんて、一体どういうつもり?!」
「ウルフが追いかけてきたから、つい・・・」
「あなたは魔王を殺すためにここに来たのよ。覚えてるのっ?それなのにあなた、ここに馴染み過ぎじゃない?」
「そうだけど・・・」
「ここに来てもう5日も経ってるのよ。馴染む努力じゃなくて、一刻も早く魔王を・・・」
「その事だけど」と私はサーシャを遮るように言うと、「魔王」の本当の由来を、サーシャに話した。
「はあ?つまり、“魔王”は“クマ王子”の略、だと言うの?!」
「ええ。知ってる人は知ってるようで。マーシャルは時々“クマ王”って言ってたわ」
「・・・呆れた。まあでも・・・クマみたいな大柄な体躯をしているから、その分動きは鈍くなるはず。唯一の狙いどころはそこになるかも」
サーシャがブツブツと呟いていると、遠くからエイリークが歩いてくるのが見えたので、咄嗟に私はサーシャに目で合図を送った。
「こんにちは」
「こんにちは、エイリーク。どうしたの?」
「実は王妃様ではなく、サーシャに用がありまして」
「は、い?私、ですか」
「ああ。これを」とエイリークは言うと、茶色の小瓶をサーシャに見せた。
「コルチゾールの希釈液。50倍に薄めたものだよ。欲しいんだろ?」
「あ・・・え、ええ。そうです。ありがとうございます」
手を伸ばしたサーシャだけど、エイリークはまだ瓶を渡そうとしない。
「何に使うのか、念のために聞いても良いかな」
「勿論です」とサーシャは答えると、スカートの裾を少し上げてふくらはぎを見せた。
そこは赤く、少し腫れているように見える。
「まあっ。どうしたの、これ・・」
「昨日、草刈りをしていた時に虫に刺されたみたいで」
「そのようだねぇ・・・確かにコルチゾールの希釈液を塗っておいた方が良い。塗ってあげようか」
「いえいえっ!今は仕事中ですし。コルチゾールはかなり臭うので。夜寝る前にでも自分で塗ります」
「そう?忘れずに塗るんだよ」とエイリークは言うと、やっとサーシャに瓶を渡した。
「はい」
「それじゃ」と言ってエイリークは歩いて行ったけれど、2・3歩歩いたところでふと立ち止まり、私たちの方にふり向いた。
「ところでサーシャ」
「はい?」
「君は意外と薬学に精通しているね」
「えっ?そうですか?まあでも、比較的仲良くしている私のいとこが術師なので、王妃様より多少は知っているかもしれません」
「あ、そう」
言葉もなく睨み合う二人は根くらべをしているように見えて・・・あぁ、何故だかハラハラする!
私が間に入って、何か言った方が良いのかしら・・・。
と考えていたら、エイリークが沈黙を破ってくれた。
「ま、そういう事なら、多少は詳しいだろうね」
「ええ。多少は」
「それなら僕も納得した。それでは王妃様。サーシャ、今度は虫に刺されないよう、気をつけるんだよ」
「はい。助言に感謝します」
エイリークの姿が見えなくなると、サーシャはフゥと安堵の息をついた。
平然としているように見えて、実は私同様、気が気ではなかったのかもしれない。
「ねえサーシャ。足は大丈夫なの?」
「ええ。刺される虫はちゃんと選んだから。酷そうに見えるけど、もう治りかけだし」
「そう」
「それより。この花を王妃様の部屋に飾りましょう」
スカートのポケットに瓶を入れたサーシャは、そこから花ばさみを取り出すと、咲いている近くの花を数輪切った。
「これで良し、と。ねえ。あなたは知ってる?コルチゾールの希釈液って、虫刺されによる腫れや炎症を抑える効果があるんだけど、それに白百合の花粉を混ぜると・・・簡単なしびれ薬が出来るって」
「・・・え」
よく見ると、サーシャが持っている花の中に、白百合も入っていた。
「これだと魔王の体にギリギリ効く量くらいしか作れないかもしれない。でも何もないより、いくらかはマシでしょ?」
「あ・・ええ、でも・・」
「今夜作って明日の朝あなたにあげる。私たちもこれ以上ここにいるとバレる可能性が高いし。これが最後のチャンスだと思って、必ず成功させなさいよ」
「わた・・・私、ライオネル王を殺す事は・・・やっぱりできない」
