Linkyding Link Ring

 それはあなたの誕生日に、ひぃこがくれたプレゼントから始まった。

 所詮中学生の、友達同士の誕生日プレゼントである。あなたは決して期待などしていなかったつもりだが、それでも落胆を前面に出さなかった自分を内心、褒めた。

 それは指輪だった。

 金属製らしいが、なにやら、いやに軽くて作りものめいた印象を与える指輪だった。よく言ってアンティーク調の艶消しゴールドは作り物じみて安っぽい。いかにもとってつけたような、「これ塗ってるよね?」という色彩だった。模様だって細かく入り組んではいるが、お世辞にも高級感は感じない。そんな面倒するつもりはないけれど、探せば塗りにずれがあるんじゃないかという気になってくる。とにかく不自然なほど、安っぽい指輪だったことは間違いない。

 それでももらいものである。ここで不平不満を顔に出して今後の付き合いにひびを入れるわけにもいかない。イマドキの中学生というものは、大人よりよっぽど政争に明け暮れているのだから。


「えー、ありがとー。いいねこれ、大人っぽくて」


 あたりさわりなさそうな言葉で褒めて、ひぃこの様子をうかがう。おとなしいのが取り柄のひぃこのことだから、仮にへそを曲げてもそれを表に出したりしないだろうが、一応、保険として、機嫌を取っておくべき相手ではある。

 ひぃこは屈託なくにこにこと笑って「そっかー、よかったー。トモちゃん、そういうの好きかなって」と頷いている。これで終わればよかったのだが、ひぃこはあろうことか、やってはいけないことをした。


「それ、わたしとおそろいなんだ」


 さすがに指に嵌めてはいない。

 いないけれど、家のカギと思しい其れに、チェーンを通した同じ指輪がぶら下がっていた。

 これでひぃこがトモの一番の親友であったなら、さして気にはならなかったろう。

 だがひぃこのヒエラルキーは下から数えたほうが早いレベルで、あなたのそれは一番上だ。

 正直、気色悪さすら感じた。

 だけれどその地位を維持する「トモちゃん」としては、下々のものをあまり無碍にもできないわけで、得意技の作り笑いでその場を収め、ひぃこと二人っきりの教室から逃れて、足早に帰った。

 帰った後で、受け取った指輪が指にはまりっぱなしなのに気づいて気が滅入る。指ごと抜けそうなくらい乱暴に、引きちぎるように抜いた。それでもって、机の上に放り出す。そのままごみ箱にぶち込んでしまえばよかったのかもしれない。だけれどあなたはそれをせず、盛大に悪態をつきながらベッドに飛び込み、夕飯のお呼びがかかるまで少し寝て、おなかがいっぱいになると机上の難題をきれいさっぱり忘れてしまっていた。


 ***


 それからしばらく、指輪のことは忘れていた。その前後にもらったもっと重要なプレゼントにお礼を言って、それなりの対応をするのに追われていたからだ。これを怠っていてはヒエラルキーの一番上から転がり落ちてしまう。「気さくで頼れる、素敵なトモちゃん」の幻想を、あなたは常に維持していなければならない。

 ないがしろにしていたにもかかわらず、ひぃこはあなたに何も言って来やしなかった。あなたが皆に囲まれて「お誕生日おめでとう」「ありがとうチョーうれしい」のやり取りをしているのをニコニコ眺めておきながら、自分の送った指輪をキーホルダーにすらしていないあなたに対する怒りだとか、不平不満だとかは、その手の感情に敏感なあなたにもまるで伝わってこなかった。

 ひぃこはプレゼントを、自分に渡しただけで満足なのだ。

 という都合のいいにもほどがある解釈をして、あなたはひぃこの指輪のことを、忘れた。


 ***


 ことの発端は定期テストの時だった。

 あなたは成績が悪い。こればかりはどうしようもない。「気さくで頼れる、素敵なトモちゃん」の唯一の弱みである。だがそれはそれで、親しみを感じさせる要素になっているとは思うので、あなたはさほど気にしていなかった。

 それが、だ。

 手ごたえは確かにあった。

 妙に答案が書けるなとは思った。

 それにしても、だ。

 おかしいとしか思えない成績を、あなたの答案は叩きだした。先生も、クラスメイトも、両親までも目を疑った。もちろんカンニングなどしたわけもない。隣の席の生徒より、点数がよかったくらいなのだ。

 喜んでいいのか、怖がったらいいのか。途方に暮れるあなたの、取り巻きの一人がふといった。


「トモ、今回のテスト、ひぃこ並みじゃん」


 そう。

 ひぃこ。

 今まで忘れていた。いることすら。

 ひぃこはブスで地味で、全然おしゃれじゃなくて、でもその代わりというように勉強だけはできるのだ。今回のあなたはそのひぃこに、迫る成績だった。

 ひぃこ、の名前を引き金に、自宅の勉強机の引き出しに、放り込みっぱなしだった指輪を思い出す。あなたはいやな感じに背筋を寒くした。


 ***


 テストの点数がよかったのをきっかけに、あなたの小遣いは上がった。また下がったら元に戻すという条件だが、そんなの知ったこっちゃない。今手元にある小遣いで、遊べるだけ、遊ぶ。あなたにはそれしかなかった。

