第三話 『富詩焔』

 もう。あたしはなにをやっているんだろう。


 結果的にあたしたちは街の中に入ることが適わなかった。


 よく考えなくても当然のことだ。

 城壁の上に城があるんだから、壁の上に防衛施設がないわけがない。


 街を囲んでいた白い壁の上には、薄い半透明のドームのような障壁があった。

 そっと触ってみると同じくらいの強さで反発され、強めに叩くとこれまた同じくらいの衝撃が返ってきた。

 エルピスに解析させたところ、障壁は魔術的な要素で作られているらしい。

 いくらあたしが現実離れした現象の実在を知っているといえども、魔術に関しては疎い。


 というわけで、今は街に入る方法を滞空しながら考え中。


 そしてあたしは一旦侵入を阻まれたことで冷静さを取り戻し、取り戻したくなかったけど取り戻し、耐え難い羞恥の思いに駆られていた。


 さっきから振り返ってみれば痛々しい。すぐ感傷的になって、どうもらしくない。

 明るくて、ジメッとしていないのが自分のはずだ。

 だというのに、なんだあの痴態は。


 夜中に鬼電して家に呼び付けて、準備もなしに空を飛ばせて。


 情緒不安定気味で、自分でも何がしたいのか分からない。

 少し違うか。

 やりたい事とするべき事と、作ってしまった目的。

 それらが乱立しあって、衝動的になっているのだ。


 何が甘えたい気分だ。そんなことを考えたせいで、総汰を自分から巻き込んで、危険かもしれない場所に連れてきてしまっている。

 今日はそもそも、外に出るなと言われていたのに。

 総汰に与える実験を阻害することの無いようにと。


 いや、それ自体は間違っていないはず。

 教授がやろうとしていることが本当なら、総汰と日優を守るためにも怪物たちは狩り尽くさないとならなかった。

 つまりこれは全部教授のせい。そうしよう。


 気持ちを入れ替え、集中しようとぱんっと頬を叩く。


 さて、問題は街の中にどうやってはいるかだけど。思いついたことがある。


「ちょっと考えてみて、思いついたことがあるんだけど……ってどうしたの、顔叩いて」


 辺りをホバリングしながら一周してきた総汰が、心配そうに顔をのぞきこんでくる。


「ううん、大丈夫。ちょっと気持ち入れただけ」


 気持ちはありがたいが、早速働いてもらうことにしよう。


「あたしも良い方法を思いついたわ。だいぶ頭悪い方法だけど」


 こういう時のために、総汰を呼んだのだから。

 総汰の腕、正確には腕にある白い痣に目を向ける。

 至ってシンプルな方法。

 壁があるのなら、侵入も破壊も気づかれない穴を作ればいい。

 新しい門を作るのだ。


 うん、我ながらゴリ押しがすぎる。


 だが、それを実行する術を総汰は持っているのも事実だった。


 総汰の痣の力を使えば、障壁に穴にあけて突破することは容易い。

 しかも彼の能力の本質的に、壁にそもそもそういう形だったと認識させることで、障壁が破られたことによって想定される防衛システムの作動を抑止することが出来る。


 ようは『新しい門を作る』なんて馬鹿な発想を実行できるのだ。


 そしてその方法をちょうど総汰も考えついていたようで、すでに痣から淡く光を発生させ始めていた。


「ン、もしかして同じこと思いついた?」

「たぶんそう。壁にしてくり抜こうって思ったけど」

「おんなじ。だいぶ頭悪い方法だ。これ」

「酷いことにね」


 でもとても手っ取り早い方法だから、やる。


「相当目立つけど、対策とかできる?」

「ええ、勿論。エルピス」


 こんなこともあろうかと、認識阻害の機能を翼に内蔵しておいた。

 もちろん操作はエルピス任せであるが。


『ねえ、今日ってば私任せ多くない~?』


 当たり前でしょ。あんたに機械は一任してあるんだから。という文句は口に出さず「報酬二倍」とだけ伝える。

 それだけで愚痴も文句も出なくなるので、とっても単純な性格に設計したのは正解だった。自分自身のわがままの形に。


『ん~。準備できたよ。街まるまる全部は規模でかくてキツイけど』


 そうは言うが、早い。さすが機械といったところだ。


「よし、じゃあ始めるぞ。少し離れてて」


 こっちも早い。さすがほぼ読心術。


 総汰の言葉に従って、大声が届く程度の範囲まで退避する。

 そうしないと、自分も総汰の能力に巻き込まれてしまうからだ。


「もう平気、初めていいわ」


 あたしが安全圏まで下がったことを確認した総汰は、集中するように深呼吸をひとつ。


【接続】


 総汰の両腕の痣がその光を増す。

 やがて、仄かな光が総汰の顔を照らすほどの光量を持ち始めると、痣と同様に光を放つ糸が、総汰の腕から伸びはじめた。

 先端に掌のような形状を作り、蛇のようにうねりながら進むさまは、伸びる糸というより触手と形容するのが正しいか。


「何度見ても、最初は気持ち悪いのよね」


 名前はたしか、教授曰く『形相エイドスの腕』。

 名前の意味は昔、総汰と同じ痣を宿していた人物にちなんでいるそうだ。

 糸……形相の腕が総汰の意志に従って、障壁に向けてその長さを伸ばす。

 脈を打ちながら進む腕の速度は決して早くはない。だが、確実に力強く根を下ろしていく。

 障壁の一端に辿り着くと直接、壁を突き破るのではなく、天井を這って枝分かれしながら拡がっていった。

 街を壁の上から覆い尽くすように、魔術の壁と一つになるように。

 その様は、総汰自身が根を張る大木となっていくよう。


 やがて、細い糸一つだったはずの腕は、街一つの大きさを囲う障壁のすべてを覆い尽くすほどの根と化してしまった。


「すごい。やっぱり、とてもきれい」


 まるで、街が空まで雪に包まれてしまったよう。


 たった一人の人間から、こんな幻想的な景色が作られる。

 そんな事実に感嘆の声を漏らしてしまう。


「祈織、こっちは繋げられた……っと、ん?」

「あ、うん。おっけ。苦しさとかはないのよね」


 危ない、呆けてた。


「あー。……なんか変なノイズが……うん、それは大丈夫」


 一瞬、総汰が気がかりになる呟きをこぼしていたが、彼自身が大丈夫と言っている以上、任せるしかない。

 あたしにだって、彼の能力は理解しきれていないのだ。


「開けるぞ」


 総汰が宣言すると同時に、一面に広がっている彼の出した腕の光が一部だけ後退する。その跡には、人ひとりが通れるくらいの穴が出来上がっていた。

 近づいてみると、障壁も同時に取り払われていることが見て取れる。


「わ、ホントに通れるようになってる」


 手を壁の向こう側に伸ばしてみても、ふらふらと空気をなでるばかりで硬いものに触れる感覚なんかは一切ない。


 実際にあたしたち専用の門を作ることは成功したようだ。


「よし、これで入れるようになったわね。早速行こ、総汰」

「ああ。ちなみに俺が通ったら腕を戻すけど、そしたら街の本当の正門が開くときまで戻れなくなる。いい?」


 もちろん、承知の上。そもそも最初からその時まで付き合ってくれる腹積もりでいるのか、こいつは。


 本当に、やさしいやつ。


 そんな物思いにふけりながら先導するようにあたしが入りきると、すぐに総汰が後に続く。



 その直前の事だった。



 赤い色が、夜空を駆けた気がした。


 すぐに気づくべきだったと後悔する。

 総汰は異変に気付いていた。変なノイズ、そう言っていた。

 しかし、あたしはあろうことか総汰が大丈夫なら平気だろうだなんて警戒を怠っていたのだ。


 それを一番避けたくて、自分は戦っていたというのに!


「──っづ!?」


 突如、総汰の目の前の形相の腕から真っ赤な焔が吹きあがった。

 一面の光の枝が、一瞬にして赤色に染まっていく。


「総汰っ!」

「だい、じょう……あぐァっ!」


 一瞬、総汰の能力の副作用かとも勘違いしたが違う。


 これは誰かが放った、炎!


 反射的に形相の腕をもどした総汰が、せめて相手を逃さまいと東の方角を睨みつける。

 実際に、彼の瞳はその姿を捉えていた。


 でも、それは見つけない方がよかったかもしれない。


「あぁア、あぁア。よぉ、祈織……結局、ユニのきょウ妹、巻き込んじまっッて……」


 来てしまった。やってしまった。

 静かな声音、しかし品の無い口調が夜空に響く。


「……あたし、ミスした」


 炎だ、大火の富詩焔ふしほむら

 星空に交じって、揺らめく炎が東の方角から近づいていた。


「あんなにユニの光を見せられちゃア、バレるにきまっッてンだろうよ」

「……っ。祈織、こいつは……?」


 それは、鳥の形をしている。

 燃え盛る炎が鳥の形を成しているのだ。赤い色に包まれて、ゆらゆらと不定形な大鳥を形成している。


 それは、それは、人の形をしている。

 独特とした台詞のリズム。

 詩のごとく静謐な声の静けさ。

 聞くに堪えない粗暴な言葉。


 それは、それは、それは、悪魔である。


「フェネクス……」

「よく、覚えてたな?」


 一見、光り輝く炎は見る物を魅了する不死鳥のような容貌をしている。

 だがそれは、まぎれもなく悪魔の一柱『フェネクス』であった。


 こんな早く出てくるなんて、思ってなかった。

 こいつが出てくるなら、嫌でも総汰となんか会わなかった!


「どうして、ここが分かったのかしら。ジャミングはかけたはずだけど」


 精一杯の感情を殺して、不死鳥の悪魔へ問う。

 人目につけば、教授の怪物たちが来るのは分かっていた。

 だから、実は認識阻害の装置は最初からかけていた。


 なのにこいつは、エルピスのそれと二重になった阻害を破ってきた!


「……」


「答える必要が無い、か」


 轟々と、悪魔は炎の弾ける音を響かせるばかりで、あたしの質問には答えない。


 教授によると、それは当然のことであるらしい。


 悪魔は、悪魔の良しとした要求にしか応えない。

 あとは悪魔の要求を押し付けるだけ。

 あたしの質問、要求は悪魔にとって答える必要が無い。聞こえてすらいない。

 結局のところ、会話なんて成立しないのだ。


 そして悪魔は一方的に要求を告げる。

 表情の見えない貌は、総汰へと意識を向けている気配があった。


「おイ、フィリア……いやIBつっッたか」


 フィリア? IB? 一体なんのことを言ってるんだ。この悪魔は?

 総汰も悪魔の発する単語の意味が理解できないようで、訝しげな視線を向けている。

 いや、それ以前の問題だろう。そもそも総汰には、この炎の鳥が何なのかということ自体、分かっていないはずだ。


「ン? 総司……待てよ……いやア! 違う! そうだ、思い出した! 総汰だ! 神在総汰! 手前、名前が多いことこの上ない……!」


 震えるような声は突如、興奮して高らかに総汰の名を詠う。翼のように羽ばたく炎も声に合わせて、ぶわりと激しさを増した。

 かと思うと、強火を弱火に回したように、高ぶった声音を重く囁くような声音へと戻し、あア……と火花を静かに散らせる。彼なりのため息だろう。


「おイそれと……人にきょウりょくってのはしねえ方がいイもんだな。妙な帰属意識で、命令と……いうやつを聞かなきゃ、イけなくなっッちまう」


 質問には答えないし、相手に伝える気がない話し方しかしない。

 これが悪魔。やりずらい奴。


 知識のみで知っていた悪魔というものを実感として理解しながら警戒を強める。

 本気を出せない今の自分が、こいつの動きに注意したところで意味があるかは分からない。でも総汰に何かをするつもりなら、自分の手で守る。そんな気持ちで。


 その気配に気づいたのか、フェネクスは「あア、取って食ったりしに来たわけじゃねえよ」と安心させる気のない殺気を込めながら、告げる。


「こコには、識の命令で……来たん、だけどよオ……」

「識……教授の? なんで……」


 嘘だ。ここで教授の名前が出てくるなんてありえない。だって、あの人は怪物は寄越してくるけど、悪魔は嫌いのはずなのだから。


 ……いや、教授ならあたしを出し抜くためにそれくらいするわね。


 高速で答えを導き、自らを納得させる。


 しかし、そんなあたしのことには一切意識を向けず、続けて悪魔は総汰に言葉を紡いでいた。


「手前エ……にな、会わせてエ奴がいるん……だとさ」

「合わせたい奴?」


 総汰も向けられた殺気に呼応するかのように、腕に再び光を取り戻させながら、状況を掴めないなりにフェネクスへ向かい合う。


 その質問はフェネクスの求める要求であったようで、沈黙ではなく、あアと独特なリズムで肯定の意を返した。


「俺の情報と識の記憶が、正しければ、な?」


 しかし、一瞬、会話が成立したところで意味なんか無い。

 こいつは敵である。総汰を焼いた悪魔。

 ただ、気まぐれに声をかけただけである。


 だから、次の瞬間に来るものは。


「手前エ、この下のユニと知りあイだ」


 ──火、見えた!


「こっちのこと無視ばっかして!」


 総汰に向けて不死鳥から放たれた火球。

 総汰に当たる寸前、隠しておいた機械の鎧を高速で装着。最初に現れた右手の光剣で受け止めた。何か、フェネクスが気になる台詞を言っていた気がするが、それを気にしている余裕はない。

 総汰自身、火球に反応し迎撃する姿勢を取っていたものの、目視で対処できるほど悪魔の攻撃は鈍いものではない。あたしはフェネクスが殺気を纏わせた時点で先読み、迎撃態勢へ移行していた。


「熱っつ……!」


 凄まじい熱量が剣を握る手にまで伝わってくる。

 警戒して良かった。試験型の鎧にしては、充分役に立つ。


 だが、そんな勘違いが続いたのは数瞬のこと。


 剣の柄といった、実体の部品がみるみるうちに炎の熱に耐えきれなくなって、融解、蒸発していく。

 融解は、剣だけに留まらず、一瞬で身に纏った鎧にも及び始めた。

 消火装置なんて作動する暇すらない。数瞬ですべてを溶かしていく。

 鎧を溶かす程の炎は、当然自らの身体そのものにも届くのは必然のことで。


「う、く……ぁああッ!」


 たった一撃の、たった一発の焔。


 それだけで身に纏うすべては、消えてなくなってしまった。

 そして身に纏うのは、阻むものがなくなって直撃した灼熱だけ。

 訪れるのは凄まじい熱量、そして最後の防衛本能であるはずの痛覚の叫び。

 秒読みで、命が削られていく。


 熱い、考えられない。思考、あつい、あつい! いたい、いたい、痛——。


 あついとかわからない、痛い。次のことが考えられない。

 なにも、痛い、痛い、ウザい。消えてよ痛み!


