第五話 『What is Diaspora?』

 貴方が、私に全部をくれる。

 思わぬ再会もほどほどに、智富世と名乗る少女は俺に告げた。


 シンプルなのにどこか掴み所のない、意味を理解し難い要求。

 智富世に対する俺からの印象みたいに、曖昧な言葉。


「全部……」


 はっきり言って、いまいちピンと来ていなかった。


 そんな態度が露骨だったのだろう。

 何も言葉を返さぬ俺に対し、智富世は少し怪訝そうな表情を浮かべたあと、


「えっ、あ……そ、そうよね。初対面でそんなこと言われたら混乱するのも無理ないわ。ごめんなさい……!」


 気づいた途端、焦るように頭を下げる。

 完全にも思えた少女は、意外に可愛らしい性格をしているみたいだった。


 ***


 それから少しのやり取りを交わした後、俺達は祈織の部屋へと戻っていた。


 目的は情報共有と整理。

 祈織と智富世の間では解決したことではあるのだろうが、自分だけは全く状況を理解出来ていなかったためだ。

 智富世も突然連れてこられたこの世界に対して、祈織との会話だけでは上手く呑み込めておらず、落ち着いた場所で色々考えたかったとの事で、様々な情報も集めやすい祈織の部屋に向かうことを了承していた。


 黒を基調としたモダンなデザインのダイニングテーブルを挟み、俺の向かい側の椅子に智富世と祈織が腰掛けているという図。


 ネットを伝って移動できるエルピスが、部屋に先回りして淹れておいたコーヒーのよく立った香りがうっすら室内を満たす。

 自分の家では偶にしか目にしないような、いかにも高級そうな西洋のお茶菓子をつつきながら改めて自己紹介。

 普段の祈織であれば、チーズバーガーのようなもっとジャンキーなもので済ませるのだろうが、そうでないのは異邦……別世界からの客人である智富世を気遣ってのことだろう。

 どうやら智富世の口にもお気に召したらしく、遠慮しながらもお菓子の皿は順調に減って言った。


「そういえば、智富世。あんた、ゆうべこの世界……あんたたちの言うイセカイに飛ばされたって言ってたわよね?」


 自己紹介を終え、軽く雑談を交わす途中、ふと祈織が智富世にそんな話題を振った。


「ええ、まあ……」


 智富世が頷く。この世界に飛ばされた、とは俺と出会ったあの瞬間、不可解な水の中での出来事の直後に彼女がこの世界に訪れたことを指すのだろう。

 智富世の肯定を確認した後、「そうよね。でも……」と祈織は少し考えるような素振りを見せる。


「それにしては、大してこの世界に驚いてないように見えるのよね。ふつう、見たことも無い場所に飛ばされた人って、もっと感動したり、びっくりしたりするものでしょう?」

「あ、確かに」


 思わず、納得の声を出した。


 直近で覚えがあったからだ。

 言わずもがな、昨夜の変わり果てた九十九市の景色のこと。


 夜闇の中でもよくわかるほどに現代の街とは程遠い光景。異国情緒溢れる街並みを目にして、自分でも珍しく声が出るくらいには驚いたし、好奇心から来る興味だって湧いた。


 しかし祈織の部屋へ向かう道中というもの、別世界の人間では昨夜の俺と同じ状況であるだろうに、智富世は驚きの表情を見せなかったのだ。

 初めて見るであろう車や繁華街の大型パネル、祈織の部屋に設置されている超技術も含めた現代家具を目にしてもさして驚いた様子はなく、ある程度予想は出来ていた、といった程度の反応だった。


