ep6 『単存在の怪人』

 神秘に包まれた夜の森に、鉄みたいな冷たさが張り詰める。


「……回りくどいよね。この村に入っておいて誰も傷つけてないってことは、僕を知っている人になる」


 優しく語り掛けるような、しかし相手を誘っているような声が光の飛び交う森に反射する。


「いったい、誰と話しているの?」


 誰に話しかけているのかわからなくて、フィリアに訊くと、彼は一つの木の幹を指さした。


「父さんの、いや、しきの端末だよ」


 同時に木の陰から一人、歩み出てくるものがある。


「女……の子?」


 侵入者は、人の形をしていた。

 白金と青の長い髪を二つに結った、私と同じくらいの背をした少女だ。

 黒を基調として星の軌道を映したような模様をちりばめたローブはどこか、この世界のものと微妙に違った雰囲気を纏わせていて、綺麗だが無機質な印象を与える。

 しかし、その緑色の瞳は虚ろで生気を感じさせない。


「うん。でも、意思の疎通は測れないしもう敵対してしまっている。彼女は怪人だ。怪人にされて、意識も操られて……」


 フィリアの言葉通り、彼女は遭遇した私たちに敵対以外の一切を断っているようだ。

 視線を交わすやいなや、こちらをまじまじと見定めるように出方を伺い始めている。


「まだ、そんなことをしてるのか……あんたは」


 フィリアが小さくつぶやく。

 怨嗟の声は、目の前の少女に向けたものではない。

 彼女の意識を操っているという彼の父、識に向かってのものだ。


「あれ……?」


 彼女の行動に、敵意の無い敵対意思に警戒しつつ、私はもう一つの疑問を投げかける。


「怪、人……怪物とは違うの?」


 怪人。


 本の話を思い出す。ゴルゴーンになってしまったメデューサのことをフィリアは怪物になってしまったと言っていた。人と生きる道を諦めたことで、誰にも理解されなくなってしまったものと。

 でも、彼女も人の形をしていたはずだ。なのに、怪人と呼ばなかったのはどうしてだろう。


「今の彼女は、生き物の構造として人とは分かり合えない」


 フィリアは、彼女を観察しながら口を開いた。


「怪物は、元は正常だった者が何かをきっかけに人に理解されなくなってしまった、それか、理解されなくてもいいと自分を決めてしまった存在のことを言うんだよ。でも、怪人は人の形をしているのに、最初から在り方の本質とか生物としての構造とかが根本から人と相容れないものなんだ」

「最初から、人の敵対者ということ……」


 頷いて肯定する。


「彼女は、僕の父さんによって体の構造を変えられて、怪人に生まれ変わってしまっている。だからさっきから彼女、しゃべらないでしょ? 多分、機能そのものが奪われてるんだよ」