 人生で何度と経験しない痛みに、思考が朦朧とする。


 痛みに苦悶しているだけでは、何も解決しないのに。

 考えなきゃ、目も真っ白い炎に包まれて。


「——ぁ」


 白い光があたしの中いっぱいに広がって、視界だけじゃなく、意識そのものを奪っていく。証拠に、耐えるとか無理な痛みがだんだん感じられなくなる。


「祈織っ!」


 総汰の叫びが聞こえる。

 同時に、後ろにいるはずの総汰の姿を幻視した。


 ——あたしは何に意識が向いてるんだ。


 どんどん総汰の姿が鮮明になって、声がはっきり聞こえて。

 気を失いそうなのに、変なとこだけ意識が向いちゃって。


 気づけば総汰の背中が見える。

 全身を包んだはずの光はすぐに消えていて、それでも視界はおかしくなって、白い糸がずっと目の前を飛び交って邪魔している。

 総汰の腕からずっと、白い光が見えている。


 腕の、白い光——


「……!」


 勘違いだ。

 光は、痛みと炎で作られらものじゃない。


 総汰のものだ。

 白い痣の糸。形相エイドスの腕だ。


 目前に割って入られたことで一瞬、呆気に取られていた総汰が、あたしの絶叫を耳にしたことで正気を取り戻したのだ。

 そしてすぐさま、悪魔の炎を消し去ろうとあたしに光の糸を伸ばし、全身を包み込んだ。

 痛みがなくなったのは、総汰が痣の力でも使ったのだろう。

 出来上がっているはずの火傷も、燃え尽きているはずの衣服も何もなかったように元通り。


 あたしを包むのをやめたあと、火球が飛んでくる前と後で違うのは、総汰が前にいるという位置関係。それと、身にまとっていた鎧が無いことくらいだろう。

 総汰は今起こったことを、一瞬でにしたのか。


 未確認だけど、そんなことは後でいい。


 大事なのは、総汰が助けてくれたこと。


 そして、あたしを灼いた炎を全て包みこんで消し去った総汰の痣の力は、悪魔の炎と対等であるということだ。


「いっ……あ、ありがとう。総汰」

「ごめん祈織。俺のせい。……俺が痣なんか使ったから、痛い思いさせた。ごめん」


 残留する痛覚で言葉が一瞬乱されつつ、感謝の言葉を絞り出す。

 心の底から申し訳ないという横顔が総汰から見えた。


 そんな顔をしないでほしいと、あたしは思う。

 ただ会いたくなっただけなのに、意味不明な理由を付けて連れ出したのはあたしであって、総汰は訳も分からないのについてきてくれただけ。何も悪くない。


「そんな気持ちは持たないでいいんだよ、祈織は。守ってくれたんだから」

「……だって、違う。あたしの勝手な理由で、悪いのは……」

「祈織下がって。来る……!」


 あたしの言葉を遮って、総汰が迎撃する姿勢をとる。その語気に、有無を言わせない意思の強さのようなものがあった。

 それもそのはず。

 再び、フェネクスから炎の弾が放たれていた。当たり前だろう。悪魔は悠長に会話なんて聞いちゃいない。むしろ、絶好の隙と捉えられるだろう。

 再び発射された火球の数は一発では無い。二十を超える数の炎が二人を焼き尽くさんと、音速を超えた速度で迫り来る。

 しかし今度は総汰も攻撃を察知していたようで、盾のように形相の腕を構え、確実にその全てを受けきっていた。


「……ぐ、っ!」


 受けきったと言っても、その熱量は総汰の後ろにいるあたしにもその熱さが伝わって来るほどで、直接受け止めている総汰が感じている痛みはその比ではないことは容易に想像出来る。


