第14話

「そこの者!こんなところで何をしている」

 森を抜け、開けた場所に出た私を待っていたのは、祠とその前に悠然と佇む男の姿だった。

「おや、綾瀬刑事じゃないか」

 なんだこの男。何故私のことを知っている。私は不気味さを感じ、腰に忍ばせた拳銃に手を掛ける。

「一体どういうこと?」

「どういうことも何も、君は僕のことをずっと追ってたじゃないか」

 確かに追っていた。追っていたが、

「私が追っていたのは外木真菜とそれを攫っていった女よ。あなたのことなんて知らない」

 すると「あぁなるほど」と一人納得した様子をみせる男。私を置いて、勝手に納得しないで欲しい。

 すると突然、誰もいなかったはずの祠の中に人影が二つ出現する。

「お!終わったようだね」

 出てきたのは外木真菜と、外木真菜を補導したときに彼女と一緒にいた佐藤順平という青年だった。

「ああ。終わったよ藤島」

 佐藤の声音はまるで何かを悟りきってしまったかのごとく、ひどく落ち着き払ったものだった。

 いや、そんなことよりもあの男、藤島というのか。やはり知らない名前だ。

「無事終わって安心したよ。さて、何を見たのかすぐにでも話を聞きたい。今すぐ場所を変えて・・・」

 そう言って私のことなど眼中に無いかのごとく振る舞う一行。

「まちなさい!」

 私は藤島に対して拳銃を向ける。もう目の前で起きてることにあっけにとられて何もできないなんて嫌。そんな自分にはうんざりだ。後になって惨めな思いなんてしたくない。だから、この現場は絶対に私がコントロールして・・・


パァン


 一つ、銃声がなった。額に丸く赤い点を作った藤島と目が合った。次の瞬間には、藤島は額の赤丸から綺麗な赤い紐を伸ばしながら、ドサッと真後ろに倒れていってしまった。

 はじめ何が起こったのかわからなかった。だが、徐々に脳の処理が追いついてきた。

 藤島は撃たれたのだ。頭を。

 この場に存在する拳銃は一つだけ。じゃあ撃ったのは私?

 いえ、そんなはずはない。私は撃ってない。引き金に指を掛けてすらいない。じゃあ一体何が・・・。

 すると外木と佐藤が唖然とした表情で私の後方に視線を向けていることに気がついた。

 私も恐る恐る、後方へと振り返る。

 人影が二つ。一つは暗がりで判別できない。でも、たぶん知らない人。もう一つ、もう一つの人影が、どうやら銃声を響かせた張本人のようだ。そしてその張本人は、比較的、私がよく知る人物であった。

「せ、せん先輩?ど、どうして」

 そう、紛れもない私の直属の上司、先輩だった。

「悪いな綾瀬。上の命令は絶対。それが警察ってもんだ」

 先輩は無表情を崩さない。

 上?上の命令って何?頭が混乱する。

「これでいいんですかい?小薗江統括所長?」

 先輩の呼びかけに、もう一つの人影が、暗闇から一歩前に出る。

「あぁ。とても良い腕だ」

 現れたのは若い男だった。きっとモテるんだろうなぁと暢気なことを考えてしまうほどの美男子。しかし同時に、まるで絵に描いたかのごとくエリート然としており、かなりお堅い雰囲気も醸し出していた。

 先輩の言う、上の命令、そして統括所長。先輩が接待に向かった警察庁のお偉いさんて、もしかしてこの男なのか?

 いやいや、だったら何だと言うんだ。今はとにかくこの状況を・・・。

 どうすれば良いんだ。

 動けない私を、状況の変化は決して待ってくれない。

「さあ次の段階に進もう。そこの・・・綾瀬だったか?君に命令だ。少女の方を捕らえろ」

 さも当然のように私に命令を下す統括所長。

「か、彼の方はどうするんですか」

 統括所長はほんの一瞬考える素振りを見せた後、隣にいる先輩の肩をたたく。

「藤島を殺ったその銃の腕前、改めて見事だ。その腕を見込んで、新たな命令を与える」

 統括所長の次の言葉は、場を凍らせるのに十分なほど冷徹だった。

「青年を始末しろ」


 先輩が佐藤に銃口を向けるのと、どちらが早かっただろうか。私の横を強い風が吹き抜けた。そしてその強い風を私が感じたときには既に、先輩は、文字通りの意味で、吹っ飛んでいた。



***



 「少女の方を捕らえろ」その言葉を聞いた瞬間にはもう、俺は目の前の相手を完全に敵と認識した。

 真菜に危害を加えるものが現れれば、俺はそれを迅速に排除する。それが俺に与えられた役割であり、この力はそのためのものだ。

 俺は前屈みになり、腕をだらんと垂らす。

 殺気が俺に届く。

 殺気には、大きく分けて二つの種類ある。相手にプレッシャーを与える攻撃的な殺気と、相手に攻撃の予兆を知らせてしまう欠点としての殺気だ。殺し合いにおいては特に、後者の殺気の出し入れを、どうコントロールできたかが勝敗を大きく分けることになる。

