第33話 従弟と遊ぼう

 ジュンのひそかな楽しみ。


 親戚の中で一番ちっこい従弟と遭うこと。


「ジュンちゃーん」

「メイトくん。元気だった?」

「うん。ジュンちゃんは?」

「元気元気。メイトくんに遭うのを楽しみに生きてたよー」


 メイトは幼稚園の年中さん。5歳になったばかりの男の子だ。

 ジュンはレンタカーで軽四を借りてメイトの家まで迎えに来た。

 メイトの母親から念押しされる。


「ジュンちゃん。メイトがわがまま言ったら叱ってやってね」

「はい。でもメイトくんはお利口だからわがままなんて言わないよねー」

「うん」

「どうだか」


 助手席にメイトをちょこんと座らせて車をスタートさせる。


「ジュンちゃん。この車、水色でかわいいね」

「そうだよー。メイトくんのために『これにします』ってお店の人に頼んだんだよ」

「わあ。ありがとう!」


 大人になるにつれて意地悪な人間やこすい人間が周囲に増えてくることを実感しているジュンは、小さな子供としても特に素直なメイトのことをとてもかわいがっていた。メイトが生まれたばかりの時のことを今でもジュンは覚えている。


 わあ。

 足が、手みたいに小さくて・・・それでいて手みたいに自由に動いてる。


 中学生だったジュンはメイトが生まれたその翌日にメイトとその母親が入院している総合病院の産婦人科のベッドの脇で一心不乱に母乳を吸うメイトを観て、その後文学を志向していく者らしい文学的な表現でココロの中で描写していた。


 以来、ジュンにとってメイトは、思い出せば笑みがこぼれ、遭えなければ寂しく、一緒に遊ぶと自分自身がこの世に生まれてよかったと思うことのできる、そういう存在だった。

 だから、自分の方からメイトに電話をかけて今日の約束を取り付けたことは、ジュン自身が疲れていることの表れでもあった。

 と、同時に、遭った瞬間に雪が朝日に溶けるようにその頭の芯に残るような疲労やココロのモヤモヤも消えていく思いがするのだった。


 だが、ジュンは小説を書く人間だ。

 ごく単純にこう考える。


『密室に、男女がふたり』


 もちろんそれは惰性で歳を重ねただけの雄と雌とのそれではない。

 だから、メイトの言葉にもジュンは極めて小説的に答えた。


「僕にはジュンちゃんだけなんだもん」

「・・・・・そう・・・・・」


 メイトが却って驚いて聞く。


「『どうして?』って訊かないの?」

「わたしもそんな風に『孤独』になることがあるから。メイトくん」

「うん」

「あなたの方からわたしに『遭いたい』って言ってくれてもいいんだよ?」

「でも・・・」

「なに」

「やっぱり、恥ずかしいから」


 ジュンはとうとう「どうして?」という問いは発せずにメイトの話すままにさせてやった。ジュンが黙っていると、メイトが本当の気持ちを語り始める。


「お母さんも僕のことは一番じゃないんだ」

「そうなの・・・お母さんは誰が一番なの?」

「・・・お母さんはお父さんが一番好きなんだ・・・」

「そうなんだ」

「だから、僕にはジュンちゃんだけなんだ」

「そう・・・そうだね。でもわたしはメイトくんだけ、ってわけじゃないよ」

「えっ・・・」


 泣きそうになるメイト。

 ジュンがハンドルを右に傾けながら、にこりとメイトに笑いかける。


「だからわたしが、メイトくんをみんなに繋いであげるよ」


 まず、ルーシー。


「あの・・・メイトです」

「いらっしゃいませ。何飲むかな?」

「じゃあ、ココアを・・・」


 常連がジュンとメイトのテーブルに寄ってくる。


「ほう・・・ジュンちゃんの従弟かあ」

「かわいいでしょう」

「ああ。さすがジュンちゃんの従弟だなあ。幾つだい?」

「5歳です」

「しっかりしてる」

「さあ、メイトくん。ココアをどうぞ」

「ありがとうございます」


 車を再スタートさせて、ジュンはメイトに訊いた。


「堪能した?」

「たんのう?」

「楽しんだ?ってこと」

「うん。とっても楽しかったよ。なんていうか、ジュンちゃんがあのお店で『主人公』みたいな感じでなんだか僕も自慢な気持ちだったな」

「わ。『ヒロイン』みたいだなんて!」

「ひろいん?」

「あ。主人公の女の子、ってこと」


 次は大学へ。


「わー!ジュンにそっくりー!」

「かわいー!」

「ふっ、ふっ、ふっ。それはつまり従姉であるわたしもかわいいと」

「おいおい。メイトくんよ。こんな年増女より同じ幼稚園の女の子の方がいいだろう?」

「年増っ!?」


 クラスの女子全員がその不穏当な発言をした男子学生を睨みつけた。

 メイトが天真爛漫に答える。


「ジュンちゃんは、やさしくてかわいくて。僕、好きだもん」

「おーっ」


 照れてしまうジュン。


「ねえ、ジュンちゃん。次はどこに行くの?」

「うん。水族館」


 ジュンが軽四のレンタカーを向けたのは、都内でも流行っていない水族館だった。

 でも、一番、青い水族館だった。


「あれっ」

「どうしたの、メイトくん」

「ジュンちゃんの顔が、青く見える」

「だって、水槽の青をそのまま出してる水族館だから」

「なんだか気分がすうっとするよ」

「ならよかった」


 一日、メイトと遊ぶつもりだったジュン。

 これって、子供が好きな遊びだったんだろうか、と自問自答するが、答えは出ない。

 自信を無くしそうになっていた幼稚園の男の子を引きずり回して、自分自身の自己満足のためだけの一日だったのではないか、とジュンは思った。


『小説のネタにすらならない・・・』


 ジュン自身も自己嫌悪に陥りそうになって外は夕暮れへと移っていく時間帯。

 メイトが言った。


「ジュンちゃん。手を繋いでも、いい?」

「・・・いいよ」


 手はジュンの方から伸ばした。


 メイトはそれに合わせて、触れるか触れないかの隙間を置いて手を伸ばす。


 握ったのはジュンの方から。


 大人が子供が信号を飛び出すのを避けるためのそういうつなぎ方ではなく。


 指と指との隙間に、メイトの小さく細い指を挟みこむようにして、握った。


 メイトは最初の内はためらっていたが。


 自分の方から、きゅっ、とジュンの指を握り返した。






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