第16話
気絶した警官を引きずって、パトカーの運転席に座らせる。
「あなた、自分が何をしてるかわかってるの?」
疲れ切った声で綾瀬さんが俺に問う。ずっと上の空な様子であったが、ようやく意識が現実に戻ってきたようだ。
「覚悟はできています」
覚悟。これは何の覚悟だろうか。警察に手を出したことに対しての、罰を受ける覚悟だろうか。
いや。こうして逃走劇を演じている俺たちに、そんな覚悟などあろうはずも無い。あるとすれば、祠で見た記憶に対して、責任を負う覚悟だ。
言葉足らずな俺の代わりに、真菜が綾瀬さんに言う。
「こうなってしまった以上、綾瀬さんも無関係ではありません。ですからまず、綾瀬さんにも私たちのことを知ってもらいたいって思ってます」
「じゃあ、お願いだから早く説明してよ。もうほんとに何が起きてるの?」
流されたに近い状況であっても、現にここまで俺たちについてきてしまった綾瀬さんは、今更何事もなかったかのように警察組織に戻るのは難しいだろう。それは本人が一番よくわかっているはずだ。
「俺だって、あなたと情報共有したいですよ。だからまずは、追っ手を気にしなくてすむような場所を探しているんです」
ハッキリとした目的は不明だが、小薗江は俺たちを殺すなり、捕らえるなり、広義の意味で狙っていた様子だった。今だって、直属の部下たちに俺たちの行方を追わせているのは間違いないだろう。
だからこそ迅速に、俺と真菜にとって安全な場所へ。藤島の言葉を信じれば、喫茶店にその手がかりがある筈なのだ。
「私たちについてきてください綾瀬さん」
真菜が強く真剣な表情で綾瀬さんに同行を求める。それに対し苦虫をかみしめたような表情で、綾瀬さんは、
「ええ、いいわ。もとより、今の私の選択肢は限られてる」
と渋々応じるのだった。
パトカーを後にし、俺と真菜、そして綾瀬さんは喫茶店へと向かう。既に近くまで来ていたこともあり、そこからは難無く喫茶店へと辿り着いた。
「まだ、開店前だね」
喫茶店の入り口扉にかかっているCLOSEの看板を見て真菜が言う。
しかし、客としてここに来ているわけではないのだ。むしろ開店中でないほうが好ましいだろう。
俺は代表して、扉に手を掛け、引く。鍵はかかっていなかった。いつもよりも扉が重く感じられたのは気のせいだろうか。
中には誰もいない。客がいないのは当然だが、店員らしき人間もいない。しかし、よく考えてみれば、客として何度か来たときも俺は、今思うと不思議なくらい、この喫茶店の店員を認識したことがなかった。
では、一体俺は誰に向かって注文をしていたのだろうか。
「開店はまだなのだが」
すると、どこからともなく低い声が聞こえてきた。そこではじめて、目の前に老人が立っていることに気がついた。
まるで蝋人形のごとく、生きているという事実そのものが作り物であるかのように感じさせる老人だった。加えて、存在感があまりにも希薄なのだ。目の前にいるはずなのに、気を抜くと見失ってしまいそうな気持ちになる。
「おい」
一瞬沈黙が流れる。俺側の誰も声を発せなかったのは、皆俺と同様、この老人の不可思議な存在感にあっけにとられていたからだろう。俺は慌てて意識を戻す。
「藤島の言葉に従って、ここに来た」
多くは語らない。しかしこれで通じるだろうという確信があった。
老人は、初めから表情など持ち合わせていないかのように、無表情を崩さない。俺の目をじっと見てくるので、俺も目をそらさず、しっかりと老人の目を見続ける。
すると、一度目をそらした後、顎で指図しながら奥の部屋へと俺たちを促す。
俺と真菜、綾瀬さんは一度顔を見合わせた後、老人の案内に従った。
案内された部屋は、窓のない七畳ほどの洋室だった。円形の赤い絨毯が敷いてある以外は、特に何も置いていなかった。
「匿ってやる。自由に使えばいい。だが、それだけだ」
「えっ?あの!」
何か言おうとした真菜を無視して、老人は部屋を出て、店内へと戻って行ってしまった。部屋に残された俺たちはなんとも言えない状況を前に、一瞬ぽかんとしていた。
「今の、この店のマスター?」
綾瀬さんの質問に俺は自信なさげにうなずく。何度か来ているのに、あのようなマスターがいるなんて全く気がつかなかった。他の店員がいない以上、あのマスターが店先に立っていたはずなのだから、見たことないはずはないのだが。
「え、えーと。なんだか不思議な感じだったけど、私たちを匿ってくれるんだよ・・・ね?」
真菜の半信半疑な感じには、俺も同感である。俺と真菜にとっての安全な場所の手がかりが喫茶店にあると思っていたが、もしや、この喫茶店そのものが安全な場所なのか?
