第19話

「真菜っ!」

 綾瀬さんの制止を振り切り、俺は勢いよく喫茶店の入り口を開ける。既に開店時間だったこともあり、ちらほらといる客が何事かといった視線を俺に向ける。しかし、そんなものを気にしている場合ではない。

「遅かったか」

 後から喫茶店に入ってきた小薗江が悔しそうに言う。綾瀬さんは外で待機しているようだ。

 小薗江が急遽手配した警察車両でここまで急行してきたため、移動にかかった時間はかなり短く済んだが、それにしても遅すぎだった。真菜の気配はない。

 幸い、死の危険が迫っているという状況ではないようだが、鬼の血縁のパスで感じ取れるのは、現状その程度だ。

 俺は、事情を知っているだろう喫茶店のマスターを探す。探すという表現が正しいのかはわからない。なぜなら、営業が開始している時間であることを考えれば、探す必要など無くとも、まず間違いなくマスターとして店内にいるはずだからだ。しかし、恐ろしいほどに存在が希薄な老人なのだ。そこに居るとわかっていても、意識的に認識をしていないと、すぐさま認識外の存在となってしまうのだ。

 案の上、カウンター付近で、ぼんやりと存在の気配を感じ取れた。俺はかろうじて認識のできたマスターに詰め寄り、問い詰める。

「真菜はどこだ。藤島が連れて行ったんだろ?答えろ!」

 店内が静まりかえる。マスターは動じない。

「貴様、無存在じゃないか。こんなところにいたのか」

 無存在。小薗江管轄の研究所から藤島によって盗み出された神秘献体。このマスターのことだったのか。

「ちょうど良い。また研究所での生活がしたくないのであれば、藤島の居場所を答えろ」

 この小薗江の言葉には、さすがのマスターも眉を動かす。そして少しの間、小薗江とのにらみ合いをした後、ゆっくりと口を開いた。

「あの男は、目的の最終工程に入ろうとしている」

「最終工程とはなんのことだ」

 俺はせかすように聞く。

「この世の底から、新たな支配者を呼び入れる」

「底?底って何だ?」

 俺の尋問は止まらない。

「ちっぽけな人間には到底観測しきれない、海洋の底だ」

 海洋。海か。

 この情報が抜き出せた時点で、もうマスターに用はない。

 俺は小薗江に声を掛け、マスターを残し、速やかに喫茶店を出る。行き先は決まった。

 思考を次の段階に移行させた時点で、マスターの存在は俺の認識から消失していた。

「次はどこに向かうの?」

 外で待機していた綾瀬さんが、喫茶店から出てきた俺と小薗江を見て聞いてくる。

「とりあえず海だ。早く乗れ」

 俺の代わりに答えたのは小薗江だった。待機させていた車両に、既に乗り込もうとしていた。俺と綾瀬さんもそれに続く。

「佐藤順平。お前にこれを渡しておく」

 車両に乗り込むなり、小薗江は俺に、金と赤で装飾の施された、煌びやかな刀を手渡した。

「式典で礼服を着るときに帯刀する刀だ。見世物としての装飾はされているが、私のは本物。真剣だ」

 俺は鞘を控えめに抜いてみる。刀身はまぶしいほどに冷たく輝いていた。

「まさか、現役の警察が民間人に武器を提供するなんてな」

 小薗江はふんと鼻で笑うと、

「拳銃を渡しても良いが、そっちの方が扱いやすいだろうと思ってな」

 はなから提供しないという選択肢はなかったようである。

 この状況を見た綾瀬さんは諦めと呆れが混在した、複雑な苦笑いをしていた。

 すると突然、車窓から見える外の様子が真っ白な霧でおおわれ始めた。まるで白い壁の中に入り込んでしまったかのごとく、一切の斑を感じさせない霧であった。

 藤島が居ると思われる海岸沿い。あるいはもう海に出ているかもしれないが。藤島に近づいて行っているがために起こったこの現象は、明らかな異常であった。

「所長。これ以上車両での進行は不可能かと」

 そう言って、運転を任されていた藤島の側近は車両を止める。

「構わない。ここからは徒歩で進む。私と佐藤の二人でな」

 小薗江が挙げた人員の中に綾瀬さんは居なかった。

「ちょっと待ってください所長。私も」

「君はただの刑事だ。これ以上、首を突っ込む必要は無い。それに君には、本部にこの情報を伝えに行くという大事な役目がある」

 実際、綾瀬さんをこんな状況にまで連れ込んだのは、俺と小薗江の二人なのだ。その内の張本人から、これ以上は付いてくるな、などと言われるのは、あまりにも勝手で屈辱的だろう。しかし、この小薗江の提案は正しいと、俺は思う。