「……確かに」


 少女には瞳も、口もある。だというのに、彼女は機械的に視線を動かすばかりで、それ以外の行為を決してとらない。


 無機質な容貌と相まって、まるでからくり仕掛けのお人形みたい──。


 更にひとつ、私の中で不思議が生まれた。


「なんで彼女が怪人だって分かったの?」


 彼は少女と視線を交わしただけなのに、姿を見ただけで怪人だと言い切った。

 他に候補は沢山あるはず。それなのに、まるで相手を見破る能力があるみたいに少女が何者であるか言い当てた。

 それが正しいのかは私には分からないけれど、多分間違っていない。


 ううん、彼女だけじゃない。


 あの時、私の正体だってすぐに勘づいて……


「ああ、それはね──」


 言葉が、鉄を打つような鈍い音にさえぎられた。


 少女がフィリアに音もなく跳躍し、その細腕で殴りつけていたのだ。


 フィリアの話が終わるまで、少女は待てなかったのだろう。

 否、隙を伺っていたというのが正しいだろうか。


 少女の細い脚のどこにそんな脚力があるのだろう。一撃は音速を超えていた。


 それだけでは無い。


 フィリアを襲った腕は、少女のソレから変質して前腕部から不自然に巨大化し、金属の戦鎚の形を取っていた。


 怪人、その言葉が良く似合う。少女の貌に、異様な身体。


 顔面を狙った、疾く重い、雷鳴さえ纏った必殺の一撃。


 直撃したフィリアの身体は、一瞬で砕け散る──。


「……痛いよ」

「……」


 諌めるような、一言。


 フィリアはその一撃を腕で受け止めていたのだ。

 一切の後退もなく、ただ少女の小さな掌を受け止めるように、軽く顔を腕で覆うだけで。


 両者の視線が、至近距離で交錯する。


 恐らく、彼女にとって殺傷率の高い技のひとつだったのだろう。

 意識の操られた少女の表情がどこか動揺の色が浮かんだように、私は錯覚する。


 多分、二人はその時、力の差を一瞬で理解した。


「……本当に、これじゃただの嫌がらせだ」


 けれど私はその事実よりもっと別のことに、気を取られていた。


「フィリア……腕が光って……」


 受け止めるフィリアの腕も、ただの人の腕ではなかったのだ。


「なんで僕が人の正体をわかるか、だったね……?」


 もう一度、今度は右の脚を刃状に変形させ、蹴り上げ、切り上げる。

 だがその刃はフィリアの身体に届く前に、白く光った何本もの糸のようなものに絡め取られ、縛り付けられていた。


 少女が鬱陶しそうに身動ぎしても、全く動かず、千切れず。

 不自然な姿勢で停止させられる。


「……」


 その糸は、フィリアの腕から伸びていた。


「僕は誰かと繋がる力を持つ単存在だ」


「誰かと、繋がる……」


 多分、今までフィリアは隠していたのだろう。

 フィリアの両前腕に白い蛇のような模様が巻きついて、腕輪を形作り、光を放っていた。


 そしてその腕輪から糸が数本伸びて、少女の身体を縛る──フィリアと繋いでいる。


「この糸は僕の単存在としての力のひとつ。僕が智りたいと思った相手に伸びていって、感覚的に読み取れる」


 単存在としての力、他人を必要としないはずの者の能力が、他人と繋がるための能力。

 矛盾した能力だと思ったけれど、彼がそもそも誰かと関わっている時点で、単存在として矛盾しているのかと思い至った。


「『形相エイドスの腕』とか、先生が命名してたっけ……おっと」


 少女がさらに全身を流体のように液状化させると、たちまち彼女を縛る形相の腕から滑り落ちて離れてしまう。


「それ以外はくっ付いたらどちらかの拒否が無い限り、離さないで掴んでいられるくらいのものかな」


 液状化されて離れてしまったのは、彼女に拒否されたからだろう。

 少女は液体のまま、地面を滑るように移動して最大限距離を取った。


「悪い癖だ。こんな時にもひとつひとつ解説したくなるの、先生からうつった癖」


 ぶつぶつと言い訳を零しているうちに、更に少女に時間を与えてしまう。

 接近戦が有効でないならと、少女が今度はローブの中に腕を仕舞った。

 

 空洞のようになった袖口でこちらを捉えている。


BANGばん


 機能を奪われたはずの唇が震えて、小さく二音の単語を唱える。

 本来なら、少女が奏でる極上の声だったんだろう。


 同時に袖口が眩く輝いたかと思うと、宇宙の色を封じ込めた、群青の球体が放たれた。


 装填から発射までは、刹那の間だった。


 短いアクションで放たれた球体は地面の土を大きく削り取りながら進む。


 多分、彼女の本領は遠距離こっちだ。


 速度はあまり速くないけれど、だんどん加速している?


 でも、この程度なら回避は容易い。


 だがフィリアは、回避──ではなく、迎撃の姿勢を取って短く、唱える。



【証明】



 糸ほどの細さだった形相の腕が、その言葉通り腕のような大きさとなって、球体を覆い始めた。


 何本も伸びて、何重にも重なる。


 根元で枝分かれした腕が四本、球体を包み込んで押し潰し、球体を消滅させた。


「危なっ……避けてたらこれ、森が崩壊してた……」


 超音速の一撃を軽く受け止めたフィリアをして、危ないと言わしめる。


 現在の私の基準で言うなら、大魔術レベルの弾丸を彼女は軽く解き放っていた。


「遠距離と近距離の差が大きい。驚いたよ……」


 だが、彼女の攻撃はそれだけに留まらない。


BANGばんBANGばんBANGばん……』


 防がれたのを確認すると同時に更に三発、六発、十二発、二十四発。


 ローブの中からピラミッド型の小さな浮遊する砲台が二十二機、至る所から飛び出して、両腕と併せて二十四の砲門から先程と同威力の弾幕を解き放ってきた──!


