第5話 女の修行。
お店の閉店後、ママとモモコさんは私をご飯に連れて行ってくれた。
朝までやっている、おいしい韓国料理屋さん。
二人は常連らしく、店主の韓国人のママに軽く挨拶して慣れた感じでテキパキ注文をする。
かしこまった私に「なんでも好きなもの食べなっ!」「でも無理しなくていいからねっ!」と優しい。
「なんでうちの店に来たの?」
と、ごもっともな質問がママから繰り出される。
私はどこからどう説明していいものか悩みつつ「スナックに憧れていたんです!」
と決して嘘ではない返答をしたが、ママもモモコさんもきょとんとしていた。
無理もない。どうみても水商売向きではない容姿の私が、上野から一時間圏内の都会とも田舎とも言い難いベッドタウンからわざわざスナックに働きにくるなんて謎に思えるだろう。
「へー!」っと感心したようなあきれたような顔でサムゲタンをほおばるママ。
モモコさんはママの前だと無口だ。
私を採用してくれたのはモモコさんだし、私を雇った事が果たしてママにとってプラスになるのか不安だったのかもしれない。
「まぁいいから食べな食べな!」とママは私の取り皿にモリモリと焼き肉やらイカの唐辛子であえたものなどをよそってくれた。
私はおいしい韓国料理を食べながら、この未知の新世界を呑気に楽しんでいた。
働き始めて三か月。週に三回だけの勤務だったが、何とかクビにならずに働いていた。
お姉さん方も私の顔も覚えてくれたし、灰皿変えとドリンク作りに勤しむ私をなんとなく邪魔にならない便利屋として認めてくれるようになった。
エステで働く永作博美似のお姉さんは、開店前に私にお化粧の仕方を教えてくれたし、お店で№1の韓流アイドル顔負けの美女はお古のワンピースをくれたりもした。
まるで千と千尋の神隠しのごとく、面倒見のいいお姉さんたちに半ば面白半分にお世話になったことでイモトアヤコは少しずつ垢ぬけていく。
その時お姉さん達が私に教えてくれたお化粧のテクニックや、女性らしい振る舞いというのは今でも大変役に立っている。ありがとうお姉さま方。
母は、26歳まで全く化粧っ気もなく、女らしさのカケラもない私を相当心配してくれていた。
そんな私が、お化粧しスカートを履くようになった。心配に思った事もたくさんあったみたいだけど、女としての最低限のスキルを手に入れた事に安心してくれたようだ。
女としてのスキルってなんだよ、と思うかもしれないが、工場でバイトをしていた時、そのスキルがあれば多少世間で生きる上で何かとお得なのでは?と思う出来事があった。
ウォーケンショック後にしぶしぶ始めた日雇いの工場バイトで、私は3か月ほどスーパーに並ぶ野菜をひたすら袋詰めする仕事に就いていた。
朝出勤するとマスクと防護服に身を包み、ベルトコンベアーに流れる野菜を次々とビニールに袋詰めしていく。働いている人はパートのおばさんや男性の社員、私と同じくフリーターの人々がひしめき合う場所だった。
私の様な日雇いバイトは、出勤時に必ずスタッフカードなるものをその工場の社員さんに提出する。大体同じ社員さんで、割と温厚な20代の男性だった。
ある日、たまたま起きるのがギリギリになってしまい、毎朝申し訳程度にするお化粧もしないまま出勤した。
するとどうだろう。2か月も顔を合わせてにこやかに挨拶してくれていた男性社員さんが目も合わさずスタッフカードを受け取る。
おや?今日は機嫌でも悪いのかな?と最初は思っていたが、そのあとも何回か寝坊して化粧をしていない時にだけ社員さんの態度がそっけない。
マスクと防護服に身を包んだ人間を、見た目で判断するには目元しかない。
私の目は小さい。一重だしまつ毛も短い。
目だけなら性別の判断も難しいだろう。
お化粧のテクニックがない私ですら、なんとなくアイシャドウとマスカラくらいは持っていて雑に目元に置いていた。目の錯覚で多少目が大きく見えていたかもしれない。
しかしこの男性社員のあからさまな態度は、この目元のキラメキがあるかないかだけのものだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
たったそれだけで。
そういえば、パートのおばさま方は常にばっちりメイクだった。
男性は見ているんだなぁ、とその時初めて実感した。
かわいいかわいくないじゃない。人がかわいく見せる努力をしてるかどうか、世の中の男性は見ているのだ。
スナックで働くようになってからは町中の男性が若干優しい気がする。
毎日乗るバスの運転手さん、コンビニの店員さん、郵便局のおじさん、居酒屋で隣のテーブルにいる大学生…
そんなに皆さん私に愛想よかったでしたっけ?
よく行くコンビニのお兄さんはスナックで働き始めてお化粧が上手くなった私にはめちゃくちゃ優しかった。私が仕事帰りに煙草を買いに行くとすぐ私に気が付いて、番号を言わずともレジに煙草を用意してくれた。それから軽い会話などもする。休みの日にすっぴんで行ったら気が付かれもしなかった。
男性だけでなく、洋服屋の女店員さんにもよく話しかけられるようになった。
お店で働く前はそういった人達にスルーされるのは日常茶飯事だったので、気にもならなかった。しかし今やそのあからさまな態度の違いに世間のシビアな視線を感じずにはいられなくなった。
そっけなくされるよりはにこやかな方がいい。
気分が落ちている時とかは、他人の何気ない優しさがうれしかったりする。
確かに、男女関係なく身なりがキチンとしている人は美醜問わず印象は良い。
見た目が全てとは思わないが、見た目から得られる情報は多い。
世の中の人が皆がそうではないし、すっぴんでも何でも優しい人はいつでも優しい。
でもこの見た目が他人の気分を左右する問題は当時26歳の私には目から鱗だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます