第2話 父と名乗る者
「そろそろお目覚めになりませんか」
ベルの声で目覚めたレナは、見慣れない風景に戸惑った。
「ここは?」
ベルは何事もなかったかのように、いつもと変わらぬ様子でレナに向かって、優しく微笑んでいる。
「レナ様のお部屋でごさいますよ」
少しづつ、レナの頭の中が目覚め始めた。
部屋を見渡すと、これまで暮らしてきた小さな家とは比べ物にならない広さ。
それに豪華な調度品。
「これは、夢?」
ベッドから降りようとするレナにベルが差し出したのは喪服だった。
「お着替えを」
喪服を受け取った瞬間、母を亡くした現実がレナを襲った。
そうだ、ママは死んだんだ……。
レナの様子に気が付いたベルが、昨夜と同じ様にレナを抱きしめる。
「大丈夫、全てお任せください。レナ様はお一人ではありませんよ。さ、お着替えをしましょう」
そう言って、レナの着替えを手伝い始めた。
「ねぇ、ベル。ここは? 私、昨日はどうしちゃったの? どうやって、ここまで来たの? ママは?」
ベルは、レナの矢継ぎ早な質問に答えなかった。
レナには聞きたいことが次々沸いてくるというのに。
「全ては、直接お話頂けると思いますよ。さ、お着替えが終わりました。顔を洗って、食堂で朝食を頂いて下さい」
ベルに案内されて食堂へ向かう廊下は、道ではないかと思うほどの広さだった。
昨夜は母の傍に居たはずだ。
なのに今朝起きたら豪華な屋敷のベッドに居た。昨夜何が起きたのか。そうだ、ベルが出してくれたお茶だ。あれに何か入ってたのか……。
「ねぇベル、昨日のお茶に……」
全てを言い終わる前に食堂に着いてしまった。
「こちらへ」
ベルに即されて食堂へ入る。
そこは、学校のホールよりも大きかった。
大きなテーブル、ずらりと並んだメイド達に唖然とするレナ。
「結局昨夜も召し上がっておられませんし、無理してでも召し上がるんですよ」
そう言うとベルはレナを残して、食堂から出て行ってしまった。
取り残されたレナは、大きく豪華なテーブルには二人分の朝食が用意されているが、どこへ座れば良いのか分からず立ちすくんだ。
メイド達の視線が自分に向けられている事に気が付く。
「あ、あの、どこへ座れば……」
一人のメイドが列から歩み出て、椅子を引く。
「こちらへ」
抑揚のない、声にレナの心が急に静まり返ってしまった。
「ありがとう」
レナが座ると、見知らぬ男性が入ってきた。
「あっ」
見知らぬ男性ではない、国王アンドレだ。
学校に飾られていた肖像画と比べるとやつれて見る影もないが、間違いなくこの国の国王である。
レナが慌てて立ち上がると、アンドレは言葉を発する事なく足早に近付いてレナを抱きしめた。
突然抱き締められたレナは、どうして良いか分からず棒立ちのまま抱き締められた。
アンドレがそっとレナから離れテーブルに着くと、メイド達が一斉に給仕を始めたので、レナも慌てて椅子に座った。
レナは何をどうして良いか分からず、ただ黙々も用意される物を口の中に入れ、無理矢理飲み込んだ。
味なんてさっぱり、何を食べたのかさえ覚えていない。
「父とは呼んでくれぬのか?」
「えっ!?」
レナには突然の事で、全く理解できない。
「何も聞いておらぬのか?」
「はい…」
レナの手が震え出し食器がカチカチと音を立て始めた。
慌てて食器から手を離すレナ。
「食事が終わったら、アミラの元へ行こう」
国王が母の名を呼んだ!?
