皇女七年物語
みや(弥也)
レナ13歳
第1話 天涯孤独になったはずだった
サコムドラ国の小さな田舎町プルスで、若く美しい女性が赤ん坊を産んだ。
母親譲りの栗色の髪、父親譲りの薄いブルーの目を持つ赤ん坊は、レナと名付けられた。
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優しく気高い女性、母アミラが死んだ。
「ママ!」
逝かすまいと握った母の手から力が抜けて行く瞬間、母を失う悲しみと、長く続いた苦しみから母は解放されたのだという安堵感が同時に十三歳のレナを襲い、混乱させた。
「大丈夫、いつか思い切り泣ける時が来ますよ」
長く隣人として母娘を見守り続けた老女ベルが、レナを抱きしめた。
混乱していたレナは、自分が泣いていない事にも気付いていなかった。
一方ベルのシワの目立つ顔は、涙で化粧が落ちとんでもない事になっていた。
「今夜はママのそばに居てあげてね」
レナの頭を優しくなでると、ベルは部屋を出て行った。
「ママ…」
もう一度、母の手を握ると力を失った手はとても重かった。
でもレナには、母は目を覚ましそうに思える。
そっと、母の頬に触れてみる。
「お化粧しなきゃね、ママ」
美しかった母は、亡くなった今も美しいままだ。
弔問に来るであろう人々に、最後まで美しい姿で会ってほしいとレナは思った。
「失礼します」
母が契約していたと言う葬儀屋の担当者が早速やって来た。
もう来たんだ、そう思ったのが顔に出てしまったのだろう。
「もう少し後の方がよろしいでしょうかね」
葬儀屋が恐縮して言った。
若く人の好さそうな青年だ。
「そうね、いくらなんでも早過ぎるわ。まさか、部屋の前で待ち構えていたの?」
厳しい声で返答したのは、いつの間にか葬儀屋の背後に立っていたベルだった。
「申し訳ございません」
葬儀屋は、逃げるよう部屋を出て行った。
「レナ、大丈夫?」
ベルは傷心のレナに寄り添った。
「うん、ありがとうベル」
ベルは、たった十三歳で母を亡くしたレナが不憫で仕方が無かった。
「ベル」
「なぁに」
「私、これからどうしたら良いんだろう」
一人取り残されたレナは、突然心細くなった。病身だったとは言えレナの傍には必ず母が居てくれていた。
「これまでと変わらず、穏やかに暮らしましょう。私がそばにいるわ」
ベルの言葉で、心細さが少し消えたようだった。
「ありがとう。そうね、ママが心配するといけないものね」
「そうよ」
ベルが、そっとレナの背中に手を当てた。背中から伝わるベルの温もりに、心が落ち着いた。
「葬儀屋さん、来てもらおうかな」
「もう良いの?」
「うん、ママに家でゆっくりして欲しいから。いつまでも病院じゃ、ママも落ち着かないわ」
「そう、じゃぁ呼んでくるわね」
本当にレナは良い子に育った。あの方もきっとお喜びになる。アミラ様の事は残念だけど、近い将来こうなる事は分かっていた。
ベルは自らにそう言い聞かせたものの、アミラがこの世を去った辛さには何の役にたたなかった。
知らせを聞いた弔問客が次々と途切れることなく訪れ、アミラとレナの小さな家は人で溢れた。
こんなにアミラ様は多くの人に愛されていたのか。
受付の手伝いをかってでたベルは、忙しく対応をしてた。
アミラはここ数年入退院を繰り返しており、それほど多くの人と係わる事はなかった筈。それにアミラは元々、人と係ること自体を避けていた。
では、なぜ。
暫く様子をみていたベルは気付いた。
弔問客の多くがアミラの知人ではなく、レナの知人友人なのである。
「さすがね」
思わずベルは声を出してしまった。
「何か?」
隣で手伝いをしていた葬儀屋のあの担当者に聞こえたようだ。
