ep8 『十年後』
私が二人と出会ってから、十年くらい経っただろうか。
その間に特筆すべきことはあまり無かったように思う。
確かに、フィリアと過ごす日々は今では宝石のような時間だった。
けれど、彼は時間に対する視点がズレていたのだ。
多分、その十年間は普通の人からすると、過保護に過ぎた日々だと言われるだろう。
私たちはその毎日の殆どを村の中で過ごしていた。
全く村から出たことが無かった訳では無い。
カトレアの書店を訪れた際は、ついでに都市を回る事も多かったし、思いついたかのように異国に出向くことも少なくなかった。
でも、それはほんの少しの休みに行く旅行みたいなもので、私はほとんど外の世界を、人を智るなんてことは出来なかった。
おかげで、私は人を智るどころか気付けば人見知りなって、詳しくなるのは書物の世界と村の奥の失われゆく神秘の事柄ばかり。
フィリアにその事を尋ねても、まだ外に出るほど私が成熟していないと、まだ焦る程の時は経ってないはずだと私を外に長く連れ出すことには後ろ向きな様子であった。
それもそのはず。私にとっては十年経つ事が初めての事だったとしても、フィリアにとってそれは既に九千回繰り返した日常で、十年なんて彼にとっては半年にも満たない一瞬の出来事。
最近、私だって月日の感覚がおかしくなってきているのだから、万を超える年を生きたフィリアが、私の成長が十年では足りないと思ってしまうのも無理はないだろう。
しかし、そんな例外の都合は人間の世界じゃ通用しない。
私たちにとっての一瞬のうちに、人々の社会は色々と小さくとも変化する。
だから、その小規模な変化が結果を出してしまった日のことを、記述しようと思う。
その日の私は、珍しく一人で屋敷の外に出ていた。
フィリアが月に一度行っていた人払いの霊石交換を、半年前あたりから私が担当する事になっていたのである。
人払いの霊石はフィリアが簡単に扱っていたから知らなかったけれど、大気を満たす魔素の元になった
だから、私やフィリアのような魔力が全くない者が持ち運ぶ以外方法が無い。
私がこのことを教えられた時、霊石の事よりも自身が魔術を一切使えないことにショックを受けたこと覚えている。
魔術は大気の魔素を変換することで、体内の魔力の肩代わりをさせることが出来るといっても、そのトリガーには微弱な魔力を必要とする。
だが、微塵も魔力を体内に持たない単存在は、小さな魔術すら行使することができないのだ。
霊石を交換しに行く時はいつも、その事を思い出して少し機嫌が悪くなる。同時に一人で神秘の森を探索する事は好奇心をくすぐられることだから、楽しみにしてる事でもあるのだけど。
「えっと、最初の目印は……」
夜中に森を訪れた最初の日と違って、今日は正午を過ぎた辺りの時間から森に入ることが出来た。
太陽の出ている時間であっても、神秘の森の名前の通り通常の系統樹から乖離した幻想の生き物たちで森は溢れていて、夜の間にもみられる一角獣達が道を横断し、山の奥の方でドラゴンが飛んでいるのが見えた。途中、羽の生えた妖精がぱたぱたと私に近づいてきたたかと思うと、どこか恐怖した様子で逃げていった。
「……?」
気分屋の多い妖精の行動には、意味が無いことが多い。
気にせずに目印を辿って、霊石のある大樹の元へ向かう。
木の板のような人工の目印ではなく、民家一軒分くらいの大きさをした巨石や霧がかった泉といった自然の目印を頼りに、右折や左折。
記号がないからきちんとどの場所で方向を変えるか覚えていないと、進むことも戻ることもできなくなってしまう。
十年間かけてルートや神秘の生物たちの術を避けるすべを覚えた。私には基本的に魔術や幻術といった攻撃は効かないはずだから、あまり意味があるとは思えないけれど念には念を入れて、である。
「……ここね」
木精の住処を通り抜けると、空を突き破るくらいに背の高い大木が見えて、十年前と同じように黄色い石がポツリと置かれている。
人の手の入っていない奥地に一つの異物が混ざっているみたいに、不自然に光を放っていた。
手に取って地面から外すと、途端に灯っていた光が霧散して透明な黄色い宝石に戻ってしまう。
古いものをしまって新しい霊石を取り出すと、仄かに暖かくて微かに上品な甘いお菓子のような香りが漂った。
霊石が元に合った場所に、新しいものを配置するだけで作業は終了。どこからともなくフィリアの『形相の腕』にも似た植物の根のようなものが生えてきて、新しく配置された霊石に絡みつくと、透明な石の中から力強い光が溢れだした。
「ぅ……眩しっ」
この作業で不快なところがあるとすれば、霊石交換後の光が眩しすぎることくらいだろう。