 ここまでの綾瀬さんはどこまでも”人”だった。神秘などとは縁遠い、俺たちとは別の生活圏にいる人だった。

「また、私は何もできないんですか。何の成果も得られず、ただ辛い思いをするだけなんですか」

 綾瀬さんの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「ああそうだ。今回、君は何もできず、ただ無能なだけの刑事で終わる」

 重い間が空く。しかし

「だから次は、しっかりと成果を上げろ。そして、我々は、君に次のチャンスを与えられるようにこれからの戦いを勝ちに行く。藤島を倒す」

 藤島を倒し、真菜を助ければ世界は終わらない。それは綾瀬さんに刑事としての”次”を与えることにもなる。

 綾瀬さんは言葉を失っている。正直納得したという表情はしていない。それでも、必死に、一度だけ、深くうなずいた。


 俺を先頭に霧の中を進む。ここまで来れば真菜の位置もおおよそ把握できるようになった。そしてそれは藤島に近づいていることも表している。俺と小薗江の間で会話は無い。緊張感が漂っている。

「ちょっとちょっと。それ以上進むと海に落ちますよお二人さん」

 とっさに、俺は刀に手を掛け、小薗江は拳銃を手に取る。聞こえてきたのはこの緊張感には不釣り合いな藤島の声だった。

「藤島!どこだ。真菜を返せ!」

 俺は憎しみを込めて声を張り上げる。

「どこも何も、ここに居るよ。まったく血が薄れているとはいえ、君ほんとに半鬼なの?」

 その言葉に反応するよりも早く、俺たちのいる場所の霧が、半球状の空間を形成するように一気に晴れた。そこではじめて、俺と小薗江はあと一歩で海という位置まで海岸に近づいていたことに気がついた。むろん霧の外の状況はうかがえない。しかし、霧の外がどうなっているかなど気にならないほどに、巨大な建造物が目の前にあった。

 船である。

 大航海時代を思い浮かべてしまうような、年期の入った木造の大型船だった。

 そしてその船上に、藤島が居た。


 パァン


 銃声が響く。藤島の位置を特定するなり小薗江がとっさに発砲したのだ。この辺の容赦のなさは一級品だ。しかし俺たちと藤島の間には距離がありすぎた。弾丸は藤島まで届かない。

「まさか小薗江くんまで仲間に引き入れているなんてね。でも悪いけど、用があるのは佐藤くんだけなんだよ」

 そう言うと藤島はポケットから文庫本サイズの、まがまがしい書物を取り出し、慣れた手つきで開く。その瞬間、俺は恐ろしい吐き気に襲われた。同時に視界がゆがみ、目の前の世界が、何のコンセプトもなしに描かれた、乱雑な水彩画のように適切な形を失っていく。

「さとっ・・・」

 小薗江が俺の名を呼んでいるのだろう。しかし、最後まで聞き取る前に俺の視界は真っ暗になり、強烈な力でどこかに引っ張られた。

 視界はすぐに正常に戻った。しかしそれが本当にすぐの出来事だったのか、俺には自信が無かった。

 なぜなら、俺は今、船の上にいて、その船は既に海に出ていて、現在進行形で海上を進んでいたからだ。

 藤島が禍々しい書物を開くのを見た、先ほどのほんの数秒前とは自分の居る場所があまりにも違いすぎた。

「ようこそ僕の船へ」

 藤島は船首に立っていた。距離にしておおよそ二十メートル。その横には、全身の白い肌をあらわにしている真菜が、ぐったりと横たわっていた。

 俺は憎しみに身をまかせ、小薗江から託された刀を抜く。

 空を切る音と共にむき出しとなったその刀身からは、殺気があふれていた。

「猛々しいなぁ。何よりもまず彼女を助けることが先かぁ」

 そういって藤島はつま先で真菜の脇腹をつつく。

「てめぇ」

 俺は血がにじむほどの力で柄を握っていた。ここで藤島に斬りかからなかったことを褒めてもらいたいぐらいだ。俺がかろうじて冷静さを保って居たのにも、理由がある。疑問があったからだ。

「なぜ俺をこの船に入れた?」

 藤島はニッと悪い笑みを浮かべる。

「僕の主は大いなる力を持っている割に、小さい心の持ち主でね。ただ目的を果たすだけじゃ飽き足らず、他の世界線支配者には少しでも屈辱を味わわせてから排除したいんだってさ」

 世界線支配者?

