ep4 『書物の園』
私が名前を貰ったあと、二人といくつかお話をして、気づけば日が傾く時間になっていた。
「それじゃあ、そろそろ僕の村に向かおう」
「では、此方に」
村と都市の距離はとても離れていて、歩くと気が遠くなるような長旅をすることになる。
私としては旅をしても良いと思ったけれど、フィリアは自分の村にやるべきことを残して都市に滞在していたらしく、その期限がちょうど私と出会った日までであったので、会話の途中でカトレアに指摘され、早く帰りなさいと喫茶店の裏口まで案内された。
「とびら、ひかって……」
「ええ。ここから直接、屋敷に迎えます」
裏口の扉は、フィリアの屋敷の書斎と魔術で直接繋がる魔道具化されているらしく、カトレアはそこから月に一度、喫茶店の上にある書店の本を在庫保管、もとい貸し出している。
場所と場所を繋ぐ魔術はとても高度なものらしいけれど、何万年も生きているならできて当然だそうだ。
「では、また来週あたりにお邪魔します。要らない本があれば返していただいて結構です。チトセさんも、欲しい本があれば言ってくださいね」
「うん、ありがとう。また今度、先生」
「また、こんど……」
フィリアを真似て軽くお辞儀し、光に包まれた扉を潜る。
少し身体が浮いた感覚がして、気がつくと別の景色が広がっていた。
「ようこそ、僕の屋敷へ。まあここは図書室だけど」
視界いっぱいにうつるのは、一面だけくり抜かれた木製の箱と、沢山の紙の束。
喫茶店に入る前に書店でも見た、本とそれを収める本棚という物。
「わ……」
声が、漏れる。
そこは、本の迷宮と呼ぶに相応しかった。
王族が住む豪邸の大広間と同じくらいの一室に、ずらりと本棚が並んで、それが見上げなければ拝むことも出来ないほどの高さの天井まで伸びている。
本棚を照らす灯りは最小限の数に留めてあるのに、何故だか昼間のように明るかった。
「広いよね。カトレアが沢山本を置いてくついでに、どんどん空間をゆがめて広くしてるから、気づけば普通の部屋がこんなに凄くなっちゃった」
最近やっと全ての蔵書を私も読み終えたが、それまでに十年もかかる程の歳月を要した、とても一つの部屋とは思えないほどの規模を持つ大図書館だ。
それもそのはず、実はこの図書館には十万年前からカトレアが蒐集してきた書物を網羅する大図書館になっている。
カトレアが随時精査、処分も行っているが、同時に補充もされる為にその規模は広がる一方であり現在では半ば異空間と化している。
「多分、カトレアがいなくなってしまったら屋敷が本で埋め尽くされるよ」
少し怖いことを口にするフィリアの話を聞きながら、手近な本棚から一冊手に取って開いてみる。
当時の私は文字が読めなかったので分からなかったが『ペルセウスとメデューサ』という子供向けの絵本だった。
「ん、その本が気になるの?」
手に取った本の挿絵を眺めているとちょうどいい、とフィリアが近くの机と椅子のある場所まで案内されて、座るよう促される。
「ここの村には娯楽が少なくて、本を読むくらいしか暇を潰すことが無い。でも、意外に楽しいものだよ。知識を付けるのは人と関わる上で必要な事だしね」
フィリアも椅子を部屋の奥から持ってきて、隣に座る。
「まだ他の部屋の案内もすんでないけど、一冊読んでから行こうか」
そう言うと、フィリアが本の一頁目をそっと開いて、文字の読めない私の代わりに物語を詠み始めてくれた。
優しい語り口は、まるで夢の世界に誘う妖精のようだった。
「むかしむかし……」
物語に出てくる英雄や怪物は、フィリアが心を込めて演技をしてくれたのもあるけれど、空想のお話のはずなのにまるで生きているかのように思えて、私は知らない家の一室でお話を読んでいる一人に過ぎないのに、神々の世界で歴史を目の当たりにしたように感じられた。
あまり長くはない一冊であったが、私はたっぷりと満足感に満たされて、少しの間余韻に浸ってぼうっとしてしまう。
もう一度、今度は自分で読めるようになっていた文字で物語を読み直すと、天窓から月明かりが照らし始める時間になっていた。
頭の中で内容が整理できると共に、ひとつの疑問が湧いてくる。
「ねえ、このメデューサと言う人はどうしてこんな運命を辿って殺されてしまったの?」
そう、題名にも乗っている登場人物の一人であり、ペルセウスに打ち倒される女神、メデューサは、あまりにも残酷な運命を辿ることになるのだ。
