ep7 『ただ単体で、ただ完璧なもの』
迫り来るのは大破壊を引き起こす宇宙の弾幕。
相対するはたった一匹の蝶のからくり。
しかし、その背後には最古の魔術師が、ひとり。
月光を背に佇んでいる。
『私と心を繋げましたか』
どうして、ここに居るのだろう。喫茶店の裏口から飛んできたのだろうか。
そう思えてしまう程、その姿は鮮明だった。
無論、本人がこの場に居る訳では無い。多分、フィリアが何かの能力を使って呼んでいるのだ。
「カトレア……」
無意識に名前を呼んでしまっていた私に、カトレアが微笑を浮かべる。
彼女の肩口に、蝶の模型が止まった。
『さっきぶりですね、チトセ。といっても、今貴女が見ている私はフィリアが見せている思念体のようなものですが』
言葉通り、彼女の姿をよく見るとその形が蜃気楼のように揺らめいていて、地面にも影が作られていない。
しかし、その幼さの残る理知に富んだ声だけは揺らぐこと無く私の耳にはっきりと響いていた。
『あまり長話をする時間は無いようですね。フィリアの力について私が説明しても良かったのですが、仕方がありません』
カトレアの視線が私たちから弾幕の雨へと移る。
圧倒的な破壊の嵐を前に、彼女は動じることも無く蝶を指に乗せた。
『あの球体群。マナで構成されたものではなく、物質の質量を熱エネルギーに変換して発射しているのですか。科学は私の専門外ですが、問題は有りません』
一目見ただけで相手の性質を理解し、対抗する。
まるで全てを知っているかのように。
『
『
部品の一つ一つが裏返り、組み代わって細く、長い形へと変わっていく。
一秒足らずで変形は完了した。
変貌したからくりの模型は、空気を受け流すように細く丸い形をしている。
下部には物を貫くための尖った針が突き出ていた。
『砲蜂』の名前通り、その形は紛れもなく蜂の形をしていた。
少し違う点を挙げるならば、胴体にあたる部分に笛にあるような穴が幾つか空いている。
だが、その違和感は当たらずとも遠からずであり、蜂は主の命令を待って八の字を描いて旋回していた。
『お耳汚しを……いえ、悪くは無いと思います』
カトレアがそう言って、すぅと静かに息を吸う。
『La────!』
突如、静かな夜に歌声が響いた。
落ち着いた、しかし透き通るような音色。
瞬く間に森中へと広がって、球体の迫る轟音さえ塗り替えて世界に響き渡る。
同時に、真紅の閃光が球体の一つに向けて迸った。
八の字を描いていた模型の蜂が声に合わせて軌道を直角に変更し、球体の群れ目掛けて亜光速で突進したのである。
ぱしゅん。
乾いた音がして一つ、蜂の針が砲弾を貫いた。
中心を貫かれた球体は力なく霧散し、対する模型の蜂は傷一つない。すぐさま、歌声に合わせて光はじぐざぐと方向を変え、二つ、三つと砲弾を貫通していく。
その速度は加速する弾幕の雨より、疾い。
最古の魔術師の武器の一つ、
九万年前の時代からカトレアが愛用し、フィリアへ受け継がれた最高級の魔道具である。
それ自体に目立った機能は無いものの、マナの影響に素直に作用して様々な形へと変形し、機能、状態の付与が可能というシンプルなようで作成に高度な魔術式を必要とする魔道具の頂点。
カトレア自身も効率と汎用性を極めた性能を大いに気に入っているらしく、この道具の知識を教えられた際、フィリアに渡すのをものすごく渋ったと語っていた。
『何故、あんな魔術を使ったのですか?』
攻撃の合間に、カトレアが一つ溜息をついて批難するような視線をフィリアに向ける。
あんな魔術とは、先程の海月の大群を呼んだ魔術のことだ。曰く、効率が悪すぎるとの事らしい。
『魔術はマナの方向性を決めて変換し、性質を与えるもの。あんなに私の体内魔力を吸って大仰な魔術を使わなくても、大気を満たす魔素を鎧へと変換すれば強度など簡単に加えられます』
開口一番にお小言を食らったフィリアが、う……と呻く。
