第18話 キモいという概念を根絶しよう
「文学の存在意義はどこにあるでしょうか」
ジュンと
「人間の生きる理由を探求することです」
「なにかやりきれないことがあったときにそっと紐解くものだと思います」
「真摯な恋愛は文学の中から生まれます」
「退廃とやさぐれにも光を当てること」
「正義を最後まで謳いつづけること。非難されようとも決して怯まずに」
個々の学生たちの回答ひとつずつが既に小説のテーマになり得るような重みや深みを持っていた。そんな中でひとり、異彩を放つ物言いをした学生があった。
「別に文学である必要はないと思います」
「それはどういう意味ですか?」
「先生。先生はさざ波文芸出版の短編部門で新人賞を獲っておられますね」
「ええ。それがわたしの職業作家としてのスタートでした」
「容姿にコンプレックスを抱く女性が恋愛できるのかどうかを描いたとても挑戦的な作品でした。僕はそれを拝読した時に、このテーマはむしろ漫画で描かれるべきものではないかと強く思いました」
「興味深い意見ですね。もう少し詳しく話してもらえませんか」
「現在のエンターテイメントの世界を見渡せば表現方法として総合的なコンテンツが支持されているように思います。あ、僕はあらゆる芸術はエンターテイメントの範疇だという持論がありますので」
「続けてください」
「『醜い花』という先生のその短編は、ヒロインの容姿が『キモい』という設定が物語の全てだと僕は感じました。そして先生は作品の中で彼女の容姿をとても詳細に描写しておられます。確かに彼女の顔が僕の脳裏に浮かびかけました」
そこまで話してその学生はこなれたプレゼンターらしく大講堂の中をぐるりと見渡した。
「でも、僕の脳内で出来上がったヒロインの容姿は決して『キモく』はなっていなかった。むしろキュートな顔立ちの女の子としてイメージされました」
「そうですか・・・なるほど」
「たとえば、挿絵を挿入しようとか、そういう発想はなかったんですか?」
「なかったですね。それこそわたしは犯罪捜査のモンタージュを描くような緻密さで彼女のルックスを描写をしたという自負があったものですから」
「もっと決定的なことを言いましょうか、先生」
「どうぞ」
「先生ご自身は美人じゃないですか」
ざわ、と大講堂の空気が変わった。
ジュンは空気が淀む瞬間というものをリアルにそこで感じ取った。
学生が言うところの『決定的なこと』、つまり担当の三谷教授が『美人である』ということをこの学生は論点として引っ張り出したのだ。
すり替えもいいところだとジュンは思った。
それでも三谷は真摯に応対した。
「わたしが美人かどうかは見る人の側の問題であってそれは絶対的な基準ではないでしょう。確かにわたしはヒロインの容姿をもっと完膚なきまでに絶対的な『キモい』ものとして執拗な描写をすれば良かったのかもしれません。けれどもわたしが『美人である』ということなどわたし自身が言い切ることができませんしヒロインである彼女が『キモい』ということも作者であるわたしがそもそも言い切ることができなかったんです」
「漫画ならそれができたと思います」
「・・・そうかもしれません」
「先生は、なぜこのテーマを小説で描こうと思われたんですか」
「あなたは残酷なことをわたしに訊くんですね」
「いいえ。これは僕が表現者として今後どういう道を歩むかの分岐点だと思っています。先生、なぜ小説という表現方法を選ばれたんですか。その、象徴的な先生のデビュー作において」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わたしは、絵を描くことができないからです」
三谷の回答の瞬間、間髪入れずにジュンは挙手した。そして三谷からの指名を待つことなく立ち上がり、男子学生の方を向いて発言を始めた。
「わたしも三谷先生の『醜い花』を読みました。中学一年生の時です。先生の描写は絵画で言えばとても写実的です。リアリズムがあると思いました。一行の文章を追うごとに、ヒロインの輪郭が出来上がっていくように感じました。アナタはそうではなかったんですか?」
「いいや。僕もキミと同じようにヒロインの顔がもう少しで浮かびかけた。だが、肝心の核心の部分、彼女の目や唇の部分を特定しようとしても結局そこまではできなかった。結果として僕の脳裏に仕上がったぼやけたヒロインの顔は、キモいものとしては映らなかった」
「そうですか。わたしも先生の文章を追って行って確かに最後の最後で顔のパーツをどう思い描けばよいのか迷いました。けれども、わたしの心の中ではっきりとした映像が遂には完成しました」
「そうなのかい?・・・それはとても興味がある。じゃあキミが完成させたその顔の描写を、口頭で・・・文章で言い表すことができるのかい?」
「ええ。できるわ」
「やってみてくれないか」
「ええ。最後に出来上がったヒロインの顔。それは、わたしの顔よ」
「う・・・」
ジュンの『わたしの顔よ』という答えと同時に学生たちが静かにどよめいたが、対峙している男子学生が言葉に詰まったその瞬間をジュンは逃さずに畳みかけた。
「アナタの言うこともとてもよく分かる。おそらくこの小説を漫画で表現したら、それはとても素晴らしい作品になると思う。そもそもこの短編は、日本であり得ないぐらいの観客動員をなすアニメのヒロインたちがことごとく好ましい容姿をしていることに対する強烈な皮肉を込めているわけだから、物語の冒頭から徹頭徹尾、誰が見てもはっきりと『キモい』という設定を貫いて、歳を取ろうが少女の頃であろうが、目を逸らしたくなるようなヒロインの『顔』を晒し続ければ間違いなく今までに絶対になかったようなアニメになると思う。でも、それを誰が観るの?」
「少なくとも僕は観る」
「ならば、アナタがそのアニメを創って。アナタがヒロインの顔を描いて」
「ああ・・・ああ、やってみる」
「とても困難な作業になると思うよ。だって、先生の短編の窮極の目的は『キモい』という概念をこの世から根絶すること。いじめや差別をなくすために。先生、わたしのこの解釈は先生の意図から外れてはいませんか?」
「完全な一致ではありませんが間違いなくわたしは『人種差別』というところまでイメージしてこの短編を書きました」
「ありがとうございます。そしてわたしは今現在でひとつの結論めいたものを自分の中にはっきりと持ちました」
ジュンが男子学生と同じように大講堂を360°ゆっくりと見渡す。一周した後に更に念入りにもう一周見渡してから言った。
「『キモい』という概念を根絶しようとするならば、『美しい』という概念も根絶しなけらばならない」
ジュンは、静かに着席した。
それを見て、ジュンが対峙していた男子学生も、無言のままで着席した。
翳っていた空が晴れ渡り大講堂の明かり取りの天窓から万度の陽射しが差し込んできたために三谷のシルエットが逆光の中にあるため、彼女の表情を読めないが、人差し指の第二関節で目尻をこすっている仕草から笑顔でないことだけは確定できた。
「答えはわたしもまだ出せません。けれどもわたしたちは創作の中で答えを追い求めて行くしかありません。書いてください。皆さん、書き続けてください」
三谷がそう言い終わると、終了のチャイムが鳴った。
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