第30話 珍客をもてなそう

 ルーシーという一風変わった名前の純喫茶店だからこそ風変わりな来店客も多くなる。


「こんばんは」

「いらっしゃいませ」


 初めての客だった。その男性の服装や顔の造形などは極めて普通の勤め人のそれで、ややヨレた印象はあるものの落ち着いたダークスーツに身を包んで歩き方もノーマル。


 けれどもジュンはどうしても違和感を捨て去ることができなかった。


「ん?ウエイトレスさん、僕の顔、何かおかしいですか?」

「い、いえ。すみません、ご注文は?」

「抹茶」

「はっ?」

「抹茶を一服」

「あ、あの・・・」

「いや、分かってます分かってます。喫茶店で抹茶などと僕が非常識なことは十分分かってます。ですが、だからこそ応えていただけるお店はないものかと」

「は・・・・い・・・・・」


 カウンターに戻るジュン。唐沢からさわが不思議そうにジュンに訊く。


「どうしたのジュンちゃん。知り合い?」

「いえあの。抹茶を」

「は?」

「オーダー。抹茶ワン、プリーズ」

「・・・もしかして、クレーマー?」

「いえ。そういうんじゃないみたいですけど。どうしましょう。もしわたしが対応していいのなら」

「・・・・・・ジュンちゃんにお任せするよ」


 三分後。


「お待たせいたしました。抹茶でございます」

「おおっ!?こ、これは裏メニューですか!?」

「いえ・・・たまたまわたしの同級生のお母さんのお里が京都で。帰省した時のお土産をもらったんです」

「おおっ!」

「すみません。きちんとお立てすればよろしいんでしょうけど、生憎道具がないものですから。抹茶の粉を湯呑みで溶かして淹れただけなんですけど」


 そしてジュンは和紙を敷いた小皿も置く。


「それと、本当は水割りと昆布茶におつけしてるんですけど・・・おかきです」


 その客は抹茶におかきを作法にはこだわらずにけれども行儀良く堪能した。


「さあて、ご馳走様でした。おいくらですか?」

「あの。メニューに無い品ですのでお代は結構です」

「え。そんなわけには・・・」

「いいえ。わたくしどもこそ急ごしらえのお茶でしたので却って申し訳ございませんでした。もしまたお越し頂けるのでしたらその折にはコーヒーでよろしければご贔屓いただけるとありがたいです」

「うーむ。そうですか。うーむ」


 何度も唸りながらその客は帰って行った。


「なんだったんでしょうね、今のお客さん」

「いや・・・お客さんの方こそ『なんなんだこの店は』って感想だろう」

「もう来ないでしょうね」

「うーん。来てもらっても今度こそ抹茶は出せないからねえ」


 ところが、来たのだ。


「やあ、こんにちは」

「あっ・・・この間お越しの・・・」


 ジュンはそのお客が印象に強く残っていたので顔を覚えていたのはもちろんなのだが、今日の彼の状況はそんなことすらどうでもいいぐらいに目を惹くものだった。


「ウエイトレスさん、このお店はタバコは?」

「はい。お吸いいただけます」


 彼はこの間のヨレヨレのダーク・スーツではなくどうみてもグレードが一般人ではないソフトな生地の、しかもどうみても体型にジャストフィットするオーダーメイドでしつらえられたおそらくはイタリア製のグレーのスーツを着ていた。シャツは薄いピンクでタイもそれだけでスーツ並みの価格がしそうなシルクのものだった。

 カフスもまさかとは思うが本物のエメラルドのように見える。


 そのままテーブルに腰を下ろす。

 そして。


「おい」

「はっ」


 ジュンは最初無視しようとしたのだが決して無視できない黒服のどう見ても執事が、やはりダイヤと思われる宝石がワンポイントに施されているシガー・ケースをアタッシュから取り出して、細身の葉巻を一本指に挟む。その葉巻の端をハサミで、ぱすん、と切る。

 葉巻をおしいただくようにおそらくは主人である彼の唇に咥えさせると間髪入れずに胸ポケットから黄金色のライターを取り出し、左手をかざして、チャ・ボッ、と炎を葉巻に当てる。


