ep2 『しらない世界』

「ん、このキャロットケーキの甘さ、しつこくなくて丁度いい。また割合を変えたの?」

「ええ、恐らく。私はもう、カフェに関することは任せきりなので分かりませんが……って、そういう話をしに来たのではありません」

 

 私が世界に来て、時計の短針が二つほど進んだころ。

 保護名目で私を確保した二人は私を連れて、博物館付近の書店の地下にある小さな喫茶店に足を運んでいた。

 今でもたまに立寄っている、カトレアが経営する『ティーアンドテイル』という名前のお店。

 店内の敷地自体はあまり広くはないものの客足は多く、常に落ち着いた雰囲気の中に談笑や噂話の賑わいがある。


「……ん、んー……これ?」

「え? ああ。私が持っているもの、これは紅茶と呼ぶものです」

 

 フィリアとカトレアも他の客と同じように保護した私の対応についての議論を交わしていたけれど、その間も絶えず私は子供のように目に映る全てにあれは何だろう、これは何だろうと目線と表情で質問攻めにして、二人を困らせていた。

 

 それは博物館から出てからすぐに始まったことで、まず建物を出てすぐに目に飛び込んだ天上の青い壁と中心に鎮座する白い眩しい円が、晴天時の空と太陽であることを教えられた。

 続いて驚いたのが、色の付いた動くものが多いこと。これが喫茶店へ向かうことになった原因だ。


 道を行きかう人々や見たこともない生物がごった返す情報量の多さに目を回した私は、二人の制止も無視してふらふらと人ごみに飛び込んでは好奇心に従って、様々な動くものを観察し始めていた。

 種類が過剰だったのではない。私が興味を抱いたのは風に揺れる草花や、空を飛ぶ鳥に蝶を始めとするごく一般的なものだ。

 異常だったのは、同じものを聞く回数である。街の人々の一人一人や、花のひとつひとつ。蝶の模様のひとつずつに小さな差を見つけては、二人に聞いていく。


 見かねたカトレアに「歩いていては貴女が次々興味をもつので話が始まりませんね」と呆れられ、休憩がてら一旦落ち着くことにしたのである。

 

 結局、店の中でも私の興味はテーブルに、茶菓子に、制服にといった様子だったためにカトレアは諦めたように溜息をついていたけれど。


 しかし、そのかいあってか二人の説明を聞いてるうちに、いつの間にか私は相手が言おうとしていることが、つまり「言語」が理解できるようになっていた。


「この子が普通でないことは分かります。本当に世界の万物を知らないようですし。ですが、貴方の同類と決めるのは些か早計すぎではないですか? ましてや、事件の犯人だなんて」

「でも、僕が心の線を乱される相手って考えると、候補はそれくらいしかないと思うんだよねえ……」

「確かに、貴方の能力を乱せる相手といえば、貴方と同等の単存在か、天魔に属する者か、現像の種、そしてこの私くらいのものですか」

「結構、多くない?」


 そうはいっても、二人の会話は難解でよくわからなかったので、私はアフタヌーンティーを堪能する二人の様子をただひたすらに眺めていた。

 

「ああ、そういえば、幼いころの貴方も言語を複数、瞬く間に習得していましたね」

「うん、僕も同じだった。……経験則だけじゃ、カトレアを納得させる理由としては弱いかもしれないけれど」

「いえ、別に経験則がよくないと言っているわけではありません。ただ、私はアイディルの言っていた存在であると判断するには早いのではないかと言っているだけで」


 三角形のオレンジ色の物体や、黄色の液体を口に運びながら、言葉を交わす。

 二人の所作は、当時の私にとってとても奇妙な行為はずであるのに非常に様になっていて、アフタヌーンティーセットの紅茶やケーキはそれほど高価ではないはずなのに、どこか優雅さを感じられるほどだった。

 特に、紅茶に舌鼓を打つカトレアの動作は、音も立てない非常に品のある整った仕草で、高貴な血筋の令嬢を彷彿とさせる。


「……わたし、も」

 

 その様子を眺めているうちに、私も真似したくなって、飲食という行為はまだ理解していなかったが彼女の動きを模倣。

 私の分のミルクティーが用意されていたので、ソーサーの上に置かれたカップを中指、人差し指、親指で持って口に運び、自らの中に液体を流し込む。


「……!」


 広がったのは、匂いと味。

 アッサム種の甘い匂いと深みのある味が、ミルクや溶けた砂糖にマッチして、芳醇でまろやかな味わいとなっている。

 

