第8話
タイトスカートのスーツ、黒いヒール、長い黒髪、できる女性刑事。そんな姿に憧れて警察組織に入ったものの、いざ刑事になってみれば、タイトスカートはキツい、ヒールは走りにくい、長い髪は邪魔。結局、パンツスーツ、「走れる!」が売りで販売されていたローファー、1000円カットで乱雑に切られたショートカット、の機動性重視のスタイルで落ち着いてしまった。
でも、これでいい。別に見た目だけに憧れて刑事になったわけではないから。
どんなに小さな事件でも、それが事件である限り、困っている人や辛い思いをしている人が必ずいる。その事実だけは忘れたくない。順調に出世を成し遂げて、規模の大きな事件を任される立場になったとしてもだ。
だからこうして各交番に届けらている小規模な事件のデータベースにもしっかり目を通す。
「おはよう。早いな彩瀬」
直属の上司が出勤してきた。
「おはようございます。先輩」
隣のデスクに着くと私のノートPCの画面をのぞき込んできた。
「なに見てるんだ?」
「事件のデータベースです。気になる捜索願があったもので」
私は先輩にノートPCの画面を向ける。
「なになに。行方不明者5名。これお前の地元のか」
「はい。交番勤務時代に配属されていた交番に届けられたものです」
鞄から荷物を取り出し仕事の準備に取りかかりながら、先輩は事件内容に一通り目を通す。
「行方不明つっても、その5人、ただの悪ガキの集まりじゃねーか。ただの家出だろ」
「そうだといいのですが」
行方不明の5人。内の3人の男は、私が交番勤務だった時にも手を焼いていた連中だ。それはもう毎日のように問題を起こし、毎日のようにその対応で顔を合わせていた。行方不明もなにも、いつもどこで何をやっているかわからないような連中だった。いまさら行方不明程度で気になることでも無い。無いのだが。ここ2週間何の問題も起こさず、ただの行方不明者になっている、これがあまりにも気がかりだった。
「そんなちっぽけな事件よりも まずは例の男の件だ。そっちが優先。わかるだろ彩瀬」
「はい。そうですね」
ひとまず悪ガキ行方不明事件は様子見かな。そう頭を切り替えた矢先だった。
RiRiRiRi! RiRiRiRi!
先輩のデスクの電話が鳴った。
「なんなんだ出勤したばっかだってのに」
そういって先輩は電話をとる。何の電話だろう?と私は先輩の応答に耳を傾ける。
「あ、お世話になってます。はい。はい。ええ。そうですか」
どうやら先輩よりも階級が上の人からの連絡のよう。
「え?今日自分もですか?いえ、でも捜査が・・・」
なんだろう?
「はい。わかりました・・・」
肩を落としながら電話を切る先輩。
「すまん彩瀬。今日はお前個人で進められる仕事に取り組んでくれ」
「何かあったんですか?」
苦虫を噛み締めたような表情の先輩
「警察庁の新任のお偉いさんが、挨拶にくるんだとよ。俺もその席に同席しなけりゃならん」
「これはまた、急ですね。挨拶って具体的にはなにを?」
「知らん。ただの顔合わせだろ。わざわざお偉いさんの方から足を運んでくるなんて殊勝なこった」
警察も行政組織。そして官僚の世界。偉い人が来るとなれば、主となる仕事を投げ出してでもそちらに時間を割かなければならない。
「わかりました。先輩、お疲れ様です」
先輩は「あーはいはい」と手をヒラヒラさせながら事実上の接待準備に向かっていった。
気がつけば就業規則上の勤務時間を回っていた。
「さて、どうしようかな」
先輩と追っている例の男の件は一人では少々荷が重い。思わぬ個人行動となってしまったが、せっかくだ、さっき気になっていた悪ガキ行方不明の案件に取っ掛かろう。私は必要な、されど最小限の荷物を整え、事件が届けられた元勤務地の交番へと向かうこととした。