 彼はすーっ、と深く吸い込み、人にあたらないように下方に向けて煙を吐く。


「ふう・・・ウエイトレスさん。この男はね、雑事のプロなんですよ」

「雑事の?」


 ジュンがそうおうむ返しをすると執事と思われる熟年の黒服が軽く目を閉じてジュンに会釈する。彼が解説を始める。


「ふふふ・・・『雑事』というのは最も幅の広い仕事でしてね・・・タバコの点火からフランス料理の調理、マーケット・リサーチ、運転手、僕の家のスタッフの統括、チェスの相手・・・」


 彼は黒服の特技を更に並べ立てる。


「乗馬、スキー、クロスカントリー、ライフル」

「ライフル?」

「おっと、失礼。お忘れください」


 忘れられるわけなどない。

 黒服の素性もそうだがそもそも『彼』が一体何者なのかが謎で謎でしょうがなかった。だが、ジュンがその答えを聞く前に彼は一方的に更に更に熱く熱く語りかけてきた。


 ジュンに。


「ウエイトレスさん」

「はい」

「わたしは先般はいわば『お忍び』でこの街を歩いていた・・・そしてどうしてだか引き込まれるようにして入ったこの喫茶店で、抹茶を飲むことができた。このわたしのいわば無茶ぶりの『ゲーム』にまさか応えてくれようとは・・・ウエイトレスさん」

「は、はい」

「僕と結婚してくださいませんか」

「ええはい・・・えっ!?」

「結婚して欲しい」


 黒服がまた瞬時にアタッシュからシルバーの小箱を取り出す。

 受け取る彼。

 ぱかっ、と開けた中には。


 シルバーリングに翡翠。


「あの・・・すみません。わたし、まだ結婚できないんです」

「ほう・・・なぜ?僕が嫌いですか?」

「いいえ。あなたとお会いするのは二度目ですけれども、あなたが人間として尊敬すべき方だということはどうしてだかわたしには分かりました」

「ならばなぜ。顔が嫌なのかな?」

「いいえ!わたしはまだ大願を果たしていないんです」

「ふむう・・・大願・・・その大願とは?」

「言えません。ただ、小説を書くことの、その先にあるものです」

「あなたは小説を書くんですね?」

「はい。わたしは小説を書く人間です」

「素晴らしい。ならば、どうだろう?僕はあなたのスポンサーになれると思うのですが」


 ジュンは、ココロが揺らいだ。


「そうすればきっとあなたは素晴らしい小説が書ける。僕には分かる」


「ごめんなさい」


 ジュンは手首を、すうっ、祈りのような形にして頭を下げた。


「わたしが書かずにはいられないままに、書きたいんです。誰の庇護の下でもなく」


 目を閉じ、ゆっくりと立ち上がる、彼。


「分かりました。きっと僕はそういうあなたの本質に惹かれたのかもしれない」


 立ち上がり、今度はオーダーし、ジュンがサーブしたコーヒーを、ひとくち、飲んだ。


「さようなら。素晴らしい小説を書き上げることを願っています」


 代金を払い、彼は店を出て行った。


 唐沢が言った。


「結局なんだったんだ」


 ジュンはまるで乙女のようなことを言った。


「多分、王子様」


 ルーシーのアルバイトを上がって帰宅し、リビングでノートPCを膝に置いて小説を書いていると母親が声を上げた。


「あらあ。『富豪』なんて本当にいるのねえ」


 ジュンが目を上げてテレビに映し出されるニュースを観ると。


 さっきの彼が映し出されていた。

 再びダーク・スーツだが、ピシ、としたジェントルマンのいでたち。

 脇にはあの黒服がやはりビジネススーツで立っている。


「今回のM&A案件はオーナーのわたし自身がどうしても日本に足を運んでチェックせねばならないほど重要なパートナーとのものなんです」


 そういう遣り取りを『彼』は記者たちとにこやかに行っていた。


 アメリカに本社登録があるコングロマリットの総帥だという。

 けれども、微塵もそんな素振りを見せない。決して我慢とて神仏の嫌わせ給う自慢をせず、だからと言って自由さえあればいいなどという心根ではなくって、義務を誠実に履行するビジネスパーソンの姿だった。


 オフィシャルな会見が終わり、インタビューアーが彼にややくだけた質問をする。


「ビジネスパートナーは数多おられるわけですが、個人的なパートナーはいかがですか?」

「ふふふ。今日、振られたばかりです」

「え?あなたを振った女性が?」

「はい」

「優秀な方なんでしょうね」


 彼は、答えた。


「優秀とかそういう次元じゃないですよ。女神のように畏敬する、素晴らしい女性でした」





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