夢追い屋

1.

気づくと眼前に広がる景色は肌色の天井

だった。僕はソファの上で寝ていたらしい。

あれ?ということは先程まで見ていた

景色は?本屋は?


「幻覚...じゃないよな?」


状況を確認するため、起き上がり

目の前にあった窓を覗き込んだ。どうやら

マンションらしい。下に小さな建物群が

ある。何だか既視感があった。


「ったく、一体何がどうなって....


言いかけたその時


「どうしたの?ずっと外なんて

覗き込んで?」


ドクンっと。心臓が高鳴った。

背後から聞こえるその透き通った生声。

僕には絶対的に忘れることの出来ない音

だった。

ゆっくりと振り向く。


「お、お前、は....?!」


肩まで伸びた茶色がかった髪質に

上品な顔立ちの女性が立っていた。


加藤紗倉さん。


僕の妻だった人──


「何ですか?まるで死んだ幽霊を見たような

顔をして。仕事から帰って来たんだったら

ただいまぐらい言ったらいいのに」


「あっ、ああ。え?どうゆう」


全くもって常識の埒外だった。

理解不能。


2.

僕の知っている妻はハッキリ言って

色々な面で秀でていたと思う。

まだ会ったばかりの彼女は自分の事を

シングルマザーと云っていたが

家事も育児も大変だろうに仕事では

当時、個人成績最上位の僕と毎回

張り合っていた。

そんな健気に頑張る彼女に僕は段々

惹かれてやがて僕たちは結婚に至った。

全て順調だった。美人な妻。可愛い娘。

会社ではエースと持て囃され、有頂天

だったのだ。あの時。当時アメリカにいた

親友から電話が来るまでは....。



3.

電話が鳴り響き、僕はうるさいと

思いながら、仕方なく応答する。


「加藤....悪りぃ。日本は夜だよな」


「良いけど、どうした?何かあった?」


「.....言いにくいんだけどさ、俺。

病気になっちまってよ」


「え?病気って何の?」


数瞬悩んでるように、うーん。という

声が聞こえてきて、言いづらいなら

無理に言わなくても良いよ?と言ったら


「いやいや、御免。言わせてくれ。

俺さ膵臓がんなんだ」


「えっ!!?それって大丈夫なのか!!?」


「分かんねぇ。一応アメリカの医者が

言うにはまだ早期だし、入院して迅速な

処置さえすれば治る確率はあるらしいけど」


「そ、そうなのか.....」


「ただ、費用が馬鹿みたいに高いんだ。

親と俺の全財産合わせても足りない。

それで相談なんだけど、少し金を

貸してくれないかな......?」


彼は僕の唯一無二の親友だったのだ。

だから私はすぐに


「分かった。幾ら払えば良い.....?」


「それが......2500万」


「えっ?」


「5000万が入院費と手術代。俺が

どんだけかき集めても2500万が限界で、

残りはお前に頼るしかないんだ。

無理言ってるのは分かってる。だけど

頼むっ!!この病気が治ったら絶対に

返すから。俺を生かしてくれぇ!!」


正直言って驚いた。予想の10倍以上だ。

僕は本当に躊躇って、数日考えた。

でも、彼の掠れそうな電話越しの声が

僕を突き動かした。もう一度電話を入れて

承諾する。貯金なんかじゃ全然足りないので

金を借りて払った。


今思えばこれが失敗だったのだ。

この後、その友人との連絡が途絶え、

不思議に思い僕は彼から伝えられた

病院に連絡を入れたが、


「そのような名前の患者さんは

入院しておりませんが?」


という声が返ってくるだけだった。

つまり騙し取られた。親友に。

それが運命の歯車がズレた瞬間だった。

騙し取られた憤りで仕事が手につかず、

残ったのは無意味な借金。

今思えばこんな手に引っかかってしまった

僕も悪かった。

妻はそんな僕を見て出て行った。

とても賢明な判断だろう。娘もいる。

こんな男のせいで人生を損することはない。


3.


紗倉さん。現在私の目の前に

貴方がいるわけないのだ。

自然と手に力が入り、握り拳を

作っていた。


「貴方は10年前、居なくなった筈、だ」


「・・・・・・・」


彼女は無言のまま私の目を見つめていた。

3秒間だ。数字にすると短いが私にはそれが

悠久に続いて、このまま何も反応がなくなるのではないか。という気さえした。

変な汗が私の頬をつー、と伝う。


そんな私の前で彼女は

ただ首を少し傾げただけだった。


「何言ってるの?10年前居なくなったと

言われても10年も前に私達、会ってすらない

じゃない?」


え?と疑問が漏れるが、ふと、初めて

部屋をよく見渡して気づく。

見慣れていたソファ。見慣れていたテレビ。

見慣れていたリビング。見慣れていた台所。

そうだ。そうか此処は.....

