第7話


 次の日、俺は学校を休んだ。いやむしろ強制的に休まされた。それもそうだ、道場の中心、自分の吐瀉物の上で青ざめた表情とともにぐったりと膝をついている息子を見れば、どんな親だって心配するだろう。

 おそらく、人生で初めて学校を休んだ。ここまでの皆勤賞が途切れてしまったと思うと若干の残念な気持ちもある。しかし、お陰で怪異に対する己の推理について、ゆっくりと吟味する時間ができた。あまりにも突拍子もない推理ではあるが、俺はどこか確信めいたものを感じていた。この程度のことなら充分起こり得るだろうと。

 本来であれば、すぐさま警察に連絡すべきなのだろうが、果たしてこの事実を警察は真剣に受け止めてくれるだろうか。いや無い。アニメやらゲームに影響された痛い高校生が自分の妄想をひけらかしに来た程度にしか思われず、真面目に取り合ってくれるはずがない。それに万が一警察が俺の語る内容を受け入れたとして、外木が狂った猟奇的殺人犯として逮捕され、それで終わるような事件なのか?

「外木・・・。」

 やはり、もう一度しっかり言葉を交わさねばならない。もっと外木という女の子が何者なのか知らなければならない。もうすぐ学校も終わる時間だ。部活に入ってる素振りはなかったから、今から学校にいけば下校のタイミングで会えるはずだ。 俺は母親にランニングに行ってくると伝え学校へ向かった。心配する声をかけられたが、もう体調に問題はない。昨日吐き出すものは全て吐き出しきったし、この事件と関わる覚悟も決まっている。本当は無関係を貫くこともできるのかもしれない。しかし外木が関わっている以上俺も無関係ではないのだと、説明のつかない確信が俺を突き動かすのだ。


 学校の正門前につくとちょうど下校する学生の第一陣と思われる集団が玄関前に集まっているタイミングだった。これからゾロゾロと下校する学生が出てくるはずだ。

 すると、正門到着後10分もしないうちにお目当ての人物は現れた。人混みに紛れてはいたが、見逃すはずがない。憂いな表情を浮かべ、綺麗な長い黒髪を優しく風になびかせながらゆっくりと正面玄関から正門へと歩いてくる。そんな何気ない一姿なのに、どうしてここまで様になるのか。思わず釘付けとなり声をかけるのを忘れそうになる。

「外木!」

 我に返り、慌てて声をかけたため予想外に大きな声になってしまった。

 他の学生から注目の的になってしまったが、外木もしっかりと気がついてくれた。多少の照れを感じながら外木に近づく。そして近づいて、気がついてしまった。どう話を切り出すか、全く考えていなかったことに。

「えっ?佐藤君?」

「えーと。ああ、付き合ってくれない?」

 直球すぎる。直球すぎるし、誤解を生みかねない出だしになってしまった。

「え?え?」

「ああ違う!違う!えーと、ちょ、ちょっと、今から時間ある?」

 俺、慌てすぎ。なんだかんだ自分のことを思慮深くて冷静な男と思ってはいるが、そうでもないのかもしれない。

「時間は全然大丈夫だけど。どうしたの?」

 冷静になれ。冷静になれ佐藤順平。美人な同い年の女の子と会話するのは慣れてないが、この子はあの怪異と何らかの関わりのある人物なんだ、警戒していかなければ。

「場所を変えよう。喫茶店とか」

 幸い学校のすぐ近くに、話す場所としてはうってつけの喫茶店がある。個人経営の喫茶店で、マスターのこだわりが強いのか、一つ一つのメニューは値段が高く、学校の近くにあるわりに学生はほとんど来ない。