 その痛みに耐え忍びながら、総汰は静かに、確かに悪魔に吠えていた。


「あんたは祈織がいうように悪魔というやつで、敵だ」

「最、初の時点で……ふつう気付く、だろウ……」


 火球が効かないと判断するや否や、フェネクスはすぐさま突撃姿勢を取り、作り上げた盾を構えていたままの総汰を引き裂かんと足の爪を振り下ろす。

 だが、その一撃は総汰まで届かない。瞬時に腕を盾から変形させ、剣のように振り抜いていた。

 二人はしばらく鍔迫り合いの形をとり、空中で動かなくなる。


「人でないからといって、敵かはわからない」

「あア、ヌルい……こった」


 突如始まった二人の戦いを見ていることしかできない、今のあたしは一人呟く。


「……全部わかってなかったのは、あたしね」


 戦うための力なんて総汰の痣にはないものと、あたしは思い違いをしていた。あれは何かを繋ぐ力のはずであると。

 彼は今だって、悪魔だからといってすぐさま敵対意識を持たなかった。

 他者に対して、人並み以上に傷つけまいと行動するのが総汰である。だから、そんな彼が戦う力を持っているなんて思っていなかったのだ。

 ましてや、誰かに敵意を持つなんて。


「でも、あんたは祈織を悪意を持って傷つけた。心の線がそう言ってる。だから……」


 しかし、今、明確に総汰がフェネクスへ向けているのは、敵対心である。

 戦う決意をもって、総汰は悪魔に相対している。

 痣も、そんな総汰に応えるかのように戦う力を与えていた。


 考えてみれば当然のこと。何かを繋ぎとめておくためには、時には戦わなければならない時もある。


「だから、辞めろ……!」


 総汰の内心でも虚勢を張って、強がって悪魔と対峙しているつもりであるのだろう。

 しかしそれは、精神面ではそうであっても、実力面としてはその限りではない。

 直前まで、そう誰もが間違えていた。


 実際のところ総汰には力があるのだ。このフェネクスと戦えるだけの力が。


 悪魔も、攻撃が押し返された事で状況を理解したようで、


「ほウ、戦いになる……かもな。ユニなら当、然だが」


 総汰と攻撃を交わし続けたまま、その鳥の姿を変え始めたのだ。

 実体を持たない火焔の鳥から、人を象った異形へと変わり果てていく。


「ハ、ハハ!」


 数回、二人が攻防を繰り返すうちに形を変えた悪魔の容貌は、さながら童話に出てくる悪魔のような姿をしている。

 関節といった身体の一部は炎のままに揺らめかせ、不死鳥の形態とあまり違いは見られない。

 対して頭部や胸部は、炎と同じ赤い色を持つものの、確かな人の実体を持っていた。


 特徴的であるのが、鳥の形態と似た形状をした翼。

 そして、総汰と打ち合う爪が変化した炎の剣。刀身だけで人間の身長の二倍はあるであろう、巨大な大剣を握っていた。


「なぜ識が俺を寄越したのか、理解できた!」

「……っ!」


 人型となったフェネクスはふたたび、昂ったようにその語気を強め、剣戟も火球の弾幕も、いっそう激しさと疾さを増した。

 反して言葉の粗暴さと独特な抑揚は控えめになっていく。


「手前は、必ず楽しくなりそうだ!」


 巨大な大剣と、それに合わせて刀身を伸ばした形相の腕がぶつかり合う。

 遠くから見れば、光と光が交差しているようにしか見えないだろう。

 両者共に、本人より遥かに大振りな得物を軽々と振り回し、視覚を強化したあたしの目にさえ捉えられない速さで切り結ぶ。


 しかし行使する力は対等であっても、それを振るう者の強さに圧倒的な差があった。

 総汰はフェネクスに対し何一つ反撃できないでいた。


「だが、まだ都合が悪い! 手前も弱い!」


 拮抗していたのは、遊び程度の最初の数回。


 総汰が一つ攻撃を弾くうちに、悪魔は二つ斬撃を差し込んでくる。

 二つ弾けば、四つ。四つ弾けば、八つというように。


 いったい何時まで総汰は攻撃に耐えられるだろうか。

 戦いになると悪魔は口では言うが、総汰は必死で防戦に徹するばかりで、対するフェネクスは余力を残したうえで攻撃を加速させている。


 天秤が完全に傾くのは時間の問題であった。

 いつしか総汰は、攻撃を防ぐことすらままならずに翻弄されていく。


 どうして、何もできないの。助けなきゃ、あたしが連れて来たんでしょう!


