ep5 『世界を智って』

 図書館を後にし、屋敷を一通り案内してもらった後、フィリアが残していた仕事を終わらせるため、私たちは夜も深まりつつあるなか屋敷の外に出て森の中を進んでいた。


 森へ向かう途中、村にいくつかある家々に私の紹介がてら挨拶をして回ったが、フィリアはこの村をまとめる立場にあることが住民の言葉から知らされた。

 同時にフィリアが立場を重視しない性分であるために、人々もかしこまった態度ではなく、気さくな態度で彼と言葉を交わしていた。

 余所者である私に対しても、フィリアが何か新しいモノを招くときは事情があるものと、皆理解を示してくれた。


「みんな、優しいわ」

「うん、この村の人は普段から奇妙な出来事に触れているからね。普通の村より余所者とかには寛容なんだ。勝手に入ってくる人には土地の性質上、普通以上に厳しいけど」


 時間を食いすぎてしまったため、やや急ぎ足で森の奥を目指す。

 道の舗装や木々の伐採もまったく行われていない夜の森は、光が全然なくて真っ暗なものと思っていたけれど、神秘の村と言われている通り、辺りはむしろ昼間のように明るくて、ぽつぽつと様々な色をした蛍の光のような粒が飛び交っている。

 

 最後に訪れた家の老婆には、こんな遅くから女の子を連れて村の奥へ行くのかいと叱られていた。

 老婆によると、夜の森は人の手に余るものが活動を始める時間で、綺麗だけどいっそう危険になるらしい。


 人の手に余るくらい凄まじいものなら、臆病な小動物が活動する時間じゃなくて、昼の間に活動するのではないかと尋ねたら、人の手に余るからこそ殆どが生息地ごと狩り尽くされてしまって、人目に付かないよう、しだいに夜に紛れて生きていくようになったと教えられた。


「僕の村はさっきも言ったように、神秘の村と言われていてね、人と人知を外れたものの住む世界との境界になっている」


 ほら、あそことフィリアが指さす先には、一本角を生やした白い馬がいて、私たちに気づくと特に驚いた様子もなく静かにその場を離れていく。


「あれはモノケロスという幻獣の一種で、人前に出ることなんて百年に一度あるかどうかの珍しい生き物。この村の森にはそんな存在が至る所に住んでいるんだ」

「珍しい、生き物……」


 目を凝らして、木々の合間を注視する。


「……!」

「おお、たくさんいるね」


 そこには、薄く輝く湖があって、先ほどのモノケロスが群れを成して水を飲んでおり、他にも山羊の下半身を持つ女性や羽を生やした小さな小びと、額に宝石を付けたリスといった不思議な生き物であふれていた。

 私には都市にもいる動物や人々の別種であるように見えて、その根本的な違いの判別がつかなかったけれど、もうそのどれもが色んな事情で数を減らしてしまった魔素で身体を形成する生き物であるそうだ。

 こちらに気づいた山羊脚の女性にフィリアが軽く手を振ると、彼の知り合いであったらしく、微笑みを返してくれる。サテュロスという種族のアルシノエというらしい。


「彼らの持つ神秘の身体やその力は、御婆さんが言っていた通り、人の手に余るもの。だからこそそれを求める人はどこにでもいてね。村の住民以外が無闇に入れないようにするために、人払いをしなきゃいけない」


 フィリアの性格上、むしろ人と神秘が交流し合うのは良い事だと言いそうだったけれど、彼に訊くとそうでも無いよ、と否定された。


 そういった理由で解放されていた神秘を秘めた土地は確かに存在していたが、人間たちに開発されて、悉くが土地の力による環境リセットで修復不可能なレベルにまで破壊されてしまったそうだ。