「だから君には鬼の末裔として、自分たちの選んだ世界の終わりを見届けて欲しいんだ。唇をかみしめながらね」

「世界線支配者とはなんのことだ?」

 藤島は何かを思い出したかのように、手をぽんとたたく。

「そうだ。その話をしていなかったね」

 俺は会話を続けながらも藤島の隙をうかがう。しかし、語るという行為においての藤島の求心力は絶大だ。

「この宇宙という空間ができたとき、ある四つの種族がその覇権を争っていたんだ」

 俺と藤島の間にはそこそこの距離がある。にもかかわらず藤島の声は、喫茶店の同じテーブルで話しているときのように、鮮明に聞き取れる。

「覇権を争うと行っても、物理的に争っていたわけじゃない。四つの種族って言ったけど四つの世界線って言った方が正しいからね。世界線の争いなんて高次元のお話過ぎて、人間の脳みそでは具体化はもちろん想像すら難しいだろう?」

 こんな話を真剣に聞き入れる俺も、藤島同様狂っているのだろうか。

「まあ、簡単にいってしまえば、より繁栄した世界線がこの宇宙での生存を許されるってことだよ」

 俺たちを乗せた船は悠然と進む。もう周りに陸地は見えなくなっていた。

「初めはずっと、鬼と吸血鬼と人浪の世界線が優勢で、この三つが激しくぶつかり合っていたんだ」

 心底愚かだという表情をする藤島、そこにわざとらしさは一切無かった。

「でも長く続いた争いは、この三世界線を疲弊させた。するとどうだろう、それまで世界線の争いになど一度も参戦しなかった、それどころか当事者の一つであるにもかかわらず、そんな争いが行われているなど知りもしない一種族が、一番繁栄してしまっていたんだ。そう、その世界線こそが、人間の世界線さ」

 人間の世界線。これは俺や真菜の世界線ではないのだ。俺と真菜は、鬼の世界線だから・・・。

「そして疲弊して、絶滅が現実的となってしまった三世界線は、そこである取り決めをした。その取り決めっていうのが、争いをやめ、人間の世界にお邪魔して、互いにひっそりと暮らそうって感じのものだった。簡単に言うとね」

 あまりにも図々しく、勝手で、平和ぼけした代物に対して、俺はわざとらしく鼻で笑う。

「でも、その取り決めはそんな平和的な内容だけでは済まなかった。そこに付け加えられたのが、終末の取り決めだ。種族が勝手に滅ぶ分には構わないが、別の種族によって滅ぼされた場合には、世界もろとも終わらせてしまおうという取り決めだ」

 それが、こうして世界を振り回している終末の呪い。

「しかし、その取り決めには大きな誤算があった。彼らの中で、自分たちを滅ぼすだろう種族として、人間など考慮に入れていなかったんだ。だから、鬼を滅ぼそうと動き出した人間を前にして、鬼たちは焦ったはずだ。吸血鬼でも人浪でもなく、まさか人間がってね。だからこうして、杜撰な延命の下で、君や外木真菜のような哀れな存在が産まれてしまったんだ」

 結局のところ、鬼の種族として産まれた俺たちはどこまでも、その鬼の血のせいで穏やかには暮らせないってことなのだろうか。

「どうだ?阿呆みたいだろ?この世界の成り立ちは。一度リセットした方が良いと思う、僕の考えって正しいだろ?だから僕は、この外木真菜を殺して、世界を終わらせる。この宇宙を一度無にする。そして、この外木真菜の魔性を帯びた純血を用いて、僕の主をこの世界の支配者として召喚する」

 藤島は両手を広げ、船首から広大な海を眺める。こちらに向き直った藤島の表情は、冷徹な魔王を連想させた。

「知っていたかい佐藤くん。広大なこの海ってのは、宇宙とすごく似ているんだ。でも、僕たちの頭上に広がる宇宙とは全く違う。つまり海とは、海という名の、別の宇宙とも言えるんだ。僕はこの概念武装を用いて、僕の使命を果たそうと思う」

 藤島の語りが終幕を迎えるのに合わせて、俺たちが乗る船は、停止に向けて減速を始めていた。





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