 遊ぶといっても、危ない遊びに手を出すほどあなたに度胸はなかった。いつも通り、駅前のカラオケボックスと、その隣のゲームセンターくらいしか、行くところはない。あとはせいぜい、女の子の友達と服屋を冷やかしにいくあたりがいいところ。

 しかし今まで以上に金回りがいいことは事実なので、よく遊ぶコから「お小遣いいくらもらってるの?」と聞かれ、屈託もなくあなたはこたえた。変にぼかすと、変な噂を立てられかねないからだ。聞いた子はふんふんと考えて、あなたの背中を寒からしめるには十分すぎる台詞を吐いた。


「ひぃことおんなじくらいかぁ」


 聞きたくもないけれど話の続きを促せば、ひぃこは結構なお嬢様らしい。だが最下層に近いところにいるひぃこなので、いくら小遣いをもらっていようとも、トモのようにカラオケに行ったり、よそでごはん食べたり、というのには無縁のはずだ。使うところあるのかねぇ、という当たり障りのない話に終始したけれども、成績のこともあって、あなたは気が気ではなかった。教室では視界にすら入ってこないひぃこに、全権を握られているような気がして、気持ちが悪くて仕方がなかった。


 ***


 ある日、ひぃこから呼び出しを食らった。

 ヒエラルキーを考えるに、別に無視してもよかったのだが、このところ身辺にひぃこ絡みのあれやこれやが絶えないあなたとしては、話を聞いておきたかった。

 掃除が終わった後の教室で、二人きり。

 あなたは怖かった。態度にも、多少は出ていたかと思う。だけれどひぃこはどうだ。不気味に落ち着き払っている。腹立たしいくらいに。いつもの根暗でどんくさいひぃこと同じ顔をした、違う人間がそこにいた。


「トモちゃん、成績あがったよね」


 鋭さを帯びた問だった。

 まるで罪を探すよう。


「ま、こないだの期末、がんばったしね」


 あなたは内心ぶるぶるしつつ、努めて平静を取り繕って返事をする。


「お小遣いも上がったって聞いたよ」

「頑張ったもん。当然のご褒美でしょ」


 二問めを経ても、立場は変わらなかった。

 ひぃこが尋問して、諾々とあなたが答える。

 あなたとしてはたまらなかった。さっさと相手の立場をわからせて、逆転して、けちょんけちょんに言い切ってやりたくてどうしようもなかった。

 ぬっ、と。

 肉色の芋虫のようなものが眼前に突き出されて、あなたは思わず悲鳴を上げるところだった。

 だがそれ自体は単なる、ひぃこの指だ。あなたは悲鳴を飲み込みつつ、驚かせたひぃこに対する理不尽な怒りをとろ火で燃やす。

 その指の付け根には、あの指輪が嵌っていた。


「トモちゃん、捨てないで持っててくれてるんだもんね。ありがとう。うれしいよ」


 あの指輪は一回もつけたことがない。

 そもそも存在そのものを、他人に漏らした覚えがない。

 捨てたとか捨てていないとか、ひぃこにわかるはずがないのだ。

 だがたしかにあの指輪は嵌められることなく勉強机の引き出しの隅っこにある。もしいまひぃこに聞いたら、何段目かすら当ててくるのだろうか。怖くて聞けなかったが。


「これはね、つながりの指輪なんだよ」


 短く短く切りそろえた、あってないような爪で机をたたきながらひぃこが言う。


「これをトモちゃんにあげてから、トモちゃんの成績は上がったでしょ。お小遣いも増えたでしょ。これをふたりして持っている限り、トモちゃんとわたしはずうっと”おそろい”なんだよ」


 お前は狂っていると叫んでこの場から逃げ去りたかった。だけれど雰囲気がそれを許さない。女子中学生というものは、雰囲気をとても大事にする生き物でもあるのだ。


「ねえ、トモちゃん」


 ひぃこの口角が、ゆるゆるとつりあがってくる。


「いまわたしが死んだら、トモちゃんはどうなるかなぁ」


 そのときのひぃこの顔と言ったら。

 あなたが今まで見た中で一番、満ち足りた笑顔であった。


 ***


 それから何日かすると、ひぃこがいなくなっていた。

 転校したわけでもないらしいのだが「家庭の事情」でしばらくは登校してこないとのこと。たちまちクラス中に様々な憶測が飛び交った。

 いわく、男を作って逃げた。

 いわく、堕胎に失敗してして療養中。

 いわく、気が触れて入院した。

 いわく、首をくくって死んだ。

 あなたはそのどれもを聞き流すふりこそしているものの、気が気ではなかった。

 信じているわけではない。

 わけではないが、ひょっとして、本当に――ひぃこの言っていたことが本当だったら、これから自分はどうなるのだろうか。

 自分が少しずつ、しかし確実に狂い始めていることを、あなたはまだ知らない。

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