死んだほうがマシだと言うきみへ、
キジノメ
死んだほうがマシだと言うきみへ、
その日ホームセンターに行った理由はただ暇だから、というだけで、何か買うものがあるわけでも、おつかいを頼まれたわけでもなかった。けれど歩いていける距離にそれはあるから、たまにふらりと出掛ける。
それが偶然だとか必然だとかはどうでもいいけれど、誰かに会うかもな、という、ぼんやりとした勘が働いていたのは、事実だ。
「
バーベキュー用品や七輪が置いてあるコーナーを覗いた時、カートを手に突っ立っている須藤がいた。横顔で自信を持って須藤だと言えるのは、彼が毎日学校に着てくるコートを着ていたことと、男にしては少し長めの髪を後ろで縛っていたという、ちょっとだけ特徴的な部分があったからだ。
須藤が緩慢な動作でこちらを向く。近づい|ていくぼくを隈が浮かんだ目で見つめ、ああ、と息を漏らした。
「
「奇遇だね。こんなところで会うなんて」
「……学校外で、初めて会った」
「約束しないでは、ね。約束してなら会ってるだろ」
ふい、と須藤が顔を逸らす。目線の先を追うと、そこには炭が陳列されていた。
ぼくは少し、黙り込む。なんと聞こうかと少し悩む。そりゃあ、悩む。こういうシーンは何度か出くわしているけれど、それでもなかなか慣れないのだ。
「……バーベキューでもするの?」
彼はちらりとこちらを見て、首を振った。それを見て、だよなあ、とぼくは思った。
「……一応聞くけど、何してんの?」
「練炭買ってる」
こちらを見ずに即答しやがった。そして練炭を二パック、かごに入れる。さらに練炭コンロを一つ、かごに入れた。
練炭なんて二パックもいらないし、そもそも一パックだっていらないだろ、と思いながら、ぼくはため息をついた。
「自殺しないのに道具を揃える癖、やめたら?」
須藤は何も答えずに、カートを押して移動を始めた。
練炭二パック。練炭用コンロ。ガムテープ五巻き。それをカートに入れて須藤はレジに向かった。ぼくはずっと後ろをついて回っていた。止めても無駄なことは知っているし、なにか言ってもあまり反応しないだろうことも分かっている。けれどぼくは今日暇で、何もないまま家に帰宅することは、なんとなく嫌だった。
はっきりと嫌では、ない。けれどなんとなく嫌だった。帰って、部屋でスマホをいじり、食事をして、風呂に入り、またスマホをいじって寝るのだと考えたら、全てがどうでもよく思えた。だから彼の後をついて回るのだ。
「ポイントカードあればお願いします」
レジのお姉さんは特にこちらを咎めることもなく、淡々と商品をスキャンする。須藤が首を振ったから、ちゃっかりぼくがカードを出した。須藤は少し眉をひそめた。
「別にいいけどさ」
合計は一万七百六円。須藤はむき身で二万円を出す。お姉さんは笑顔でポイントカードをぼくに返して、お金を自動精算機の中に入れた。
「結構、高いもんだね」
ぼくが言うと、そうかなと言わんばかりに須藤が首を捻る。ぼくは苦笑いした。
「きみの金銭感覚は当てにならないからな」
むき身で二万円持ち歩くような人間だ。もしかしたらもう何万円か、ポケットのコートに入っているのかもしれない。彼の家は子どもに与える金額の量がおかしいんだ。いや、おかしいのはきっと、それだけではないのだけれど。
彼の家の在り方が違えば、きっと今日、ホームセンターなんかで会っていないのだけれど。
二つに分けて詰められたレジ袋の片方を持つ。コンロとガムテープが入っていて、だいぶずっしりと重かった。
須藤もお釣りをポケットにねじ込み、袋を持つ。歩き始めて少しよろめいた気がしたが、多分気のせいだろう。それぐらいの重さでよろめくなら、ぼくは彼をジムに誘わないといけなくなる。ぼく自身ジムに行っているわけではないけれど、そうだ、ジムに通うというのは案外、いいことかもしれない。運動というのは気分転換になる。気分転換はぼくにとっても彼にとっても、悪いことではないはずだ。今度誘おうかな、と頭の中のリストに放り込む。
ちなみにそのリストには、「彼と家族の対面頻度をあげる」だとか、「彼を寝させる」だとかも書かれている。今まで実行できたことはない。思い浮かぶだけでも項目は大量にあって、ぼくは思わず空を仰いだ。
空は白かった。雪が降りそうな天気で、勢いよく吐いた息は白かった。
「寒いな」
「……」
「今日、雪降るんだっけ?」
「……確か、降っても雨」
「雨か。それ、もう降る?」
「ううん。夜だよ」
「よかった。ていうか今更だけど、須藤の家に行っていい?」