***
ジリジリと親父との距離を詰める。もうすぐで俺の間合い。しかしそれは、すでに親父の間合いに入っているということを意味する。いつ、どのタイミングで仕掛けてくるか。この様子ではおそらくカウンター狙い。俺の攻撃を待っている。ならば。
俺はフェンシングに近い挙動の、素早い突きを攻撃として選択。
「はッ」
容易に読まれ、軽々と躱される。しかし、これは予想通り。まっすぐに突き出された木刀は左右上下どの方向にも素早く振り抜ける状態だ。
俺は右下によけた親父の肩から胸にかけて鮮やかに斬りはら・・・
「獲った」
この声を発したのは親父だった。
親父は俺の突きを右下に避けるやいなや、俺の左側を通り抜けるようにスッと横回転。俺が斬り払った頃には既に後ろを獲っていた。
また殺られるのか?・・・。いや。
「まだまだぁ!」
ヒュン
親父の木刀は空を斬る。俺は自分でも驚くほどの反射神経で親父の決定的な一撃を完璧に躱しきった。親父もこの反応速度は予想外だったのか、二撃目が飛んでくることはなかった。
今日は俺が道場で盛大に嘔吐した日以来の久々の稽古だった。
「それにしても。なんだあの反応速度は。躱されるとは思わなかったぞ」
片付けを進めながら、親父がやや興奮した声で言った。そりゃ俺だって驚いてる。あれは、今日は体の調子が良いからっていう理由で片付けられるものではない。明らかにこう、自分の中で少し何かが目覚めてしまったような・・・。
「やっぱり男は守るべき女がいてこそ強くなるんだなぁ」
「はあぁぁ?」
今何か親父が突拍子もないことを言い放ったぞ。というか何だ?ちょっとテンション高いぞ。柄でもない。
「成長が感じられてうれしいよ」
なるほどテンションが高いのはそういうことか。
「ん?いやまて。守るべき女云々てのは何だ?」
「そりゃ順平、今日女の子とデートなんだろ?」
知っていやがった。デートというには少し語弊がある気がするが。
いや、デートなのかこれは。
そう。昨日のことである。校門で俺の帰りを待っていた外木が、
「この間の喫茶店では迷惑掛けちゃったでしょ。その埋め合わせって訳じゃないけど、佐藤君が嫌じゃなければまた一緒に食事とかどうかな?」
とお誘い申してくれたのだった。
「その様子じゃ、やっぱりそういうことか。普段ジャージしか着ないお前が、せっせと私服なんか用意してるからもしかしてと思ったが」
「カマかけたのかよ」
それから、身支度を調える間両親のニヤニヤと居心地の悪い視線にさらされる俺なのであった。というか、母さんも何で気づいてんだよ。
外木との待ち合わせ場所は自動的にこの前の喫茶店に決まっていた。具体的にどこに行くとも決めていなかったのでお互いが共通として知っていてかつ、わかりやすい場所となるとそのぐらいしかなかった。
それにしても外木の方から誘ってくるとは。この前だって明るいとは言えない、むしろ暗い話題ばかりで、お世辞にも楽しい時間を共有できたとは到底思えない。
いや、俺の方は外木みたいな美少女と休日を一緒に過ごせるならそれだけで嬉々として参加するが、外木からしてみれば俺に対して悪い印象は無いにしても、休日を一緒に過ごしたいなんて思われるほど良い印象をもってはいないはずだ。
今まで恋だの異性だのに積極的に関わってこなかった俺にとって、女の子の本心なんて読み取れるわけがないのだ。
先に到着していたのは外木だった。白と黒のボーダーTシャツに紺のロングスカート。何気ない服装だが、世の中のどの女性よりも着こなしているだろうという俺の中での確信があった。
少しの間見惚れていると、外木もこちらに気がついたのか「あっ」ときれいな唇を可愛く開きながら手を振ってくれる。
「すまん、外木。待った?」
「ううん。ちょうど今来たとこ」
と、デートの始まりを告げるかのようなテンプレ的な言葉を交わし、店内へと入っていく。
「今日はちょっと混んでるね」
外木の言葉通り以前来たときよりは席が埋まっている。それでも座れないというほどではない。先に注文を済ませ、二人席を確保する。
