第六話 『ブレイクタイムも早々に、暗雲』

「識の目論見……?」


 智富世が読んだ記憶によると、昨晩のフェネクスの襲来、そして俺と智富世の出会いは全て、識という人物によって計画されていた可能性があるのだという。


 人の記憶を読めることが判明した智富世の言葉によって、三人の間には重苦しい影が差しこんでいた。


 にわかには信じ難い話だ。


 識とは、祈織の父親の友人であり、昔から祈織が医学や生体工学についての最先端の研究を学ばせてもらっている男のことである。


 俺も何度か面識があり、俺の腕にある痣を診てもらった事もあるのだが、タメ口と敬語を混ぜた奇妙な話し方をする、善人悪人というよりは機械のような無機質な男という印象を抱いていた。


 だから、別段怪しいという確証があるわけでもない人物を疑うのはいささか早計な気がする。

 しかし、わざわざ記憶を読める智富世が識を話題に上げるということは、なにか理由があるはずなのも確かだった。


 ひとまず、祈織の判断を仰ぐことが最適だ。


「……教授は善人では無いし、黒に近いことだってやる人だから、ありえないことは無いわ。悪魔嫌いのはずだけど、私情を殺せる人だもの」


 自らの教授に対しての評価にしては、意外と冷静で客観的な分析を祈織は下していた。

 悪人でも善人でもないような機械の人という印象は当たらずとも遠からずであるらしく、必要とあらば私情を殺し悪行も成すような人物だそうだ。

 ありきたりで痛い例えだが、マッドサイエンティストという単語がパッと頭に浮かんだ。


「貴女の記憶によれば、昨日悪魔に襲われる前に蜘蛛の怪物を総汰にけしかけた事は確実。それは、総汰と総汰の妹さんに負荷をかけるためでしょう」

「恐らくね」


 あの人そんなことしてたのか。


 よく知らない人から、気付かぬ内に襲撃にあっていたという事実に驚きを隠せない。

 誰だって、稀にお世話になる病院の先生が、実は自分を襲おうとしていたなんて知ったら困惑するだろう。

 襲われる理由が分からないし、何か自分に異常があるのでは無いかと恐ろしくなる。

 俺の場合の原因は分かりきっているが、妹もとなると話は変わってくる。


 ひゆうが異常なほど部屋の外を怖がっているのは、それが理由なのか──?


 そんな俺の驚愕が、露骨に顔に出ていたのだろう。祈織が「蜘蛛はあたしが全部倒したわ」と安心する様に俺を窘めた。


 それはそれで、どうして言ってくれなかったのかだとか、それが原因で君自身が怪我したらもっと心配だなんて考えてしまうが、取りあえずそれも後回しにして欲しいという意味の視線を向けられたので、口を挟まないでおとなしく祈織の言葉を待つ。


「でもどうして、記憶を少し覗いただけの貴女が、あたし達の世界に居る彼を黒幕だと判断できるのかしら……別に智富世さんを疑ってるわけじゃないわ」


 無断で記憶を覗かれた事が少々不快であったらしく、敵意ほどでは無いものの語気に若干の不機嫌さを含んだ声で、祈織は智富世を問いただしていた。


 対する智富世はというと、不快に思われることには慣れているようで、祈織の質問に淡々と答えている。


「それは彼が私達の世界の人間で、ずっと昔から誰にも気付かれない所で悪と呼ばれる所業を行っていたから。私個人としても、昔あの人は絶対許したくないことをして、今もしようとしているの」


 成程、確かにそれなら智富世が記憶の中の識を見て警戒するのも頷ける。

 智富世と識に因縁があるのなら、彼に敵意を抱くのは理解出来るし、識は当然として何故か智富世も俺の事も知っているのだから、何らかの理由で俺と智富世を会わせたがっていたという疑いを持った事も考えればわかる事だ。


「……あの人、素性がよく分からないと思ったらディアスポラの人間だったのね。まったく、お父様はいつそんな人間と知り合ったのかしら!」


 祈織も智富世の言葉に納得がいったらしく、俺とは別の理由で頭を抑えている。

 独り言の内容は確かに、俺も先程から似たような事を気になっていた。


 何で。そんな人が祈織の個人的な教授をしている?