 そもそも彼女の居た世界にもそういった類のものが存在していたのなら反応が薄くて当然である。

しかし、昨夜目にしたファンタジックな世界であるのなら可能性は低いだろうし、彼女はこの世界に来て上手く状況が呑み込めないとも語っていた。


「あ……」


 そこまで考えてようやく思い至った。

 基礎的で根本的な疑問に。


「話を割って悪いんだけど、ちょっと確認したいものがあって……」


 どう説明したらいいものか、と言い淀む様子の智富世に謝罪を入れてから話に割り込む。


「智富世はその、俺と祈織が見た御伽噺みたいな街と同じ世界から来た人、であってる?」


 頭の悪い俺には、その段階から理解出来ていなかったのだ。


 恐らく祈織から見れば御伽の街が九十九市と入れ替わったその直後に現れた少女という事で違和感は無いのだろう。

 しかし不可解な水の中で彼女と初めて出会った俺には、御伽の街とは全く別の世界から来た存在ではないかという予想の択も浮かんでいた。


 どうやらそれは祈織にとっては常識的なことを聞いていたらしく、「ああ、そうね」と思い出したように人差し指を立てる。


「まず、そこからだわ。総汰にはディアスポラとか、そういうとこから説明しないとね」


 そういうと彼女は、どこからか引っ張り出してきたホワイトボード型のディスプレイを背景にしていた。


 ***


「んー……じゃあ最初に昨日あたし達が見た、変わり果てた九十九市の事から。あれがあたし達の住む世界のものでは無いことは、あんたも分かるでしょう?」


 早速、祈織と智富世による授業は始まっていた。

 空になった珈琲の代わりに、炭酸ジュースをコップに注いで仕切り直し。

 同じ現代人である祈織が俺に分かりやすく噛み砕いて説明し、祈織の知識を智富世が補足するという布陣だ。

 初歩的な部分から丁寧に、理解しているであろう部分はざっくりと端折って説明する。


 去年もこんな感じで、大学受験の勉強を教えて貰ってたっけ。


 どこか懐かしさを感じさせる光景に浸りながら、俺は祈織に言葉を返す。


「それは、うん。ヨーロッパの街でもあんなに目立つものだったら俺でも知ってるだろうけど、少し、現代の街にしては独特だったから」


 流石に、祈織と違って海外へ渡航した経験が少ない俺でも、それくらいのことは察しがついた。

 俺の返答を聞き届けたあと、祈織は説明を再開した。


「あれは、あたしたちの住む世界とはもう一つの世界、『ディアスポラ』と呼ばれる世界の街のひとつよ。早速答えると、智富世さんの住んでいた世界もディアスポラであってるはず」


 確認の意味を込めて智富世の顔を見やると、彼女も小さくうなずいた。


 ディアスポラ。直訳すれば、ギリシャ語で種を分散させるという意味で、有名な意味としては、ユダヤ教における離散地のことを指す。クリスチャンである祈織と過ごす中で、どこかで耳にした言葉だった。

 ひとまず最初の疑問と世界の呼称は把握できたため、そうなんだと頷き返した。


 しかし——。


 でも、おかしい。

 別世界を指す言葉であるのに、名称が俺たちの住む世界の宗教用語であるというのは、どうも不自然ではないだろうか。

 解説が始まって一分立たず。早速、俺の頭の中に二つ目の疑問が広がってしまった。

 そんな俺の心境を察して否か、祈織は更に俺を混乱させてしまうような説明を続ける。


「その世界には、マナという素粒子の様なものが大気や生物の中に満ちていて、それによって魔術が使えたり、神秘に起因した生命が存在する。それがあたし達の世界との違いなんだって」


 マナや魔術、といった単語は説明の中で初めて出てきた言葉であるが、現代人であれば大抵の人は理解できる概念だろう。かく言う俺も、なんとなくではあるが魔術を使うというものがどういう行為であるか理解できた。

 だが理解できてしまうからこそ、不可解な点は深まる。


 だって、そういうのって。


「あ、えっと……神秘に起因した生命っていうのは、竜種や天馬みたいな、独自の系統樹を持つ生き物のことよ」


 ……ドラゴン天馬ペガサス


 智富世の補足で、俺の疑問は確信に変わる。


「……まるで、映画やゲームの世界みたいだ」


 智富世の住んでいたという世界を映画やゲームの世界であると形容するのが、最もらしく思えてしまったのだ。

 魔術や竜なんていう概念や生き物は、想像の世界の産物だ。


 そういった存在はずっと昔の人が生み出した神話や伝承の中の登場人物に端を発しているから、有名なものを共通概念として理解できるだけで、何処まで行ってもリアルの存在ではない。

 世界の名前といい、登場する固有名詞といい、理解の及ばぬ別世界というよりは俺たちの世界にある創作物の世界と例える方がしっくりくる。


 祈織もその点には気づいていたらしく、


「そうね。創作物みたい。加えて言うなら、昔のディアスポラでは魔王とか魔族って言うのが存在していて、加護を受けた勇者と争ったなんて伝承もあるくらい。なんだかものすごく、レトロなRPGしてる世界じゃない?」


 なんて彼女なりの例えで俺の疑問に共感してくれた。

 住んでいる人が居る前でその場所を創作物呼ばわりするのは気が引けるが、当の智富世は何故か驚きと共感の感情に満たされている。それを無意識にも見えてしまう心の線によって理解できた。


 そして、どうして君が共感しているの、と俺が口を開く前に、


「私がこの世界にそこまで驚かなかったのも、それが理由よ」


 自ら割って入った智富世が、先程の祈織の問いに答えた。


 ……どういう事だ?


 彼女が彼女自身の住む世界を創作物と認識していたということだろうか。

 しかし、それではこの世界に対して驚かなかったことの説明にはならない。


「……そういうこと?」


 俺が思考を巡らせようと硬い頭で必死に考えようとしている矢先、祈織はもう結論に辿り着いたようで、意味深に呟いた。


「……あたし達の世界を、あんたも創作物の世界だと思っていたってことかしら……?」


 俺達が智富世の住むディアスポラや御伽の街を創作物のようだと感じたのと同じように、智富世も俺達の世界を彼女の世界における創作物の存在であると認識していたと、そう祈織は言っているのだろうか。


