第15話 雨上がりに銭湯へ行こう
ジュンの家が水回りのリフォームを始めた。
工事の一ヶ月間お風呂が使えなくなったので、家族で考えたのはフィットネス・ジムへの入会だった。
短期会員で夜間限定プランならば割安で利用できる。
目的はジム内にあるジャグジーやお風呂・シャワーの利用だ。銭湯へ行くよりも安く上がるのだ。
そしてウェスト周りをすっきりさせたいジュンは一石二鳥の効果もあった。
ただ、時折満員で利用できない場合もある。その際は銭湯を訪れるのだ。
「いらっしゃい」
「こんばんは」
番台があって男湯と女湯の空間が繋がっている作りの銭湯ではないのでジュンはほっとしていた。券売機があって完全に男女が独立した風呂になっている。
ただ、母親は学生時代に風呂のないアパートで銭湯通いだったらしいのだが、こういう説を持っていた。
『あれは窮極の人件費削減よ』
一人で男湯も女湯も面倒を見るシステムなら一人分の人件費で済むわけで、これは個人経営が大半だった昔の銭湯ならばやむに止まれぬ事情でもあったろう。ただ、現代ならば番台に座るのが女性であろうと男性であろうと、お客にとっても働く側にとってもセクハラの可能性が出てくるだろう。
そしてジュンは契約しているWEBのコミックサイトで読んだずっと昔の漫画を思い出していた。
『ヒロインの可愛い女の子。サングラスして番台に座ってたな』
ジュンは脳内で漫画とシンクロする感覚にくすくす笑って入り口にあるシャワーでまず体を濯いだ。
もう数回来たが、いつも思うのは意外にお客が多いことだ。家族連れも多い。小さな孫を連れた若いおばあちゃんも居れば可憐な高校生もいる。子供も女の子だけでなく幼稚園ぐらいの男の子もいたりする。
風呂のお湯は熱かった。
「うわっちぃ!」
もちろん人に聞こえるようにはしないが、元来冷え症のジュンは爪先を湯につける瞬間のピリピリするような感覚に小さくそう呟くのだ。
「おー。また会ったねー」
「こんばんは。お久しぶりです」
シュッ、としたおねえさんがジュンの浸かる正面で脚を伸ばして座っている。大袈裟ではなく、湯船を横断してしまいそうな長さだ。先週も会って互いに覚えていた。ジュンに話しかけてくる。
「ねえ。キミって大学生?」
「はい、そうです」
「学部は?」
「文学部です」
「おー。いいねー」
おねえさんも読書はよくするという。しばし文学談義となった。
「最近の小説はついていけなくってね」
「え。おねえさんが?」
「そうだよ。こう見えても結構歳はいってるからね」
「どんな小説がお好きですか?」
「ハードボイルドがいいねえ」
「へえ・・・たとえば?」
「大沢在昌の『新宿鮫』とかカッコイイよね」
「あ。おねえさんもですか?わたしも好きですよ」
「おー、キミもかい。アタシはねえ、新書版で読んだんだ。ハードカバーじゃなくて新書からスタートした小説のシリーズが直木賞取るなんて『やってくれた!』って感覚だったな」
「へえ・・・リアルタイムでは分からないですけど、そうなんですよね。もう徹底したエンターテイメントなのに、凄まじくリアルで」
「キミはリアルさにこだわる方?」
「こだわりますね。特に戦闘シーンとか」
「え。『銭湯シーン』?」
語感でおねえさんが『銭湯』という漢字を発音したことが伝わり、ジュンは思わずくすくすと笑った。
「ああごめんごめん。アタシ時々こうなんだ。おかしかったら注意してね」
「はい」
ジュンはおねえさんが大好きになった。
この人と会えるなら銭湯へ来る頻度も増やしていいかなと思った。
更におねえさんはそのタイミングで湯の下で長く伸びる脚を組んだ。
脚を組む動作の時の腹筋の動きを見るとそれは無駄に割れてなどおらず、インナーマッスルが褐色の皮膚の下で蠢くような見事に凹んだお腹だった。
ほおっ、と思わずジュンがため息をこぼした。
「どうしたの?」
「だって・・・おねえさんのカラダが余りにも綺麗だから」
「ふ。キミも結構エロティックな言い回しするね」
「だって・・・」
「鍛えてるからね。それと節制してるから」
「あの。お仕事ってなんなんですか?」
「うーん。『ヒーロー』かな」
ヒロインでなく、ヒーロー。
多分、冗談ではぐらかされたのだろうと思った。よっぽどモデルさんですよね?と言おうと思ったが謎めいたままがいいかな、とジュンはそのままにした。
風呂から上がり、脱衣所のガラスケースの冷蔵庫から、ジュンはカフェオレを奢って貰った。
「昔ならビンのコーヒー牛乳といきたいところだけどね」
「カフェオレも銭湯に合いますよ」
紙製で円錐形の容器を、コン、とぶつけ合って乾杯した。ストローで、ちゅー、と一気飲みする。
風呂でなく陸上で直視するおねえさんの肢体は完璧だった。
下の下着だけで腰に手を当てて喉を、くっ、くっ、と鳴らしながら飲む動作にすら筋肉の動きが伴う。
胸の薄さも、貧弱というよりは、シェイプアップした筋肉の賜物だと感じられた。
「お。雨、上がったね」
中庭の草花が夜露を弾いている様子を見ながらおねえさんは猛スピードで着替えを始めた。。
「じゃ、お先にね。これから夜勤なんだ」
そう言って出て行く後ろ姿をジュンは惚れ惚れして見送った。
「かっこいい・・・」
おねえさんの後ろ姿は、消防士のユニフォームだった。
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