「改めて、この間は迷惑を掛けてごめんね」
席に着くなり謝罪の言葉を述べる外木。律儀というか、真面目というか。迷惑だなんて俺自身全く思っていない。それよりもこの間の喫茶店での話はこれきりにしたいのが本音である。その話をするたびに、ここ数日考えないようにしていた例の怪異が頭の中でちらついてしまうのだ。よく考えればこの喫茶店を待ち合わせ場所にしたのは間違いだったのかもしれない。
「全然。気にしないで。それよりさ、せっかくだから違う場所にも行ってみようよ」
「違う場所?」
「そうそう、ここで少しゆっくりしながら行き先決めてさ。ベタだけどショッピングとか映画館とか。あとカラオケもあるね。バス使えば水族館にだっていけるし」
すると外木は少し考えるそぶりを見せた後、パァと明るい表情で
「それじゃ、それ全部行こうよ」
と末恐ろしいことを口走った。
そこからは怒濤のスケジュールだった。
30分ほどで喫茶店を出ると、まずはカラオケへと向かった。外木の歌は率直に言ってヘタクソだった。それでも、持ち前の穏やかで澄んだ水流のような歌声は、俺の耳には癒やしの音色として響き渡った。
そんな心安まる時間もつかの間、次に向かったのはショッピングモール。そこまで潤沢なお小遣いがあるわけでもない俺たちは基本的にはウィンドウショッピングで、よくある荷物持ちとして使われる彼氏(俺たちは付き合ってないけど)にはならずに済んだ。すべての店でウィンドウショッピングをしなければ気が済まないかのごとく機敏に動き回り、気になる物があると「見て見て!」と子どものようにはしゃぐ外木の姿はとても新鮮だった。
まだまだ終わらない、次は映画館。ウィンドウショッピングで時間を使ってしまい映画館に着いた頃には、外木お目当てのホラー映画は上映を開始してしまっていた。入場のタイミングがちょうど映画内のびっくりシーンと重なったことと、途中入場特有の他のお客さんからの迷惑そうな視線に怖々していたのが相まってか、外木は「ひゃうっ!」と聞いたこともないような悲鳴を上げながら俺の腕にしがみついていた。別の意味でドキドキして映画どころではなかったのはここだけの話。
映画が終わる頃にはもう夕方だったが、幸い水族館は夜まで営業している。バスの時間を考慮しても十分間に合う程度だった。毎日毎日そんな長時間見世物にされている海洋生物たちには申し訳ないが、外木を満足させたいんだ、悪いが我慢してくれ。
ビー玉ほどのクラゲがたゆたう水槽を前に、「綺麗だね」と穏やかな表情でつぶやく外木に対して「君の方が綺麗だよ」なんて冗談めかして言ってしまった俺はだいぶ浮かれていたのかもしれない。外木は「何それ?」と笑いながら答えてくれたが、家に帰って冷静になった時、俺は恥ずかしさで悶絶するのだろう。
閉館間近まで居座っていたこともあり水族館発の最終バスは運転手を除けば俺と外木しか乗っていなかった。
車内には充実した一日を過ごせたという満足感と心地よい疲労感と共に、静かな時間が流れていた。
「佐藤君。私ね、」
外木がぽつぽつと口を開く。
「佐藤君とのこんな日常がずっと続けばなって思うの」
この発言はもはやプロポーズにも等しい発言のはず。しかしその言葉を受け取る側の俺は、それがもっと超越的な意味合いを含んでいることを知っている。もちろん外木だってそういう意味で言っている。
この二人の不思議な共通認識の源泉はどこにあるのか。それを考えるにはきっと、今の段階では途方もないことなんだろう。
これはそういうものなんだ。俺と外木は、きっとそんな関係なんだ。
楽しいだけのデートは楽しいだけでは終わらず。俺たちの関係は不確実な糸で確実に繋がれている。
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