勿論、飛来する球体を撃ち落とすのも欠かさない。
『魔術とは見た目が物を言うのではありません。むしろ、範囲や見た目にこだわれば、消費魔力も大きいでしょう』
「でも、あの魔術を作ったのは先生のはずじゃ……」
『ええ。ですが、周囲の魔素を使えば魔力など必要ありません』
「魔素を使うのは魔法の領分だって、昔先生に言われたけどなあ」
『誰でも再現可能な『魔術』であるともいいましたよ。特に貴方のような単存在は体内に魔力が無いのですから、いい加減外に干渉する術を身に付けなさいと』
食い下がるも、直ぐに理詰めで論破されたフィリアが「僕は先生の力を使うから構わないし……」と撃沈する。
だが口論を交わしながらも、二つの光は的確に、迅速に砲弾を貫いていった。
光の腕が宙を覆い、雷を纏う蜂が空を翔る様は、それが破壊の応酬であることを忘れさせるほどに綺麗に満ちていた。
きっと、本来であれば抗う術もなくただ蹂躙されるだけの、神の一撃もかくやという砲弾の雨なのだろう。
それを軽快に、ただ児戯のように打ち壊す二人の超人。
少女が追加で球体を放つが増える速度より、打ち壊される速度の方が速い。
『残り一つ。……La——!』
ほどなくして弾幕の壁は崩壊した。
全ての球体を打ち壊した蜂の模型はカトレアが戻りなさいと呟くと、蜂は蝶の形に戻って抱き抱えられたままの私の肩に止まる。
少女もこれ以上は無駄であると判断したのか、砲弾の発射を停止して袖から手を覗かせていた。
諦めたわけでは無いであろうが、しばしの間、森に静寂が戻った。
「……」
「……そりゃあ、まだあるよね」
少女が二十二基の浮遊する砲台を一点に集めてこちらに先端を向ける。
何やら、さらなる隠し玉を持っているらしい。
攻撃の尽くを完封されてなお、恐るべき対応機能を有していると、私には思えた。
『今の弾幕を処理するためだけに、私を呼んだのではありませんよね?』
一歩も引かない、いや、引くという選択肢を与えられていない少女が照準をこちらに向けていることに注意しながら、カトレアが尋ねる。
「うん。僕は彼女を葬る。悔しいけど、人の機能がないうえに、洗脳に識の力も入っているせいで僕でもどうにも出来ない」
『成程……』
少し考えるような気配がカトレアから伝わってくる。
『……良いのですか?』
「あの子は、本の中のメデューサと同じではないの?」
カトレアの言葉に割り込んだのは、私の声だった。
だって、襲ってきたとはいえ、私たちは彼女を知らない。知らないから殺すのは、フィリアが嫌っていることのはずだ。
それにフィリアとカトレアには彼女をどうとでも出来うるほどの力がある。きっと、カトレアの魔術の中に永遠に眠らせておくものとか、そういうものがあったのを覚えている。
だというのに、彼は彼女を殺すといったのだ。
そしてそれを指摘されなくとも、フィリアは既に理解しているはずだ。
証拠に、彼は私の言葉に間をあけずに頷いた。
「本質的には、おなじだよ」
「なら、今すぐ救えなくても、眠らせてあげるとか……」
私の提案にふるふると首を横に振って、フィリアは否定する。
決めたと言いながら、その声が少し震え始めていた。
多分、本当は非情に徹したくて、でもそれを指摘されて隠しきれなくなったのだ。
「これは僕が勝手に見て、勝手に判断しただけだけどね。無理だ、絶対」
絶対に無理って、なんでそんなことが言えるんだろう。
私の気持ちは、何故か少女の立場に同情してしまっていて、フィリアに彼女を殺さないで欲しい気持ちでいっぱいになる。
事情は分からないけれど。意識を奪われて、人としての機能を奪われた少女に。
このままでは危険だからと、方法がないからと殺されゆく少女に。
だいたい勝手に見るって何を見たんだろう。何で見たんだろう。
私にメデューサの話をしておいて、怪物の話をしておいて、自身もおなじ過ちを犯そうとしている。
ううん、違う。だからあの時勘違いしないで欲しいと言ったんだ。
