ep9 『メデューサ=ユニ』
阿鼻叫喚の嵐だった。
荒れ狂う刃の暴風。
吹き飛ばされ、切り刻まれる森の命たち。
無惨なまでの破壊。
全て、彼ら魔術師達が引き起こしたものだ。
私はそれを、何も出来ずに『観察』し続けている。
どうみても、加害者であるのはあちら側。
彼らは誰一人、血の一滴すら零していない。
当然だ。私には何も出来ないのだから。
そのはずなのに。
「くそ、動け、動けよッ!」
「どうして、単存在は未覚醒のはずでしょう!?」
恐怖に、支配されていた。
***
彼らは結果として、私を傷一つすら、髪の毛ひとつすら、壊すことが適わなかった。
当初の彼らとしても単存在を狙う以上、その性能は想定していたようで、むしろ耐えられて当然だと言うように各々が私を値踏みして余裕気な態度をとっていた。
けれど。
私は彼らの想定以上に強かったのだ。
何十、何百という風の刃を浴びてなお、私には引っ搔き跡ひとつ刻めない。
どんなに風速を上げようと、どんなに刃を薄くしようと、切れていくのは景色ばかり。私はその中心で、孤立したように佇んでいる。
ただの一つの抵抗もない私に見つめられることで、かえって賢い魔術師たちは徐々に余裕を削られていった。
殺しきらねば、殺されるのが自然の摂理。
そんな生物としての生存本能が、彼らを焦らせていた。
焦りを覚え始めた彼らは、だんだんとその統率を乱れさせた。
この若者の魔力不足のせいで威力が足りないのだ。
アルバート殿の魔術を理解していないのか。
それよりなぜ、この娘は反撃しない。
凡人よりずっと聡明なはずの魔術師たちが、子供の集まりのようにバラバラな意見を交わしあう、異様な光景。
後から知ったことだが、魔術師はみなエゴの塊であるらしい。
とはいえ、焦りだけでは彼らの間に多少の混乱が生まれたくらいで、恐怖に呑まれるような事態には至ってなどいなかった。
私に向けて、ある一言を口にするまでは。
「怪物め」
統率の取れなくなった部隊の中で、一番若い青年が零した言葉。
幾ら攻撃を喰らっても意にも介さない私を、青年はそう形容したのだ。
『怪物』
その言葉が、私にとってもただの比喩であったのなら、何事もなかっただろう。
「かい、ぶつ……」
けれど、その言葉は私にとって、既に特別な意味を持っていた。
「隙を作るな。それこそ何をされるか分からないぞ」
混乱の中で統率が取れなくとも、彼らは魔術を唱えることを止めはしなかった。
腐っても魔術師ということだろう。
アルバートの一声である程度の落ち着きを取り戻した魔術師達が、再び魔術の精度を取り戻す。
暴風が更にその暴力性を増加させて、通り抜けていく大地さえも切断して私を襲いかかった。
しかし、既に一度綻んだ余裕は再び取り戻されることはない。
彼らの表情には、未だ動揺と焦りが浮かんでいる。
同様に、一度彼らが私に向けた言葉は、私の中で幾度となく繰り返された。
怪物。私が、怪物。
彼らにとって、私は理解できない怪物だという。
でも、どうして。
私は彼らに何もしていない。
彼らが勝手に攻撃して、勝手に怪物と言っているだけ。
悪意を持って近づいておいて、私を相容れない敵対者扱いだなんて。
どうして、そんなことが言えるのかしら。
私が止まった博物館に居合わせたから?