7年前の僕たちの家だ。


「僕は戻ったのか...あの時へ」


「相変わらず頭のネジ外れてますね?」


当時何度も言われた台詞だった。

普通に聞いたら貶されている筈なのだが。

懐かしい。そう心に温かいモノが

浮かんできて。僕は笑っていた。


「えっ、ちょっ!!?どうしたんの?

そんなに傷ついた?」


彼女は心配するように僕の顔を

覗き込んできた。

どうやら僕は笑いながら泣いていたらしい。

こんな感情で泣いたのなんて、何年ぶり

なんだろう?いや、一生で一度も

なかったのかも知れない。


「父さん。いつも以上におかしいんだけど!?

愛菜どうにかして!!」


言うと、奥の部屋から見た目13歳くらいの

三つ編みおさげの少女が出てきた。


「うーん、でもパパっていつも何か

変だよ?」


愛菜。僕の娘だ。

どうして妻と娘がいた時代に戻って

きたか。そんな事は最早どうでも良く。


僕の身体は愛菜をギュッと抱きしめていた。本当に素直に僕はこう思った。


手放したくない。と。

またやり直したい。と。


「えっ、ちょ!?どうしたのパパ?」


「ごめん。しばらくこうしたいんだ....」


ったく。と聞こえた直後、ポンっと、

僕の頭の上に小さい感触があった。

娘の手だった。


「なに?今回の仕事そんなに大変だったの?」


仕事。か。そうだな。


「.....そうだなぁ。大変だったよ。今回の

仕事。なかなか上手くいかなくて、凄い

時間がかかったんだ」


「そう」


娘は一言だけそう呟いて、私の拘束を

優しく解いた。


「じゃあ気分を一転してもう夕食に

しようよ。ねっ?母さん父さん」


「そうだね」


と言って紗倉さんは台所に向かって、

調理し始めた。


4.

今日の夕食のメニューは僕の好きだった

カレーだった。7年ぶりの家族の団欒。

もう僕はあの間違えた人生を送らない。

彼女達を必ず幸せにしてみせる。


あっ、そういえば、言ってなかったな。

「ただいま!!みんな」


あまりにも嬉しそうに言ったもんだから

2人は不思議そうに顔を見合っていたが、

2秒後に返事が来た。


「「お帰り父さん(パパ)」」



5.


1LDKのボロいアパート。

部屋に明かりはなく、必要最低限の

物は置いていない。そんな印象を

受けた。そんな部屋の寝室で、

先端で輪っかを作っているロープが

天井から垂らされている。

その輪っかに首を入れている男がいた。

衰弱し切っていて口でボソボソとなにかを

呟いている。自殺。する一歩手前。


そんな現場に2人の少女が在していた。

1人は金髪碧眼で、黒いパーカーを着ている。

もう1人は猫のような耳がついており、

花柄の和服を着ていた。


「にしても、悪趣味ですよねーこれ」


「何が?」


「あなたのやってる事って結局、

何なんですかね?」


「んー、何と言われても、ただコイツが

望んだ事。それを提供するのが私の

仕事ってだけ」


はぁ、そう言うもんかな。と言って

着ている和服を揺らしながら、男を

指差す。


「その夢は死と同時に覚める。

そんな無意味なことってあるかな。

『夢追い本屋』さん?」


「彼が望んだ夢だし。そもそも私の

ところに魂が来た時点で彼らは無意識に

ソレを望んでる。私はその夢に出来るだけ

迫ってあげる。今回の場合、過去の自分が

彼の夢だったというだけ。

どうせ死ぬ時は虚無の世界か妖怪の類いだ。その前に生前最後に幸せを味わうのって

絶望で死ぬより良いんじゃないっすかね。

というか今回は彼が本に思い入れが

あったから本屋に映っただけで、

本来本屋じゃないので。『夢追い屋』と

呼んでください」


ガタっと、音が鳴った。

つまり男が立っていた椅子から空中へ。

自殺。徐々に顔が蒼くなり、

もがいていた手も力がなくなっていく。


「おっと。じゃあバイバイ、

最後にいい夢見れて良かったね」


手で拳銃のポーズを作り自分の胸に

押し当てた。


「──加藤、孝明さん」














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夢追い本屋 @Kara3313

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