 頭上にはてなマークを浮かべている外木を連れて、喫茶店へ向かう。

「その格好、一回帰ってからまた学校に来たの?」

 トレーニングウェア姿の俺を見て外木が質問を投げ掛ける。

「今日学校休んだんだ。体調が悪くてさ」

「もう大丈夫なの?」

 首を少しかしげながら綺麗な瞳で俺の目をじっと見つめる。

「うん。もう元気だよ」

「そっか」

 そう言って柔らかく儚げな微笑を浮かべる。こんな慈愛に満ちた表情を見れば病なんて吹き飛んでしまうのではないか。そんな治癒魔法じみた力を感じた。


 喫茶店には、それぞれ旦那の愚痴ばかり言っている主婦っぽいグループが一つと、一人読書を嗜むギリギリお兄さんと呼べる程度の年齢だろう男がいるだけで、座席は困らないくらいに空いていた。そして、俺はアイスコーヒー、外木はアイスティーを注文し、一番奥の座席に陣取ることとなった。

「ごめんな、帰るところ急に呼び止めちゃって」

「ううん、大丈夫だよ。ビックリはしたけど」

 静かに、しかし心底楽しそうに笑う外木。

「学校終わりに同世代の子と喫茶店に寄る、なんてしたことなかったから結構うれしい」

 こんなに素朴で、それでいて美人な女の子にほとんど友達がいないってのはどうも不思議だ。

「ホント驚きだよ。外木は同性からも人気ありそうなのに」

「とんでもない。むしろずっといじめられてたし。」

 これは上手く、いや偶然だけど、自然に事件の話に持っていけそうだ。

「でも今、外木をいじめてた人、行方不明なんだよね」

「うん。だから不謹慎だけど今はわりと平和でさ。でもなんか新しい嫌がらせを思い付いていなくなった感じだから、もしかしたらそのいやがらせに向け、何か大がかりな準備をしてるのかもしれない。そう思うとちょっと怖いけど」

 おそらくそのイジメっ子はもうこの世にいない。そしてその亡骸は・・・。

「ごめんね。せっかく誘ってくれたのに暗い話になっちゃって。」

「いや、いいんだ。今日はその話をしに来たんだ」

 少しビックリした様子の外木。

「おそらく、行方不明になる直前に外木はそのイジメっ子に会ってる」

「うん。ふたりが早退する前に倉庫で・・・。」

「そこじゃない。その晩だよ。」

 何を言っているのかわからないといった表情の外木。しかし俺の話はしっかりと聞き入れてくれている様子だ。

「実は、その日の晩、学校に向かうイジメっ子たちが目撃されてるらしいんだ」

 すると「あっ!」と何かに気がついた素振りの外木。

「そういえばその日の夜、メールで学校に呼び出されてたんだ。でも私無視しちゃってて」

 これで目撃証言はほぼ間違いなく事実ってことだ。

「無視したって言ったけど。たしかその日の晩の記憶が曖昧だって、昨日俺と話したときに言ってたよね?」

「うん。たぶんメール見たあとすぐ寝ちゃったんだと思う」

「いや。おそらく、その日の晩、君も学校に来ていた」

「え?」

 そうして俺はポケットからスマホを取り出す。

「このスマホは君が俺に拾ったといって届けてくれたものだ」

 驚いた表情のまま首を縦に振る外木。

「このスマホは君が届けてくれた前日、いや、もしかしたらその日の早朝に学校で落としたものなんだ。だから君がこれを持っていたってことは、君はおそらくイジメっ子の呼び掛け通り学校へ来ていたんだ」

 固まり唖然とする外木。しかしすぐ我に返り、

「え?どうして佐藤くんはそんな時間に学校へ?」

 ごもっともな疑問である。しかしその質問が来ることを全く考慮していなかった。加えて、それに関しては俺自身もよく理解できていないのだった。

「あっ!えーと・・・。忘れ物?しててさぁ」

「そんな遅い時間に取りに来たの?」

 苦しすぎる。よく考えれば、真夜中に学校に来たが記憶の無い外木と、真夜中に学校に来たがなぜ来たか自分でもよくわからない俺、どちらも傍からみれば同じようなものではないか。