 だから、仕方なしにフィリアは彼らを守るため、余所者が彼らと関われないようにしているのだという。


 暫く、この村に住み着いている神秘の生き物たちについての解説を聞きながら道を進んでいくと、ひと際大きな木の前があって、そこでフィリアが足を止めた。


「お、着いた」


 木の下には、手のひらと同じくらいの大きさをした黄色い石が一つ、ゆっくりと光の明滅を繰り返しながら地面に根のようなものを張っている。


 フィリアがそれを手に取ると、光と根は一瞬で霧散し、ただの石に戻ってしまった。

 そして石があった場所に、小包から取り出した新しい石を置いて、


「よし、じゃあ帰ろう」


 と踵を返し始めた。


「……おわり?」


 一瞬で終わってしまって、面喰らってしまう。

 必要なことだとか、やるべきことだとか言っていた割に終わるのが早すぎるし、少々地味ではないだろうか。


「うん、この石を置けばいいだけ。だからこんな遅くになっても問題ないんだよ」

「そ、そうなの……?」


 どんな光景を想像していたわけでもないけれど、期待していたものとちょっと違っていて、がっかりさせられる。

 とはいえ、彼がそう言うなら私もここにとどまる理由はないと彼の後を付いていって、その場所を後にした。


 私はこれがどれだけ大事な儀式であったか、後になってわからされた。



 ***



 帰り道は、彼が昔のころの話を語って聞かせてくれた。



「僕は母を人に殺されていてね。でも、僕は人に救われてもいるんだ」

「……」


 突然、そんな一言から始まる昔話を。


 そんなことを唐突に告げられたら、驚きを隠せなくなって黙ってしまう。


 普通なら。


 けれど、当時の私はまた別の理由で沈黙を選んでしまった。


「……母?」

「あ……そこからだよね、ごめん」


 私は母というものが分からなくて、彼の話の出鼻をくじいてしまっていた。


 そこから、簡単にフィリアの説明を受けて、ようやく理解すると、話の深刻さが伝わってきた。


「お母さん、大事な人を……」

「うん、もう九万年も前の話になる。しかも父親に殺されたんだ」


 なんだか昔を懐かしむような、けれど少しの憎しみの籠った声音。

 会ってから経つ時間は長くないが、どこか浮世離れした雰囲気をフィリアにも、誰かが憎いとか、そういう感情があるんだと驚きを覚える。


 けれど、少し考えれば当然か。

 私だって、フィリアを殺されてしまったらどうなるか分からない。


 ……あれ?


 どういうことだろう。

 私は、彼とあって一日も過ぎていない。

 だというのに、なんでそんな彼に肩入れしてるんだろう。


 なんだか頭がこんがらがってくる。

 多分、このことは考えない方がいい。


 落ち着いて冷静さを取り戻し、フィリアの話へ思考を戻す。


「父親にって、どういうこと?」


 父親に殺される、とはどういうことだろう。母親について説明された時に同時に教えられたが、あの時の説明であれば、父親と母親は愛し合うもののはずで、それと真逆なことを行うというのは理解できない。


「あの人は、意味の分からない人だ」


 フィリアは先程よりさらに憎しみを孕んだ声で、しかしそれを抑えるように、話を続ける。


「彼は母さんを殺して、その死体を僕に見せつけてきた。ばらばらに刻んで、袋に入った母さんを、もう要らないって押し付けて、あとはさっぱり家から居なくなった」


 多分、思い出したくないのだろう。

 それでも、父親に対して彼なんて他人行儀で呼んでまで、私に伝えてくれるのは、この話に意味があるからだ。


「でも、今となってはその母さんに逢おうととたくさんの研究を詰んでるんだよ。多くのものを犠牲にして、消費して……」


 それまで言うと、彼は黙ってしまう。

 表情はよく見えない。けれど、後悔の感情がよく伝わってきて、私も同じく何も言えなくなっていた。


 夜の森に沈黙が流れると、今ここが私達以外誰もいないんだと実感させられる。


 しかし、それを打ち破るようにフィリアが話の続きを教えてくれた。


「……話が逸れたね。そうして身近な人によって僕が一人になってしまったあと、とても大変だった。今でこそ僕はこの村に馴染んでいるけれど、昔は普通の村のひとつでしか無かったから、そこにいる人もみんなまともで、僕なんか身体の大きい邪魔な孤児だったから、それは邪険にされたよ」