そこまで考えたところで、カトレアが私が彼を責めないようにとフィリアの言葉を補った。
『先程彼が語っていたように、フィリアの形相の腕は相手を理解するためにあるものです。相手の心情を読み取ったり、記憶を覗くことができる。彼はあの少女の記憶を垣間見たのでしょう。それで、救済は不可能であると判断したのです』
フィリアが静かに頷く。
「あの子の過去を見た。人生と、結末と、そして識に回収されるまで」
接近戦の光景を思い出す。
少女の攻撃を形相の腕で受け止めた僅かな時間。あの刹那にフィリアは少女の記憶を読み取っていたのだ。
カトレアに細部の説明を促されたフィリアが、彼女の過去を明らかにした。
「あの子の名前はヨナ。この世界の人間じゃない」
『……このディアスポラ以外の世界。まさか、イセカイと呼ばれる……?』
割って入ったのはカトレアだった。
彼女もこの答えは予想外だったのだろう。
戦闘状態にある中にも関わらず、彼女の視線は目の前で砲口を向ける少女から、ヨナから外れていた。
「いや、先生の言ってるものとも違う。彼女は僕らと違った
フィリアが続ける。
「世界は、繋がりで存在するものでね、人と星と、宇宙と次元。全ては繋がりあって存在しているんだ。そしてそれは、世界そのものも例外じゃない。世界は誰かに観測されて初めて存在することが出来る。例えば、物語として誰かに描かれる事で。例えば、最初の読者が観測する事で。けれど、ヨナは誰かが一度物語として観測して、その後続きを観測されなくなった世界の人物なんだよ」
「世界が繋がって、観測……?」
私の知らない概念が立て続けに現れたせいで、フィリアの言葉についていけなくなる。
何とか噛み砕いて理解すると世界は、歴史は物語であり、別世界の少女であるヨナはその世界を誰にも認識されなくなったことで、物語の続きを描かれなくなったことで存在できなくなった人物であるということなのだろうか。
でも、おかしい。
存在出来ないのに、ヨナは目の前に存在している。
別の物語の存在が、何故かこの世界に現れている。
その矛盾に気付いたタイミングで、フィリアが私の心を読んだように続きを語りはじめた。
「ここ世界のどこかの浜辺にそんな存在が流れ着く場所があるらしくってね。彼女はそこで僕の父に、識に出会ったんだ」
浜辺というものは知らなかったけれど、私がフィリアに出会ったように、ヨナも識に、フィリアの父に出会ったのだろうと私は推測して想像していた。
『ああ、それは彼にとって都合がいい存在でしょう。誰の記憶にも、どこの記録にも存在しないのですから、居ないも同じ。彼に見つかった時点で、運命は決まっていたようなものでしょう』
いつの間に落ち着きを取り戻したカトレアが、ヨナに視線を戻す。
二人にとって、識という男の認識は運命のようなものらしい。
今の私なら、それがとてもよく分かる。
彼に注目された者は必ず彼の思い通りになる。
けれど当時の私にはそれが分からなくて、疑問を返してしまった。
「その識に出会って。何故、治せない怪人になってしまったの?」
「それは、彼の能力と人体改造によるものだよ。たしか、記憶の中だと出会ってすぐに識が能力を……ええと、相手の持つ機能を無効化する能力を使って、何処かにある施設に運んだ。多分、病院の地下だと思う。
「……それで?」
なんだか、私が出会ったさっきの時みたい。
「元々ヨナは人の体では無いみたいだけど、彼は更にそこでこの子の人としての機能を無効にして、身体を弄って彼女の身体を操れるようにしたんだ」
「……」
もし、私を拾ったのがフィリアやカトレアでなかったら、今日の私もヨナのようになってしまっていたかもしれない。
まだ鮮明な記憶がフラッシュバックして、有り得ることのない悪い想像が私の中を駆け巡る。
なら、なおさらあの子を殺すなんてして欲しくない。私みたいなものだもの。