 有り得ない話では無い。

 一方からの偏見は、また逆の立場からも然りだ。


 事実、智富世もその答えにええと肯定していた。


「私の世界では、マナもなく文明を発展した世界を題材にした物語が多く作られていて、自動車だとか、スマホというものが想像上の産物だった。だから、理解はできても飲み込めなかったの」

「互いが、互いの世界を創作物だと思っていたということか……」


 思わず納得するような、困惑交じりの声が漏れた。


 確かに論理としては理解出来る。


 それに、智富世が物語の中で俺たちの世界の概念や技術を理解していたのなら、上手く状況を理解出来ていなくても取り乱したりすることは無いのかもしれない。


「でも、どうしたらそんなことになるんだ……互いの世界に実在するものを物語の中で作り上げるだなんて状況に……?」


 智知識の足らない俺への授業のはずが、思わぬ方向へ脱線し三人揃って考え込んでしまう。


「……元々二つの世界が同じものだったのなら有り得る話よね……伝聞が残っていたとかそういうので。でもそんなの、宇宙の歴史的にありえない事だし……」


 流石の祈織も情報量が少なすぎるためか、結論を出せないでいた。


「それに、例外がよく分からない。ユニだとか、映画や漫画でも聞いた事ない単語だし、現実にもそんな概念は無いはず……」


 ふと思考を呟きながら整理している祈織がそんな独り言を漏らす。

 別段、誰かに質問をする意図があった訳では無いのだろう。

 しかしそれを耳にしていた智富世が、「ああ、それは……」と祈織の方を向いた。


「そもそも私みたいな単存在は、ディアスポラですらない何処かで生まれたの。次元も、宇宙も、時間さえ同じかどうか分からない場所。だか、ら…………え?」


 彼女が再び、俺の理解の及ばぬ単語を持ちだして規模の大きな話を始める。


「ちょっとまって」


 しかしその言葉は彼女自身の意思によって制止された。

 言葉に引っ掛かったことがあるらしく一瞬全身を硬直させた後、彼女は怪訝そうな表情で祈織に向き合っていた。


「どうして、祈織さん……私が単存在ユニだって知って、るの? 言ってないはずなのに……」


 ──途端に智富世の心が警戒に染まる。

俺の瞳に映る智富世の心の線が、オレンジ色に変色していたからだ。


 祈織に悪意があったわけではないことは智富世も理解しているであろう。

恐らく、単純に発言に彼女を戦慄させるものがあったということだ。

 答えようとした祈織が口を開きかけたところで、先に智富世が言葉をはさむ。


「……ごめんなさい、疑っているわけではないの。でも覗いた方が確実だから」


 呟く智富世から、新たな色が見えた。

 一瞬、彼女の心の線が変色したように思えたが、違う。


「智富世さん……あ、あなた、目が……」


 祈織を見据える彼女の瞳が薄く、しかし確かに輝いていた。

 邂逅の際に俺が目にした拒絶の赤ではない。


 虹彩は、深い紫と蒼色をしたそのままの色。その輝度だけが確実に増していく。

 同時にその瞳を目にした俺の視界が、思考が彼女の貌だけを映すようになっていった。


 他の何も考えられないようにさせるみたいに、ひどい重圧が掛かる。

 深淵の宇宙に覗かれている。


「──っ!」


 智富世は、やっぱり非日常で特別なをもった人間だ。


 直接、智富世と目を合わせている祈織はどんな気分なのだろう。

 力を向けられた彼女の貌は強張っていた。


「この重圧……あんたの瞳、『種』ね」

「ええ、そう。分かるってことは、貴女もそういうことであっているのかしら」


 にらみ合うわけでもなく、二人は互いを覗いている。

 これは二人きりの会話。

 ただの無知な俺は蚊帳の外だ。


 二人との間にどこか壁を感じていると、智富世が突如、驚いたように目を見開いた。


「ええと……フェネクス、それにユニと出会え。ですって……!?」


 口から漏れたのは、彼女が知らないはずの出来事だった。


「う、そ……」


 静かに、震えた声が智富世から零れる。

 心の線も急激に変色していっていた。


 しかし、それは本来在り得ないはず。

 だって彼女はあの炎の鳥を目にしていない。

 あの熱と狂気を知らない。


 それでも、彼女の心の線は動揺と恐怖の色に染まっていた。


 経験していないはずのものを、まるで見たことがあるように同じ台詞を語って、感情を動かしている。

 矛盾した行為だ。


「それに、それ以前から……識の姿……っ」


 智富世がどこか苦々しく、誰かの名前を呼んだ。

 それは、祈織の教授である男の名前。この世界の人物の名だった。


 まさかとは自分でも疑うものの、立て続けに起こる映画のような展開や智富世の瞳を目にしていることもあって、俺は突飛な予想を立ててしまう。


「きみ、記憶を読めるのか……」


 ぽつりとつぶやいた一言だったが智富世の耳には届いていたらしく、顔は祈織の方へ向けたまま首を縦に振る。


 そして青い顔で「まずい」と一言。


「私たち、今こうして話しているのって……総汰、貴方と出会ったのって……全部識の目論見かもしれないわ」

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