第6話

 8月18日の朝は、何ごともなくやってきた。あのタンスの裏と違って、そちらの世界と繋がる要素は何もなかった。

「やっぱり、自由研究は自分でしないとダメかな」

 家でできる理科の研究って、いったい何だろう。

 昼過ぎまでぐだぐだしていると、メッセージが飛んできた。琴美が会おうよと言ってきている。

 1時間後。私は琴美と一緒に中学校の近くを歩いていた。

「それで、その石を探せって言うの?」

「うん。無茶だよね。ほとんど何もわからないんだもん。石がありそうな場所なんて、この都会にはそんなにないと思うんだけど」

 私は琴美に問題の石の話をしていた。

「夢じゃなくて?」

「うーん、私もそうかと思ったんだけど、祖母の家では2晩ともだし、家に帰ったら、何も起きないし」

「そうだね……」

 私も未だに半信半疑なのに、琴美に信じろと言うほうが無理だ。

「まあ、そんなに気にしないで。別に大した問題じゃないから……」

 私は胸の前で両手を振った。

「何が問題じゃないって?」

 急に後ろから声がかかり、私は振り返った。

「え?」

 そこには、袴姿の大人の男性がいる。

「ええと……」

 割と若い人で、髪は肩より長く、一つに結っていた。今の人らしくない。

「見たところ、あの人たちの説明が足りなかったようだね」

 そして一瞬、その人の身体に大きく、がさっとノイズが走る。

「え?」

 驚いた声を上げたのは、琴美のほうだ。琴美にも、この男の姿は見えているみたいだ。

「そう、私たちは消えかかっている。お仕えしている奥方様は、服が数枚、消えてしまったと嘆いていた。若草色、松葉色、茜色も消えたと言ったかな。お陰できちんと色を揃えるのが難しそうだった」

 一応、夢の世界の住人なのだろう。こちらの世界には出てこられないはずだと思ったのに。

「状況はずっと悪いんだ」

 その男性は、私の思考に構わず、説明を進めてしまう。

「探し手を集めようとして、たくさん扉を開いてしまったためか、既にあちこちで世界が破綻し始めた。私は綻びから抜けてきたんだ」

 それなら自分で探せる。もう私たちを手配しなくても、そちらの住人で探せるのではないだろうか。一瞬、私はそう思う。でも、どうやらそう甘くはないらしい。

「お陰で自分でも探せると、最初は期待したんだけれど、まだ2時間も離れていないのに、もう身体が消え始めている。物語も混乱してきて、自分がだれなのかもわからなくなりそうなんだ。ほら、私の言葉は既に、この世界に波長が合ってしまっている。もともと同じ言語とはいえ、こんな調子ではなかったはず」

「お名前は?」

 琴美が訊いた。

「き……きち……」

 男の顔が青白くなる。自分の名前を忘れかけているらしい。

「吉十郎だか吉左衛門だか、知らないけど、その石って何なの?」

「それは、この夢の世界で、あなたたちの夢を集めて、情報を送り届ける役割を果たしていたんです」

 要するに、夢の送信機みたいなものか。

 男の身体のノイズは、先ほどよりも大きくなり、今度は完全には戻らなかった。

「時間がありません。あなたたちにこれをお渡ししましょう」

 男がさし出したものを受け取ってみる。それは、一枚の葉っぱだった。広葉樹の葉で、どちらかというと細めの、厚手の、先が尖った形の葉っぱだ。

「あの……」

「それは、私たちの世界の中心に植えられた木の葉。きっと、どこかで向こうの世界と繋がってくれるでしょう」

 そう言った次の瞬間には、もうその男性の姿は見えなくなってしまった。

「え?」

 琴美が顔を歪める。私は葉っぱを見つめた。この葉っぱは、すぐに消えるわけでもなさそうだ。でも、いったい何の助けになるのかも、見当がつかない。

「どうしようか……」

 上着なんて着る季節じゃない。持っていたバッグのポケットに葉っぱを入れると、私は琴美を振り返った。

「関わらなければ、何も気にしないでいられたのにね」

 琴美はうなずいただけだった。

 じっとりと汗でシャツが濡れている。私はラベルのないペットボトルから麦茶をあおる。カバンに入れておいたけど、やっぱり少しぬるくなっていた。

「なんか疲れちゃった。うちでおやつでも食べる?」

「いいの?」

「うん」

 琴美が先に歩き出す。私はボトルをカバンに放り込んで続いた。少なくとも、私たちの身には何も起きていない。

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