老孤

 とある地方にきつねりの名人がいた。彼のために狐は捕りつくされ、そのあたりでは老孤一匹を残すばかりであった。

 毎回、老孤も餌欲しさにわなへ近づくのだが、もう一歩のところでいつも踏みとどまっていた。しかしながら、餌の誘惑にそのうち負けてしまうだろうと、名人は見ていた。


 さて、ある深夜。その付近の寺にて僧が学問に励んでいるときのことだった。

 老婆が訪れ、自分をくだんの狐だと言い、頼みごとをしてきた。

「あなたさまの知り合いに、仲間の狐を捕られてしまい、あとは私を残すのみです。このままでは私も捕らえられてしまうでしょう。どうかあなたさまのほうから、罠をかけないように名人へおっしゃってくださいませんか。そうすれば、わたしの学んだ仏法をあなたさまへお教えいたしましょう」

 話を聞くと、僧は老婆に尋ねた。

「罠の件は任せなさい。しかし、罠とわかっていながら、なぜ、私に頼むのだ」

 老婆が答えた。

「いまのようなときはよいのですが、そこは畜生の悲しさ、餌を見てしまうとだめなのです」

 僧がさらに老婆を問いただした。

「そのような体たらくのおまえが仏法を説くと言うのは、おこがましいことではないのか」

 僧のもっともな疑問に対する老婆の答えは次のようなものだった。

「もっともなお話です。前世、私は僧侶だったのですが、心掛けがわるく、畜生に生まれ変わってしまいました。私がお教えしようとしているのは、前世で学んだ知識です。不審に思われるのならば、試しになにかお尋ねください」

 言われるがままに僧があれこれ尋ねると、老婆はすらすらと答えた。僧は驚き、明日、名人のところへ行くことを老婆に伝えた。


 翌日、老婆との約束通り、僧は名人の家へ出向いた。しかし、折悪く彼は留守で、会えたのは三日後だった。

 すでに時遅く、その前日に老孤は罠へかかっており、すでに皮を剥がされていた。



参照:高田衛編「江戸怪談集上」の宿直草『智ありても、畜生はあさましき事』

逐条訳ではないが、雰囲気は変えていないつもり。聞いたことのある話だが悪くない

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