第15話
草木をかき分け、木を避けて、ひたすら前進。ひとまずこの森から抜け出さなければ、どうしようも無い。元来た林道を通れば容易く出られるのかもしれない。置きっ放しのミニバンを利用できるのかもしれない。しかし、迫ってきている警察と、林道で出くわすなんて状況は絶対に避けなければならない。ミニバンについても、運転できる筈の綾瀬さんは俺の背で絶賛意気消沈中。運転なんて頼める状況じゃあない。そもそも、ミニバンを動かせたとしても、真菜救出作戦で利用した、現在車内で拘束中の女の処理について考える必要があり、手間だ。
現状、この道なき道を進む以外、俺たちに残された道はないのだ。
しかし、問題はそれだけではない
「森を抜けたとして、その後は?」
真菜からの質問。実はこれこそが、最優先に考えなければならない事項なのだ。
藤島がいれば・・・。
怪しい男ではあったが、あいつの発想力、計画性、そして冷静さや知識量は、非常に頼もしいものだった。
しかし、あいつは死んだ。それはもうあっけないものだった。あっけなさすぎて、藤島が死んだという出来事が、恐ろしいほど他人事のように感じられる。たとえ短い時間であっても、比較的濃密な時間を共に過ごしたのだ。もっと俺自身、悔やんでも良いはずだ。これは俺が薄情な人間だということなのか。
いや、既にいない人間のことを考えるのはやめよう。今はとにかく、歩を止めず、走る、走る。
そもそも、今の俺たちの状況を考えれば、あいつの死を悔やんでやれる時間など無いというのも、また事実なのだ。
「順平君?」
質問に答えない俺を心配したのか、真菜が俺の名を呼びかける。
「あぁごめん聞こえてる。藤島がいればって考えて・・・」
いや、待てよ。あの男が、今のような状況に陥ることを、良しとするだろうか。真菜救出作戦に先立って、スタンガンや移動用のミニバン、探偵のコスプレ衣装まで準備してしまうほどに計画的なあいつが?
考えろ。あいつはきっと残している。この状況を少しでも好転させることのできる何かを。
思考に耽っていても歩みは止めない。それを察したのか真菜も無言で俺についてくる。
藤島は言っていた、俺と真菜を保護するための場所を用意すると。つまり、俺と真菜にとっての安全な場所が、どこかにはあるということだ。少なくとも、その安全な場所が用意できるまで、俺たちを匿っておける程度の場所はあるはずなのだ。
この俺の予想は希望的観測なのだろうか?それとも、ただの理想か?
違う。
いつもの喫茶店で俺と藤島は、真菜を救出するための作戦を話し合っていた。そこで藤島は言っていたはずだ。作戦の内容を一通り説明しきった、ほんとうに最後に。
「万が一僕に何かあれば、ここの喫茶店のマスターを頼ればいいさ」
藤島に万が一のことが起こる。それは、真菜救出作戦の失敗を意味する、と俺は考えていた。だから、真菜の救出が成功した時点で、俺は藤島の言葉を記憶の隅に追いやっていた。しかし藤島は、自分に万が一のことが起こる場合を、真菜救出作戦の実行中とは限定してはいなかった。
「そうだ!あの喫茶店だ!」
「え?」
突然声を発したことで、俺の背後で驚きの声を上げる真菜。背負われている綾瀬さんまで体を少しびくつかせる。
「藤島が頼れと言ってた!思い出したんだ」
その俺の明るい声音と呼応するかのように、草木に覆い尽くされて陰鬱としていた視界が、一気に開けた。
固い地面に足をつく。アスファルト、車の通りは全くないが道路だ。どうやら俺たち三人は無事に森を抜けられたようだ。
しかし、喜ぶのはまだ早い。落ち着いて、現在地を確認する。
俺は今、森を背に立っている。場所は舗装された一直線、左右に延びる国道。この一直線の国道は、今の俺から見て、右方面に進めば祠に続く林道の入り口に辿り着く。逆に左方面、つまり駅前の方面ってことになるのだが、そっちに進めば、学校があり、そして喫茶店もある。
「はぁはぁ・・・喫茶店に・・・行けば、良いんだね?」
荒い息を整えながら、今後の方針を確認する真菜。
かなり疲労の色が見える。守られる存在である鬼は、守る存在である半鬼ほど、身体的能力は高くないのだ。行き先は明確になっても、真菜をこれ以上走らせるわけにはいかない。綾瀬さんを捨てて真菜を背負うこともできるが、それは真菜本人が許さないだろう。
「少し休もう。真菜」
俺は背負っていた綾瀬さんをゆっくりと地面に座らせながら提案する。
「大丈夫・・・まだ、走れる・・・から」
無理をさせたくない。この気持ちは鬼を守る半鬼としての気持ちではなく、もっと純粋な、男が好きな女に向ける気持ちであることを、切に願いたい。
祠で一族の記憶の断片を見てからというもの、俺はますます、真菜に対する気持ちがよくわからなくなっていた。真菜に対する俺の気持ちは、俺の中に流れる半鬼の血に、初めから埋め込まれていたものなのだろうか。だとすれば、それは俺の、俺自身の本当の気持ちと言うことはできないのではないか。
しかし、なんと悩ましいことか、俺の真菜に対する気持ちが、俺自身のものであろうと、俺自身のものでなかろうと、真菜を好ましく思っているという事実だけは揺るがないのだ。
これは、俺が難しく考えすぎているだけなのだろうか。答えが見えると思っていた祠での一件は、余計に俺を悩ませることになった。
太陽が昇りはじめ、薄い朝日が真菜の綺麗な顔を照らす。荒かった呼吸が少し落ち着き、小さな吐息を漏らしながら俺を見つめる真菜は、狂おしいほどに蠱惑的で求心的だった。
だから、
「君たちそんなとこで何してるの」
不覚にも接近を許してしまった警察車両、それから出てきた警官のこの第一声は、俺を現実に引き戻してくれたという意味で感謝すべきものであった。
いや、感謝などしている場合ではない。これは緊急事態だ。
真菜は、近づいてくる警官と俺の方を交互に見ながら、きょろきょろと落ち着きのない様子をさらしている。
焦っているのは俺も同じ。しかし、そんな焦りなどいざ知らず。警官は俺たちに向かってずんずんと近寄ってくる。
どうする。戦うか?しかし、おそらくこの付近にも別の警官がいる可能性が高い。もし一瞬で仕留められなかった場合、応援を呼ばれてしまうだろう。そうなってしまっては、それこそどうしようもないことになってしまう。
そんなことを考えている間にも、怪しむ表情を隠そうともせず、警官はこちらに向かってきている。くそ。考えている暇はないか。
俺は姿勢を低くし・・・
「・・・ってそこにいるのは綾瀬刑事じゃないですか」
警官が驚きの声を上げる。なんだ知り合いなのか?
「どこ行ってたんですかぁ!僕をパトロールに出しておきながら、交番に戻ったらいなくなってるし。バイクもなかったから、心配したんですよ」
「あ、・・・あなた」
ここまで、虚ろな表情でぼうっとしているだけだった綾瀬さんが久しぶりに声を発した。
「ちょっと綾瀬刑事どうしたんですか」
そんな綾瀬さんのやつれた姿を見て、さらに驚いた様子の警官。
まてよ。これは使える。ピンチをチャンスに変えられるかもしれない。
「おまわりさん、この方の知り合いですか?」
「知り合いも何も。ねぇ」
「この方、気分が悪いようで、早く病院に連れて行ってあげたいんです」
正直これは賭けだ。嘘っぽさをぬぐいきれないという以前に、綾瀬さんが一言「その少年は嘘をついている」と言ってしまえば、それで終わりだからだ。真菜も口をきゅっと噤み緊張感をあらわにする。
「確かにそんな様子だけど、そもそも君たち学生だよね?なぜこんな時間に綾瀬刑事と?」
「それは病院に向かいながら、パトカーの中でご説明しますから。早く!」
今回、焦りを隠しきれない俺の声音は、とても良い仕事をしたようだ。俺の焦りは、嘘がばれたらどうしようかという心配からわき上がるものであったが、この警官に対しては、どうやらそれほどまでに綾瀬さんの様態が切迫していると勘違いさせるように作用したようだ。
俺たちは拍子抜けするほど簡単に、警察車両に乗り込む。そして後部座席に、真菜をを真ん中にするようにして、三人一緒に座った。
「えーと、一番近い病院は・・・」
「ひとまず駅前の近くにありますから、そっちの方面に進んでください」