「いいけど」
「ありがとう」
もう一度袋を抱え直す。案外重い。後ろから見たらぼくもふらついているかもしれない。須藤だけを馬鹿には出来なかった。
けれど、須藤の家はもう目の前だ。どさりと荷物を下ろし、彼は玄関の鍵を開ける。開いたドアの先を見ていつも思うけれど、やはり広い。がらんと靴が出ていない玄関。だって五段の大きい靴箱があるから、わざわざ外に出している必要がないのだ。でも、出ていてもいいと思う。これだけ広いから、なにも無いのはなんだか虚しいんだ。
勝手に入れ、と言わんばかりに、須藤はこちらに声をかけず玄関横の階段を登り始める。ぼくも彼の家に来たのは初めてではないので、勝手に上がり後に続く。玄関は靴が二足に増えた。
三階の階段横の部屋を開けると、すでに中に入っていた須藤がどさどさと練炭を取り出していた。ぼくも隣に袋を置き、コンロとガムテープを取り出す。すると須藤はコンロに練炭を入れ始めた。
「焚くの?」
多分言うべき言葉はそんなことではないだろう。そんなことは、脳の片隅では分かっていた。けれどそれ以上に、なんとなく、止めるのが嫌だって思ってしまった。
なぜ嫌なんだろうか。死にたいからだろうか、と考えればどこか違う気がする。多分ぼくは、彼ほどの絶望を抱えているわけじゃない。死にたいと思うほどの辛さがこの身を襲っているわけでもないのだ。
感情は置いといて、じゃあこの場で止めなかったらどうなるのだろう。今までそれとなく止めてきたぼくは、この先がよく分からない。死ぬのかもな、と思う。須藤と心中? 笑える冗談だ。だって二人ともきっと、共に死にたいとは一ミリも思っていないんだから。
座っているのも疲れてごろりと横になる。須藤は少し驚いたようにぼくを見ていた。
「……止めないの?」
「止めないねえ」
「なんで?」
「今日は、いいかなって」
須藤はぼくの言葉になんの感情も返さない。驚いた顔は次第に消えて、いつもの無表情に直った。
「……そう」
ぽつりと言い、ガムテープを片手に立ちあがる。びりびり、と静かな部屋に伸ばす音が聞こえてなんだと目線を動かすと、須藤は窓の隙間にガムテープを張り始めていた。
目張りか、と思う。思っただけで、身体はぴくりとも動かなかった。
いつもは、止めている。別に「死ぬな」とか「死んだらダメだ」とか、そんな言葉をかけるわけではないけれど、やんわりと、苦笑いしながら、「やめれば?」と言っている。そんなぼくを須藤はぼんやりと見て、道具類をクローゼットの中に仕舞う。
今日も、ぼくの行動次第ではそうなっていただろう。「練炭って面倒だぜ」とでも言えば、きっとぼんやりとぼくを見て、「そうか」と呟き、道具をあの、五人はゆうに入れそうなクローゼットへ仕舞っていただろう。
ぼくの行動次第でこいつの生死は揺れ動くのかと思うと、そんな大役を背負って申し訳ないと思った。ぼくが止めている理由だって、なにかあるのかと聞かれれば困るんだ。須藤が死んだら、悲しむだろう。悲しむだろうけど、その悲しさときみが生きていく苦しさを比べたとき、ぼくの感情は優先すべきだろうか? 今まで止めていたほうが間違いだったのかもしれない。
この部屋の隙間らしい隙間は、窓と入り口だけだ。天井裏に繋がる扉もあるけれど、あれはかなりぴたりと閉まっている。きっと目張りはいらないだろう。
須藤もそう思ったのか、天井には目もくれない。続いて入り口のドア前に立ち、ちらりとぼくの方を向いた。
「……出るなら、今だぞ」
「いいよ」
「……あっそ」
びりびりびり、とあまりに静かな部屋に剣呑な音が響く。こんな広い家なのに今、ぼくときみしかいないって笑えるよな。こんなに大きな音が鳴っても誰も来ないんだぜ。
そういうことがきみの心を、責めているのにな。
響き渡るガムテープの音を、須藤はなにを思って聞いているのだろう。意外となにも思わず、作業感覚で隙間を塞いでいるのかもしれない。
瞬く間に隙間が消えていく。ぼくは動かず寝転がり、それを見ている。
少しずつ死が近づいているんだと脳で呟いてもまるで夢の中の話のようで、うっすら笑ってしまった。死んだら明日はないんだとか、もう大学へ行くことはないんだとか、そういう現実的な考えは全然思いの大半を占めようとしなくて、ただ「死ぬのだなあ」とそれだけを思った。呼吸をしている今とか、帰ってすることとか、そういう義務がなくなるんだと思うと、いっそ清々するような気持ちすら覚えた。
須藤と死ぬのが楽しみなわけでは、ない。けれど生きている理由もない、だけ。
