第二話 『宝石夜を飛ぶ』
光を取り戻した夜空と、珊瑚を散りばめたような夜の街を、ふたりは真っ直ぐ落ちていく。
前もって伝えられていたために混乱こそせずとも、さすがに本能的な恐怖が湧き上がっていることを総汰は自覚していた。
——でも、なんだか思ってたより心地がいい。
重力に引かれた自然落下は、思わず目をつぶるほどの空気抵抗を生む。
そのはずなのだが、なぜだか通り抜けていく風はほとんど感触がなく、せいぜい身体を撫でていく程度の心地よいものに留まっていた。
飛び降りる際に繋いだままだったふたりの手も、風に吹き飛ばされて離れてしまうようなことはない。
十中八九、祈織が細工をしてくれているのだろう。
隣を見やれば、もうこんな落下にも慣れているらしく、短めの金髪を風になびかせた祈織が涼しげに街の景色を眺めていた。
そして、総汰の方を見て楽しげに笑顔を作る。
「これ、何回やっても楽しいわね!」
「まあ、そうかも。……ちょっと怖いけどね」
ちょっとどころではない。落ちてるんだからけっこう怖い。
しかし、自由に落ちていく感覚は長く続かなかった。
マンションの真ん中あたりの高さまで落ちたところで、地面との距離が縮まらなくなった。
おぉ、と感嘆の声を漏らし、マンションのガラスを鏡代わりに確認すると、先ほどの六角形の翼が窓を淡く照らしていた。
「本当に飛べるんだ、これ」
認識すると同時に、再び全身が浮遊感に包まれる。
重力に逆らって滞空し始めたのだ。
計算上、約二百メートルの高さから落ちていく二人は、わずか六秒ほどで地面と衝突する。
しかし六秒経過しようが十秒を越えようが、衝撃も痛みも一切訪れることは無く、いつまでも地面は遠く下まで広がっている。
突き上げられるような感覚も翼を羽ばたかせるような音も無かったために、気づくのが遅れてしまったが、確かに総汰たちは飛んでいた。
「飛べなかったら、ただの心中でしょ?」
そんなの当たり前、なんて諭すように窓ガラスに写った祈織が腰に手を当てている。
「そりゃあ、そうだね」
当然、祈織の背中にも総汰と同じ形状の翼が伸びているのだが、輝きを放つ幾何学的な翼を付けた様は、さながら未来文明の美少女型アンドロイドを彷彿とさせた。
総汰の視線を察してか、一瞬、呆れたといった複雑な苦笑の後、くるくるとその場で回転しながらポーズを取ってみせる。
「どう、似合ってるかしら? ちょっとデザインも凝ってみたんだけど」
「似合ってる。未来からやってきた女の子みたいだ」
「そう? なら良かった」
少し不安だったのよね、と安心したように呟く祈織。
実際、祈織は未来からやってきたなんて言われても、容易に受け入れられる。
祈織の発明品は現代じゃ到底実現不可能な、SFの世界の代物ばかり。
この翼とか、今隣を浮いてるエルピスとか。……エルピス?
『二人の世界作ってるとこ悪いんだけど、メカ少女は私の分野だから、奪わないでよね〜』
オーバー気味に頬を膨らませたエルピスが、隣を浮遊していた。
「アンタはメカ少女ってより、アシスタントAIのポジションでしょうに」
『……そんなこと言うなら、もう案内してあげないよ』
エルピスは祈織の所有する建物の中でしか現れない、あくまで画面の中の存在のはずである。
しかしエルピスは、目の前で祈織の洋画に例えた反論に、ぷいと顔を背けているわけで。
まさか、祈織はこの街の全てを所有しているのだろうか。
「あー、総汰。この翼、
HUD、という単語はよく分からないが、ひとまず祈織がこの街全部を所有している訳では無いらしい。
当のエルピスは、その後も不機嫌そうにゴネていたが、仮想空間上のエルピスの部屋を
『よぉし、案内出すよ〜。さっさと終わらせて、アプデ〜』