俺の指示で、特に疑いも無くアクセルを踏み込む警官。単純な警官で助かった。いやまあそっち方面に本当に病院はあるのだが。
「順平君、これほんとに大丈夫」
真菜が俺の耳元に小声で語りかける。少しくすぐったい。
「実際、徒歩で喫茶店まで向かうのは距離的に無理があった。リスクはあるけどこれが最善だと思う」
「もう、ほんとに何があったんだい?綾瀬刑事はそんな状態だし、学生の二人がこんな明け方に、あんなところにいるなんてすごく怪しいよ」
警官の疑問はごもっともである。しかし、正直に話すことなどできるはずもない。いや、まてよ。この場合、あえて話してしまうのもありなのではないか。そうすれば、妄想に浮かされた少年少女の、若気の至り程度で処理してくれる可能性もある。
俺が回答について考えあぐねていると。
「ところでおまわりさんは、日頃からあの辺のパトロールをしてるんですか?」
真菜が逆に警官に質問を投げる。
「まさか。するわけないよ。あの辺は研究所の近くだし。パトロールなんて必要ないくらいに、いつも不気味なほど静まりかえっているからね。だから、君たちこそ何であんなところに・・・」
「ああ!えーとじゃ何で今日はパトロールしていたんですか?」
すかさず、今度は俺が質問を返す。
「ええ?うーん。実は僕も詳しいことは知らないんだ。突然、本部から命令があってさ。ひとりでも多くの警官は現場に向かうようにって。まあ僕は、行ったはいいけど戦力外で帰されてしまったんだけどね。ねぇところで綾瀬刑事ほんと大丈夫?なんかずっと上の空ってかんじだけど」
突然本部からの命令ね。やはりあの小薗江とか言う男の事前指示、もしくは自身の身に何かあったときの保険だろうか。
「そ、そうですね!ああこれは早く医者に診せないと、や、やばいかもしれませんねぇ」
真菜のぎこちない演技に少しひやりとする俺。
「ほんとうかい!?わ、わかった少しスピードを上げるよ」
そう言って、先ほどよりもアクセルの踏み込みを強めた警官。俺たちを乗せたパトカーは、ぐんぐんと進んでいく。
この単純さで、よく警官が務まるなこの人。
俺たちがあの場所で何をしていたのか、そんな警官の質問を適当にはぐらかしながら、車を走らせること十数分。俺たちが通っている学校までの、簡単な道順を伝える看板が見えてきた。つまり、学校が近づいてきたということだ。そして、それは同時に、俺たちの希望である喫茶店が近づいていることも意味している。
多少手荒にはなるが、そろそろ動き出さなければ。
俺は真菜に目を合わせ、動き出す旨を無言で表明する。
「おまわりさん。実は俺、駅前の病院につながる近道を知っているんですよ」
「近道?」
「ええ。その先の曲がり角を左に曲がってください」
俺は適当な曲がり角を曲がらせ、人気の無い道へと促す。
「近道なんてあったんだ?知らなかったよ」
「ああ!道、間違えたかもしれません。ちょっと停めてもらっていいですか」
俺は停車したのを確認し、車外へと出る。その辺を歩き回りながら、道順の確認作業をする。すると、良い感じに道幅が細く、二十メートルも進めば行き止まりとなっているような、お目当ての道を見つける。この辺の住宅街は、中途半端で無計画な開発が進められた結果、このような、無駄と言わざるを得ないような道が多い。
俺は若干の緊張感とともに、パトカーへと戻る。
「すいません。おまわりさん。正しい道見つけたんですけど、少し道幅が狭くて。ちょっと見に来てもらえます」
「えええ。細い道は苦手なんだよなぁ。」
そんな文句を言いながら無警戒な様子で警官もパトカーを降りる。そして、俺の誘いにいとも簡単にのってくる。俺は該当する道を指し示しつつも、俺自身が警官の背後からついていくような形となるよう、スッと位置取りをする。
そして、警官が俺の予定したポイントに到達した時、
「うわぁ。ほんとに細いな」
ごめん。
ドスッ
俺は、警官の背後から、首に向けて手刀を振り下ろした。
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