 予想していなかった新たな感覚。また新しい感覚を知った私は、再び新しい世界に来てしまったかのような感覚に襲われた。


 「見る」とも「聞く」とも違う、ダイレクトに情報が身体の中に広がって……。


「……ん、え、……あつ、あ……あま、い?」

 

 フィリアが話していた単語の中からそれらしいものを探して、言葉として発する。

 多分、とっても拙い感じになっていたと思うけど、それは思い出したくない。


 二人は議論しながらも私の行動を見ていたようで「わ、もう言葉を話すんだ。すごいね」と満足げ。

 横目に見ていたカトレアも「私の動きの完璧なトレース……アイディルのよう」となにやら理解したように口元に指をあてていた。


 私の行動を一通り観察し終えたカトレアは折れたように、

 

「……ひとまず、状況証拠から仮定しておきましょう」


 少しだけ不服そうに、フィリアの説を認めた。

 

「私は、貴方たちのような存在の当事者ではありませんし、古い人間ですので少し時間が欲しくなるのです」

「百年くらいしか違わないんだから、カトレアが老人ぶる必要はないと思うよ」

「む。百年も、です。普通の人の感覚を忘れないように」


 老人ぶらなくてもいいというのは善意の言葉なので許しましょうと付け加える顔は無表情なのに、どこか嬉しそうだった。


「さて、ひとまず正体の話は置いておいて、この子をどうするかですね。貴方の言葉通りであるのなら、このまま他人に任せるのは危険ですし、身寄りもないでしょう」


 私がラズベリージャムのスコーンを口につけるのと同じくらいのタイミングで、カトレアがこれからのことについて、話題を切りかえる。

 たしかこの時の私は、話の内容を理解していて、新しいものを知りたいからこの街にいたいけど、危険なのは面倒だなんて考えていたはずだ。


「どうしますか、遺失会への報告はひとまず誤魔化しておきます。きっと彼らは、この子を欲しがりますから」


 カトレアの言葉は、フィリアの意思を尊重するといったふうで、彼自身が結論を出すのを求めている。

 あくまで彼女は彼の決めた答えに従って、その手伝い程度に留めるつもりでいるらしかった。

 

「うん、僕はそういう政治とかそういうのは苦手だから、あなたにお願いするよ。でも……」

「貴方の時のように、私がここに住まわせてもかまいませんが、忙しいのであまり面倒は……」

「でも、それはもう決めたよ、先生」


 フィリアもそれに割り込むように、力強く答える。

 

 続く答えは、そんなに驚くことでもなかったかもしれない。

 けれどその答えは、私にとって物凄く大きくて、やはりこれまた人生の色を決められてしまうのだった。


 

「僕はこの子を、屋敷に迎えるよ」


 

 数秒の沈黙の後、カトレアがさしたる動揺もなく、そうですかと頷く。


「理由を聞いても?」

「この子は単存在。本来なら宇宙にただひとりで浮いている、他人なんて必要ない者。でもだからこそ、僕の時みたいに誰かがそばに居なきゃ。それを僕は先生に教えられた」

「だから今度は、貴方の番というわけですね」


 カトレアの言葉にフィリアが頷く。

 たしか、カトレアの説教のひとつに、人生の中で自分がされていちばん嬉しかったことを人にしなさい、というものがあって、それを私も彼女に教えられた。

 だが、理由は他にもあるようで、少し躊躇うように口を開いた。

 

「それに、僕は……」

 

 しかし、やはり口に出すの幅かれるようで、途中まで言いかけたところで、フィリアは押し黙ってしまう。

 しばしの沈黙が続いて、カトレアがオウム返しするように、返答を求めた。


「それに?」

「……ああいや、別に。僕は危険に晒される女の子を放っておけないって思っただけ」


 もちろん、嘘だ。

 だが、確実にはぐらかされていることにカトレアは気づいていたはずだが、そうですか、とさして気にするふうもなく、ただ一言で片付ける。


「では、この問題は貴方が預かるということで、貴女もそれで良いですか?」


 最終的な決定権は私にあるというように二人の目線が私に向いて、同意か拒否を求められる。

 

「みち、たくさん?」

「うん。多分僕の屋敷の近くの村は、未知で溢れている。だって神秘の村なんて言うくらいだし」

「じゃあ、ついてく」


 あまりにも淡白な問答で、私の住む場所が決まった。

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