たしか、この光は霊石に宿った魔術が土地に溶けだすとき、神の欠片であるエーテルを介するから、魔術を神の権能と大地や大気の魔素が誤認し反応して、過剰なまでに光を放ってしまうのだそうだ。
ともあれ人払いの霊石の交換は終わったので、大木の元から離れて帰路に就こうと振り返る。と——。
「……あれ、道が?」
帰り道が、無くなっていた。
霊石を置けば、そのまま振り返って木々の間の道を抜け木精の住処の方角へ向かえばいいので、大樹の場所に来るまでに方向を変えた覚えはない。
だというのに、後ろを振り返ってみても、人一人通れるような隙間がなくなってしまう程に木々で埋め尽くされ、壁のように私の行く手を阻んでいた。
そしてその変わりであるというように、森の外側、村の更に外側の方角に向けて、大きく開かれた道が通されている。
「……魔術」
何処かに誘い出されているのは明確だった。
恐らく、人払いの結界の外。都市へと繋がる街道の方だ。
妖精や悪意のある生物が幻を見せているのかと一瞬考えたが、違う。彼らの術は私には効果が無いし、仮に私に効いたとしても彼らが連れ込もうとするのは森の奥のような人里から離れた場所で、その逆は殆ど有り得ない。
恐らく、人払いの効果を打ち破る術を持った人間による魔術で、森の形を変えられたのだ。
森に道を開くほどの規模となると複数人、二桁単位の人間が村の中に入り込んでいる。
そんなこと十年で一度もなかった。
最大限の注意を払いながら、進むべきか否かを考える。
「どう考えても、罠よね……でも、帰らせてもくれないみたいだし」
帰り道の方を見ると、先程よりさらに樹木の壁が厚みを増している。
私はフィリアのように何か能力がある訳では無いから森を切り開けない。
ここでフィリアが探しに来るのを待った方がいい。
そう判断して、霊石の近くに腰を下ろす。
「チトセ! そこから離れろ!」
「……え?」
フィリアのものと思われる男の叫び声が響く。同じくらいのタイミングで、頭上の方から何かが弾け飛ぶ音が聞こえた。
見上げると、ちょうど真上から今の炸裂で発生したのであろう、木の破片が降り注いできた。
「ひゃ……!」
とっさに跳躍して、大木から離れる。
次の瞬間には私が居た場所が突然陥没し、地面に人間大のクレーターを作った。
よく見ると穴には無数の切り跡が残っていて、爆発したのではなく地面が切り刻まれたことを伺わせる。
目に見えない斬撃、風の方向性をもつ魔術によるものだ。
「そこは危険だから、離れた方がいい!」
「離れるってどこへ!?」
再び、声がどこからか響く。
言葉に耳を傾ける合間にも、目に見えない斬撃が私の近くを飛来して地面や木々に穴を作っていた。
私が当たらないのは、空気の微弱な揺れを頼りに安全な方へ逃げているからだ。
「僕の方へだ。新しい道を通れば辿り着く!」
「で、でも……」
道の方へ向かったら、恐らく敵が待ち構えている。風の斬撃はその切口の方向から道の向こうから飛んで来ていることが丸分かりだ。
「僕も敵と戦ってるから、現に君が襲われている以上、近くにいてくれた方が守りやすいんだよ!」
合理的な意見。
確かに、私へと飛んでいく攻撃に気を取られながら敵と戦うより、私を近くに置いて攻撃の方向をひとつに縛る方が対処はしやすくなる。
それと実際に、新しい道を通れば侵入者が待ち受けていることが分かった。
けれど、声にはまだ従えない。
一つ質問して、答えを聞いたら道を進もう。
「ひとつ聞くけど、敵と戦っているの?」
「ああ、そうだよ。いいから早く来てくれ!」
彼は戦っているらしい。
私の方へ魔術が飛んでくるのは、彼が捌ききれていないからだろう。
魔術を使う相手如き、何人いようとフィリアの相手にはならないはず。たとえカトレアであっても通常の魔術では彼に傷は付けられないと断言していた。
なら、どうしてその彼が戦っているなんて言うのか。
それにフィリアなら私を呼び寄せるより、彼が私の方へ向かう選択をとる。
その方が会話という手間が省けるから効率的だし、移動速度だって彼の方が速い。
というかそんな事を視野に入れなくても、彼が私に危険なものを近づけようとするわけが無いのだ。
「そう。なら……」
考えられる答えはひとつしかない。
「嫌。行かないわ」
この声自体、罠のひとつだ。
「どうしてだ。僕は大変なんだぞ!」
私の返答に苛立った様に、声に怒気が孕む。
その一言で、完全に確信した。
私に指示するにしてもあんな高圧的な態度、必死な時ですら彼は取らない。
フィリアは私を決して怒らない。
ようは、フィリアに対する理解が全く足りない!