須藤は何を考えているのだろう。無言でガムテープを千切る彼から感情は読めない。
塞ぎ終わったところで、須藤が目の前に座り、ガムテープを置く。一巻きも使い切れなかったらしい。五巻きも買って無駄だったな、と思った。
ぼくと須藤の間に置かれたコンロに、練炭を詰め直していく。ぼくがいつもと違ってなにも言わず寝ころんでいるからだろう。ちらりとこちらを見た須藤の目は、少し不安そうだった。
「もう、出る場所ないけど」
「そうだな」
「本当に、いいの?」
「いいかな」
「……」
炭も、詰め終わったんだろう。須藤はだらりと手を下ろし、動きを止めた。
もう一度思う。
止めるべきだろうか。
しかしそう囁く自分はいても、囁きが音になるわけではない。ぼくは口を噤んだままだ。
何も言えないうちに、須藤はきょろりと辺りを見渡し、袋を漁り始めた。何かを探しているようだが分からない。ぼーっとその姿を見ていると、無音が辛かったのか、須藤が口を開いた。
「あのさ。死のうとしてるじゃん、今」
「まあ、そうだね」
「死んだらどうなると思う?」
ふむ。どうなるか。
どうなるかと聞かれても、来世も何も信じていないぼくの答えは単純で、「どうにもならないと思うよ」だけだった。
「死後の世界は信じてない?」
その口ぶりだと、須藤は信じているのだろうか。けれどぼくは違う。
「そんなものないと思うよ」
きっぱりと言うと、じゃあ、と須藤は続ける。
「なんで死のうって思ったの」
なんで。
立ちあがり、クローゼットを覗き込む彼を見ながら、考える。
なんでって、正直理由はない。けれど生きていても死んでも、きっと同じだろう。生きていても悲しい、死んでも誰かは悲しむ。ベクトルが違うだけで与える諸々の量は恐らく両方同じだ。
ただ、今、いいかなと思ってしまっただけだ。
須藤は違うだろう。死後の世界も生まれ変わりも信じているだろう。事あるごとに「生まれ変わったらもっと違う人間がいい」って言うのだから。そうだ、だからきみは死ぬ理由があるんだよな。この世界を捨てるっていう理由があるんだよな。
でもね、ぼくはないよ。死ぬ理由も生きる理由もないよ。
こんなぼくが心中相手でごめんな? でも多分、今世だけだよこの出会い。来世はきっと出会えない、見つけられない。だから、今世だけの出会いだから、許してほしい。
生きていてもいいことないこの世をさ、ぼくの縁もついでに添えて、終わらせてしまおうか。
「生きていてもいいことないね」
ただそれだけを言ってみれば、須藤はそうだねと頷いた。
結果を言えば、ぼくらは死ねなかった。
なんとも間抜けな話だが、須藤の部屋には火種がひとつもなかったのだ。袋やクローゼットを漁っていたのは、ライターを探していたためらしい。思わず笑ってしまった。ぼくが止めない時は環境が止めるんだ。まるで須藤に「死ぬな」って言ってるみたいじゃないか。
ガムテープを外すには苦労した。跡は残ってしまったけど、まあいいだろう。七輪と練炭は、縄やナイフや銅線がむき出しのコードやカッターや、色々入ったクローゼットの中に入れた。
『生きていてもいいことないね』って言って死ねなくて、それならいいことを探すしかないよ。それってなんだろうね。でもさ、一応ぼくときみは友人じゃん? そんなきみと会話したり歩いたりご飯を食べたりできることって、案外、いいことだと思うんだ。だってその時は、とりあえず現実忘れて、楽しいだろ。
世間は言うだろう。現実を改善しろって。例えばきみの母親を。例えばきみの父親を。例えばきみの住む家を。例えばきみが学校で受けている事柄を。キリがないくらい現実をああだめだって思う理由はあるね。でもさ、改善出来たらきっときみは健やかに眠れているし、クローゼットのものなんて全て捨てているんだ。それが出来ないから眠れないし、クローゼットの中を増やしていくんだろう。そうしてぼくもそれを、指摘できないのさ。
そんな現実から目を逸らした「いいこと」なんて、世間に認められそうには、ないね。
でも、ぼくはいいことだと思っているんだよ、案外。
きみの考えは分からないよ。それに世間はぼくらのいいこと、認めないだろうね。でも世間って関係あるかな? いいことって決めるのはぼくだから、ぼくがそう思えればいいから、そうしてきみも思ってくれていたらいいから、うん、やっぱり、関係ないです。
死んだほうがマシだと言うきみへ、 キジノメ @kizinome
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