第八話 『櫻・天叢雲剣』

 薄い翅を目にも止まらぬ速さで稼働させ、数瞬で互いの距離を縮めるほどの速度で飛蝗は肉薄する。


「……っ、でも思ったほどじゃない」


 それでも長い脚による跳躍ではなかったためか、痣の力によるブーストより速くは無い。


 二人を連れて攻撃を躱すべきだろうか。


 目前に迫ろうとしているが、まだギリギリのタイミングで、交わすことは可能だろう。


 だが俺達の真後ろには、神社の拝殿と本殿が並んでいた。


 古来より人々が受け継いできた場所を、古今のあらゆる桜の飾られたこの場所を、簡単に見捨てて良いのだろうか。


 ——もしここに来たらのために、私の姿を残しておくよ。


 見知らぬ少女の姿を思い返す。


 そうしていると、なんだかこの場所は傷つけてはいけないなんて、そんな気がした。


 だから俺が取る、選択は──。



【接続】



 両腕に光が宿る。

 高速で形相の腕を形成し、武器を形作る。


「これで……!」


 組み上げた形相の腕を、迫り来る虫の真上から叩きつけた。


 一瞬で作り上げられた巨大な質量の塊。

 対処の間に合わない飛蝗は、為す術なくその身をぶつけ、地面に叩き落とされる。


 そして形相の腕に囚われたまま、身動きが取れなくなってしまった。


 作り上げたのは、飛蝗の巨体を包み込めるほど大きく編んだ網だった。


 身体能力のブーストと同じく、原理はわからない。

 あやとりをするような感覚で、形相の腕にイメージを集中すると、無意識に形と中身が出来上がっているのだ。

 そもそも形相の腕こいつの正体が何であるのかを解明できていない以上、腕の行為の原理の解明なんて不可能である。


 ともあれ、先程まであれほど活発に翅や脚を暴れさせていた飛蝗も、ぐったりとした様子で力なく伸びている。


「よし、これで」


 一先ず安心だ、と声に出す前に、智富世が俺の言葉を遮った。


「総汰……どうして方向性の決定も、『証明』もしないで『接続』なんてしてしまったの?」

「それって、どういう……」


 彼女の言葉の意味を聞き返そうとする、その前に。


「……うっ!」


【接続/開始】


 形相の腕から頭にかけて鈍い痛みが打ち付けた。

 視界の中心に、文字列が表示される。

 意味は不明。


「……せつぞく、かいし?」


 思考を回そうとすると、再び、がんと鈍器で殴られたような鈍痛が全身を襲ってくる。


「っぐあぁっ!」


 鈍痛に思わず瞼を抑え、目を瞑る。


 瞳と脳の中が、焼き付くように熱い。

 それ以外の全ては、どく、どくと凄まじい勢いで動脈が体の内側を突き破ろうとしているようだ。


 だが、痛覚など些事とでもいうように、すぐさま俺の意識は上書きされる。


「……っあ、あ、あ」


 何かが俺の中から飛び出そうとしている。

 何かが俺の中へ入ってこようとしている。


 圧倒的な情報量が、俺の脳を埋め尽くす。


 三度、耐えられないほどの鈍痛が襲い、目を見開いた。