そんな思いと裏腹に、カトレアが時間がありませんと告げた。
『私が時間を取らせたのもありますが、彼女の攻撃が来ます』
「でも……」
実際、ヨナの周りで浮遊する砲台達は、合体するように一点に集まって巨大な大砲を形作っていた。さらに追加で六つ、一際大きな砲台が彼女の周囲を囲っている。
点火。その砲口から太陽を彷彿とさせる眩い光が盛れ出した。
「分かってる」
フィリアが静かに形相の腕で私の肩に止まる蝶を持ち上げると、もう一度蜂の形へと変化させた。
「記憶から分かったことだけど、あれは幾つもの恒星の力を集めて増幅し、磁場で無理やり押さえ付けて一気に放つ、ヨナの最強の兵器だ。今のうちに止めないとまずい。僕は大丈夫でも、この星が消える。……ああ、ホントに。なんでこの子を僕に送り付けたんだよ。殺す以外ない。嫌がらせじゃんか、こんなの」
珍しくフィリアが僅かに怒りに昂ったように声を震わせる。
けれど、カトレアを呼んでしまった時点でもう彼は心を決めていたのだ。
「あの子、物語の中で居なくなった男の子を探して宇宙の中に飛び出したんだ。広すぎる宇宙で、会えるわけが無いとわかっていたのに」
待って欲しいと言いたくなる気持ちを必死に抑える。むしろ、彼女の記憶を直接覗いたフィリアの方が辛い気持ちに満ちているはずだ。
「そんな女の子を、僕は救えない。識の持つ力は全ての宇宙と物語を創った力の欠片。僕はそれよりも強いはずなのに、いつだって、今だってあいつに勝てないんだよ」
ぱちぱち、ばちばち。
再び、しかし今度は雷を纏って赤い光が八の字を描く。
暴れるように、嘶くように轟いて。
殺してしまうのだ。今から。
「僕は間違っている。僕は彼女を救えない凡人だ。僕は君の先生としての資格が全く無い」
ヨナの方も、もはや発射を止めることは不可能なようで、余剰したエネルギーが周囲の空気を押し出していた。
白い光が方向を逆向きに変え、収束していく。臨界は近い。
「僕は操作が上手くないから外したり、顔を撃ったら大変だ」
『では、彼女に痕が残らないようにすれば良いのですね』
躊躇いを振り切って頷き、激しく魔素の電光を放出する模型の蜂を形相の腕で力任せに掴む。
電流がフィリアの身体にまで流れるが彼に痛みは無いようで、ただ少女に真っ直ぐに向き合っていた。
照準を引き絞って、空中で投球するように振りかぶる。
もう、止めることは出来なかった。
「ごめん、何処かのヒロイン」
『宿り星・二十八』
星の光が放たれた。
比喩ではなく、凝縮された恒星の光が一つの方向に向けて放射される。
膨大な熱量が全てを灰燼とせんと直進する、圧倒的な熱光線。
それ迄の攻撃とは比較にならないほど絶対的な破壊の奔流が、私たちを目掛けて飛来する。
当たってすらいないのに、既に熔けるような熱さが押し寄せてきた。
だが、二人は動じることも無く、粛々と同じ言葉を震わせた。
『『
亜光速で迫る光線が到達する前に、フィリアは腕を振り抜いていた。
鳴神が、空を穿った。
星の光と、一筋の迅雷が衝突する。
互いを貪るように、光が蜂を呑み込んで、蜂は雷霆として光の中を突き進む。
だが、両者の差はどうしようもないほどに、埋まることの無い差があった。
決着が付くのに、長い時間は掛からない。
まるで霹雷が樹木を穿つように、光が二つに割れた。
一切の抵抗をものともせず、迅雷は光の中を直進する。
そして音もなく、少女の身体を突き抜けた。
雷鳴のひとつもなく、ただ静かに、誰にも気付かれないように。
一つ、少女の右胸に小さく花が咲いた。
孔が空いたわけでもなく、ただ一輪の白いイフェイオンだけが、ヨナへと訪れた変化であった。
だが、確実に蜂は少女の胸に宿る命を奪っていて、投射され続けていた光が途端に細くなって、消える。
今より消えゆく少女の命を投影したように。
「ぁ…………オ、レヴ」
声が、鈴のように小さく響いた。まるで零れ落ちるみたいに、思い出した誰かを求めて。