私には、なんの自覚もなかったのに。
ただ、流れ着いた場所が、偶然止まっていただけなのに。
でも、考えてみれば、他人にとって私の事情なんて分からない。
私を事件の犯人だと思ってもおかしくない。
なら、私はこの星に辿り着いた時点で既に──。
ぷつん。
何かが途切れるような音が響いた気がする。
気づけば、私を襲っていた風が再び勢いを弱めていた。
今度は、統率が乱れたからではない。
「おい、貴様。なぜ詠唱を止めた……!」
一人の術師が、唐突に魔術を唱える口を止めていたのだ。
その術士を、近くで同じ魔術を唱えていた魔術師、髭を伸ばした老人が問い詰める。
「なぜ黙っておる。なぜその仕草のまま固まっておるのだ」
問い詰められている魔術師をよく見れば、それは私を怪物と呼んだ青年だった。
魔術の詠唱を辞めたというのに、彼は私に向けて風の刃を放つ姿勢のまま微動だにしない。
指の先には、透明な空気の揺らぎが不自然に固定された状態で纏わりついていた。
嫌な、予感がする。
痺れを切らした老魔術師が、青年の肩を掴んだ。
「お主、いい加減に──」
そのまま彼の肩を揺さぶろうと腕を前後させる。
しかし。
「まさか、お主」
揺れ動いたのは、老人の身体だけだった。
「動けないのか……!?」
青年の体は大地に縛られたかのように、動くことが出来なくなっていた。
「……な、に?」
魔術師達の間に、動揺が広がる。
努めて冷静を保っていたアルバートの顔にも、驚嘆の二文字が描かれていた。
そして、私も。
「────え?」
彼らとは別の理由で、驚きを隠せなかった。
だって、その現象は、見たことが、ある。
忘れようもない。
けれど、それを証明してしまったら、やはり私は私を認めなければならなくなってしまう。
それは、私が恐れていること。
けれど今、実際に目の前で起こったことで、確信した。
どうみたって否定のしようがない。
「お前、単存在の力に気づいていたんだな」
緑の魔術師が、淡々と呟く。
これは、十年前の再現だ。
「そう、ね」
認めるほか、無い。
私が、十年前の犯人。
そして今、目の前の青年を停止させた張本人だ。
今になって、思い出す。
フィリアは私と出会ってすぐに、言い放っていた。
私を犯人と言っていたでは無いか。
「はっ——はぁっ……」
目の奥が、冷たい。
何も考えたくなくなるほどの冷たさが、私の瞳の中を貫いている。
思わず、目を覆いたくなる。
だというのに、私の身体がそれを拒んでいた。
総てを観測し続けろと叫んでいた。
それこそが、私の『証明』であるというように。
そして、ひとりでに口は言葉を紡いだ。
「しょう……め、い」/【証明】
気付いてからは、早かった。
この現象は止まらない。一瞬で伝播する。
総てを観測し、総てを停止させる。
単存在の存在証明が、始まった。
「な、儂の身体まで、何故だ! 待——」
青年に続いて、老魔術師の身体が青年の肩を掴んだまま、ぴたりと止まる。
血流が、神経が、生命活動の一切が停止する。
分子の振動が停止し、熱が失われる。
否、その熱の移動さえ、停止していた。
物質、粒子、波、現象、概念、存在、情報。その総ての停止。
それが私の力だった。
ぜんぶ止めて、ぜんぶ拒絶する。これ以上ひどいことがおこらないように。
「い、や。こんなの、ちがう……ちがう!」
私がどんなに否定しても、私の本質がそれを許さない。
一人、また一人と停止していく。
誰一人血を流すことなく、死すら与えられずに止まっていく。
「くそ、動け、動けよッ!」
「どうして、単存在は未覚醒のはずでしょう!?」
恐怖に支配された魔術師たちが、一心不乱に魔術を振るう。
恐怖の中で絞り出された魔術の威力は、今までのどんな風より力強かった。
しかし、それすら、当然のように停止する。
木の葉は揺れない。土の粒は流れない。
作業のように淡々と、人の命が事実上の終わりを迎えていってしまう。
「こんな急に、このむすめ——」
「目が紅くなって、髪が白──」
残り、五人。
もう、風なんて、空気なんて動くことはなかった。
「帰還も出来ない。魔力切——」
「——」
「何のために来たんだ、俺たちは——」
「めざめのためのはぐるま。それが、いみなのか——」
残り一人。
長身の魔術師が葉巻に火を付けようとして、指を振る。
酸素が反応することを辞めていたから、指が空を切っただけで、すぐに消えてしまう。
魔術師は大きくため息を付いた。
「残りは、私だけということか。やはり、シキを信じた私が莫迦だった」
そして最後の一人もほどなくして停止する。
世界の全てが一枚の絵画となる。
「すまないな。君を利用しようとしたのは私たちだが、死という結果で君に無駄な罪悪感を抱かせることは、望んでいなかった。シキはそれこそが望みだったようだが」
その直後に。
「智富世!」
声が響いて、真っ白い光が私を包み込んだ。
明るくて、暖かい。
その人の心みたいに、穏やかなようで激しい光。
嗚呼、やっときてくれた。
私は私の、瞳を見開く。
ありのままの自分の瞳で、駆けつけた彼の姿を捉えていた。
そう。
魔術師達の生命を、死の概念ごと停止させた最悪の瞳で──。
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