「がぁっ……!」


 一瞬、開かれた視界から情報が伝わる。

 どうしてか、刹那の間のことなのに、明瞭に俺の思考は理解した。


 視界の一部に、六角形のパズルを並べ合わせたような、区切られた輪郭が映っている。

 そこから捉える世界は、赤や黄色といった暖かい色の無い世界。

 花びらがくるくると回る速ささえスロウモーション。


 そして。


 そのなかに、俺が居た。


「……!?」


 分かってしまう。

 これは飛蝗の視界だ。


 気がつくと、視界以外にも変化が現れる。


 胸と腹の間あたりから、一対のあしが伸びている感覚。

 立っているはずなのに、新しい感覚を含めた全てが、地に足をつけていない浮遊感。

 そして、何も無いはずの背が、細かく振動している。


 神経感覚の全てを共有していた。


 景色が映っていたのは、ものの数瞬の間だけ。


 再度打ち付けるような衝撃が俺を痛めつけたのち、直ぐに引いていく。

 混濁した神経も徐々に俺だけのものに戻り始めた。


 だが確実に。

 俺はその瞬間、別の誰かと同じになっていた。


「……っづ、……ふ、ぅ」


 何とか落ち着こうと、呼吸を整える。


 痛みは引いても、その衝撃は俺を踞らせてその場から動けなくしてしてしまうのに十分だった。


 ああ、今日はよく分からないものを見すぎている。


 どうして、今俺は、飛蝗の視界を見ていたんだ。


「対象も方向性も指定しないで接続なんてしたら、全ての情報を共有しあうのは当然でしよう?」


 智富世が何やら俺の選択した行動のミスについて叱責しているようだが、理解する余裕など無くなっていた。


 痛みも、見えた景色も、そもそもあんな巨大な飛蝗も。

 一つ一つが常人の理解の範疇を越えているはずである。

 それが同時に押し寄せては、流石に理解が追いつかない。


「……何も理解しないまま力を使っていたのね。説明してあげたいところなのだけれど、そんな余裕はなさそうだし」

「う、わるい……」


 動けないことだとか、痛みや混乱で余裕がなくなっている事だとか、色々な意味を含めて何とか謝罪をひねり出す。


 分かったわ、と切り替えるように智富世は俺を視界から外し、前方の飛蝗の方へ意識を向けた。


「二人とも、伏せなさい。もう、あの虫が来てしまうわ!」


 言って、智富世が動けない俺と少女の前に出た。

 動けなくなった俺と対称的に、いつのまにか飛蝗が状態を回復し、網の下で脚を極限まで折りたたみ、跳躍の準備をしてしたのである。


 このまま突っ込んできたら、俺の前に立つ智富世は無事では済まないだろう。


「智富世、危な、い……」


 制止するが、智富世は構わず余裕すら見せて微笑みを見せた。


「大丈夫よ、あのくらい。貴方でも余裕に倒せるはずなんだから……っと、上に飛ぶのね」


 彼女の言葉と同時に飛蝗は空へ飛び上がる。


 跳躍の瞬間、後ろ脚の動作が見えなかった……!


