第十五話 『過去へ望む』

『もう一度、話をしてくれない、か?』


 歩さんに総汰が差し伸べた一言。


 その言葉通り、総汰に連れられた私と歩さんは、戦いの跡の残る彼の自宅に招かれていた。


「君が襲ってきた理由は、俺や智富世を連れてこいと、そうすれば過去を変えられるからって言われたから、だよね?」

「はい……」


 巨大な風穴が空いたリビングを、今も冷たい風が吹き抜けていく。

 東から登り始めた太陽に直接照らされるのは、まるで野営のテントから朝日を迎えるよう。


「その君の過去のことだけど……聞かない方が良さそう、か。……代わりに話も進まないんだけど」

「……ごめんなさい」


 廃墟同然の民家のテーブルに私と総汰が隣り合って、向かい側で歩さんが席についている。

 テーブルの中心には、知識の種によれば電気で動くらしい卓上鍋が設置されており、襲撃を受ける前に立ち寄っていた食料品店で購入した食材たちが中でぐつぐつと煮えていた。


「俺は君に力を貸すために、話がしたい。もう少し君のことを教えてくれると助かるよ。ほら、君の持ってる力の事とかさ」

「分かりました……」


 歩さんは総汰と私の質問に受け応えて、あとは顔を俯けて黙っていた。

 取り皿に盛られた料理にも手を付けないで、総汰が動くたびにびくっと身体を強張らせて怖がるばかり。


「……君をこれ以上殴ったり責めたり、そういう酷いことをする気はない。その皿に取ってあるのも君のだから気が向いたら食べて。冷めないうちに」

「はい……」


 薄い反応に、総汰がうぅん……と声にならない息を漏らす。


 少し考えて、総汰が「それなら」と呟いた。


「……なら、智富世に謝ってくれ。俺も智富世を傷付けられかけたってのは、少し気がかりだから。それなら、どう?」

「え……私?」


 いきなりの会話のパスに、思わず声が上ずってしまう。危ない、あと少し遅れていたら魚を口に含んだまま声を上げるなんていう、はしたないことをしていた気がする。


 というか総汰、そんなことを気にしていたんだ。ちょっと驚きだ。

 だって彼を、フィリアを継いでいるなら、私が誰かを恨んだり、嫌ったりすることを嫌がるはず。

 謝らせるとか、そういう怒りをぶつけるようなことはせず、最初から誰かを許すことを説いていた、そう覚えている。


 フィリアとは似ているけど……違うのね。

 単存在は変化することの無いものだと、私は教えられていた。

 だから総汰にも、彼なりの意思や自我があるというのは不思議な感覚。

 それでも総汰が私のためを思ってくれているという事実に、なんだか心が暖かくなった。


「え、えと」

「別に私もあの程度では死なないから……ってそうじゃないわよね」


 言われた通りに体を私の方へ向けた歩さんに言いかけて、途中で言葉をつぐむ。

 総汰は歩さんに彼の行いを許すという態度を見せるために、わざと私に謝らせようとしたんだ。それを無下にするわけにはいかない。


 あまり、人の心を覗くのは好きではないのだけれど。


 瞳に薄く、意識を寄せる。普段は遮断している他人の心を視るために、私に宿る知識の種の出力を上げた。


 謝罪という行為に真摯に向き合うために。フィリアに教えられたとおり、感情とは真面目に向き合うために。


 来なさい。


「ごめんなさいっ……!」


 たった一言。余計な言葉の無いシンプルな六文字の言葉が、彼の誠心誠意だった。

 頭を深く下げて、きゅっと目を瞑ったままの姿勢で、彼は私の答えを待っている。


 歩さんの心に嘘偽りはなかった。心の底から、私を傷付けようとしたことを心苦しく思っている。

 心を深く読む必要なんてない。種子の出力を下げようと、瞳から意識を逸らした。


「もちろん」


 貴方を許します。そう言いかけた時だった。


「ぅっ——」


 ああ、この感覚。人の心を読むのはこういうことが有るから、本当に申し訳なくなる。


「どうした、智富世?」


 心配した総汰が声を掛けてくる。


「大丈夫、よ……」


 返す言葉は強がりだった。


 強い感情は私の意思に関わらず、情報を必要以上に私に流し込んでくる。


 情報を処理できないのではない。無限の情報を内包する現像の種は、宿主の肉体や思考回路を世界を創る情報量に耐えられるよう、丸ごと書き換えてしまう。たった一人の人の情報など、ゼロと同義だ。


 問題なのは、情報の入手元が人間の思考であるということ。感情も記憶も思考も、人間のプログラムは神経系統で処理される。現像の種は持ち主の肉体を変質させるとはいえ、元の肉体に備わる機能は尊重される。脳が脳を超越した思考回路へと変貌しようと、その組織が収納される部位は同じの形のまま。だから、機能が集約された組織を一緒くたに変質させてしまった場合、同じ分野のモノとして扱われてしまう。

 本来なら思考だけ、感情だけのように任意指定できる情報が、ちょっとした衝撃で同じジャンルの情報として扱われ、相手の人生の全ページを読まされてしまう。

 読みたい本を手に取った時、同時に内容の全て、続編、外伝、著者の心意、関係者の情報まで視えてしまうようなものだ。読みたくもないものを、勝手に読まされてしまう。


 相手を必要以上に、詮索してしまう。


 祈織の心を読んだときは、彼女の心が平常だったから影響は少なかった。歩さんと戦っていた時は、戦闘状態へ種子の方向性が切り替わっていたから平気だった。しかし、今の歩さんの感情は違う。


