第3話 歩み寄る二人

 アミラの亡骸とレナが城に運び込まれてから数日が経過した。

 「ねえベル、私はいつ家に帰れるの? もう何日も帰ってないのよ」

 レナの最大の心配事は、学校だ。

 もしかすると今日辺り、心配したエヴァが家に来るかもしれない。

「私、学校に行くって、エヴァに言ったのよ」

 レナの部屋で、本を読んでいたベルが顔を上げた。

「私には何とも言えませんねぇ」

 

 コンコン


 アンドレが、ドアをノックしたかと思うと返事も待たずに扉を開けてズカズカと入ってきた。

「アンドレ様、女性のお部屋に入る時は、返事があってからお入りください。お着替えの最中でしたら、どうするんですか」

 ベルが渋い顔をしてアンドレを見ている。

「ああ、申し訳ない」

 一国の王が使用人に窘められて、慌てて部屋から一度出て、再びノックした。

「どうぞ」

 ベルの返事を確認してから、アンドレが入ってきた。

「これで良いか、ベル」

「よろしいでしょう」

 満足そうに微笑むベルを、レナはぽかんを見つめてしまった。

「ベル、あなた一体何者なの……」

 アンドレが微笑んだ。

「ベルはね、私の乳母だったんだよ」

「え!」

 思わず大きな声を出してしまった。

「レナ様、国王に椅子をお勧めして」

「あ! 気が付かなくてごめんなさい。国王、こちらへ」

 レナに勧められた椅子に座るアンドレ。

 無言の3人。

 時計の刻む秒針の音が部屋に響いていた。

「ベル、こう言う場合、何を話せばいいんだ」

 とうとうアンドレが音を上げた。

「なんなりと」 

「そう言われてもな……」

 アンドレが頭を掻いた。

 レナには聞きたいことが山のようにある。

 聞くなら今だ。

「あの」

「なんだ、どうかしたか?」

 レナから話しかけられた喜びが隠せないアンドレ。

 思わずレナの顔を覗き込んでしまい、レナは硬直してしまった。

 嬉しそうにレナの顔を覗き込む国王の様子に、ベルは笑いが堪えられなくなった。

「ベル、なぜ笑うんだ。失礼だぞ」

「だって、アンドレ様の嬉しそうなお顔」

「そうよ、人の顔を見て笑うなんて失礼よベル」

 ベルが笑い出した事で、緊張のほぐれたレナがアンドレの肩を持った。

「まぁ、お二人揃って。それはそれは申し訳ございません。では、私は席を外しましょうか」

 アンドレとレナは、慌てた。

 今、この二人を繋ぐのはベルしかいないのだ。

「ここにいてベル」

 レナが懇願した。

「承知しました」

 相変わらずベルは笑ってる。

 笑いながら、ここにアミラ様がいらしたら、と思わずにはいられなかった。

「では、改めて聞こうレナ。聞きたい事は」

「はい、あの、私いつまでここに居ればいいですか?」

「え?」

 アンドレにはレナの言わんとすることが、理解できなかった。

 探し続けた娘が、こうしてやっと一緒に暮らせるようになったと言うのに、どこへ行こうと言うのだ。

「早く学校に戻らないと卒業が怪しくなりますし、友達のエヴァも心配してると思うんです」

「レナは、ずっとこの城にいるんだよ。勉強なら家庭教師をつけよう」

 学校へ通った事のないアンドレには、レナがなぜそんなに学校を気にするのか分からない。

「でも…。ママ……母とも学校は卒業するって約束したんです」

「アミラと……か」

「はい!」

「ベル、どうしたものかなぁ」

 レナは、ベルは学校へ戻れるように言ってくれるものだと思っていた。

 しかし、

「アンドレ様の思うがままに」

 期待は裏切られた。

「そうか、ではレナは私のそばに居なさい」

「そんな!」

 レナは思わず大きな声を出してしまった。

「ベル、家庭教師の手配をお願いするよ」

「承知しました」

 これで決定。ベルの目がそう語っていた。

 ベルは助け舟を出してくれると思ったレナは、すっかりとむくれてしまった。

「どんなに拗ねて見せても、国王の決定した事は、絶対ですよレナ様」

 ベルとしてはアミラが居なくなった今、レナを守れるのはこの城しかない。そう確信していた。





 アンドレは執務室で上機嫌だった。

 これで、愛しい娘とこの城で暮らせる。

 欲を言えば、アミラにも元気に戻ってきて欲しかった。

 それが叶わぬ事であるのは、あの日アミラから説明もされていたが信じがたかった。

 窓から庭を覗くと、大荷物を抱えて歩くレナと、慌てて追いかけるベルの姿が見えた。

「あの二人は、何をやってるんだ」




「レナ様! お待ちください!」

「いやよ、家に帰るの」

 大荷物を抱えて、レナは城から出ようと庭を横切っていたが、実際のところ、このまま進んで城から出られるのかは不明だった。

「もし、今お城を出られたら、二度と入れませんよ」

 何とかレナに追いつこうとするのだが、離される一方だ。

「いいわよ別に」

「アミラ様にも会えませんよ!」

 そう、レナの母親の亡骸はこの城の霊安堂にいるのだ。

 レナの足が止まった。

「それは困る」

「では、お部屋にお戻りください」

「それも嫌」

 レナ、方向転換をして再び歩き出す。

「レナ様、どちらへ」

 ベルの息は切れ切れだ。

「ママの所! ママに相談する!」

「霊安堂は、逆方向です」

 レナ、くるりとり返って方向を変え、歩き出した。



 霊安堂まで来たのは良いが、施錠されていて入れない。

