full moon

立花立夏

full moon

 まあるい月の晩だった。

「ケイ、仲良くしてあげてね。」

 ずっとひとりぼっちで遊んでいた僕に、友達ができた。


 母さんに手を引かれてやってきたのは、無口な男の子。艶々の黒髪と丸い瞳は、雨に濡れたカラスみたいで綺麗だ。僕のは薄い茶色だから、なんだかカッコイイと思った。

 しばらくは母さんがいろいろと世話を焼いて、僕はなかなか近付けなかった。だけど、彼は僕の部屋で寝るらしい。みんなが寝静まった頃、小声で話しかけた。


「ねえ、まだ起きてる?」


 彼は眠そうに目をこする。ねぇねぇ、僕と遊ぼうよ。そう誘えば、ゆっくり頷いてくれた。

 君はどこから来たの? 何して遊ぶのが好き? 僕はお昼寝と追いかけっこと、隠れんぼ。たくさん話しかけても彼は何も答えない。僕の目をじっと見つめるだけだ。


「ねぇ、クッキー食べる?」


 お腹が空いて話せないのかな? そう思って、母さんに内緒で台所からくすねた赤い箱を、ベットの隙間から取りだす。中には僕の大好きなバターたっぷりのビスケットが入っている。とっても美味しいんだ、特別に分けてあげよう。太るからあまり食べちゃダメっていつも母さんから言われるけど、そんなの知ったこっちゃないや。

 手のひらにのせて差し出すと、彼はいらないと静かに首を横に振った。仕方ないから僕だけ食べた。こんなに美味しいのに、変なやつ。むしゃむしゃビスケットを食べる僕を、彼はただじっと見ていた。


「ねぇ、本読む?」


 おしゃべりする気分じゃないのかもしれない。それなら、僕のお気に入りの絵本を貸してあげよう。勇者が魔物と闘って、最後は魔物と友達になる物語。僕と君は似ている。そう言って勇者は傷ついた魔物の手を取るんだ。最高にかっこいい絵本だ。

 僕の手から絵本を受け取ると、彼は静かにページをめくった。あ、読むんだ。彼の白い頰に睫毛の長い影が落ちる。窓からこぼれる月の光のせいで、その姿はぼうっと青く光ってみえた。電灯をつけてあげたいけれど、こんな夜まで起きていることが父さんに見つかったら叱られちゃう。

 せめて彼の邪魔にならないように、窓から離れた場所に座った。彼がゆっくりとページをめくる姿を、今度は僕がじっと見ていた。読み終わったら、感想を聞こうと思ったのに、僕は知らないうちに眠ってしまったようだった。




「ねぇ、あの絵本どうだった?」


 次の晩、彼にたずねた。彼は目をそらして、ううんと首をひねった。お気に召さなかったみたい。でもいいや、本は二人では読めないから。本じゃなくて、僕と遊んでほしい。僕は彼ともっと仲良くなりたかった。


「ねぇ、何して遊ぼうか」


 彼は少し考えてから、窓の方をさした。窓の外には、明るい月がまばゆく、今日も僕の家の庭を、太陽みたいに照らしていた。素敵な提案だと僕は思った。こんな夜に、こっそりと庭を探検するのはさぞわくわくするだろう。


「ねぇ、行こう」


 音を立てないようにゆっくりと窓を開ける。僕の部屋は一階だから、直ぐに庭につながっている。裸足のまま地面に足をつけると、ひんやりとした土の感触がした。少しくすぐったくて、だけどとっても気持ちいい。あ、小さな彼が、段差で転ばないように見ていなくちゃ。後ろを振り返ると、彼はおっかなびっくり足踏みしていた。意外と小心者なんだな。僕は彼の手をとって、怖くないよと言った。彼は僕の顔を見たあと、決心したように一歩を踏みだした。


 七月の夜風に揺れる庭は、神秘的に僕たちを迎えた。虫の声が微かに聴こえるだけだ。母さんが大切に育てている白いアサガオは、朝を待ってじっと眠っていた。そうだ、彼に僕の秘密の場所を教えてあげよう。隣の家との隙間、乱雑に茂った草のトンネルを抜けると、少しひらけた場所がある。そこは地面にも柔らかい草が生えている。日当たりが良くて、ゆっくりお昼寝するのにちょうど良いんだ。今はスポットライトみたいな月の光に照らされている。

