第20話

「お前はいつも、口を開けば訳のわからないことばかり」

 俺は小薗江から託された刀を脇に構える。

「お前の言う、鬼だの宇宙だの神秘だのの話なんて、正直どうだっていいんだ。そもそも、お前が引っかき回さなければ、静かに終息していく予定の話じゃねえか」

 これまで藤島が俺に語ってきた話は、どれも信じがたい内容のものばかりだった。でも、今まで俺が聞いてきた話は、全て本当の、現実の話なのだろう。それはここ数日間で俺が目の当たりにしてきたもので、ほとんど証明されている。しかし、それでも、

「俺は、俺と真菜が人でないということを知った上でも、共に人として、普通の日々を過ごしていきたいと願う」

 真菜を守りたい。この気持ちは、もしかしたら俺の体内に半分流れている鬼の血が、強制的に思わせている、作られた感情なのかもしれない。一方で、真菜と共に普通の日々を過ごしたいというこの気持ちは、間違いなく俺自身のモノなのだと確信できるのだ。なぜなら、鬼だろうと半鬼だろうと、人と同じように、結婚し、子を産み育て、生涯を終えていくという営みをもっているからだ。その営みに必要なのは他者に対する恋であり愛だ。真菜を守りたいという気持ちが、半鬼としての使命感から湧き上がるものであったとしても、それよりも先の望みである、真菜と共に普通の日々を過ごしたいという気持ちは、間違いなく俺本心の恋であり愛からくるものなのだ。

「だから、今の俺にとって、その営みの邪魔をする藤島という存在は、排除しなければならないものなんだ」

 俺は、脇構えの姿勢をとる体に力を込め、本格的な攻撃態勢に入る。

「クク、クハハ、ハハ、アハハハハハハハハハハハハハハ」

 藤島を切り伏せる準備の整った俺の体は、その藤島の不快な笑い声によってリセットされてしまった。

「な、何がおかしい?」

「ハハ、普通の日々を過ごしたいって、君は、ククク、馬鹿なのかなぁ」

 心底笑いが止まらないといった様子の藤島。

「佐藤君。一気にいろんなことがあったから忘れてしまっているのかもしれないけどさ。この娘、外木真菜はさ、5人の人間を殺した大量殺人犯だよ」

「・・・!」

「それに殺しただけでは飽き足らず、」

 だめだ。その先を言っては・・・

「その血肉を一切の痕跡を残さないくらいに綺麗に平らげてしまうような、正真正銘の化け物じゃん。思い出してよ」


 この非日常の始まりは何だったか。

 真菜が引き起こし、俺が目撃した怪異だ。

 怪異などという言葉で濁してはいるが、要は、真菜が人を殺してそれを喰ったということだ。真菜という存在は、正体が鬼だという事実以前に、大犯罪者なのだ。

 これは、今後も人間社会で、人間として生きていく上で、非常に大きな障害となるだろう。しかし、

「それが、どうした。いや、だからこそだ」

 藤島の不快な笑い声が止まる。

「なら、なおさら、真菜には生きてもらわなければだめだ。生きて生きて生きて、その罪を償ってもらわないと」

 普通の日々を送りたい。それは人間社会で生きるということ。ならば、人間社会のルールは守るべきだ。それが普通というものだろう。

「その過程でもし、真菜の償いを邪魔するような奴が出てくれば俺が排除する。逆に真菜自身が償いから逃げようとするなら俺が真菜を奮い立たせる。それだって"守る"ということに違いは無い」

 藤島の視線は恐ろしいほどに冷たく、威圧的だ。しかし、この藤島との問答は、俺の決意をさらに堅く、そして意思を強くさせた。

「さあ。消えてくれ藤島」

 俺は船首に立つ藤島に向かって、甲板を疾走する。船は本格的に、停止に向けた減速を始めていた。

「もういい。会話など無駄だったようだ」

 そう一言つぶやいた藤島は、いつの間にか手に握っていた禍々しい書物を上空へと掲げた。

 すると俺の目の前に、胸焼けを起こしそうなほどに強烈な極彩色の魔方陣が発生し、見たこともない生物を出現させた。

 およそ二メートルほどの人型生物。過剰なほどに逆三角形の体格を有し、首から上は、切り落とされてしまったかのように、根元から存在しなかった。

 俺はそんな化け物の出現にも動じなかった。刀を握る両手に力を込め、疾走の勢いを利用しながら、右下から左上への切り上げ攻撃を試みる。

 しかし、敵の方が速かった。体格からは想像もできないほどの速度で、拳の一撃が俺の体を殴り飛ばす。

 元いた位置まで殴り飛ばされた俺は、全身を駆け巡る激痛に苦悶した。その瞬間的な苦悶が隙を作ってしまった。

 間合いを容易く詰められた俺は頭をつかまれ、体を持ち上げられる。

 あまりの苦しさに意識が飛びそうになる。しかし、真っ暗になりつつある俺の視界に、首をつかまれながら藤島に持ち上げられているの真菜の姿が入ってくる。その光景は、俺を奮い立たせるのに十分なものだった。