まず、ヨナの周囲に浮遊していた砲台達が動力を失ってばらばらと地面に転がった。
次いで、とさりと軽い音がして少女の体が崩れ落ちる。
思念体のはずのカトレアが一瞬で移動して、今しがた動かなくなった少女の遺体を抱える形で受け止めた。
ただ眠っているだけで次の瞬間には起き上がるのではないかと錯覚するほどに、死した少女の顔は綺麗であった。
夜の森に、喪失を代償として平穏が訪れる。
『……生体機能の、停止を確認しました』
淡々と告げられた事実に、フィリアがうん、と静かに頷いた。
後にわかったことだが、彼が悲しいことを受け入れる時によくやっている動作だった。
空中から降りたって私を下ろし、フィリアがヨナだったものに歩み寄る。
隣にまで来たところで腰を下ろし、右の掌で少女の額にそっと触れた。
そして、眠った子を撫でるように、優しい声で語りかける。
「君がどんな祈りを持っていたか、僕は記憶を読んで分かっているけど、多分それは部外者の僕がおいそれとやっていい事ではないだろうから、君の葬儀は行えない。ごめん」
『……ええと』
「そうだね、遺体はこのまま土に埋めてあげよう」
フィリアがカトレアの気持ちを汲み取って、彼女の言葉を代弁した。
けれど、その後に続く言葉は悲哀に満ちて震えていて、彼の内心の葛藤を思わせる。
たった数度の攻防だけで、一番心を彼女に寄りそわせていたのは、フィリアだったのだろう。
「……僕が知っていれば、救えた」
『そうかもしれませんね。ですが、その話は別の時間軸の貴方の話。後悔しても心に傷をつけるだけ。そういった感情に慣れることが出来ないのは、私たちの特性でもありますが』
「…………」
フィリアが黙ってしまうと、途端に森が静かになる。
誰も居なくなってしまったかのように、誰かの息遣いさえ聞こえない。
数分くらいをじっくり使って、フィリアがヨナの額に手を置いたまま、何も語らずにひたすらに想う時間が流れた。祈りではなく、ただ少女にあったはずの過去に思いを馳せて。
やがて、絞り出すようにしてフィリアが口を開いた。
「誰であれ、死んだくらいじゃ簡単に繋がりを断つことはできない」
言い訳するような言葉。けれどそんな、責任から逃げようなんて気持ちが彼に微塵も無いことは、この場にいる誰もが分かっている事だった。
「それが輪廻なのか楽園や地獄なのか、はたまた別の死後があるのかは分からない。けれど、どこかで人は繋がっている。記憶と、魂と、世界の記録に」
最後まで祈りは込めないつもりだったろうに最後に少し、死後の行き場を口にした事をきっとフィリアは自覚していない。
けれど、人に死したあとも健やかにあって欲しいという願いは、何も間違ってはいないんだ。
「だからヨナも、どこかで──」
「ひとつ、答え合わせをしてやろう」
「……っ!?」
フィリアの言葉が、最後まで続かずに途中で遮られた。
死したはずのヨナの口から言の葉が編まれたのである。
無理に喉を動かしたせいで、今にも千切れてしまいそうな掠れた声が、少女の奥から溢れ出る。
いつの間に、閉じられていた瞳が開いていた。
瞳孔は開かれたまま、ヨナの真珠のような瞳が不気味に蠢くのが、彼女に命が宿っていない事を証明していた。
「やはり、殺す選択以外ありませんよね? いいや、殺してもらわれば困ったでしょうが」
「……識」
「ああ、お前の父だ。もう父さんとは呼ばないのですね」
「呼ぶわけないよ、九万年ずっと」
フィリアがいつになく感情を噛み殺した声で、ヨナの奥にいる怪物を睨む。
識、フィリアの父親。
未だ姿の見えない彼の因縁。
再び世界に、刺すような空気が走る。
「……何しにこの子を送ったんだよ」
「私は新たに世界に降臨したという単存在を一目見ようと、彼女を送った。もし本当に単存在であるというのなら、その性質を見極めなければなりませんから」
「ああ、それと少しの私情を挟んで」という煽り文句に、フィリアがその表情を一層険しいものにする。