やや疑問が残るが、藤島の息がかかっている人間が、俺たちを匿うと言っているのだ。とりあえず問題は無いのだろう。
「大丈夫だと思う。ひとまず体を休めよう」
そう言って俺は、壁に背をもたれ、その場に腰を下ろす。他の二人も同様に腰を下ろす。
「休むのはもちろんだけれど。いろいろと説明して欲しい」
「もちろんです綾瀬さん。でも、どこからどう説明すれば」
「まずは俺と真菜が何者であるか、からだな」
俺は、自分が祠で見た記憶の整理と真菜の見た記憶の確認を兼ねながら、綾瀬さんへ鬼と人間の壮大な物語を語り始める。
その昔、人の世に居候している鬼たちは、この国に大規模な集落を確立していた。
その集落は海と山によって隔絶された場所に存在し、もはや一国のごとく、自給自足的な生存圏として成立していた。
そしてそこには、統治を司る鬼、鬼を守護し集落の治安を維持する半鬼、農耕や漁業を任される人間、という階級構造が存在し、その階級構造の中において、互いを尊重し合いながら、理想的と言えるほどに平和な暮らしを実現していた。
しかし、そんな平和も、旧政府軍が鬼の集落に攻撃を仕掛けたことで崩壊することになる。
西洋との積極的な交易を開始し、最新兵器を次々と配備していた旧政府軍は、半鬼の異常な対人戦技量に苦戦しながらも、鬼たちを次々に駆逐していった。
では、そもそもなぜ旧政府軍が鬼の集落に攻撃など始めたのか。
それは、鬼の持つ終末の力に恐怖したからであった。
旧政府の上層部は知っていたのだ。鬼たちが世界を一瞬で滅ぼせるだけの力を持っているということを。そしてある権力者が言ったのだ、そんな恐ろしい力を持っている者たちなど速やかに排除すべきだ、と。この権力者の思想は、非難されるべき過激な思想だったのだろうか。
否である。
人間という一生物が種の保存を望んだ、至極真っ当な行動原理であるだろう。
しかし、これは大きな間違いであった。鬼たちに世界を滅ぼせるだけの力などなかった。あるのはただ、外的要因によって鬼の一族が滅んでしまった時、自動的に発動する終末機構だけだった。これはもはや、世界そのものにかけられた呪いである。
つまり、終末に恐怖し、終末を回避するために旧政府が行った所行は、意図せず自ら終末を迎え入れるための行いになってしまっていたのだ。
鬼たちが一人、また一人と次々に殺されていく。これはさながら終末へのカウントダウンのようであった。
そんな中でも鬼たちは、人を憎まなかった。それどころか、これからも人の世が末永く続いて欲しいとさえ思っていた。
その想いのもと、最後の希望として残されたのが一人の鬼の赤子だった。残された数少ない鬼たちは自分たちの命を省みず、その赤子を封印し、未来に希望を託した。
その託された希望こそが、鬼の少女。ここにいる外木真菜なのだ。
この外木真菜を外的な要因による死亡から守り、内的な要因により死亡させることが、この世界を終末の呪いから解放する唯一の手段なのだ。
「信じられない話ではあるけど、祠でのあなたの人間離れした動きを見てしまうと、なんとも言い難いわね」
俺を見ながら、悩ましげな表情と共に腕を組む綾瀬さん。
「そもそも、旧政府による集落への大規模攻撃なんて事件、過去どの歴史の講義でも習ったことなんて無いわ」
「その大虐殺は、隣国との戦争中に同時に行われた作戦だ。そこら中で突発的に発生する戦闘の数々に埋もれてしまっているんだと思う。あるいは、意図的に埋もらせたかだろう」
俺の説明に対して、綾瀬さんは「なるほどね」と渋々納得した様子を見せる。
「あと、これが大事なことだと思うのだけど、外木さんを外的な要因から守って内的な要因でなんちゃらって話。これは具体的にどういうこと」
この質問には真菜が答える。
「つまり、私が殺されずに寿命で死ねば、終末機構は永久的に働くことが無くなるということです」
真菜の言っていることに誤りは無い。だが、揺るぎなく自身の生死と世界の終わりを結びつけて言い切ってしまう真菜に、俺は少しゾッとしてしまった。
「そうなると、外木さんを捕らえようとしていた小薗江統括所長の行いはなんとなく、正しく思えてくるわね」
「そこなんだ。今思うとあの小薗江とか言う男、かなり深いとこまで知っている可能性がある」
祠の一件では、藤島を射殺させ、俺も同様に殺そうとしたことから、危険人物と判断して、俺自身反撃に転じたが、あの男は真菜を殺そうとはしていなかった。
「話をしてみてもいいかもしれない」
俺の提案によって、不安と期待を織り交ぜたような空気が部屋を満たす。
「そうね。場合によっては外木さんを好待遇で一生保護するって予定だったかもしれないし」
「そんなの望んでません。私はただ普通の女の子として・・・」
俺の方をちらっと見た後、うつむいてしまう外木。
「どちらにせよ、小薗江は今後も真菜を捕らえようと動くはずだ。真菜が普通の女の子として生きていくためにも、あの男とはどんな形であれ、いずれは決着をつけなければならない」
俺は優しく、外木の背に手を添える。
「それじゃ、今後の方針はまず、小薗江統括所長に会って話を聞くって辺りね」
今後の動きについてはそれで問題はない。が、話の本筋とは別に、気になっていたことがあった。
「さっきまで完全に意気消沈していた人とは思えない行動力ですね」
俺のその意地悪な言葉に少し驚く綾瀬さん。その後、初めて見るような、大人っぽい優しい笑みを浮かべる。
「もう、何もできない自分を、受け入れられたから」
何もできない自分か。人である綾瀬さんが人知を越えた領域の問題に巻き込まれているのだから綾瀬さん自身が無力なわけではないと思のだが、この人なりに思うこともあったのだろう。
俺の背に乗っていた間、綾瀬さんが何を考えていたのか。それがわかることは一生無いのだろう。
「ま!ただ開き直っただけなのかもしれないけど」
と、ほんのりおちゃらけた笑顔を見せる。そんな綾瀬さんは、ちょっと可愛かった。
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