第九話 『秘匿通信リグレット』

「……もう五時か」


 此処には窓と呼ばれるものが存在しない。

 暇つぶしに映画を見ていたスマホの画面上。通知タブに映し出された時刻を確認して、あたしは目的地に着いてから数時間もの時間が経過していることを認識した。


 そう。あたしは呼び出されておいて、この夕方になるまで待ちぼうけを喰らっているのである。


「んんーっ」


 スマホと聴覚のワイヤレス接続を一時切断し、ぐいと身体を伸ばす。

 実際に身体がほぐれるわけでもないが、どういうわけか意識には快感が届いてきた。


 ついでに辺りを見渡すと、白衣を羽織った男が軽く会釈をしながら私の前を通り過ぎていくのが目に入った。


 病院である。

 お父様である水宮祓が運営する、先進医療を扱う総合病院だ。


 だが、静かな声で談笑する声や人の行き交う音は聞こえない。

 辺りを見渡しても、あたし意外に待合室を利用する人影は見かけられなかった。


 部屋を満たすのは、異常なまでに澄み切った空気と息遣いさえ響く無音の空間。


 それもそのはずで、ここは病院の敷地内に用意された特別棟。

 たった一人の患者のために最高峰の警備と衛生状態を維持している医療病棟なのである。


 空気が澄んでいるのは患者の容態に変化を与えない為に、最低限の人員で稼働させ、館内全域に分子レベルでの空気清浄を行っているからだ。

 面会に来た入館者にも特別な手続きと何重にもなる健康状態の確認、殺菌処理を施しており、そのせいであたしも待合室に入るまで何層もの扉を潜り、必要無いのに幾度もチェックや処理を受けさせられた。


 そうして苦労して待合室まで辿り着くと、今度は患者本人の容態を確認する。

 これが一番時間を要し、場合によっては面会が叶わずに帰宅を促される場合すらある。


 なんとも酷い話だが、これも患者のことを第一に考えてのことだから仕方がない。

 流石に午前に着いて夕方になっても面会が始まらないのは、やりすぎな気もするけれど。


 そんなことを考えていると、頭の中に空気の隙間が出来たような、不快とも爽快感とも言い難い妙な感覚が浮かび上がってきた。


 この感覚。


『やっとね』


 思考の中で言葉を発する。

 すると、あたしの意識以外の声が脳内に響いた。


『お待たせしました。祈織』


 意識連結による思考通話テレパスでの会話。

 これが、あたしと彼女の面会成立の合図であった。


 声が響くと同時に、エレベーターのドアが開いた。


 あたしが庫内に入ると速やかにドアは閉じられる。

 そして、ボタンを押さずとも上昇を始めた。


 向かう先は最上階。


 すぐさま再びドアは開かれて、到着を示す電子音が一度鳴る。


 その先には一つの病室が広がっていた。


「入るわよー」


 そう言って、部屋へ上がる。


 無菌室という言葉が相応しい一室だった。


 床、壁、天井の全てが色のない、無機質な白い部屋。

 彩りを与える家具や装飾の類は一切なく、机の付いた医療用ベッドのみが部屋に設置されている。

 一つだけ丸い窓が空いていて、そこから外を見渡せるようになっていた。


 女の子のくせに自室が機能的すぎるとよく指摘されるあたしが言えたことでは無いけれど、随分と寂しい部屋だ。


 一応タブレットPCのような機能を有したホログラフィック端末が用意されているから、学業にも娯楽にも困ることは無いのだけれど、それは中身だけの話であって傍から見ればなんとも人間らしくない。


 確か、窓の形とかからスペースポッドなんて名付けたんだっけ。


 そんな牢獄の中でベッドに繋がれている患者こそ、幼馴染以外のあたしの親友である。


 祈織あたしと同じ白みがかった金髪をした少女。あたしとは対照的にベッドから一歩も身体を動かせないほど、呪いを掛けられたみたいに虚弱体質である少女であった。


「悪魔に、襲われましたね」


 ベッドから上半身を起こした姿勢であたしを認識するなり、早速彼女は話を切り出した。


「あー、見られてのね。昨日のコト」

「申し訳ないとは思っています。後日埋め合わせはしますから、どうか許してくださいまし」


 そう言いながら、表情には暖かい微笑みが浮かんでいる。

 でもあたしと同じ色翡翠色をした瞳には深刻な意思が宿っていて、退屈な部屋に友人が来てくれて嬉しいのと、話の用件が楽しいものではないという寂しさが混ざってしまっているようだった。