 祈織が識の悪行を承知の上で関わっているとは思っていないが、それでも心は波立ってしまう。

 新しいことが分かるたび、謎と不安が増していく。

 なんだか、このまま全てを知った時、俺は後悔していそうな気がしてきた。


 そんな強迫観念に襲われかけている矢先、


『ぴこーん!』


「ひひゃっ……?」


 重い空気を壊したのは、スマホの通知が届いた音だった。

 聞きなれない電子音に驚いた反動で、小さな悲鳴と共に智富世の瞳から妖しい輝きが失われる。

 一瞬、智富世が身体をビクッと僅かに震わせていた。


「……ん? あ、ごめん。それあたしのスマホ」


 言いながら、祈織はテーブルの上に置かれた液晶画面の電子機器を手に取った。

 専用の通知音とスマホ越しの祈織の指捌きから推測するに、通知の正体はメッセージアプリである。

 話の途中であったにも関わらず、礼を欠くことを嫌う祈織が画面と睨めっこをし始めるあたり、性急な案件なのだろうか。


 声をかけても良かったのだが、別世界のものを見ても驚きを見せなかったはずの、今しがた可愛い声を上げていた智富世の方が気になったので、彼女の方を見やる。

 どうやら驚いて声を上げたことが恥ずかしかったのか、彼女は顔を薄く紅潮させていた。


「は、はしたない声を……でも、知識としてそういうシステムがあるのは知っていたけれど、実際急に鳴ると驚いてしまうのは当然だから……」


 誰に言うわけでもなく一人で言い訳までしていた。


「いや、分かる。俺も昨日、持ってること自体はわかってた祈織の翼を自分で見て、使わせてもらって驚いた。幼馴染の技術力ってやっぱ凄いんだって」

「ぅ…………」


 気遣ったつもりが、効果は逆効果だったようで智富世は顔を本格的に赤く染め、観測できる心の線も恥の色一色に染まってしまう。


 先程まで人智の及ばぬの力を使っていたのに、打って変わって非常に人間おんなのこらしい。


「ごめん、悪い……」

「べ、別に謝る必要はありません」


 智富世が恥ずかしさにうつむいて、そのまま黙り込んでしまう。


 すると、今度は先程までメッセージの返信に勤しんでいたはずの祈織が突然立ち上がった。


「ごめん。まだ情報共有ぜんぜんできてなくて悪いんだけど、あたし今から行くところ出来た」


 ガラス窓に映し出されたホログラフには、AM11:00の文字が浮き上がっている。

 外出するにはちょうどいい時間ではあるものの、部屋に客を招いているというのに突然中断してまで優先するということは、相当に大事な用件であったようだ。

 事実、彼女の顔にはどこか決心したような心情が読み取れた。


「けっこう、急だ。どこいくの?」

「ごめん、それは言えない。……この部屋にいてもいいし、そのお菓子も全部食べちゃって構わないけど、一回外に出ておいた方が安心かも」

「それまたどうして」


 なるべく隠し事を作らない主義である祈織が言えないと言っている以上、行先の追及はこれ以上できないが、祈織の部屋から出ていった方が良いという理由は気になる。


「普通、不用意に外をうろつくほうが危険だと思うけど。このマンションのセキュリティだってすごい技術盛り込んでるんじゃなかった?」

「それはそうだけど。相手が教授なら、場所も防犯設備も既に把握されているあたしの部屋は多分安全じゃないわ。……あ、これ持ってて。何かあれば場所と様子が分かるようになってる」


 手渡されたのは、昨夜俺と祈織が空を飛ぶのに利用した、翼を発生させる六角形の装置だった。


 手のひらサイズの薄い金属板が翼になると言うだけでも驚きだと言うのに、それに加えて多彩な機能が付随しているとの事で、緊急時には自動で祈織に危険を知らせるらしい。


 量産して売れば相当なお金儲けが出来そうであるが、商才にも長けた祈織が実践していないということは、なにか事情があるのだろう。


「他に何か、今のうちに聞いておきたいこととかあるかしら」


 俺と会話しているうちに、外に出る用意を済ませていた祈織が居間のドアノブに手を回しかけて、俺達に確認を取る。


「あ、それなら……」


 いつの間にか落ち着きを取り戻していた智富世が口を開いた。


「さっき、貴女の記憶を覗いた時、悪魔とかのことだけじゃなく色々と見えてしまって……。深くは聞かないけれど、その……ごめんなさい」


 同時に、祈織の方へ深々と頭を下げる。

 記憶を読んだことで不快にさせた事というより、見てしまったものそのものに対しての謝罪を彼女は声に出しているといった感じで、祈織にはまだ、人に言えないような記憶が眠っているらしかった。


 しかし、当の祈織は既に気にしていなかったように、少し驚いた表情を見せる。


「あ、いいって、謝らなくて。あたしもつい、言葉が強くなったし」

「で、でも……貴女の記憶、あんな──」

「はいはい、へーきだから。あんたが気にすることじゃない」

「なら、いいのだけれど」


 智富世が何か含みのある言葉を話しかけたが、それは祈織の言葉で塗りつぶされた。


 多分、祈織は俺が思っているよりずっと、秘密を作ってしまっているのだと思う。

 それについて彼女を責める気など、俺にはない。祈織は良い人だから、いつだって誰かのために動いていることが分かっているからだ。

 でも偶に一人で背負いすぎなのではないかと思う時もあるのが、幼馴染の勝手な心配だ。


 祈織は、智富世がもう何も言うことはないと口をつぐんだのを確認してから、向き直って今度こそ玄関の方へ向かう。


「じゃ、行ってきます。……言いわすれてたけど、智富世。あたしのこと呼び捨てで構わないわ。あたしもそうするから」

「ええ……分かった。祈織」


 智富世の返事に小さくふふ、と微笑んでから、ガチャリと門戸の音を立てて家を後にした。


「あんたたちは、あたしが守ってあげる」なんてかっこいい台詞を残して。


「行っちゃった……」

「……そうね」


 結局、ほとんど分からない事だらけ。

 俺と別世界の少女は、はっきり言ってまだ互いのことを全然知ってなどいなかった。

 何処か気まずいような、沈黙が流れる。


「あー……とりあえずお菓子食べて、そのあと外に行こうか」

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