第15話

 27日の朝、私が家を出たのは8時半ごろだった。お母さんが昔の英語の本を引っ張り出してきたので、私はたくさん本をもらった。でも、難しそうでほとんどの本は読めそうにない。1冊だけ、大きな文字で書かれた本があって、お母さんが単語の意味を書き込んでいたので、それを肩掛けのバッグに入れて豚の公園に行った。

 朝は比較的涼しく、ベンチに座っていれば、そんなに暑いとは感じなかった。例の葉っぱを栞みたいに挟み込みながら、本を読んでいく。中学生が主人公の話だった。テーマは差別らしい。

「あれ、あなたは……」

「え?」

 声をかけられるまで、相手の存在に気づかなかった。見たことのある顔だ。

「あ!」

 思い出した。前にここで会った女の子だ。葉っぱと鳥の夢の話をした人。

「石、見つかった?」

 私は首を横に振る。

「たぶんモールとか、どこかのホールとかだと思うんだけど、私が探した範囲では、見つからない」

「やっぱりそうだよね」

「暇でしょうがないから、一応、自転車で探しに行ってみたんだけど、それじゃ、ダメみたい」

「そうなの? 私、弟がスタンプラリーするからって、ついて行くのに乗車券買って、弟連れまわしていろんなとこ行ってみたけど、ダメなんだ。でも、ショッピングモールとかは、入らなかったなぁ」

「弟さん、何歳?」

「小学校4年生」

 なるほど。

「もう、夏休みも終わっちゃうしね。でも、最近、ちょっと変な状況になってて、こっちの世界に影響が出てるんじゃないかって気になってる」

 そういえば。

「うん、博物館で何かなくなってる展示品があったとか、でも何が展示されてたのか、だれもわからないとか言ってた」

「うわぁ」

 それに、嫌な夢の件もあった。

 そういえば、弟がいるなら、虫取り網とかないだろうか。

「噴水の夢を見るんだよね。あの石、虫取り網で取れないかな、って思う」

「ああ、それいいかも。私もその噴水の夢、何度か見たし、関係ありそうだよね」

「私、持ってなくて」

「ああ、それは私もないなぁ」

 残念。そう簡単にはいかないのか。

「それより、まずはどこにあるのか、だよね」

 私は既に行った場所を、地図で教えた。

「ここと、この建物も違う。ここにもなかった」

「私はね、こっちの駅ビルと、ここにないのは知ってる」

 情報交換したついでに、LINEも交換する。

「ユキちゃんって呼べばいいの?」

「ユキでいいよ。明美ちゃんでいいの?」

「呼び捨てでいいよ」

 仲間だし。

 公園に人が入ってきた。1人は母親で、1人は私たちより少し小柄な男の子、それにもっと小さい男の子だ。

 お兄ちゃんのほうは、葉っぱを手に持っている。

「ねえ、あの子」

「うん」

 私は男の子に近づく。

「あの、ちょっと訊いてもいい?」

「ん? ああ……」

 男の子は私たちの手元を見ている。葉っぱに気づいたんだ。

「僕、建物知ってるよ」

「え?」

 一瞬、何を言われたかわからなかった。

「どこ?」

 私はスマホの地図をさし出した。男の子は黙ったまま、画面をいじって、ある建物にスポットマークを立てた。ポンとポップアップされた建物は、私がまったく知らない場所だった。

「この前、おばさんの結婚式があったんだ。そのとき、噴水の中に石が落ちてた。でも、取る方法がなかった」

 これは有力な情報だ。私はユキに視線を送る。ユキもこっちを見た。

「ありがとう! これであとは、虫取り網を手に入れればいいだけだ!」

 問題はそれだ。

「虫取り網? なるほど。まあ、さすがに結婚式に持って行かれなかったな」

「ん? 持ってるの?」

「あるよ。でも、家にあるから取ってこないといけないけど」

 少年のお母さんが気づいたようだ。

「あの、うちの子のお友だちですか?」

「あ、ええと、ちょっとした仲間なんです」

「ああ、えっとね、ネット繋がりだよ!」

 男の子はいい加減な嘘をついた。でも、その嘘はよくない。連絡先を交換しづらくなってしまった。この子のお母さんを巻き込むのはちょっと面倒だ。かといって、自分の持ちものを貸すだけ貸して、おとなしく待っている小学生がいるだろうか。見ず知らずの人に。かなり無理があると感じる。

「ネットなんかで知らない人と関わるんじゃありません」

 本当は今、この場で出会っただけなのに。少年のお母さんは私たちがどうであれ、教えるべきことを教えようとしているだけだ。

「まあ、虫取り網は学校の友だちにでも訊いてみるよ」

 ユキが言った。確かにそうだ。虫が好きな友だちがいれば、貸してくれるかもしれない。

「そうね」

 そして、私たちは少年にお礼だけ言って別れた。

「今日、だれか友だちと連絡取って、網を借りられないか訊いてみるから。だれかいたら、連絡する。逆に借りられそうだったら、教えて。ラッキーだったら、明日にでも行かれるでしょ」

「そうだね。それじゃ、またLINEで」

 ユキとも別れて帰宅する。

 本当は、こうやって知り合った人と気楽につき合うべきじゃないのかもしれない。でも、私はユキに悪い気持ちがあるとは思わなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る