第17話

「さて、もう少し休みたいところではあるけど、そろそろ動きだそう」

 休憩もそこそこに、俺は二人に向かって声をかけた。

 ひとまず直近の方針としては俺と綾瀬さんの二人で、どうにか小薗江に会いに行くということに決まった。

「ほんとに私は待機でいいの?たしかに一緒にいても足手まといになってしまうかもだけど」

 喫茶店の奥の部屋に通されてからの数時間、一切追っ手が来る気配がなかったということを考えれば、真菜はこの喫茶店に待機させていた方が安全だ。殺す気がない様子であったとはいえ、小薗江が真菜の処遇をどう考えているのかわからない以上、真菜を小薗江の前に立たせるわけにはいかない。

「大丈夫。むしろ真菜には安全が確保されている場所にいてもらわないと不安でしょうがない」

「そうね。外木さんはここに居た方が良いわ」

 二人にそう言われてしまった真菜は、素直にちょこんと女の子座りでその場に腰を下ろす。

「わかった。ここで待ってる。ちゃんと帰ってきてね」

 先に部屋を出て行く綾瀬さんをよそ目に、俺と真菜はつかの間、優しく見つめ合う。それだけで力が湧いてくる。それが、鬼を守る半鬼としてなのか、女の子を守る男としてなのかはわからずとも。


 部屋を出て、喫茶店を出ると綾瀬さんが既にタクシーを捕まえていた。

「いってらっしゃい、いってきますの、新婚さんみたいなやりとりは済んだかしら」

 喫茶店に来るまでは精神が仮死状態だったような人にからかいの言葉をかけられるとは思わず、あっけにとられてしまった。そんな俺の様子を見て何かを察したのか恥ずかしそうに目をそらす綾瀬さん。

「ええ。それはもう存分に」

 俺の遅れた返答を聞いたか聞かずか、綾瀬さんはそそくさとタクシーに乗り込んでしまった。

 俺も気持ちを切り替えてタクシーへと乗り込む。向かう先は、そう、

「駅前の警察病院までお願い」

 警察病院。警察庁の管轄というだけで、他の総合病院同様、一般の患者も受け入れてはいるが、警察組織の役職者や国防庁所属の隊員などを優先的に受診・入院させている、やや特殊な病院だ。

 祠で俺の反撃を受けて負傷した小薗江はその病院にいると、俺と綾瀬さんは踏んでいる。

「お見舞いですかい?」

 目的地を聞き、車を発進させたタクシー運転手が何気なく質問をしてくる。

「はい。面会をしたい人がいまして」

 俺の返答に嘘はない。その面会がお見舞いの様相を呈するものになるかは別として。

「ほうほう。その人も早く良くなると良いねぇ。わしもあの病院には何度かお世話に・・・」

 その後のタクシー運転手の雑談には綾瀬さんも俺と同様に耳を貸さなかった。適当に相づちを打ちながら俺は思考へと耽っていく。

 正直なところ、小薗江に会いに行くという選択が正しいものだとは思っていない。逆に間違っているとも思っていない。そもそも、現状俺たちに行動の選択肢はほとんど無いのだ。こうして自分が何者であるかを知って、はいじゃあ普通の学生生活に戻りましょうというのは、ここまで警察に目をつけられてしまった以上不可能だ。もちろん、あの喫茶店に匿われ続けるのも現実的ではない。そうなると何かしら俺たちの置かれている状況に変化を及ぼさない限りは、八方ふさがりのままになってしまうのだ。つまりその変化を及ぼすための一手が、小薗江に会いに行くということなのだ。しかし、一つ残念なこととして、小薗江に会いに行くというこの行動の結果が、吉と出るのか凶と出るのかは神のみぞ知るという状態なのだ。行き当たりばったりここに極まれりである。

