第十四話 『ヒトは過去に囚われる』

「あぁ、ぁ──っ!!!」


 ボクは負けたんだ。


 雲一つ消え去った夜空の中、二人は大地へ墜落していく。

 砕かれた胸が足で押さえつけられて、足搔こうと藻掻くほどに激痛が襲ってくる。


 衝撃は、胸を貫かれたと錯覚するほどの威力。

 衝撃で自分の口を切ったせいで、声にならない絶叫とともに血液が口からこぼれ落ちた。


「──っ、────!」


 あまりの速さに受け身を取れなくて、今もがくんと失神しそう。

 意識が失われていないのは、きっとボクから生物性が抜け落ちたせい。

 人を辞めた肉体は死の間際まで意識を抗わせようとする。痛覚の警鐘で、ボクの目を覚まさせる。


 でもこんな状況で、何ができるって言うんだ。

 痛みの切り方なんて知らなくて、味わった事のない苦痛が、ただ、ただ痛い。

 もがいて、痛い。押さえつけられて、痛い。

 何も出来ない。

 何かできるはずなのに。

 世界を変える力なのに。

 じたばたって、それしかできない。


 暁光が照らし始めた東の空を背景に、空気を押し退けてただ落ちる。

 背中を吹き抜けていく風は、灼熱を喰らう胸の熱さとは対照的にひどく冷たい。


 ボクは負けた。


 きっと彼は今にもボクを貫いて、燃やして、殺してしまえる。


 勝てるわけなかったんだ。

 青年の身体を包んでいた赤い火。あれを見た時から、薄々予感していた。


 だってあの炎は一年前に行方をくらましたはずの、英雄。

 幾多もの怪物・怪人・怪獣から街を守っていた本物のヒーローの炎。


 経験が違いすぎたんだ。

 付け焼き刃でしかないボクの力が太刀打ちできるわけなんかなくて、事実、ボクは英雄の四つの形態のうちのたったひとつで、こうして軽々とあしらわれる。


 ただの一蹴り。

 それだけで、ボクの弱い願いは終わろうとしている。


 諦めるしか、ない。


 身体は動かない。焦って何も思いつかない。苦痛に耐えるのも、もう限界。

 そもそも、今のボクに選択肢なんか与えられてはいないのだ。

 目の前でボクを殺さずにいる男の一存で、全てが決まってしまう。


 生かしておく理由があるか?

 どんな理由があろうと、ボクは彼や彼と一緒にいた女の子を殺そうとした。

 その為に飛蝗の怪物をけしかけて、彼らの後を付けて、問答無用で命を脅かした。まるで、だまし討ちするみたいに。


 ううん。あれは、どう考えても騙し打ちだ。

 一度顔を合わせた相手に、訳も話さないで腕を吹き飛ばしたんだから。


 だって話をしてしまえば、言葉を交わしてしまえば、ためらってしまう。

 会話の成り立つもの同士での殺しは、人殺しというものだ。


 ボクは人殺しなんかしたこと、ない。


 おぞましいものだ。

 言葉にできない本能的に気持ちの悪いものだ。

 怖くて、できない。


 自分と同じ価値や意思を持つものと考えている間は、きっと必ず躊躇するんだろう。


 多分、人が人を殺せるときは相手を人と認識できなくなったとき。それか自分がひとでなしに、怪物となったとき。


 相手の人間存在を否定できる理由が出来たときだ。


 そうしなければボクは彼らを無慈悲に殺せなかった。

 ボクは会話の成り立たない怪物になろうって、そうすれば人殺しをしなくて済むって。殺人事件をひとでなしの怪物が人を襲ったという死亡事故にをすり変えた。


 だから彼は人として、怪物ボクを討伐するのは当たり前の事。


 故に、もう諦めるしか——ない?



「い、や——だ……っ!」



 諦めたくなんかなかった。

 ボク自身が死ぬ。その事実はよくは……ない。けど、そんな事より重要な事があるんだよ。


文園幽妃ふみぞのゆきの過去を変える】


 ボクの願い。

 叶わないだなんて、そんなことが有っていいわけがない。


 それはボクの悪事とは関わらず、叶えられるべきものなんだ。


 ボクが恋をした、普通の女の子。

 生まれた時からずっと辛い思いをしていた、幸せになるべき女の子。


 最後に訳が分からない理不尽に呑み込まれて、人生を終えた。

 そんなの、ただの悲劇で終わっていいはずがない。

 ハッピーエンドの形も知らないままバッドエンドを迎えるなんて、そんなのないじゃないか。


 幽妃ちゃんは、過去を変えてでも救われるべきなんだ。

 人間の倫理観など、きっとその時にボクは捨てた。


 でもボクが怪物になって人を殺そうとしたことだとか、悪事が失敗に終わったことだとか、そんなことは彼女の悲劇とは関係がない。

 ボクの行為とは無関係に、彼女には救われる権利がある。

 本来なら今も生きていて当然の、普通の女の子なんだから!