 極限まで折りたたまれた脚から放たれる跳躍は、十分距離をとっていた俺達の場所まで風圧を届かせる。

 舞い上げられた桜の花弁は周囲に文字通りの花吹雪となって吹きすさんだ。


「……ぐっ」


 一瞬で霊山の頂上ほどの高さまで辿り着いた飛蝗は、空中で姿勢を変えると二対の翅をぴんと広げる。


 そして人間のように後ろ脚のみを地面に向けると、勢いのままに俺たち目がけて落下し始めた。


 細いはずの右脚を、真っ直ぐ真下の標的に伸ばして。


「と、飛び蹴り……!?」


 口に出していたのは、襲われていた少女だった。

 昆虫であるはずの飛蝗が、飛び蹴りという本来人間のものであるはずの技を繰り出していたのだ。

 だが、見た目のシュールさに油断はできない。

 両の翅は落下の勢いを殺すどころか背面の空気を押し出し、速度を加速させている。

 伸ばされた右脚には、SF映画の兵器のごとく全身の外骨格が移動してきており、その強度と威力を高めていた。

 飛蝗の体躯や落下の高さも相まって、その破壊力は想像を絶する。


 このままでは直撃する俺達だけでなく、神社の敷地に大規模な被害をもたらすだろう。


 気付けば巨体の怪物は、音速で迫っていた。


「……ひっ」


 襲われていた少女が、ひきつった声を漏らす。


 勝利を確信したように飛蝗は嬉々として翅を掻き鳴らしている。


 俺は思考を回したところで、迫りくる巨虫をどうにもできない。


 だがそんな状況でさえ。


「……は、ぁ──」


 相対する智富世の横貌は涼しげだった。


「私の力、記憶を読めると言ったけれど、正確には違うの」

「違う……?」


 問い掛けてから、気付く。

 目前に立つ智富世の紫苑色の髪が、薄く輝きを帯びていることに。


「せっかく買ってもらった服なのに、汚れしまったら申し訳がないわ」


 呼応するように、彼女の周囲に光の筋が伝播した。

 光の形を例えるなら蛇、だろうか。

 無数の蛇たちが大地を滑り、木々を呑み、空へ昇っていく。


 伝う蛇の一筋一筋は細く、勢いもない。

 まるで丁寧に描かれていく紫色の魔法陣のよう。

 だというのに、纏う雰囲気にどこか俺が形相の腕を使うときとは対極の、ある一種の指向性のようなを強制力を感じさせた。


 それは、蛇達の中心に位置する智富世も同じ。


 薄暮の空。

 枝垂桜の神木の下。

 女神の鎮座する神域の中。


 少女は知識を身体に宿す。


【解放】


 ぽつりと、世界に呟いて命じて


 神域は之より、たった一人の知識に掌握される──。


「……っ」


 ──ふと、満ちた光が彼女の命令と共に一瞬膨れ上がって、掻き消える。

 その一瞬が眩くて、耐えられずに目を瞑った。


 それから恐る恐る瞼を開く、と。


知識の虹弓ケシェト


 目の前の景色に一つ変化が生じていた。


 大仰に一帯を吞み込んでいたというのに、変化は小さなものだ。

 ただ一つの物体が智富世の右手に握られていただけ。


 だがたった一つのそれだけで、現代に存在してはいけない。

 そう思えるほどに、異様な存在感を放っていた。


 それは、端的に言えば弓である。

 智富世の華奢な腕では扱いに手間取りそうな、いわゆるロングボウと呼称される種類のものだ。


 人の身長程もある弓幹は、彼女の身長と相まってアンバランスさを感じさせる。

 だが、それだけでは異常足り得ない。


 大きさの問題ではなく、認識した頭が異常と確信するほどの在り方が、俺の目を惹きひきつかせて離さないのだ。


 例えば、弓の色が光の反射でもなく、自ら光っている訳でもないのに、どこから見ようと影の存在しない白色をしている事だとか。

 つるが合成素材でもないのに、天然には存在しえないような滑らかさと細さ、力強さを持っている事だとか。

 弓と弦の両方に、紫の蛇が宿っている事だとか。

 普通の人間より多くの情報を受け取ってしまう俺でなくても、分かるだろう。

 これは単に矢を放つだけの武器ではない。


「ええ。これは知識を放つ為の弓よ」

「……!?」


 まるで俺のように、弓を構えた智富世が答える。


 だが弓についても、思考を読んだことについても続く説明はない。

 もう、目前に飛蝗が迫っていたためだ。


 自身の数倍はあるであろう質量が、俺達の直上で影を広げる。

 一瞬で夜ほどの暗さになって、智富世の瞳と髪の輝きがやけに目を引いた。


 衝突まで、残り十秒といった具合。


「今、最も強い力を放てる知識は……」


 智富世は臆せず、矢もつがえず。

 素引きのままで弦に指をかけた。


「当然、神の知識よね」


 指が弦に触れると同時、何もつがえるものが無いはずの指元から、つう、と小さく桜色の線が波打った。


残り五秒。


【要素・櫻複数種・富士・天叢雲剣/射程・百メートル/対象設定・怪異体No:1】


 小さな線はほつれではない。

 波打つ度にその数を連鎖して増やし、螺旋を描いて智富世の周囲を舞い始める。


 残り三秒。


 弦の全てが無数の波に覆われたところで、智富世が静かに引き絞った。


 その刹那。


 圧倒的な力の塊が迸った。


 起点は、智富世の指元。


 何もつがえていないはずの指元に光の波が収束し、矢を作り出したのだ。


 それは、彼女の周囲を舞っていた桜色の波と同じ性質のもの。

 だが一点に圧縮され行き場を失い、それでも溢れ出たものが輝きを放っている。


 神意を思わせる、暴力的で幻想的な光量の奔流である。


 残り一秒。


 形成された矢状の輝きを、間髪入れず智富世は解き放った。

 一瞬、智富世と共に弓を引く、和装の腕を錯覚した。


 ——──!