 沈黙。


 先に口を開いたのは外木だった。

「つ、つまり。その日、夜の学校に私と佐藤くん、藍川さんと城田さんが来てたってこと?」

 藍川と城田。その二人が例のイジメっ子の名前って訳か。だがそれだけではない。

「いや、あとガラの悪い、半グレみたいな男が3人いたとか・・・。」

 その言葉を聞いた瞬間外木の様子が一変する。突然ガタガタと体を震わせ呼吸が荒くなる。

「お、おい。外木?」

 その異変に気がつき、主婦グループの一人が慌てて声をかける。

「ちょっと、お嬢ちゃんどうしたの!?」

「いや、俺もわからなくて!外木、大丈夫か!?」

 俺は何をしていいのかわからず、慌てて外木の背中をさすってみる。すると

「大丈夫。ただの過呼吸さ」

 先程まで一人で読書をしていた男が紙袋を持ってこちらに近づいてくる。

「か、過呼吸?どうすれば」

「彼氏君は落ち着いて」

 そう言うと男は紙袋を外木に渡す。

「その紙袋の中でゆっくり呼吸をするんだ。ああ、彼氏君はそのまま背中をさすっててあげて」

 彼氏君という呼び方にはひっかかったが今はそれどころではない。外木の呼吸は未だ荒く、額に汗をだらだらと流しながらとても苦しそうにしている。

「外木、言われた通りにするんだ」

 外木は紙袋を口にあて、できる限りゆっくりとした呼吸を試みる。一体何の紙袋かと思ったが、この店は持ち帰りで自家製パンの販売もやっているらしい。パンが並ぶ棚の横に大量の紙袋がおいてあった。

「過呼吸を起こした人には紙袋の中で呼吸をさせる。覚えておくといい」

 男の言う通り、外木の呼吸もどんどん穏やかになっていった。

「大丈夫か外木?」

「うん・・・。ごめんね」

 かなり疲れきった様子だ。

「よかった、よかった。」

 男は満足した様子で二度首を縦に振る。

「あの、ありがとうございます」

 弱々しい声音で外木が感謝の言葉をのべるのに合わせ俺も頭を下げる。

「いやいや。気にしないでくれ。でもまあ、この程度で死ぬなんてことはないと思うけど、とりあえず無事でよかったよ」

 身を案じるにしては少し違和感のある言い回しだが。考えすぎか。

「はい。助かりました」

 とはいえ、外木が無事でよかった。

 

 男を見送り、その後はさすがにお開きにすることとなった。

「家まで送るよ」

「うん」

 外木の道案内以外、余計な会話をすることなく、黙々と外木家へと歩を進める。喫茶店は学校のすぐそばで、外木家は学校の近くにあることもあり、沈黙が居心地の悪いものとなる前には外木家の前まで来ていた。一軒家ではなく木製のアパートだった。

「迷惑かけてごめん」

 消え入りそうな声量で外木が口を開く。

「私、おかしいよね。記憶がなかったり、急に過呼吸になったり」

「そんなことない。俺も余計なこと聞いたり、言ったりしてごめん」

「そんな・・・。」


 また沈黙。これはすこし、気まずい。


「外木」 「佐藤くん」

 タイミングが揃ってしまった。

「あ・・・。佐藤くんからでいいよ」

「うん。あの、今度は、まぁ普通に楽しく、その、友達として、またこういう時間作れたらいいなって」

 外木は少し驚いた表情のあと、

「うん。私も同じこと言おうと思ってた」

 そういって、また儚げな笑顔を見せるのだった。


 外木を見送って自宅へ帰りながら今日の喫茶店での会話を思い返していた。やはり、外木が怪異と何らかの強い関わりがあるのは確実だ。いや、そんなものは外木と実際に言葉を交わす前から確信していたことなのかもしれない。今さらそんなものはどうでもいい。それよりも、あの過呼吸だ。これ以上怪異の確信に迫っていってしまえば、外木を苦しめることになるのではないか。それは嫌だ。俺は外木には穏やかで幸せな日常を送ってほしいのだ。そのためなら俺は何だって・・・


「・・・。なんだこれは」

 一人の男として、一人の女の子の幸せを願う。これは別におかしな気持ちではない。相当嫌いな女の子で無い限り、世間一般の男は無自覚にしろ、心のどこかに秘めている想いのはずだ。だが。なんなんだ。俺は、外木の幸せのためなら何だってしてやる。何だってできる。そのように心の底から思っている。まるで、それが俺自身に与えられた「果たすべき使命」であるかのように。


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