 怪物になって人を殺してまで、過去を変えてまで叶えたかった願いが、弱い願いであるわけがなかった。


 どうにもならなくたって、諦めることなんか、絶対にしたくはなかったんだ。

 まだ、死ねない。詰んでいるのだとしても、認めない。ボクが死んだら誰が幽妃ちゃんを助けるの——!?


 でも。


「死ね……なあ——っああぐううう!」


 ボクがどれほど諦めなかったところで、運命というものは決まっている。


 永遠にも感じられた熱鉄地獄の落下は、実際のところ三秒とない間隙の出来事。

 地面はすぐそこ、目の前に迫る。


 嫌だ。

 嫌だ。嫌だ!


 わがままに叫んだって、現実は変わらない。


 もう、おしまいだ。

 怪物は怪物らしく、英雄のキックに沈む。テレビの子供向け番組ののように。


 怪物の心は最期まで、過去の少女に囚われていた。


【ボクじゃ助けられないのなら、だれか——】


 目を瞑ると、じわと溢れた涙が一足先にコンクリートの道路に伝う。


【——たすけて】


 全身が光に、包まれた。


「……!?」


 直後、胸を焦がす熱が消え去った。

 今までどれほど抗っても逃れられなかった炎が、である。


 そして、目と鼻の先ほどまでに迫っていた地面とぶつかる衝撃が、何時まで経っても訪れないことに気が付いた。


「……な」


 なんで——?


 理解ができなかった。

 状況ではなく、理由を。


 青年がボクにとどめを刺す直前で、キックを中断し、何かの光でボクを包み込んで助けた。その事実は分かる。


 でも理由が分からなかった。


 恐らく、彼は今の今までボクを蹴り殺そうとしていたはず。

 ボクは、彼や少女を言い訳のしようがないほどに傷つけたのだから、敗北したボクを見逃す理由などないはずだ。


 混乱状態に陥ってしまう。

 けれど、ボクが答えに辿り着く前に、落ち着いた声が光の外から響いた。


「すまない」


 同時に視界を遮っていた光が割れて、薄明の空が視界に映し出される。


 その真ん中で、青年が佇んでいた。

 纏っていたはずの炎は、幻のように跡形もなく消え去っている。

 そしてそれは、青年本人も同じ。

 座り込む姿勢になってしまっていたボクを見下ろす視線が、平穏と慈悲に満ちていた。

 まるで、何事もなかったかのように。


「結局、俺は君を傷つけた」


 そっと近づいて、手を差し伸べてくれる。

 敵対者であるはずのボクに。


「君の感情は俺にも伝わった。どうしても、叶えたい願いがあるって」

「え……」


 憐れみも憎しみもない純粋な良心が、怪物として相対したボクに向けられている。


 どうして、そんなことを言ってくれるのだろう。


 情けを掛ける義理もない、助けてくれる価値も、彼からすればあるわけないのに。


 普通、在り得ないよ。そういう優しさの向け方は。いくら決着が付いたって言っても、淡泊に過ぎる。


「もう一度、話をしてくれない、か?」

「——っ!?」


 でも、その言葉はボクが最後に望んでしまったわがままだったから。

 それに応えてくれて、手を差し伸べてくれた彼が、この世でひとつだけの宝石に見えたから。


 思わず、


「はい」


 だなんて、二つ返事を頷いてしまった。








 ***








 あゆむくんへ。


 今日、剣を持った男の人が来ました。

 鎧を着ていたから顔は分からなかったけれど、年齢はあんまり変わらないと思う。まるで、お父さんのくれた童話に出てくる騎士様のような感じの、強そうな騎士様だったよ。


 でもその男の人は、良い騎士じゃなかったみたいで、いきなり私を剣で斬りつけてきたの。


 私が、その男の人の大事な女の子を傷付けたからって。

 でも私にはそんな覚えが、全然なかったんだ。なのに私がどれだけ叫んでも、彼は剣を振るうのを辞めてくれない。


 すごく痛くて、心臓の位置が吹き飛んで、足がなくなった。それでも私は痛いだけだった。 死ぬことなんてなくて逃げ延びて、すぐに元通りになるの。


 それが、私を食べた悪魔にはすごく嬉しいことなんだって。ぼうぼうって燃える炎の顔の口を、不気味なくらいに吊り上げて笑ってた。

 苦しみに絶叫する私の涙がとっても甘美だって。不思議だよね。涙は塩分が含まれているのに、甘いなんて。それだと私、人間じゃないみたい。

 お父さんやお母さんが言っていたとおり、私って人じゃないのかな。


 最近、会えてないよね。なんだかずっと夢を見てる感覚で、何処に行ったのか、何をしたのかよく覚えていないんだ。お家にも、帰っていない気がする。だからもし何日も、何か月も経っていたら、ごめんね。私もすごく、不安で、怖い気持ちでいっぱいです。知らないうちに、誰かに酷いことをしているみたいなの。


 私、やっぱりまともな人にはなれないみたい。生まれたときから、きっと私は異常なんだって決まっていたんじゃないかなって、今でも思ってしまう。


 でも歩くんは、私にこういうんだよね。

 君は普通の女の子だよ……って。


 歩くん。


 人間じゃない私に、どうか気付いて——。

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