 相変わらずタクシー運転手の意味の無い雑談は続いていくが、早々に目的地の建物が見えてきた。横に座る綾瀬さんが俺にアイコンタクトをする。

「運転手さんこの辺で大丈夫です」

 そう言って支払いを済ませる綾瀬さんを横目に、俺は一応の変装として喫茶店に山積みされていたマスクをつける。

 祠での事件からはやや時間が経過し、こうして外の様子をうかがってみると、わかったことがある。特別俺たちを探すために大規模な捜索や検問が行われているわけではないということだ。それほど俺たちを重要視していないということなのか、組織内でも限られた人員だけが最前線で動いているのか。真意はわからないが、この状況はむしろ好都合だと思いたい。

「行きましょうか」

 タクシーを降り、病院の入り口に目を向けながら、綾瀬さんが静かに熱のこもった言葉を俺に掛ける。

「こんなことになってはしまったけど、一応私も警察の人間。そうそうに門前払いを受ける、なんてことは無いと思うけど」

 しかしあの小薗江は、かなり偉いらしい。一介の一刑事をすんなり面会に通してくれるかというと怪しいところではある。

「そもそも、ここに小薗江が居るとも限らないんじゃないか」

「それもそうだけど。負傷をしていたのは間違いないし。わざわざこことは別の病院で治療を受けるとは思えない」

 綾瀬さん的に、ここに小薗江が居るということは間違いないらしい。その確信は実に頼もしいものだが。

 そんな一抹の不安を抱えながら、俺たち二人は病院の自動ドアをくぐり、受付へと歩を進める。

「こんにちは。ご用件は?」

 受付の事務員の対応を受け、綾瀬さんはポケットから警察手帳を取り出しながら要件を伝える。

「刑事課綾瀬です。小薗江統括所長との面会を希望です」

 それを聞いた事務員が、ほんの少し、それも一瞬だけ目を見開いたのを俺は見逃さなかった。

「面会と言われましても、そのような患者、当院には・・・」

「祠の件で話があると伝えてくれ」

 俺は事務員の言葉を遮るように嘘偽りのない、真実の要件を伝えた。

「祠?すいません何を言っているのかわからないのですが」

 ほんとうに何のことかわからないといった様子。それはまあ当然だろう。

「あなたが知らなくてもかまわない。とりあえず小薗江にそう伝えてくれ。それまで俺たちは待合室で待たせてもらう」

「ですからそのような患者はいないと・・・」

 俺はまたしても最後まで言葉を聞かず、その事務員が見える位置の椅子に陣取ることにした。

 この一連の振る舞いに綾瀬さんはやれやれといった顔をしつつ、俺の隣の椅子にゆっくりと腰掛ける。

「我慢大会の始まりですね綾瀬さん」

「あなたねぇ」

 事務員が音を上げるか、俺たちが立ち去るかの静かな勝負がここに幕を開けた。

 事務員のあの反応を見れば小薗江がここに居るのは間違いない。祠での一件を知っている人間が来たことが小薗江に伝われば、何かしらのアクションを起こしてくるはずだ。いまは、ただそれを待つのみ。

 長時間の戦いを覚悟していた。しかし、その時は数秒ほどであっけなく訪れた。

「小薗江統括所長がお待ちだ。ついてこい」

 突然背後から声を掛けられた。振り向くと、長身で黒スーツと黒ネクタイ、そして黒サングラスという如何にもな格好の男が佇んでいた。

「出迎えかしら?思ってた数倍は早かったわね」

 それに男は答えず、無駄のない動きでエレベーターの方へと行ってしまう。

 俺と綾瀬さんは互いに真剣な表情で顔を見合わせた後、小走りでその男についていった。

 実際問題、俺たちを捕らえるための罠という可能性もあったが、そもそも自分たちから進んでこんなところにやってきたのだ、今更そんなことを不安に思っていてもどうしようもない。