 大きな荷物を抱えたままレナは、どうしたものか、と立ち止まっていた。

 ベルがやっと追いついた。

「ベル、鍵は持ってない?」

「いえ」

 この霊安堂にはいれるのは、王族の者だけだ。

「そっか、そうだよね。そんな簡単には入れないよね…」

「鍵はここにあるよ」

 レナとベルが振り返るよ、アンドレが美しく装飾された鍵を持っていた。

「この鍵で、この正面扉とアミラの居る『百合の間』が空けられる。そしてこれはレナ専用の鍵」

「ありがとうございます」

 大荷物を下に放り投げ、アンドレから鍵を受け取ったレナは正面扉を鍵を開けた。

「一緒に行って良いかな」

 アンドレの申出に一瞬躊躇したふが、断る理由が見付からなかった。

「もちろん」

「では、一緒に行こう」

 二人が霊安堂に足を踏み入れると、ベルはレナが放棄した荷物を、拾い集め始めた。

「私はここで、お二人をお待ちしておりますね」


 

 静かな霊安堂の中に、父と娘の足音が響く。

「静かですね」

 あまりの静けさにいたたまれなくなったレナが、思わずアンドレに話しかけた。

「ここに居るのは、私達以外は死者だからね」

 レナは、一瞬背筋に冷たい物が走ったように感じた。

「怖がる事はないよ。みんなレナの先祖だよ。レナが怖がるような事はしないよ」

「そ、そうですよね……」

 と言われても、母以外あった事もないのだ。

「私も子供の頃は怖くて、ベルに同じ事を言われたんだけどね」

 レナは変な気分だった。

 母以外に身内は居ないと思っていたのに、先祖と言われてもピンと来ない。

「さあ鍵を開けて」

 アンドレに言われて『百合の間』の前に着いた事に気が付いた。


 カチン。


 静かな霊安堂に響く開錠の音。

「その鍵、少しかしてごらん」

 アンドレはレナから鍵を受け取ると、ポケットから金のチェーンを取り出し鍵を通し、レナの首にかけた。

「棺の蓋が閉められる迄は、いつでもここに来てアミラに会うと良い。」

 レナが胸元に輝く鍵を握りしめた。

「有難うございます。蓋が閉められてしまったら、会えないんですか?」

「二度と蓋は開かないけれども、ここへ来る事は出来る」

「良かった」

 百合の間の扉をレナが開いた。

「では、ゆっくりすると良い」

 去ろうとするアンドレの腕をレナが思わず掴んだ。

「あ、ごめんなさい」

 咄嗟の自分の行動に驚き、レナは思わず誤った。

「なんだい?」

「ママと相談したい事があって。一緒に居てもらっていいですか?」

「かまわないが」

 レナが扉を開けると、アミラは変わらずただ眠っているように、棺の中に居た。

 アンドレの『死者』と言う言葉に一瞬恐怖を覚えたけれど、母の亡骸には恐怖を感じなかった。

「ママ、相談があるの」

 勿論アミラは何も答えないが、レナは続ける。

「ママ、パパが生きてるなら、そう言ってて欲しかったな」

「アミラは私の事を何と言っていたんだい」 

「凄く遠い所にいて会えない、って」

 どうして私にはパパが居ないの?

 物凄く小さい頃に聞いた時、アミラはそう答えた。

 そして、それ以上レナも父について聞くことは無かった。

 父と言う存在の居ない事が、普通になっていた。

「間違ってはないし、死んだとも言ってないじゃないか、アミラらしいな」

「そうですけど……。ああ、死んじゃったんだなって納得しちゃって、それ以上聞かなかったから」

「聞かれなかったから答えなかったんだろうな」

「ママのこと、よく知ってるんですね」

「そりゃ、愛した人だからね」

 そう言ったアンドレの視線は、アミラを捉えていた。

「どうして、愛した人と離れ離れだったんですか?」

 ついアンドレを責めるような口調になってしまった。

「それは……」

 急に口の重くなったアンドレを見て、聞いてしまった事をレナは後悔した。

「あの、ごめんなさい」

「いや、レナの言うとおりだよ。だからもう手放したくない。レナには城に居てほしい」

「ママ、どう思う?」

「きっとアミラも賛成してくれるよ」

「そうかしら」

「ん?」

「ママは私が学校を卒業するのを楽しみにしてたの。お友達も沢山いて、成績は良くないけど、勉強も運動も頑張ってたの」

「レナは何を望んでいる?」

「え?」

「遠慮せずに言ってみなさい。私だって鬼じゃない。自分の思いを一方的に押し付けるつもりもない」

「でも」

「では、お互いの望みを順番に言ってみよう。私の望みは、レナとこの城で暮らす事」

「はい」

「じゃ、レナの望みは?」

 言ってしまって良いのかレナには分からなかった。

 本心を言ってしまったら、アンドレが悲しむのではないだろうか。

「言わないと分からないよ」

 確か母にも同じような事を言われた覚えがある。

 あれはいつだったんだろうか……。

 あの時の母の優しい顔が、レナに勇気を与えた。

「あの、私、いつもどおり暮らしたいです」

「いつもどおり……」

「はい、学校を卒業する迄で良いんです」

「そうか」

「はい、後三ヶ月程。ダメですか」

 アンドレは物言わぬアミラを見た。

 アミラだったら、何と答えただろうか。

「ベルとも相談してみよう」

「本当ですか!? ありがとうございます!」

 棺の中のアミラが少し微笑んだようにアンドレには見えた。

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