「これは、まずいかも。……ごめん!」

「え? ……ひゃっ!」


 謝罪の言葉が聞こえたと思うとぶわっとした浮遊感に襲われて、途端に地面が遠くなる。

 これ以上、地面で撃たれてはかなわないと、私を抱き抱えて空に跳躍したためだ。


「力を使うよ、カトレア」


 一瞬、カトレアの輪郭が、見えた気がする。


 フィリアが、蝶型の羽根を広げて重力に抗った。

 カトレアの魔術のひとつ。

 マナを薄い膜と上昇気流に変化させ、空を飛ぶための羽とする魔術だ。


 どうして、それをフィリアが使えるのだとか、そんな冷静なことは考えられなくなって、ただ、目の前で起こっている事に驚きを隠せない。


「飛んで……る……」


 けれどフィリアもあまり余裕は無いようで、私に一度目をやった後にすぐに少女へ向き直る。

 跳躍する前に放たれた球体弾幕が私たち目掛けて方向を変え、さらに加速していたからだ。


「やっぱり、追尾系の加速強化型……!」


 加速し追尾する砲弾は、逃げてもいつかは追いつかれる。威力が上がるとなっては、その場で迎撃しないとまずいことになる。


 だから既に、フィリアは対抗する準備をしていた。


 彼の形相の腕が、薄紅梅に変色した。


『かがみくらげ』


 また、カトレアの輪郭が隣に立つのを幻視する。


 弾幕に対処すべく、再びフィリアが彼女の魔術を行使したのだ。今度は詠唱を伴う魔術。


 迫り来る砲弾目掛けて、背後から妖しく揺らめく万色の海月たちが飛んでいく。


 カトレアが魔術の講座で見せてくれた綺麗な魔術。

 ひとつひとつは加速し巨大化する球体より遥かに小さい。

 だが、この数百にも至る物量となっては、もはや嵐と見紛うほどに暴力的な風景を作り上げていた。


 カトレアお手製の魔術は、一発が大魔術と同等の威力の二十四発の砲弾とある程度拮抗した後、次第に圧倒的な物量で食らいつくす。

 

 やがて海月たちは、役目を終えると攻撃に転じることなく、光の粒状となって霧散していった。


 攻撃の全てを無力化し、再び少女とフィリアが睨み合う。


 しかしその沈黙は一瞬のことで、すぐさま球体の掃射が再開された。


 二回目の砲撃は、二倍の、更に倍の倍。

 百九十二発の、もはや宇宙色の壁となって襲い来る弾幕の雨。


 その威力は、もはや想定不可能。


 おもむろにフィリアが「最悪だ」なんて珍しく愚痴をこぼした。


「最悪だ。識はきっと、僕に罪悪感を植え付けるためだけにこの子を選んだんだ」


 その後に「本気で嫌がらせをしたければ、普段は本人の意思で生活できるくらいに留めるとかやるか……」と静かな怒りを露わにする。


 同時に少女に向けた、悔しさと決意の感情も込めて。


 その瞳はまっすぐ少女を捉えていた。

 少しの、躊躇いの気配。


「ひとつ、決めた」

「……?」

「彼女は、早くこの世界から解放してあげよう」


 そういえば、フィリアは少女の攻撃を捌くばかりで、反撃を一度もしていなかった。


 迷っていたんだ。彼女を殺すか、否か。


 けれどもう決心が着いたようで、ひとつ、どこからともなく薄紅梅の蝶の形をした模型を取り出した。


「この子を止める力……大魔術以上で、彼女の身体を壊さないくらいの威力……」


 ふわりと、音もなく蝶は飛び立った。

 飛び立った蝶は、武器であることを思わせないほど自由に、優雅に宙を舞っている。


 ふと、破壊の雨に交じって、氷のように冷たい声が響いた。


女王の月レギナ・サテレス


 そしてみたび、カトレアの輪郭が夜に輝く。

 その場に居ないはずの、最古の魔術師が隣に佇んでいた。


 儚く、そして確実に。


「先生を、呼んだ」

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