 俺たちは男と共にエレベーターへ乗り込み、五階の病棟へと向かう。どうやら小薗江は入院しているようだ。

 エレベーターを出る。廊下が左右に延び、目の前にはナースステーションがあった。病室は全て個室で、内部を見なくても、扉の様子から一般的な病室と比較してもかなり豪華な作りに感じられた。

「ここだ」

 男が案内したのは廊下を進んで一番奥の病室だった。

「入って良いのか」

 俺の問いに対して、男は顎で扉の方をを指した。どうやら入っていいらしい。

 俺は綾瀬さんを見る。緊張した面持ちの綾瀬さんは、うなずきを持って俺のアイコンタクトに答えた。そこで俺も病室の扉を堂々と開けた。

 案の定、かなり広い病室だった。ベットはもちろん、個室のトイレが完備され、勉強机や来客用と思われる椅子とテーブルまで備え付けられていた。

 小薗江はベットにおらず、椅子に座りテーブルに置いたノートPCでなにやら作業をしているようだった。しかし、右腕は完全にギプスで固定されており、キーボードの打ち込みには多少苦労しているようであった。

 小薗江をそんな状態にしたのは、当の俺なのだが。

「のこのことこんなところにやってくるとは。私もずいぶんとなめられたものだな」

小薗江の視点はノートPCの方に向けられたままだ。

「あんたが何をしたいのか、何を目的としているのか、確認をしに来た」

「私の目的だと」

 にらみつけるように俺たちを見る小薗江。

「ああ。藤島を殺し、俺を殺そうとし、真菜を捕らえようとしたその目的だ」

 小薗江は少しの間俺をにらんだ後、ノートPCを閉じた。

「そんなものを貴様らに話して何の意味がある?」

「場合によってはあんたらの方針に従う意思も無いわけでは無いということだ」

 少し考え込む様子の小薗江。次に俺の横に立つ綾瀬さんに視線を移す。

「綾瀬君。君はどっちに付くんだ」

俺は小薗江から視線を離さない。だから綾瀬さんがどんな表情をしているのか俺にはわからない。

「統括所長のお話を聞いて決めます」

 小薗江は俺と綾瀬さんを交互ににらみつけた後、小さなため息と共に視線を落とした。

「やれやれわかったよ。まあとりあえず座りなさい」

 そう言って小薗江は俺と綾瀬さんを来客用の椅子へと促す。突然の客人扱いに少し戸惑ったが、俺と綾瀬さんは素直に従う。

「あんたもずいぶんと暢気だな。ボディーガードの一人も部屋に入れないとは」

「ボディーガードを何人入れたところで、どうせ君には勝てないだろう。無意味だ」

 そしてギプスに固定された自分の右腕を見ながら、

「それに、こんな状態で一戦を交えたいとも思わない」

 プライドの高い男だと思っていたが、そうでもないのかもしれない。

「あんたにそんな怪我を負わせた俺の力について、どれくらい理解してるんだ」

「詳細は知らないが、おおよその予想は付く。鬼の力がどうとかって話だろう?」

 鬼の存在について多少の認識はあるのか。

「統括所長はその知識をどちらで?」

 綾瀬さんが俺の代わりに質問する。

「藤島が大学時代に書き上げてた論文だ。藤島は私の大学時代の先輩にあたる」

 藤島の論文?なんだそれは。

「もとより我々の最優先の目的は、藤島の将来に向けた完全なる排除だったのだ。鬼とやらについて多少の知識はあるが、実際のところそこまで重要視していない」

「どういうことだ?」

「その程度の神秘であれば、この世界にはいくらでもある。いちいち対処なんてしていられない。それよりもまず藤島の駆除が先だ」

 先ほどから藤島に対しての言い回しが引っかかって仕方が無い。それは綾瀬さんも同じだったようで。

「あの。藤島とは一体何者なんですか?」

「藤島か。藤島は・・・」

 俺と綾瀬さんは思わず息をのむ

「人の皮を被った全人類の敵だ」

 小薗江から語られた藤島の正体は、驚くべきものであった。

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