 未だ離れない痛みの感覚、恨まれないで許されているという後ろめたさ、願いが叶わなくなるかもしれないという恐怖。

 それに、抱いてしまった申し訳ないという強い謝意。

 謝ってしまったことが、彼の感情がとめどなくあふれ出すきっかけとなり、現実の言葉にならない心中のとして、私に伝わってくる。


『申し訳ない、ごめんなさい。許してほしいわけじゃありません。ボクは貴女や彼にそれだけのことをしたんです。だまし討ちなんて、訳も分からないあなたたちに襲い掛かるなんて、その理由が知り合ってしまったら殺せなくなるなんて卑怯な理由で。許されなくて当然です。でも許さなくても構わないから願いだけはかなえて欲しくて。……都合が良すぎますよね、でもボクの願いはボク自身の為じゃなくて、助けてほしい人が居て、いやでもそれってボクのエゴなのかな……?』


 なんて、心の圧力。


『そうじゃなくって、ボクは貴女のような綺麗な女の子……って何考えてんだボク。……とにかく、ボクは貴女に取り返しのつかないことをしました。それはボクが償うべき罪なんだと思います。償ってから、ボクは貴女にお願いすることができるんだと分かっています。もしかしたら、罪を償っても、ボクにそんな資格ないのかもしれません』


 まるで私が心を読めるのが分かっているみたいに、彼は心の中で謝罪の言葉を並べ立てていく。

 ここまで心の中の想いを見せつけられれば、そのつもりなど毛頭ないが、恨むことなんてできるわけない。


 しかしたった一言の謝罪に込められた気持ちは、謝意の一言で表せるものなんかではない。


『でも……』


 きっと彼の本当の心は、続く一つの思いなんだろう。


『できればどうか、幽妃ゆきちゃんを助けてください。それだけは、どうしても!』


「も、もちろん幽妃さんの助けに……なるわ!」

「え……っ!?」


 とっさに心の声に答えてしまった。


 歩さんが信じられない物を視るような表情でこちらを視ている。彼の顔が一瞬にして真っ赤に染まった。

 恥をかかせてしまった。心を暴かれる行為なんて、誰だって不快に感じるもの。


「ああ、智富世は心が読めるんだよ」

「そう、なんだ」


 総汰の説明に歩さんは納得したような、してないような反応で顔を真っ赤にしたまま俯けてしまった。


 こういう時、私は本当に自分が嫌になる。


 歩さんの感情は今だって読みとれる。


 先程までの感情に仄かに恥ずかしさがプラスされて、大混乱を起こしていた。いたずらに人の心を暴いて弄ぶなんて、そんなことあってはならないことだ。


「何を読んだの? その、幽妃さんって?」

「それは……」


 言い淀む。幽妃さん。恐らく、歩さんの過去に関わっていることなんだと思う。

 でもそれは私が強奪者の私が言っていいことではないから、私の口からは何も言えない。


「……っ」


 歩さんも何も言ってほしくないといった感じの思いを視線と心の思考で訴えてきているので、実際何も言わないのが正解というわけだ。


「……ん?」


 総汰が何かに気づいたように、眉を顰めた。


「智富世?」


 そして私の方に顔を向き直した彼の表情がだんだんと怪訝なものになっている。私が彼に答えないことに、ではない。


「……怖い? どうして、そんな心の線を」

「う……」


 そう。


 私は目を逸らしていたのだけれど、心の線が見える総汰にはバレバレであったらしい。


 心を読むことなんかよりずっと、本当に嫌なのは次に訪れるもの。

 特に、過去に縛られたの回路に宿ったものだ。


 これがいやなのは、怖いから。


 流れてくる。私や歩さんの意思に関わらず。一度あふれ出した手塚歩の情報は、止まることを知らずに私の中に入ってくる。


 怖い。


 誰かの、知らないソレが入ってくるのは、とても怖い。


 映写ではないのだから当然ノンフィクションで、主観の視点で、直接視て、聞いて、味わって、感じて、思う。


 他人の『過去』を。


 総汰は形相の腕を使う時、いつだって味わっているんだろう。

 だとしたら総汰は相当に心が強いんだ。

 フィリアと違う。

 彼が私の前で形相の腕を使ったのは二回だけだったから。マリッジ=ユニフィリアでさえ、単存在の本質には抗えない。


 私はフィリアとおんなじ。いや、■■の単存在なのだからそれ以上の怖がりで、だからこの瞬間は大の苦手。

 他者と同じ存在になるというのは、繋がり合うというのはとっても、逃げ出したくなることなの。

 ふる、ふる、腕が震える。


 思わず、総汰の手を握ってしまった。


 私の行為に、総汰が少し目を見開く。


「智富世?」


 前触れもなく手を握られれば、誰だって驚くのは当たり前かもしれない。


「──ぐっ!?」


 しかしその次には、衝撃に見舞われたように総汰が呻き声を上げていた。


「これは……」


 もしかしたら、総汰を巻き込んでしまったかもしれない。


 私が、奇縁の単存在の手を取ったから。総汰まで一緒に繋いでしまう。一瞬だけど、同じに存在になってしまう。


 あれ? 


 ……今、私。総汰を自分から。


 でも、そんなことを考える猶予など残されていなかった。


 世界に保存された知識を制限なく権限を持つ、知識の種。解読ではなく、直接その情報を入手することが出来る、全知の力。


 種を通して見えてくる。


 ひとの、だれかのきおく。


 そして、記憶の裏側にされた、本物の過去。


 【過去へ──望む】

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