途端に機嫌を取り戻し、ホログラム上の地図や計器を取り出して操作し始めた。
分かりやすくて可愛いやつだと思う。
というかこれか、HUD。
「さ、ここにいても始まらないし、そろそろ行きましょ」
祈織が指を左右へと回すと、ふたりの身体がゆっくりと移動を始める。
ビル群を通り過ぎていく速さで徐々に加速していることを認識するが、顔を通り抜けていく風は先程のように髪をなびかせる程度で、実に気持ちが良い。
空と地面の真ん中を、自分達のモノのように突き抜けていく感覚。
総汰は年甲斐もなく、子供のような高揚感に満たされていた。
※※※
「飛びながら軽く説明しちゃうわね。エルピスは操作おねがい」
『おけ〜』
十分程度飛行したところで、祈織がHUDに映し出された様々なタブを操作しながら、エルピスに声をかける。
「じゃあまず、コレ見て」
画面に開かれていたタブのひとつが祈織の手元から総汰の方へスライドし、目の前で制止する。タブレットを操作する要領でホログラフに触れると、目の前で航空画像のように現実を撮影した映像が浮かび上がる。
画面に映し出されていたのは、昨日の日付と23:55という時刻のデジタル表記と、現在二人が向かっている最中の方向にある九十九市だった。
祈織の家名でもある水宮が移り住んでから大きく発展した長約市程ではなくとも、中心に電波塔を備えた非常に栄えた街である。
総汰達の住む長約市とは大きなアーチ橋を挟んで隣町に位置し、電車一本で向かう事が出来たため、昔はよく電波塔を登ったり併設するショッピングモールで買い物をしたものだ。
「三時間くらい前のツクモの映像だけど……それがいったいどうしたんだ?」
「今のツクモが、アレ」
祈織が指を差す。画面ではなく、実際の方角。まっすぐ向こう側。
そこには夜が深まろうと、静まることの無い人の営みが続いている。
帰路に就く人々、疲れを知らないように遊び惚ける人々、それらを照らす電気製の明かりたち。
対して、東の住宅街には夜のとばりがおりきって、シャッターを締め切った家の数々が並んでいる。
はずだった。
「……!?」
目を疑う光景とはこのことを言うのだろう。
「全く別の……街なのか、これは!?」
夜の暗さで見間違いをしたのではない。
そもそも、街にあるはずの無数の電光が一切見当たらない。
真っ暗とまではいかないが、うっすらと松明の炎であろう赤い光が揺らめいているくらいで、他になにも灯りらしきものは見つけられない。
街が、別の街に変わっていたのだ。
まるで御伽のくにの風景が、そこには広がっていた。
まず目につくのは、巨大な城壁。
西洋の城下町を彷彿とさせる、高さ三十メートルほどの白亜の壁が、街を囲うようにそびえたっていた。
壁の内側には、大小様々な住居やドイツ風の教会、用途不明の球体オブジェを備えた施設といった建物たちが、道を阻むことの無いよう整然と区画され並んでいる。
中でも特徴的なものが、街が二層になっていることだった。
街のいたる所から伸びる巨大で堅牢な柱の数々は、城壁よりもさらに高く、それに支えられた大きな建物たちは、互いを長い橋で繋げている。
そして中心に位置するのは、一目で世界中のどんな建造物より気高いだろうと思える誇り高き西洋風の王城であった。
これは冗談じゃないんだよな。
世界が、丸ごと混ざってしまったよう。
そう、表現するのが正しいだろうか。
無意識に『混ざった』と表現するが、妙にしっくりくる。
変化は街の壁の外側、九十九と長約を繋ぐ大橋の真ん中を境として、石橋と鋼橋を継ぎ合わせて止まっていた。
映像の乱れであるのだろうが、橋の境には無数に走ったグリッジノイズが断面を埋めつくしており、そこから先はよく見えない。なにやら黒い『孔』のようなものが空いているように見えた。
どうして、こうなった?