 例えば、己が繰り出す一撃よりも先に殺気を出してしまった場合、それは相手に対して、今から攻撃をするということを教えることになってしまう。それでは、相手に容易く対応されてしまい、逆に攻撃の隙を与えてしまうことになる。

 欠点としての殺気は、せめて攻撃と同時でなければならない。本当は、欠点としての殺気など出さないことが理想だが、そこまでのコントロールは達人の域に達した者ですら難しい。

 まあ要するに、この場において、銃口を向けるよりも前に、殺気を俺に届かせたあの男など、もってのほかだということだ。


 一瞬で勝負をつけてやる。

 そのためには、初動から敵との間合いを詰める切るまでの時間を、限りなく0に近づけなければならない。

 俺は、体をゆっくりと前に倒していく。

 重力が俺の体を倒そうと力を掛けてくる。

 しかし体は、バランスを保とうと反射的に片足を前に出させ、踏み込ませようとする。

 ある陸上100m走の選手はこんなことを言っていた。

「100mは最初の一歩目をどう踏み込んだかで記録が大きく変わる」

 これから俺が踏み込もうとするこの一歩は、重力と体の反射の力が加わって、強力な一歩目になろうとしている。

 そして、既に半鬼としての力に目覚めた俺には、その負荷のかかる一歩目を、無駄なく攻撃への運動エネルギーに変えられるだけの、身体的な力がある。

 そう、俺にとって、今のこの状態はまさに、“鬼に金棒”な状態というわけだッ!


ドンッ


 俺は一歩目を踏み込む。初速は普通の人間には出せない域にまで高まっている。


ヒュン


 綾瀬さんの横を通り抜ける。あまりのスピードに、綾瀬さんはそれに気がつかない。

 目的の間合いにたどり着く。そこに来てようやく、銃口が俺にむけられようかとしていた。だが、どちらにせよ銃口を向けた先に、既に俺はいない。

 遅い。あまりにも遅い。

 俺はそんな鈍重な男の顎めがけて、渾身のアッパーをお見舞いした。

 これで最直近の危険は排除だ。しかしもう一人いる、もはや俺の隣に無防備に突っ立っている、この小薗江とかいう男だ。俺はアッパーの流れを利用し、体を左に回転させ、その回転に合わせて回し蹴りを繰り出した。


 この一連、コンマ数秒の出来事。一人の亡骸と意識を失い倒れる二人の男、呆然と立ちすくむ女刑事の他、俺と真菜の二人は、そんな状況下ですら、当然の出来事のように平然としていた。


 すべきことを終え、俺は綾瀬さんの横を通って真菜の元へ戻る。真菜は俺に微笑みかけてくれている。しかし、その顔にはどこか悲しみの感情が見え隠れしているような気がした。

「ありがとう。順平君」

「うん。無事で良かった」

 そこで一度、俺は改めて周りを見渡す。状況は混沌としていた。

「さて、とりあえずこれからどうするか」

「もう。一体何なのこれは」

 背後から聞こえてきたつぶやきは綾瀬さんだ。俺と外木は綾瀬さんを一瞥した後、お互いに顔を見合わせた。

「あの人とも情報交換すべきだよな」

「そうだね。私もそう思う」

 そうして、真菜が綾瀬さんに声を掛けようとしたその時だった。

「ん?真菜ちょっと待ってくれ何か聞こえないか」

 俺の言葉に、真菜も耳をこらす。

「・・・これはサイレンの音?それもすごく多いような・・・」

 単純に考えれば、ここでの異変に気づいた警察が、応援を送り出しているということになるのだがどうだろうか。

 既にこの場所には、綾瀬さんと、同じく警察組織の人間と思われる男二人が来ている。その状況を勘案すれば、まだまだ警察関係の人間がこの場にやってきてもおかしくはない。それにこの小薗江とかいう男、組織の中でもかなり上位階級の職員であると思われる。自分に何かあったときのフォロー体制を、組織内で確立させていたとしてもおかしくはない。

「とりあえずこの場から逃げた方が良いかもしれない」

 その提案に、強いうなずきをもって同意してくれる外木。だが、問題は、

「綾瀬さん」

 俺の呼びかけに応じ、顔をこちらに向けた綾瀬さんは、ひどく憔悴しきった表情をしていた。一番状況をよくわかっていないであろう人物なのだ、こんなことに巻き込まれてしまっては無理も無い。

「俺たちと一緒に来ますか?」

 ぼうっと俺の方を見たままで、返事が無い。どうしたものか。

 すると、俺の肩に真菜の手が優しく置かれる。

「順平君。お願い、綾瀬さんを連れてきて」


 綾瀬を背負い、真菜と一緒に、林道から外れた森の中を、草木をかき分けながら進んでいく。

 行き先など決まっていない。進んだ先に、何があるかなんてわからない。

 それはまるで今後の俺たちの将来についても暗示しているかのようだった。

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