「そして先程言ったように、その答え合わせだが……」
「……私?」
ぐるりと、ヨナの首が無機質に曲がって、私の方を見据えた。
澱み、ひずんだヨナの瞳が、彼女や識をよく知らなかった私にさえあれが識の瞳であると理解させる。
とっても、気味が悪い。
「それなる娘、いいや、娘という呼称は性別を持たぬ者である貴方に対し、礼を欠いていますか」
平坦な言葉と、畏まった言葉を奇妙に使い分ける。
視線も、言葉遣いも、何もかもが定まらない。
「お前の言う通り、智富世は誕生や死の概念のない、ただそこに在るだけで完成した、単存在。お前のような混ざりものとも違う、完璧な単存在だ」
「そんなこと分かってる。いちいちいやな言い方を僕にだけする癖、いい加減辞めたらどうなんだ。小物臭い」
「……今のお前が言えたことではないと思いますが」
目も合わない二人の間には、不倶戴天の敵以外の何物でもないと互いに侮蔑するような、殺意にも近い空気が流れて満ちる。
だが、その場に居ない者に対して怒りを募らせようと、どうにもならない事は両者ともに理解していた。
識が、再び私の方を見る。
「そして、その性質のことですが……」
『その説明は結構です』
しかし、それまで沈黙を保っていたカトレアが識の言葉を遮った。
『貴方の行動には意味がある。彼やチトセにしなくてもいい説明をする時点で、企みがありますね?』
「ええ。貴女は昔から聡明だ。その通り、彼女の性質を明らかにすることで、私は智富世の成長を後押ししたくてね」
彼の言葉には取り合わないで、カトレアは落ち着きをもって言葉を返す。
カトレアが一歩上を行くらしい。
『私はすでに彼女の性質のアテがあります。相応しい時期が来れば、私から伝えるので、貴方の意見は必要ありません』
「だが、私は一刻も早く彼女に目覚めて欲しい。それは貴方も分かっていますよね。なんせ一万年前の大戦以来の来訪になる。これを逃せば、最後の終末が訪れてしまうでしょう?」
『ですから、帰りなさいと言っているのです。私は彼女が彼女の本質に気付くことを求めていない。それとも、無理やり口を封じられるのがお望みですか?』
輪郭の揺らぐ姿で、遠くのどこかで少女の身体を操る男に杖を向ける。
方向は、東の方角。
この場にいないもの同士が、対峙していた。
「ふ、ふふ」
含みのある笑い声が、ヨナの口から漏れる。
「本質に気付く……では貴女と私の推察は同じですね?」
少女の声を通してでも分かるほど、不気味な笑い声に眉をひそめながら、カトレアが答える。
『……恐らくは』
ならば、と虚ろな瞳がゆっくりと閉じられた。
それ以上の言及は許さないというカトレアの忠告に、識が食い下がることも無く引き下がったのだ。
何やら識が新たな事実に気付いて、引き下がっていくようにも思えた。
「なら、私はもう役目が無い。この身体は捨てるから、好きにするといい」
そう言うと、少しずつではあるが、どろどろとした重い空気が薄れていくのを感じられた。
「……なんて単純な理由なのですか。智富世……ならばあとは、時を待つのみ……」
私の名前を呼んで、何やらよく分からない事を言った後に満足するように声は神秘の森に溶けていく。
少女が、再び永遠の眠りにつこうとしていた。
「ひとつ、言っておくが、おまえは主人公には決してなれない。おまえは昔の私と同じだからな。聖人の真似事をして、俗人と変わらない選択をする、道化」
「いいから、早く彼女の身体から出ていけよ」
「ふふ……カトレアはいつだって遅れてしまう。◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎=ユニは必ず──」
びりり、と機械がショートするような音がして、それきりヨナの身体は動くことがなくなった。
「……くそ」
フィリアが暴言を吐く。後にも先にも、彼の暴言はこれが最後だったと思う。