原因が気になって、画面に目を戻す。
そのまましばらく眺めるが、画面の中の街は依然として元の街のままであり、変化は何も見られない。
「うん……」
この映像、間違ってるんじゃないのと、祈織に声を問おうと目を背けた瞬間、ソレは起こった。
時刻はちょうど今日へと変わる瞬間を差している。
突如、雲を突き抜けるほどの高さから、街の中心に紫色の泥が降り注いだ。
「お、おお!」
かつての都市にあったというトウキョウタワーと呼ばれる建造物は、日本一の高度を誇っていたというが、九十九市の電波塔はその記録を塗り替え、世界一高い塔に登録されている。
しかし、激しくうねりながら塔に向かって降り注いだ泥は、一瞬にして六百メートルもの高さの塔を飲み込んだ。
禍々しく光る紫の塔を作り上げたあと、飢える生き物のようになおも天上から降り注ぎ、水かさを高くしながら街を覆い尽くしていく。
街の繁華街やビル群を飲み込んだ泥の柱は住宅街でその進行速度をやや落としたものの、やがて街一帯を埋めつくし、長約市にまで侵略を続けようと勢いを増す。
大橋までたどり着いたところで打ち寄せる波のように大きくはじかれると、それ以上の進行を停止。
しばらくすると溶けるように地面の中に沈んでいった。
だが、紫色の海に飲み込まれ遮られていた街の様子は、絶対的変わり果てていたのだ。
信じ難い光景に画面と現実を行き来させても、目の前の西洋の夜景が掻き消えることは無かった。
「やっぱり、混乱させちゃうわよね……」
「そりゃあ、ね」
寝てるところを叩き起こされ、空を飛ばされたあげく、向かった先が変わり果てた隣町だなんて、ふつう脳の処理が追い付かない。
「飛んでいこうって言ったのは、街が壁に囲まれてるから?」
「そ、ご名答」
夜中に呼びつけたのも、人目に付きにくい時間であるからだろう。日中に二人で空を飛んでなんていたら、よく目を引きそうだ。
御伽のくになら、魔法でも飛んでくるのだろうか。
「街の人は、どうなったんだ?」
「エルピスに頼んで調べさせたんだけど、元からいた人は誰一人見つからない。かわりに、たぶん変わった後の街に住んでる人が居たそうよ」
九十九市には、総汰や祈織の知人や友人だっている。
しかし未知の災害を前に、力も時間も及ばない総汰には、無事を祈るしかできることはなかった。
「……そうなんだ」
自分の不甲斐なさに、思わず歯噛みする。
だが、そうやって無力に立っているだけでは何も始まらないのも事実だった。
「俺たちは今から、あの御伽のくにに降りる。そういうことであってる?」
「ええ、そゆこと。でも危険なんてないはず。ただ何があったのかとか、どんな様子かとか、調べに行くだけだし」
調べに行くだけと祈織は軽く言ってのけるものの、彼女のいうそれは言葉通りに単純なものではなく、見る、聞くといった範囲にとどまらない。
調べられた側が悲鳴を上げるほどの、正確かつ緻密なまでの調査を行うのだ。
今回の例で言えば、街の大雑把な様子や泥の影響といった重要な情報だけでなく、コンマ単位の測量や、建造物の材質、文化、歴史、街の人々の身体的及び精神的特徴など、一見関連性の不明なモノまで調べ尽くすだろう。
悲鳴を上げるほどの調査は依然、実際に総汰が身をもって体感した。
「だから俺を呼んだってわけか」
「……うん」
——俺の痣。その力を使って調べてってことだ。
両腕の袖口から覗く、白い色をした痣を見つめながら心中で独りごちる。
総汰の痣。
形状としては腕輪が近いだろうか。
蛇が巻き付いたように力強く、しかし寸分の狂いもなく腕に刻まれたそれは、正確には痣と呼べるものではない。
こんな痣が残るような怪我をした覚えはないし、そもそもこれが何時からあったのか、なんの故あって総汰にもたらされたのか。
正確なことは何も記憶には残っていない。
ただ一つ分かっていることは、総汰にこの痣由来であろう常識外の感覚があること。
総汰には人や物の状態、モノとモノの関連性といったものの観察について、特出した能力を持っているのだった。
例えば、そう。
今、祈織は総汰に対していくつかの不安を覚えている。
真意までは分からないが、ひとつは能力を使わせることへの懸念だろうか。
一つ質問してみよう。
「俺の力、祈織もまだよく分かってないんだろ。大丈夫かな、ほんとに」
「ちょっと不安。また昔みたいに、痣と変なモノを繋げてきてもらっちゃっても困るし」
意図せず、わざとらしいセリフが飛び出したが、正解。なんとか当たっていた。
「言えてる。俺ももうちょっと、真面目に考えないと」
「それ、ホントよ。頑張ってよね」
別段、心が読めるということではない。
ただ、誰かが向けている意識の方向や、誰かが抱いている感情が身体から伸びる線のようにして見えるといった程度の代物。
心の線と形容するのがふさわしいだろうか。
心の開き具合によっては、線の色からある程度の感情も推察することが出来るのだが、今彼女が抱いている不安や懸念といった感情は、深い緑色で表される。
彼女にとっての懸念は多いようで、ひとつ解き明かそうと、全く色は変わらなかった。
そんな様子を見ていると、なんだか段々と心配になってくる。
いったい祈織はどんな不安と戦っているのだろうか。
──よし、ここはさっさと前進するのが吉かもな。
「ここまで来たんだし、手早く終わらせよう」
操作に慣れてきていた翼の動きを止め、街の噴水あたりに降りれるよう、徐々に高度を落とす。
渋々納得したように、祈織も翼の出力を下げて追いついてきた。
「それもそうね、あたしが連れ出したんだし」
二人はビルの群れの中を、滑るように降りて行った。
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