「まとも……?」


 フィリアは、自分を除け者にした人をまともと言った。

 私はそれが信じ難くて、再び理解を拒みそうになる。


 あんまりだ。母を父親に殺されて一人になった彼を、邪魔者扱いするなんて。

 それがまともって意味がわからない。

 まるで、本の中でメデューサの噂を信じて恐怖した人みたい──。


 そこまで考えたところで、はっとさせられる。


「あ……」

「あのころの僕は、人への頼り方が分からなかったんだ」


 私の至った考えをくみ取って、フィリアが応じる。

 幼い頃の彼は、他人に理解してもらう方法を持ち合わせていなかった。

 だから、普通の人が歩み寄ろうとなんてしてくれないのは、彼の理論からすれば当然のことだ。


「人の世界は、やっぱり……」


 外れてしまったら、居場所がない。


「けどね、僕が言いたいのはそこじゃないんだ」


 結論を急ごうとした私の言葉を、フィリアは遮る。

 話には、まだ続きがあるらしい。


「僕に居場所を与えてくれたのも、一人の人間だったんだよ。魔族でもあったけど」

「……」


 誰のことを言ってるのかは、大体察しが着いた。


「カトレア」

「そう、先生だ」


 確か、幼い頃の彼はカトレアに引き取られて、彼女の経営する書店兼喫茶店で育ったという話を聞いた。


「カトレアは、一人になった僕に居場所を与えてくれて、人生の先生になってくれて、僕が人に理解される道を歩めるようにしてくれた」


 都市の生活の中で、色々な人にまみれて精神を成熟させたフィリアは、人々を智るために旅に出て、最後に今の屋敷に戻ってきたのだという。


「先生が、カトレアが居なかったら、僕は君と出会う事は無くて、きっと、屋敷で誰に殺されることもなく、一人でいた」


 先生が聞いたら、勝手に育っただけでしょうなんて言いそうだけど、と笑いながら付け足したけど、その心には感謝の気持ちでいっぱいなのが分かる。


 そこまで言われて、私は彼が何を言いたいのかに気付いた。


 きっとそれは、彼がカトレアからしてもらったことで、これから彼が私にしようとしてくれていることなのだろう。


「だから、僕もこれから君に伝えていこうと思う……」


 彼は、私を人に理解される道へ導こうとしてくれているんだ。


「はっきりいって、僕らはどれだけいこうと、紛い物だ。親なんか殺されなくても、人の世の中で、人以外が否定された世界で、残された人でなしだからね」


 人でなし。はっきり彼は言いきった。


「だから、僕らは良いようにされない。いつか、君だって否定される日が来るかもしれない」


 未来に訪れる悲劇を予感させる言葉は、彼の不安そのものだろう。


 けれど。


「けれど、救ってくれる人だっている。共に生きてくれる人がいる。そんな人達に会えないで諦めるなんていやだろう!?」


 たったそれだけの理由で、それまでの全てを受け入れられると、彼は言ったのだ。


「僕は母も父も失って、けれど先生に出会った。村の人に除け者にされたけど、素晴らしい人達に出会ってきた。ひじりに、ひかるに、たくさんの人に。そして僕は、単存在だから絶対出来ないと思っていたのに……」


 最後に言葉が詰まって、やっぱりなんでもないと言って咳払いする。


「だから、智富世にもこれからの人生、何があろうと世界を智るのを諦めて欲しくないんだよ。怪物に、なっちゃうからね」



「……分かった」



 諦めも何も、私はその日、人生一日目か二日目。

 まだ何も知らないんだから、諦めとかない。


 わざと、理解を半分くらいにして、私は頷いた。


 ──だってそれは、これから私が智っていくこと。

 あなたが言っていることは、何一つ実感がないの。


 そう伝えると、彼は満足そうに笑ってみせた。


 それもそうだね。君はまだ無垢の子なんだから、と。



 そして同時に、こうも呟いた。


「なら、これからやることを、どうか勘違いして真似しないでほしい」

「……?」


 とくり。


 フィリアが世界の空気を張りつめさせた。


 驚いて、彼の方を向くと、彼の顔はいつにも増して真剣な表情をしている。

 森の木々の奥、湖の方を睨みつけて。


「そこに隠れているよね? 侵略者……いや、偵察者かな、この場合」


 ——————



 補足


 モノケロスは、ギリシャ語でユニコーンのことを指します。

 フィリアの屋敷は地球で言うところのギリシャ辺りに位置するので、固有名詞くらいはそちらに寄せています。

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