「…………」
「フィリア……」
声を掛けた私を、カトレアが実体の無い手で静止する。
確かに、今のフィリアに声を掛けるのはどこか不適切な気がした。
もう二度と動かなくなったヨナの遺体を、フィリアが割れ物を触るみたいに抱き抱える。
丁寧に、落とさないようしっかり腕で固定して、ゆっくり立ち上がった。
「ごめんね、僕の父親が、僕が……君のオレヴは僕が必ず見つける」
それだけ言うと、もう一言も喋らなくなってしまった。
本心の底からの謝罪の言葉。彼は、殺したという事実を正面から受け止めていた。
仕方ないから殺した。そんな、普通誰もが受け入れられなくなってしまう理由を、父親の罪も含めて彼は向き合うつもりでいる。
なんて、真面目な人。
普通の人がどうなのかは分からないけれど、確実に、彼は他人というものに対して真面目がすぎる向き合い方をしている。
私もあまり声をかける気にはなれなくて、二人で沈黙を保ったまま、森を後にした。
森から帰ると、すぐに私たちはヨナの遺体を屋敷の近くの土に埋めた。
何日かたって様子を見に来るとそこには新芽が出ていて、今では沢山のオリーブの実を実らせている。
私が世界に来た日。
最後に知った知識は、智識は。
誰かが居なくなるという感情だった。
――――――――――――――
【tips】
ヨナ
方舟は、宇宙を飛んで増えすぎた人々の住める新天地を目指す。
人工の生命体である彼女は、降り立った調査員のデータを元に案内ガイドを作る役割があった。
ある時から、ヨナは調査員と一緒に惑星の探査をすることになる。感覚的な情報も必要と、彼女の独断で着いていくことにしたのだ。
だが、少女には母艦を離れるための防衛機能がない。
武器は人工生命に持つ権利が無かったから、手ぶらで着いていった。
ある惑星に降り立った時、調査団は化物に襲われてヨナは囮として棄てられる。
武器は己の変形機能だけ。でも、全然歯が立たない。
化物は、正体が揺らいで不定な異形で、喋らないし、死なない。
逃げるしかなくて知らない星の中で一人、母船から遠くまで来てしまった。
何日かたった後、船が星を立つ予定日になった。新天地としてふさわしくない場合に、資源を積んで別の星を探しに再出発するのである。
計器の分析で、この星の大気は防護服なしで生きていけないほどの毒が充満していることは分かっていたから、多分船は今日のうちに出発してしまうのだろう。
寒い、怖い。不安でいっぱいになる。
入り込んだ洞窟の中は暗くて、心細い。地図も壊れて、もう帰れない。
このまま置いて行かれて朽ちてしまうのだろうか。
時刻が夕方五時を指したころ、洞窟は怪物の巣窟であることが判明した。つまり、怪物から必死に逃げていた。
助けて。その言葉は、誰にも届かないことは分かっていたのに、ただひたすらに祈り続けた。
でも、もうおしまい。怪物の太い爪がヨナの胴を貫こうと迫っている。ヨナは足を怪我して動けない。
一つ、光が駆け抜けて、怪物の右の胸を穿った。それだけで、怪物は力なく倒れる。
誰かが、助けてくれたのだ。駆け寄ってくる姿は見覚えがあった。ヨナを置いていった調査隊の一人。
一番彼女の製造年代と近い、人間の男の子。
少年の名前はオレヴ。鴉みたいに黒い髪と瞳が綺麗な男の子だった。
ぶっきらぼうに、もう船が出るとだけ言って洞窟から連れ出すと、船までヨナを抱えて走ってくれた。
船に帰ったあと、オレヴはすぐに何処かへ去ってしまう。
後から、それがヨナを回収したことについての報告書と無断で外に出た始末書を書きに行ったことを聞かされた。
数時間も培養液につかれば怪我は回復して、すぐに活動が可能になる。
やることもないからすぐに仕事に戻ったけれど、なぜだかずっと彼の顔が頭を離れなかった。
だから休憩時間に彼の元に訪れて、その日からヨナは彼に会いに行くことが日課になった。