 草に寝転ぶと、昼間の太陽の温かさがまだ残っていた。隣の家に咲いているクチナシの花が甘く香る。僕の真似をして、隣で同じように彼も寝転んだ。月に照らされた彼の白い肌は、やはり青く光って見えた。ふれたくなって、頰をそっと撫でると、彼は気持ち良さそうに目を細める。思いのほか、彼の頰はあたたかかった。夜風が僕と彼の髪を優しく揺らした。



 昨晩一緒に夜を過ごして、僕たちは前よりもずっと仲良くなったように感じた。今日も変わらず、月が美しい。


「ねぇ、今日は何して遊ぶ?」


 そうたずねると、彼は悪戯っ子みたいに笑って僕の前から姿を消した。え、どうしたの。どこに行っちゃうの。僕と遊ぼうよ。


 彼を追いかけて、寝静まった家中を走りまわった。音を立てないで走るのは僕の得意技だ。すぐに捕まえてやるんだから。

 クスクス。クスクス。

 そこかしこから、彼の笑い声が聞こえるようだ。居なくなったと思ったら、不意に現れる。捕まえようとすると、するりと僕の腕から逃げてしまう。僕の方が家には詳しいはずなのに、一向に彼は捕まらない。僕は夢中になって彼を探した。

 探し疲れたとき、僕の部屋の扉が薄く開いているのを見つけた。分かりやすい罠。そっと覗くと、庭につながる窓が空いていた。不意にカーテンが夜風にはためく。部屋に怪しく月の光が忍びこむ。全く人の気配がなかった。もしかして、彼は月にさらわれてしまったんじゃないか。彼があんまりにも美しいから、月の魔物が彼をさらった。嫌だ。僕の彼を返して。…


 思わず部屋に飛び込むと、突然後ろからぎゅっと誰かに抱きしめられた。僕は心臓が飛び出しそうになった。だけど驚きすぎて、鳴き声の一つも出なかった。

 後ろを振り返ると、彼だった。彼が僕の背中に顔をうずめていた。なんだ、君か。驚かせるなよ。君から捕まえられに来るなんてね。大方、ちゃんと見つけに来てくれるか不安になったんだろう? 僕も、いつもそうだから分かるよ。君との追いかけっこは悪くなかった。けど、隠れんぼはだめだ。だって僕は今まで、隠れんぼの鬼をやったことがなかったんだもの。

 彼に身をまかせると、彼の心臓の音が聞こえた。とくんとくんと、静かに彼のリズムを鳴らす。ふれあった背中からお互いの体温が混ざりあって、とても気持ちがよかった。今までで一番、君を感じた。君と僕が、1つの生きものになったみたいだ。抱き合ったまま僕らは夜を明かした。


 

「ケイ、たくさん仲良くしてくれたみたいね。ありがとう。もうバイバイよ。」


 四日目の夕方に年の離れた姉さんがやってきて、お家に帰ろうね、と優しく君の手を引いた。君は姉さんを見ると嬉しそうに笑った。玄関のドアが閉まるとき、少しだけ振り返って僕のことを見た。君はさようならを言わなかった。


「なぁに、ケイ。涼くんが帰っちゃってさみしいの?」


 君を連れて行く車が走り去って行くのをベランダで眺めていた僕に、母さんが優しく話しかける。ちがうんだ母さん。さみしくなんてない。さみしくなんてないよ。彼がいなくなったって、僕は泣いたりしない。さみしくたって、泣きたくたって、この瞳から涙が溢れることはないんだから。


 君と過ごした三日間、僕は君の声を一度も聞かなかった。だけど君の一番近くにいた。君と歩いた夜の庭を。君と見上げた月を。君と眠った夜を。僕は手の中に持っている。


「ケイがあんなにちっちゃい子と仲良くできるなんて、母さん知らなかったなぁ。」


 母さんが僕の髪を撫でた。その手が優しくて、あたたかくて、僕はグルグルとのどを鳴らした。彼が僕を撫でる手を思い出して、切なくて。少しだけ欠けた月を見上げると、月はいっそう潤むように輝いて、ぼんやりと丸くなった。

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