 櫻が、空を灼いた。


「っぐ……!?」


 呻いてしまうほどの発射の衝撃が、一瞬で俺達の元に到達した。

 炸裂音が大地の至る所で鳴り響いたのは、花弁、土、虫。碌な重さを持たぬもの達が、余波だけで巻き上げられた音だった。


 そんな衝撃波と共に撃ち放たれるそれは、弓から放つ其れではなく光線の炎、むしろ刃といえる代物。

 矢から何十倍にも膨れ上がった炎の刃が突如世界を貫き、照らした。


 桜色の刃は周囲の花弁の舞い落ちるものだけを巻き込んで空へ直進する。

 まるで空に櫻の巨木が伸びているよう。


 櫻の輝きは、暮色の街を照らす世界樹か、地球の胎動たる御神火ごじんかさえ彷彿とさせた。


「咲、耶」


 その名を呼んだのは、誰の声だったか。


 もはや、零距離まで迫っていた飛蝗など、神意の剣の前には障害物ですらなかった。


 照射された直後、真っ先にその身を光に晒した彼女飛蝗は、抵抗する暇さえ与えられない。

 コンマ零・一秒、灰になることすらなく炎に飲まれ消失する。

 その巨体に似つかわしくない、一瞬の最期。


「……」


 山桜、霞桜、江戸彼岸、紅枝垂……古今東西の花びらが、彼女から離れた魂のように空の彼方へ流れ去った。


 しばらく俺達はその場から動くことなく、雲一つ無くなった空を見つめていた。


 ***


「もう、終わったわ」


 ほどなくして、智富世が弓をそっと降ろした。

 従うように櫻の世界樹も大気に霧散する。


「……あ、あぁ」


 圧倒的な存在感と物理的な輝きを放っていただけに、こうも容易く消え去ってしまったから、空気が一気に弛緩した。


 すると、無理にでも落ち着きを取り戻そうとする頭の中に、様々な疑問が湧いてきた。

 巨大な飛蝗のことや、俺が飛蝗と感覚を共有したこと、智富世が俺の心を読んだような発言をしていたこと。

 纏まりのない思考があっちこっちに飛び交っては、かえって脳内をかき乱す。


 だが、それよりも。


「……強過ぎないか、きみ」


 一撃であの巨体を消し飛ばした超火力に、思わずツッコミを入れてしまった。


「……そ、そうよね。そう思って当然よね、ええ」

「矢、というよりビームだよ。あれは」

「やっぱり、神の力なんて使ったからかしら」


 指摘されたことが恥ずかしかったのか、智富世が苦笑する。

 明らかなまでのオーバーキルだ。

 なんの準備もなしにあれほどの火力を出せるなら、現代兵器なんて目じゃないだろう。


「目の前の敵を倒すのに、天候一つ変えるなんてね……」

「あれでも、威力は最低限にしたはずなのよ? でもなんだか、思ったより力が籠っちゃって」


 間近で目にした迫力は、もし対象を飛蝗に留めていなかったら、遠くの星も撃ち抜いていたんじゃないかと思えてしまうほどだった。


「あ、えーと……その」

「ン?」


 そんなことを考えていると、智富世がどこか後ろめたそうに目を逸らしながら口を開いた。

 弓はいつの間にかその手元から無くなっているものの、瞳の輝きは失われていない。


「実は、その予想。正解よ」

「なんと……」


 もう、思考を読まれていることとか、どうでもいい。

 記憶を読めていた時点で、思考を読めるのも同義であったのだから。


 それでも流石にたった一人の小さな弓で、文字通り宇宙の星を貫けるというのはにわかに信じがたい話だ。


 それに、それほどの大火力の弓を出す能力と思考や記憶を読む能力、初めて逢った時に俺の意識を止めた能力、その三つを両立して使えるだなんて、いくらなんでも多才過ぎやしないだろうか。


「確かに、知らなければそう思っても不思議じゃないわね。厳密には二つに分けられるんだけど……っと、ん?」


 もはや当然のように俺の心を読んで会話を続ける智富世。


「二つ。……もしかして、今使っていた力と、髪が真っ白になっていたときの力で分けられる感じ?」

「そう、なのだけれど……」

「思考を読むのと、弓を放つ力が同じ力って、どういうこと……?」

「それは、私が持つ現像の種が知識の種だから……」


 しかしその返答は先程から曖昧なものになっていた。


「現像……知識の種ってなに?」

「あらゆる物語を作ったとされる果実……その一部である知識のモデルケースを司る世界の種の……」


 そのうえ、俺の知らない単語まで会話に混ぜており、なにやら智富世の注意は別の方に向いている様子。

 日も暮れて視界の悪くなった周囲を、瞳のみを薄く輝かせて訝しげに見回している。


 今まで彼女なりに丁寧に説明してくれていたというのに、珍しい。


「何か気になる事でも……って」


 智富世が気にしている場所を自分でも見渡して、ようやく考えが至った。


「あっ、あれ……?」


 俺の隣にいたはずの飛蝗に襲われていた少女。彼女がいつの間にか姿を消していることに。


「あの女の子、どこいった?」「あの男の子、まずいわよね……」


「「へ?」」

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