「何でもないわ。自分の仕事をしなさい」
葬儀屋は、恐ろしそうに目を丸くしてベルから視線を外した。
弔問客が途切れた少しの間にレナが受付にやって来た。
「ベル、お手伝いありがとう。長い時間ごめんなさいね。もう、こんな時間だし少し休んで」
「じゃ、少し家に戻るわね」
「うん」
ここ数時間でレナは少しやつれたように見える。しかし、母の葬儀を無事終わらせなければと言う使命感が身体の芯になっているようで、その姿は美しいと言う言葉でしか形容できない。
「綺麗な方ですよね」
思わず葬儀屋が言ってしまったのも頷ける。
「でも、まだ十三歳よ」
「え……」
「私は家に一度戻るけれど、ちゃんと仕事をするのよ」
「はい」
葬儀屋は、自宅へ向かうベルの背中に一礼をした。
ベルは、早すぎたこの時を複雑な思いで迎えていた。
「アミラ様、もう少し、せめてレナ様が学校を卒業されるまでは頑張って頂きたかったです。嗚呼でも、アミラ様が一番悔しい思いをなさっているのですよね」
身体は疲れているはずなのに、ゆっくりと休む気にはなれず、棚の片付けを始めた。
「もう泣いている場合ではないのに。流石に年かしらね。さぁこれからが私の本番」
ベルは、棚の一番奥に隠していた小瓶を握り締めた。
葬儀の全てが滞りなく終わった。
後は墓地へ向かうだけ。
「ねぇ、明日からウチで一緒に暮らさない?」
幼馴染のエヴァがレナを抱きしめた。
ママが亡くなってから、何人の人に抱きしめられたんだろう。
疲労がピークに達していたのか、エヴァの問いかけに返事もしないまま、レナはぼんやりとそんな事を考えていた。
「レナ? 大丈夫?」
心配したエヴァが、レナの顔を覗き込んだ。
「あぁ、ごめんなさい」
「凄く疲れた顔してる」
「あんまり寝れてないからね」
「なんなら今夜からウチに来る?」
一緒に暮らそうと言ったのは、何も思いつきで言ったのではなかった。両親とも相談をしたのだ。
「え?」
「だって、夜とか一人で怖くない?」
「大丈夫。隣にはベルも居るし。来週から学校へも行くわ」
「本当? 無理しないでよ」
「うん、ありがとうエヴァ」
墓地での埋葬は、許可が遅れて明日になってしまった。
後少し、母と二人で過ごせるなら、埋葬の許可がいつになってもレナは良かった。
そして、葬儀の参列者が帰った後、母の棺にもたれかかる様に眠ってしまった。
レナは夢を見た。
夢の中で、母は美しく健康だった。
「レナ、あなたは私の大切な特別な自慢の娘」
「ママ、ママも私の特別よ」
「何があっても忘れないで」
「うん、忘れない」
目が覚めた時、レナの頬は涙で濡れていた。
とても幸せな夢だったのに、どうして私は泣いているんだろう。
静かな家の中で、本当に一人になってしまった事を実感した時、ベルが食事を持ってきてくれた。
「何も食べてないでしょ」
「自分が食べる事なんて、すっかり忘れてた」
言われてみれば、母が危篤になってから今迄、何も口にしていなかった。
「そうだと思った。一緒にいただきましょう」
「お茶を入れてくるわ」
「ああ、良いのよ、レナ。私がするわ。少しでもママのそばに居たいでしょ?」
ベルがキッチンへ向かう。
暫くして戻ってきたベルは、無言でレナの手元にお茶を置いた。
「ありがとう」
レナは、何の疑いもなく口へ運んだ。
「これからの事は、何も心配しなくて良いのよ」
そう言いながら背中を優しくさするベルの手が暖かく、睡魔に襲われた。
ママとの最後の夜なのに。
レナはあっけなくベルの腕の中に収まってしまった。
「まだお小さいんですもの」
ベルの声を聞きながら、レナは闇に落ちて行った。
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