「だってフィリアなら、そんな乱暴な言い方はしないし、よく分からない方法で遠くから話しかけてきたりなんてしない。それに、自分より私への攻撃を優先するもの」
「…………」
私がそこまで言うと、ぱたりと声が聞こえなくなって、文字通りに岩を突き破るほどの風の斬撃も勢いを弱める。
もう、私を誘い込むことは諦めたようだ。
ひゅるひゅる。
勢いを失った風が、かえって辺りに不気味さ散らす。
まるで、洞窟を吹き抜ける風みたいに。
「そうか。そう言うのだろうと思っていたよ」
風に交じって足音が複数、道の奥から近づいてきた。
統率も何もない、自我のぶつけ合いのようなまばらな足音。
街道の方からここまでは直線距離でも一時間はかかる。
魔術による風が収まるまで、誰かが近づく気配は全く無かったからその距離を足音の持ち主たちは、私の返答から数十秒で移動したのだ。
足音が響いてすぐ、彼らは私に姿を見せた。
「お前たちは此処で止まっていろよ。死んでも責任は取れないからな」
高い襟の真っ黒い服を着た男たちが十人ほどと、刺繍やレースのあしらわれた淡い緑色のコートと絹製のブリーチズに身を包んだ痩せぎすの男が一人。
中央を歩く緑コートの男がこの集団を統率しているようで、彼らの中から一歩進んだところでうやうやしく私に頭を下げた。
「……初めまして、可愛らしくも恐ろしき少女よ。私はアルバート・ブランドン。先程は不快な真似を見せた。謝罪しよう」
言葉とは裏腹に、アルバートと名乗る男の声には何処か嘲笑するような悪意が籠っており、最初から相互理解のつもりは無いことを私に認識させる。
怪物でも怪人でもない、ただの人間の敵。
「偽物の声まで用意してたということは、貴方たち、識の関係者……?」
「さあ、それには答えられないな」
あからさまにはぐらかされるが、この村の存在と人払いの結界を破る技術はフィリアの父である識のみが知っている情報であるので、私の推測は当たっているはずだ。
私の存在を知ってから十年間、識は私達に干渉してくることはなかった。多分、フィリアと同じように時間の感覚が狂っているのだと思う。
だから十年もたった今頃になって、彼らを私の元へ寄越したのだろう。
フィリアが唯一、苦手とする相手の関係者。
それだけで私を戦慄させるには充分だった。
一層警戒を強めて、アルバートに問いを投げる。
「何をしに、ここに来たの」
「……? ああ、そうか。知らなくて当然だ。自覚がないのだから」
含みを持たせて、アルバートが笑みを浮かべる。どこか芝居がかった言動が、胡乱な雰囲気を漂わせた。
「この村に十年前、我々の国『アルビオン』で事件を起こした犯人がいると聞いた」
「十年前?」
十年前の事件。いまいちピンと来なくて、オウム返しをしてしまう。
この村の住民達は殆ど村から出ることは無いし、フィリアが犯罪を起こすような人物でないことは明白だ。
だから、他人に迷惑をかけるような事をする者がいるとすれば消去法で私になるのだが、私にもそんな覚えはない。
まだこの世界に来て間もない頃だったし、カトレアやフィリアにすぐに出会ったから、問題なんて起こす暇はなかったはず。
第一、私はフィリアと同じ単存在でも、何かできるような特別な能力が無い。
二人は識の言葉が当たらないように、私が単存在であることを自覚させないように育ててくれたから、私は自分がどんな能力を持っているのか、どんな本質であるのかを気づかずにいる。
だから、彼らに出会うまでの数分間で私が何もしていなければ、私が事件を起こす隙なんでどこにもないはずなんだ。
「……あ」
違う。思い出した。
彼らと出会う前に、一つだけ私が目にした景色。
あれは、明らかに世界に異常をきたしていた。
私を中心として目の前の一切が完膚なきまでに、完全なまでに止まっている現象。
あれを事件と呼ばずして、なんと呼ぶのだろう。
そしてあの博物館の中で、唯一動いていたものこそ。
私。
その後、そのまま二人に博物館から連れ出された私は、静止した世界に対して──。
何も、していなかった。
恐らく、現在も博物館の中には動くこともない人が大勢いる。しかし、その人々は死んでもいない。
これでは、原因不明の未完結事件だ。
私がそこまでたどり着いたことに、アルバートは気付いたのだろう。
現在の状況を語ると共に、悪意と敵意をその細い瞳に宿した。
「博物館は今も制止したままで、中にいた観客もスタッフも動かないし動かせない。おまけに博物館自体もどんな魔術や技術を用いても壊せないときた。これでは、商売にならないし、政府への説明もつかない。最近では、魔女の仕業だなんて噂が何者かによって流れ出した」
誰も、原因が分からないし、解決もしない。
悪意のある
当たり前だ。十年間も放置していたのだ。
世間でほとぼりが冷めても、世界で一つだけの事件が永久に取り残されている。
遺族の思いは壊せない博物館を見る度に想起され、神秘を探求する人々には永遠に調査の対象となる。
汗もかかない身体に、ひやりとした寒気が流れるのを感じる。
このままじゃいつか、私。
怪物になってしまう。
「それに、単存在は私達『遺失衆会』が求める切札のひとつだからね」
びゅうびゅう。
ごうごう。
吹き抜ける空気の流れが、速度を速める。
アルバートとその周りの術師達が同時に同じ風の魔術を詠唱し始めたのだ。
花を撫でる風が、根こそぎ刈り取る鎌となる。
岩に阻まれる風が、鉄さえ砕く破城槌となる。
一木一草の悉くが、命を削られていく。
「だから、狩れるうちに捕まえなければならない」
その中で一人、私だけが不死のように佇んでいた。
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