先ほど静まり返った心がまたざわざわと騒ぎだしている。
「はい…」
そう返事するのが精一杯だったが、食堂の片隅で涙するベルの姿に何かが動き出したのだと悟った。
見事に手入れされた敷地の一角、大きな庭園の中心に設けられた霊安堂に連れてこられたレナ。
ふわふわと漂ってくる花々の香りが庭園に色を添えている。
ひんやりと、そしてひっそりとした空気の霊安堂を、無言でアンドレの後ろを歩く。
霊安堂には多くの部屋があるらしく、それぞれの部屋に花の名前が付けられている。
鍵のかけられた扉の向こうには、王室の人々が眠っているのだろうか。
私のママがここに?
それに、この人が、私のパパですって?
人違いなのではないの?
様々な考えが頭の中をグルグルと巡っている。
扉の前でアンドレが足を止めた事に気付かず、背中にぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい!」
思わず出た大きな声が、霊安堂に響き渡る。
ゆっくりと振り返るアンドレ。
叱られる、と思った瞬間、アンドレが笑い出した。
「うっかりなところは、アミラに似たんだね。アミラも、しょっちゅうぼんやりと余所見をして私の背中にぶつかっていたよ」
レナは、アンドレの笑顔に釘付けになった。
見た事がある笑顔。
そう、レナ自身の顔に似ているのだ。
薄青い目も同じだ。
「さぁ、アミラが待っているよ」
百合の間と記された扉を開けたそこは、これまで暮らしていた家の数倍の広さの霊安堂であった。
美術品と言われても疑問に思わないであろう美しい棺の中に、母が安置されていた。
母は花に囲まれ、穏やかな顔をしている。
それは今にも、両手を広げアンドレとの再開を全身で受け止めそうな顔。
「ママ…」
母の頬に手を伸ばしたが、国王にしかられるのではと止めた。
レナの代わりにアンドレが頬に触れた。
「ずっと探していたんだよ」
愛おしそうに母を見つめるアンドレ。
「やっと戻って来てくれたと思ったら、こんなに冷たくなってしまって」
もう、何がどうなっているのかレナにはさっぱりわからなかった。アンドレの目から涙がこぼれ落ちるのを、ぼんやりと見つめるレナ。
レナの様子に気付いたアンドレは涙をぬぐう。
「さぁ、私は公務に向かうよ」
「もう暫くママの側に居ていいですか?」
少しでもここに居たいと思った。
「勿論だ、ベルを外で待たそう」
そう言ってアンドレはレナに背中を向けて出て行ってしまった。
アンドレは執務室で公務もそこそこに、考えを巡らせていた。いや、手に付かないというのが正解かもしれない。
どこから見てもレナは普通の少女だ。
しかし、あのアミラの娘でもある。
「アンドレ、アミラ様に何かあったのか」
普段はこんな時間に姿を見せないジャメルが執務室に入ってきた。子供の頃から一緒にこの白で育ったので、国王と部下と言うよりは兄妹のような関係だが、使用人の一人。黒い髪に、黒い目。長身で意思の固さを物語るキッと閉じられた口から発せられる声はとても低く響く。
昨夜は古城に出向いて、運び込まれたアミラとレナの事をさっき聞いたようだ。
結局こうなるまでアミラとレナの居場所を見つけ出す事は出来なかったが、ジャメルの力のおかげで二人が無事である事だけは把握できていた。
「死んだよ」
「やはり……」
恐らく何かしらの覚悟はしていただろうが、ジャメルは視線を下に落とした。
この城には今レナが居るのだが、それもジャメルは気付いているのだろうか。
もし魔人族の一人であるジャメルが気が付かないのなら、レナは本当に魔力を持たない普通の少女なのだろうか。
ジャメルが視線を上げた。
「アミラ様に会えるか」
「無理だ。霊安堂には一族と納棺師しか入れない」
「そうだったな……」
「母上の様子は」
古城では母ルイーズが暮らしている。
「変わらず」
「そうか、近々会いに行こうかと思ってるんだが」
母にもアミラの死と、レナの事を伝えなければならない。
「お会いになるだろうか……」
ジャメルがため息をつき窓の外を覗くと、城の上空に黒い雲がかかり始めた。
「嫌な雲だな、アンドレ」
まさに暗雲だ。
大粒の雨が、窓ガラスを濡らし始めた。
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