態度が悪いと噂されていた彼は、最初は確かに近づくヨナに対して鬱陶しそうにしていたし、ヨナも口数が多い方ではなかったから、彼と仲良くなれたのは多分ずっと後だと思う。
何か月か経つうち、いつの間にかヨナの仕事の目的は人々のためというよりオレヴへの恩返しのためという側面が強くなっていた。
それを彼に言うと、彼はそれは人工生命体として間違っているけれど、きっと人間として正しいと責めないでくれた。
その時、ヨナは初めて人間らしい感情を手に入れたことを、人工生命から成長したことを自覚した。
なのに。
数年が経った後、彼は居なくなってしまった。
ある惑星で、船が完全に大破してその星に居住することを余儀なくされた。
何万年前、戦争で生命がすべて消えてしまった星に。
その星はもう、人が住むにはあまりに荒廃しきっていて、新天地としては怪物の住む星以上に適していなかった。
だから科学者たちは環境を無理に書き換える兵器を作った。星の大気や地質を書き換えて人が住めるように星を改変する兵器。
実験は成功。人類の新たな新天地が生み出された。
けれど、一つだけ想定外の出来事が起こっていた。兵器を使ったときに安全装置が暴走して、トリガーを引いた調査員の一人が正体不明の孔に吸い込まれてしまったのだ。
その調査員こそ、オレヴであった。
もう彼は大人と呼んでも違和感のない年になっていて、階級も上がった最初の大役を任された日の事だった。
すぐに時空が歪んで発生した孔であったことが判明して、彼が今も時空の孔の向こう側にいるかもしれないと科学者に教えられた。
彼は今も生きていて、戻る方法を探しているかもしれない。
七日だけ、待ってあげた。
けれど戻ってこないから、探しに行った。星の中を。
けれど、どこにも居ない。一週間でその全てを調べたのに、どこにも居ない。
何処にいるんだろう。
黒い虚空に飲み込まれてしまったオレヴ。
一つの可能性が浮上する。あの虚空の先は、何処か別の星なのかもしれない。
なら、ヨナもそこに迎えに行かなきゃいけない。
洞窟まで迎えに来てくれたように、ヨナも彼への恩返しをしなければいけない。
準備をすぐに終わらせて、新造された三日間限定の宇宙旅行船から宇宙へ飛び立つ。
制止信号を振りきって、全速力で星の彼方へひとっとび。
持っていくのは、彼が好きで集めてた二十二個の銃と六つの宝石。
私用に改造しちゃったけれど、まだ貴方の
何億光年漂流しても、貴方を見つけ出す。
単独での恒星間移動機能で、いくらだって旅を続けられる。
改造手術で貯めていたお金は全部なくなったけど、どうせ使い道もなかったのだから構わない。
沢山の星を一人で旅をして、いつか貴方に逢いに行く。
人間の寿命は分かっているけれど、それでも貴方に逢いたいの。
そこで、その話は途切れている。
【物語軸/変更】
・・ ・ー・・ ーーー ・・・ー ・ ー・ーー ーーー ・・ー
オレヴは、どこにいるの。
わたしは、どこにいるの。
あれからいくつの年月がたったのだろう。
音が、聞こえる。
一定のリズムで、少し違った音。
さざ波の音だ。
録音を聞いたことがある。
体を起こすと白い砂粒が身体について、目の前に一面の青い世界が広がった。
視界に写る景色に近い記憶を再生して、思い出す。
ここは、海。人々が生まれた星にあったという、美しき
オレヴと昔、再現された仮想空間で体験したっけ。
とても、綺麗。
データはもはやリアルより詳細になってしまったけれど、やっぱり本物の感覚は別格だ。
しゃりしゃりと、砂を踏む音。
誰かが、近づいてきた。
こんにちは。
貴方の名前は識というのね。私はヨナ。
ええ、この星は初めて。ディアスポラ……聞いたことない名前の星。
そうだ。ここが未知の惑星なら……貴方はオレヴという名前の男の子を聞いたことが——。
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