 そんな様子を見てられなくなって動き出そうとする身体を抑えるのに、あたしは必死になっていた。

 自分が今更介入したところで、状況は悪くなるだけ。きっと総汰の邪魔をしてしまう。

 だが、何もしなくたって総汰はこのままでは悪魔に殺されてしまうのは明白である。

 それは嫌だ。どうにかして避けなければ。


 しかしそんな思考を巡らせていられるほど、戦闘は長く続くものではなく、悪魔も時間なんて与えてはくれない。


 あたしの思いとは裏腹に、悪魔の炎を受け止めていた光の剣が力なく霧散する。


 そして悪魔は、その隙を逃さなかった。


「……まずッ!」


 その声は総汰の物であったか、自分の物であったか。


 フェネクスは総汰の背後に一瞬で回りこみ、手に握る炎の大剣を総汰に振り下ろし、背中から一刀両断にした。


 残念ながら、その間に割って入れる者はこの場に存在しない。

 あたしは速度が足りない。総汰にもまだ逆転の力は訪れない。


 力任せに振られた大剣は、総汰の背中あたりで鈍い破砕音を響かせる。

 

「————っぐう!」


 背後から襲う熱量に、総汰が苦悶の声を漏らす。


「あ、れ?」 


 しかし、総汰の身体そのものは両断されていなかった。


 いつまでも一定以上の痛みが襲ってこないことを疑問に思った総汰が、混乱したようにあたりを見渡す。

 あたし自身、彼が斬られたと確信していたため、状況が呑み込めていなかった。


「だが、まずは……識の言う通りに落ちてきたまえ!」


 けれど、悪魔は確かに総汰の背後の空間を焼き尽くしていた。


『祈織! ソータの羽がっ! 落ちちゃう!』


 エルピスの叫びが響き渡る。


 悪魔が灼いたのは、総汰の背中に取り付けられた飛行装置であった。


 エルピスの叫び通り、翼がなくなったことで浮力を失った総汰の身体が途端に重力に引かれだす。


「……!?」


 総汰が、地面にまっさかさまに落ちていく。


 下を見やれば、総汰は街の境となっていたアーチ橋が街灯に照らされ赤々と輝いていた。

 映像と同様に道上には何故かひび割れみたいなノイズが無数に走り、その向こう側にうっすらと孔のような黒い物体が見える。


 恐らく、フェネクスの狙いは総汰を橋へ落とすことだったのだろう。


 だが高度百メートルの高さからの落下など、ふつう助からない。

 背中から両断される未来と同じ運命が待ち受けているはずだ。


「総汰あッ!」


 叫んで、落下する総汰のもとへ全速力で加速する。

 だが、それを許しはしまいと焔が目の前で立ちふさがった。フェネクスである。


「おっッと……」


 ——そんなの、百も承知!