「じゃあ私が殺されても良いの?」
「それはっ・・・!」
「それに村の人たちも。あそこには私の家族もいるのよ。ねえ、命を秤にかける必要はないし、“できない”じゃなくて、”やるしかない”の。私たちに残された道は、それしかないのよ」
「・・・分かってる」
「だから一日も早く”事”を済ませて、サッサと退却すれば良かったのに、あなたったら・・・殺さなきゃいけない相手に恋をしちゃって」
「・・・は?私はそんな・・・」
明らかに狼狽える私を見たサーシャは、ハァとため息をつくと、一言、「愚かね」とだけ呟いて、サッサと歩いて行ってしまった。
・・・ライオネル様には、一国を統治する王としての威厳がある。
そして大柄で屈強な外見そのまま、時によっては相手を脅かすほどの強さもある。
かと思えば、その体躯に似つかわしくない繊細さと、相手を気遣う優しい心をお持ちで。
そんなライオネル様に惹かれてない・・・・と言えば、正直嘘になる。
惹かれていないどころか、どんどん惹かれている、と思う・・・。
でも。
それを抜きにしても、私はライオネル王を・・・誰かの命を絶つ事なんてできない。
かと言って、このまま何もしなければ、私の「任務」は失敗したとみなしたドレンテルト王が、村の人たちを殺してしまう。
サーシャの命だって・・・。
あぁ、私は一体どうすれば・・・何をすれば良いの?
・・・少なくとも、あの夢―――ライオネル王が誰かに刺される夢―――は、ちゃんと見なければならないと思う。
いつ、どこで、誰が、ライオネル王を殺そうとしているのか。
もしかしたら単なる事故かもしれないけれど、もしそうなら、王に助言ができるかもしれない。
今の、今夜の私にできるのは、それだけ・・・・・・。
『・・・・・・ぅ。ディア・・・』
ライオネル王が、刺された脇腹を手で押さえながら、地面に膝をついた。
手に持っていた剣を力なく落としたカシャンという音が、辺りに響く。
私は王の方へと近づくと、自分に血がつくのも構わず、脇腹を抑えている王の手に、すでに血がついている自分の手を重ねる。
『ライオネル様?ライオネル様!しっかりして・・・!』
懸命に手で押さえても、血は止まるどころかどんどん溢れ出てくる。
あぁどうしよう・・・!
『ライオネル様?動けますか?それとも私が助けを呼びに行く間、ここにいますか?』と私は言いながら、濃紺のスカートの裾をできるだけ長く破った。
それを脇腹の傷口を塞ぐように巻こうとしたら、王の手で遮られてしまった。
『ライオネル様?何を・・・』
『・・・逃げろ・・・』
『ら・・ライオネル、様・・?』
『走れ・・ここから、逃げるんだ。早く・・・!』
『いや・・・嫌です!あなたを置いて行くなんて、そんなことできな・・』
『行け。早く・・・行け!おまえは・・生きるんだ・・』
『ライオネル・・・』
『生きろ・・・俺のことはもう・・・良い。だが、おまえは・・・生きるんだ・・・ディア、マイラブ・・・』
私の手の上に置かれていたライオネル王の大きな手が、そのままだらりと地面に落ちた。
『・・・ライオネル?ライ様っ!目を覚まして!』
「いやあーーーっ!!!」
自分の叫び声で目が覚めた私は、夢の私同様、泣いていた。
叫び声でウルフを起こしてしまったのか(まあ当然だろう)、ウルフがキューンと抑えた声で鳴きながら、ベッドの傍までやって来た。
私はヨロヨロとベッドから下りて、昨夜と同じように壁に寄りかかって座り込んだ。
そして「まさか・・ありえない。ありえないわ」と、うわ言のように呟いていたその時。
続き部屋の扉がバンと開いた。
私の足元でキュンキュン鳴いていたウルフが、その音にまたビクンと反応する。
「ディア?ディア!どこだ・・・ここか」
ベッドではなく、自分のすぐ近くで、うずくまるように座っている私を見つけたライオネル王は、そっと私に近づくと、軽々と私を横抱きにして、自分の部屋へ連れて行った。
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