「大丈夫よ。勝手なことをしたのはあたしだし。それにあたしこそ最近遊びに来てなくてごめん。来週あたり、一緒にゲームでもしましょ」


 言うと、雰囲気が若干和らいだ瞳で「勿論です」と頷いた。


「それで、早速なのですが……」

「ん?」


 彼女が女性の腕にしても細すぎる腕で、自らの寝台をぽんぽんと静かに叩いた。


 これは二十四時間体制で病室を監視されている彼女が、あたし以外の誰にも聞かれたくない話をするときの合図。


 促されるがまま、彼女の足を踏まないようベッドの窓側に腰かけると、脳に隙間ができる感覚、思考通話テレパスの予兆が流れ込んできた。


『許可と、そして頼みがあります。親友として、そして水宮祈里として』


 あたしとは違って柔和な印象の形をした瞳が、真剣な色を潜ませる。

 病弱な身体に強かな意思を持っているのが彼女なのだけれど、ここまで表情に表すのは珍しい。

 ましてや祈里だなんて、正当の水宮家の後継者の名を持ちだして。

 その名を出されたら、偽物のあたし祈織じゃ抗いようがないじゃない。


『お願いします。使ってください。想造の種を』




 ***




 日付、二千二〇二年十一月八日。


 その日は、ボクにとって忘れられない一日だった。


 あれから今日で五か月が経つ。


 ボクの前からきみがいなくなって、それ程の季節が空いたんだ。


 クリスマスも、お正月も、バレンタインだって、いつの間にか終わっていた。


 えっと、期待していたわけでは……うん、してたかな。


 でもそれだけの季節が過ぎたって、全然そんな気がしないんだよ。


 今もなんだか、きみが消えたのがさっきのことみたいで。


 そういえば、教授が言ってたな。


 ──大抵の生命は不完全であることが強みであることを、お前は知っていますか。

 完全とは、それ以上変化する必要がないもののことを言う。

 それは例えば、どのような驚異に襲われようと意に介さない性能を有し、どれだけ世界が変容しようと己を保持できる。他と関わらずとも、己を持続させられる。そのような天体がもつものだ。

 なぜなら変化が必要ないものとは、同時に自らを変えられぬものということでもあるからな。

 だが脆弱な生命では、不変のままでは世界についていけない。私達の原点が産まれた遺伝情報のスープの時代から現在に至るまで生命が続いているのは、不変では無いためだ。

 生命は不完全であるからこそ、成長や進化という機能を有し、環境に適応する。偶然にも近しい必然の積み重ねではあるが、不要を廃し、有用を最適化し、余剰も時に活用する性質こそ、生命にとって最大の強みであると言えよう。

 忘却という機能もその一環だ。ストレージを整理し思考を柔軟にさせ、CPU思考回路をトラウマから保護することで、ハードウェアを膨大な記録や悪質な情報から守っている。時に人格や記憶を変質させるほどの防衛機制を働かせて。

 そうでないと、不完全な生命は情報に押し潰されてしまうんだよ。

 だが完全であることが強みである、いわゆる人を超えたものは忘れるという機能がない。忘れずとも、個体を維持できるからな。

 だが、その代わりいつまでたっても記憶は鮮明で、百年前の出来事を昨日の事のように思えるほど。

 お前の場合、脳をトラウマから防御する機能が実質的に無くなったことで、人から切り離せていない精神の部分が煩わされているのでしょう。

 その部分をどう扱うかは、お前次第だがね。


 ずいぶんと、長いセリフだったのを覚えている。

 でも多分、その言葉を全て暗記しているあたり、正しいのだろう。


 だってボクはずっと、感情の堤防が決壊する瞬間を繰り返している。


 きみが居なくなったその日。

 その日をずっと繰り返している。


 ボクの心はそこからずっと進んでいない。


 人を超えたのなら精神だって摩耗しないらしいのだけれど、ボクには人がまだ残っている。


 つらくてもう、耐えられない。


 ならどうするかなんだけど。


 ──その解決法はただ一つ。


 忘れられない過去は、変えてしまえばいい。


 

 過去は捨てられる。

 過去は償える。

 過去は継いでいく。

 過去で否定する。

 過去は嘘である。

 過去に歪められる。

 過去は喰らえる。

 過去を力にする。

 過去は今になれる。

 過去を複製する。


 過去は変えられる。


 方法は教授が知っているそうで、必要なものも教えてもらった。


 ──この画面に映った四人の少年少女。生死は問いません、持ち帰ってきなさい。恐らく、殺すことになるでしょうが。


 それは許されないことだって、分かってる。


 でもボクはこの先ずっと耐えていけるほど、強い心は持っていない。


 キミのためなんだから、許されなくたって構わない。


 それに大丈夫。

 過去を変えに行くだけだから、その後はきっと元通り。


 きっとうまくいく。


 今はただの、過去を累積したでしかないのだから。


「……頑張って、みるよ」


 精一杯、頑張ろう。


 この満開の桜を、きみと一緒に見に行くために。


 ——ヒトは過去に囚われる。

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