 悪魔の身体を避けるように右腕を伸ばし、その中腹あたりから更に、人工の腕を射出する。

 『機甲腕』。総汰の形相の腕を参考に、自らの半身に埋め込んだ金属製の掌。

 最大射程四十八メートルの第三の腕は、落ちていく速度より速いスピードで総汰に追いすがり、手を伸ばす。


「掴むから!」


 自分の手が届かないなら、その腕を伸ばせばいい。

 そんなコンセプトの通り人工の腕は、反射的に総汰が空中に向けて放っていた形相の腕の一端をしっかりと掴み、握りしめた。


「ありがとう、また助けられた」

「話は後、逃げるわよ!」


 そうだ。悪魔に対してまともに戦おうなんて思ったのが間違いだった。

 ギリギリまで伸びきった腕を巻き取りながら、推進力を最大にして悪魔から距離を取る。


 だが、それを逃がさまいと悪魔が距離を詰め、人工腕を切り落とす——なんてことはなかった。

 フェネクスはあたしに立ちふさがった地点から動かずにこちらを静観しており、追いかけてくる気配すら見せない。

 いったい、どういうことだろうか。


「戦う……のは後だっッて言っただろ」


 何を言っているんだ、この悪魔は。直前まで助けに行こうとしたあたしの前に立ちふさがった癖に。


「ある程、度。落としたからな……もう、ユニはユニ……に知覚された」


 再び要領を得ない話を始めるフェネクスに、その言葉の意味を捉えあぐねる。

 無論、警戒は怠らない。全速力で城壁の都市から遠ざかっていきながら、悪魔の発言に思考を回す。


 先程、総汰に下にいるユニと知り合いだとフェネクスは言っていた。

 そしてフェネクスは何度も総汰を橋の元へ叩き落とそうとしていた。

 彼なりに言えば、ユニという何かに知覚されるまで。


 つまり悪魔の目的は、総汰と橋にいる存在を出逢わせること。


 悪魔の一連の行動に合点がいく。同時に攻撃を辞めたことで、悪魔が会せようとしていた存在に既に二人が知覚されたという事実にも、あたしはたどり着いて——。


「は?」


 素っ頓狂な声が、総汰の口から漏れる。


 総汰の手を掴んだままの人工腕が戻ってこなくなったのだ。

 あたしの意志に反するように、まるで空間に固定されたがごとく不自然に空中で停止している。

 続いて、背中につけている翼もその動きを止める。

 最初、停止した腕に引かれているだけと勘違いしたが、腕のある位置に移動することすらままないことで翼が機能を失い、ただの装飾と化したことに気が付いた。

 機械の類の操作が一切、不可能になっている。全く動力が入らない。


「——。……へ!?」


 それだけではない。自らの身体そのものの力が一斉に抜けていく。

 抜けていく、というのは表現が些か間違っているだろう。


 実際には力は抜けていくことさえできない。

 

 制止だ。何も返さず、何も感じず、落下すらせずに、水宮祈織の身体は完全にその機能を停止している。

 腕も、顔も、視線でさえ、自分の意志に反して微塵も動作しなくなってしまっている。


 ──なにこれ、急に動けなくなって……!?


 知覚された。ユニはユニに知覚された。

 その言葉の意味を、推測に推測を重ねただけのただの予想から導き出す。


 まさか、動けなくなった原因は橋にいる存在によるもの!?


 そもそも、ユニとはなんだ? 総汰もそのユニなのだろうか? 痣の力も関係している?

 

 動かない身体の中で、ただひたすらに思考を瞬時に巡らせていく。


 しかし。


 そんな暇はなかったことに手遅れになってから考えが至る。

 

 あたしを停止させた異常の力が、総汰には働いていなかったことに。


 肉体と機械。二つの力を同時に失ったあたしの人工腕が、力なく総汰の形相の腕から手を放していたのだ。

 考え込んでいたのはせいぜい数秒程度。

 しかし数秒もあれば、重力が物理法則に従って二人の間に働く摩擦に打ち勝つのは必然だった。


「そんな、待って……待ってってば!」


 異変に気が付いた総汰が今度は自分が腕を掴もうと光の糸を伸ばすが、もう遅い。


「腕が、消えて……!?」


 なんと運の悪いことだろう。それとも総汰の痣の力だけ停止してしまったのだろうか。恐らく、後者である。


 ともかく、総汰が腕を振り上げたと同時に彼の痣がその光を失い、従うように形相の腕も消失してしまった。


「……」


 総汰の姿が、凄まじい勢いで地面の方へ遠ざかっていく。



 橋の境に引き寄せられるように、総汰は落ちていった。


「祈織」


 ただ、何かを覚悟するような表情で、取り残されるあたしを心の底から案じるように、その名前を呟いて。

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