きっと誰もが知っている物語だから、仔細は省略する。
メデューサはただのひとつも罪を犯していないはずなのに、偉い女神の独断によって女怪へと変貌させられて、その在り方から人殺しをせざるをえなくなった。その眼を認識されただけで、人の息の根を停めてしまうというゴルゴーンに。
だから、
だというのに人々は彼女を殺そうとして、果てに変貌の呪いを押し付けた女神の策略によって、英雄に殺される。
そしてその死体は、武器として使われることになるという最期を迎える、そんな物語。
確かに、彼女は怪物となって人を殺したけれど、それは理不尽によるところが大きいはず。
それなのに、絵本の中では彼女が悪であるというように描写されていた。
どうしてそんな正義がまかり通るのだろう。
気になったのでフィリアに聞いてみると、これは僕の解釈も混ざってしまってるけど、と一言前置きしてから聞かせてくれた。
「女神メデューサは、自分の存在の罪を肯定して、諦めて人の世から離れてしまったんだ」
語る口は、まるでフィリアがメデューサを代弁して懺悔しているように、妙な説得力を持っていた。
「彼女はたしかに、理不尽な運命に巻き込まれて、ゴルゴーンになった。けれど、そこで逃げて、人から理解される機会を手放したのは彼女自身。そうしたらもう、残るのは恐ろしい噂だけ。寄り付くのは、自分を討とうとする英雄のなり損ないだけだ」
どうして、放っておいてくれないのだろう。
人間に対して、きちんと理解しているわけではなかった私は、そんな酷い人達が、相手を知らないのに噂程度で人を殺しに来る人が、本当にいるわけがないなんて思ってしまう。
でも、実際のところそれは、私がフィリアとカトレアしか知らなかったからだ。
人からすれば、そんな人でないものは、ただ居るだけで恐怖を煽られる心の平和を出だすもの。早くいなくなってほしいに決まっている。
「そうして、最初に訪れた侵略者を自ら殺した時に、彼女は怪物になってしまったんだと思うよ」
英雄に救われるべき少女から、英雄に討たれるべき怪物に。
そう言うフィリアには何か思い当たる節があるようで、とてもつらそうな顔をしていた。
「でも、彼女は生きたかっただけでしょう? そのままでいたら、もっと早く殺されてしまったかもしれない。だから、逃げて、襲ってくる人だけ払っていたのに……」
私が、未熟ゆえに沸いた疑問に、フィリアもうんうんと至極当然のようにうなずいてくれる。
けれど、その後に続いた言葉は、とてもひどいことで、でもきっと、フィリアが世界を智ってほしいと言った要因の一つでもあったんだろう。
「智富世はこの世界に来たばかりだからわからなくて当然だし、勘違いさせそうだからあまり言いたくないんだけどね」
少しの逡巡の後、
「生きるのは、他人に分かってもらうことでしか成り立たないんだ」
きっぱりと、フィリアが言い放った。
「どれだけその時まで人に優しくしていても、どれだけポセイドンが悪くても、どれだけアテナが理不尽でも、自分で諦めて、怪物になることを選んだのは彼女だ。自分から理解される機会を手放したらもう、他人に伝わるわけがない」
どんな運命であろうと、そうなってしまった以上抗うしかなくて、分かり合う方法を探すしかないのだと、逃げたり殺し尽くすなんていう、自分が楽な方法を取れば破滅しかまっていないのだと、そういうことらしい。
なんて、不平等で不健全。
そう思う私の心を察していたんだろう。
フィリアは少し後ろめたそうな顔をして、口から零れてしまったように呟いた。
「だから僕もあんまり、そういうのは好きじゃないんだけどね。なんだか自分の為に人と関わることを肯定してるみたいで」
「でも、仕方のないこと?」
「仕方ないこと、かも」
この本は、今ではもうずいぶん古くなってしまった。
けれど、私は最初に読んだ一つの世界として、ずっと自室にしまっている。
***
必要なあとがき、補足
メデューサとペルセウスですが、元のギリシャ神話の内容より改変しています。
ポリュデクテスがダナエからペルセウスを遠ざける為の理由として命じたらなんか神に加護貰って倒せちゃったみたいなのでは無いです。
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