 俺は力を振り絞り、俺の体を持ち上げている化け物の腕に、ぶら下がり腹筋の要領で足を絡ませる。そして、右手に持った刀で、化け物の拳を一気に切り落とした。

 この予想外のダメージに、化け物は後方に一歩二歩とよろめく、その隙を見逃さない。俺は甲板に降り立つと同時に、よろめく化け物の懐へと潜り込む。

「ふっ」

 一つ息を吐く。いや、一つ息を吐き終わったときにはもう、化け物は、千の肉片に切り刻まれていた。


「おお。お見事」

 全く感情のこもってない藤島の声が、先ほどまでよりも鮮明に俺の耳に届く。

 船は完全に停止していた。船が作る波の音も、海洋そのものの波の音も、全く存在しない。海上は不気味な様相を呈していた。

「じゅ、じゅんぺい、くん」

 意識の戻った真菜が、苦悶の声を上げる。真菜の首を絞める藤島の右手は、徐々に力を強めているように見える。

「真菜っ!」

 俺は真菜に駆け寄っていく。いや、藤島を殺しに寄っていく。

 しかし化け物との戦闘で無理な動きをした俺の体の筋繊維は、どこもかしこも強い損傷を負っていた。そんな俺の状況をよそに、藤島は次の局面へと時の流れを推し進める。

「さあ。始めよう」

 その藤島の声を聞いてからは、まるで、スローモーションの世界に居るようだった。

 いや、スローモーションだったのは俺だけだ。ダメージを受けすぎて、体が思うように動かないのだ。

 藤島が空いている左手をポケットに入れる。出てきたのは奇妙な装飾の施されたナイフ。そのナイフの鋭利な先を、真菜のみぞおちへそっと突き立てる。白い肌からぷっくりと鮮血が漏れる。

 俺は慌てて駆け寄る。しかし駆け寄っているのは気持ちだけ。おぼつかない俺の足取りは、甲板の微妙な凹凸に引っかかり、体の支えを奪われる。

 倒れ込みながら、俺はとっさに真菜の顔を見た。

 気丈に振る舞う満面の笑み。しかし、その笑みには満面の悲しみも内包されていた。


ドロリ


 藤島によってさらに押し込まれたナイフは、真菜の体に大きな穴を開けた。

「くくくくく、はははははははははははははははははははっはははは」

「ふじしまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああっ」

 声量とは裏腹に、俺の体には立つだけの力も残されていない。甲板を這いつくばりながら真菜と藤島のもとへずるずると進んでいく。

「ふじしまぁぁぁころすころすころす、ぜってぇころす」

 藤島が俺を見る。白目をむくほどのおぞましい笑みがその顔に張り付いていた。しかし、そんな表情も一瞬にしてなりを潜め、突然何もかもが無関心になってしまったかのような無表情へと一変する。その藤島の異常な表情変化を目の当たりにした俺は、憎しみに支配されている思考の中でさえも「ああ。こいつはやっぱり化け物なんだな」と奇妙なほどに冷静な分析をしていた。

「ふじしまぁてめぇ」

「さっきから藤島藤島って何度も呼ぶなよ。気持ち悪い」

 そう言って、まるで鼻をかんだティッシュをゴミ箱へ投げ捨てるかのごとく何気ない動作で、血を止めどなく垂れ流す真菜を海へと投げ捨てた。

「真菜ぁっ!」

 それを追うように、俺も深い海へと転げ落ちていった。



***



「今更、組織の縦割りなんてどうでも良い。早急に船を用意しろと言っている!所長である私の命令だぞ!」

 佐藤と藤島、そして不気味な船が目の前から消失して、かれこれ一時間以上が経過していた。

「藤島が船を持ち出した以上、向かう先は一つだ。太平洋の西経・・・」

 今ほど、無線機を通して、部下に怒鳴り散らかしたことなど過去に一度も無かった。

 おそらくこれは、八つ当たりなのだ。藤島を追うことに生涯を掛けながらも一度たりとも藤島の動きを止められなかった自分の無能さと、こうして世界の終わりが確定してしまったことへの敗北感。

 そんなものを唐突に自覚してしまった私は、無線機を捨て、ひび割れていく空を見上げた。



***



 所長に託されたとおり、私はすぐに本部へと戻り、手当たり次第、上席の人間に状況を全て説明した。

 しかし、誰も私の話を信じなかった。

 空がひび割れていく様子を目の当たりにしても、誰も信じていなかった。

 結局、私は無能なままの刑事で終わるのだ。

 所長に託された最後の仕事も全うできず。

 この様子じゃ刑事としての私に次はない。

 だってそもそも、今の世界に次がないのだから。



***



 海面から血の線を作りながら、真菜が海底深くへと落ちていく。浮力などまるで感じさせない。

 血の線をたどり、真菜を求めて、俺も深く深く潜っていく。

 手を伸ばす。真菜の腰に手を回し、そっと抱きしめる。

 思えば、俺は流されてばかりだった。

 綾瀬さんに流され、藤島に流され、小薗江に流され、最後もやっぱり藤島に流された。

 自分の意思で行動してると錯覚し、その実、流されているという事実から目を背け、毎回それっぽい意思を自分の中で構築していた。

 結局のところ、鬼の一族という表面の側に囚われて、俺には中身がなかったということだ。

 俺がそんなんだから、こんな結末を引き寄せたのかもしれない。


ごぼごぼごぼごぼごぼ


 真菜と俺が沈んでいくのとは反対に、強烈な勢いで、暗い海底から何かが浮上する。

 それはきっと、想像を絶するほどにおぞましいものなのだろう。でも、もう俺には関係のないことだ。

 最後の最後で唯一絞り出せた俺の明確な意思は、どこまでも、ネガティブなものだった。

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