第5話

 いつも通り、家のベッドで目を覚ます。清々しい朝。ここまで気分の良い朝は久しぶりかもしれない。でも何故だろう。心当たりがない。

 朝一番、スマホを手に取る。返信をし忘れている連絡が一つ。差出人は藍川さん。内容は、


『写真データをばらまかれたくなかったら、今すぐ学校倉庫まで来なさい』


 なんてことだろう。こんな重要な連絡を無視していた。私の人生に関わる致命的なミスであると言っていい。しかし、これまたどうしてだろうか。不思議と今の私は心の底から冷静だ。まるでこの事案が、将来に向けて完全に解決したものであると認識しているかのように。とはいえ、登校したら一番に藍川さんと話さないと。

 登校の準備を始めようとベッドから出ると、姿見に写った自分の姿に驚愕した。裸だ。昨日の私は、お風呂から出たあと寝間着も着ずに寝てしまったらしい。信じられない。信じられないが事実だ。でないと、今姿見に映っている自分の状況を説明できない。

「と、とりあえず制服を着て、朝御飯の準備……」

 言葉通り制服を着て、トースターのセッティングに取りかかる。しかしそこで、全く空腹を感じていない自分に気がつく。昨日は昼も夜も何も食べていない。私自身、量を食べる方ではないけれど、決して少食というわけでもない。そもそも、いくら少食であっても丸一日何も食べていなければ、誰だっておなかはすくのではないだろうか。

 朝から、今日の私はどこかおかしい。これによって何か不利益を被ったわけではないが、自分が自分でないような気がして少し心配になる。


ジリリ!ジリリ!ジリリ!


 突然、聞きなれないアラーム音が部屋中に響く。

「もう!なんなの今日は!?」

 音の発生源を探す。玄関の棚の上においてあるスマホからのようだ。でも、このスマホは私のものではない。

「え?ちょっとこれ誰の?」

 どうにかアラームを止め、手帳型カバーのポケット部分に入っていたカードを取り出す。学生証のようだ。それも、私の通っている高校のもの。氏名欄には、


『佐藤順平』


と記載されていた。

 なぜ私が佐藤くんのスマホを持っているのか。ぼんやりとだが、学校で拾った記憶がある。でも学校のどこ?そしていつ?なぜここまで記憶が曖昧なのか。よく考えれば、昨日学校から帰った辺りからの記憶が、ほとんど抜けているような気がする。

 いや、あんまり深く考えるのはやめよう。だって今日は目覚めたときから清々しくて気分がいい。理由はわからなくても、そんなポジティブな気分であるならば、その気分を最大限享受すべきだ。余計なことを考えて気分を害してしまってはもったいない。佐藤くんのスマホだって、学校で返せばいいだけだし。

 私は不穏な思考を全て排し、日常のルーティンへと舞い戻っていく。



***



 昨晩の光景が頭から離れない。いや。具体的な光景は脳みそが思い出すのを拒絶しているのか、あまりハッキリとは覚えていない。しかし、漠然とした、それでいて明確な恐怖が俺を蝕んでいるのは確かだ。

 だが、何故だろう。朝の学校の様子はいたって普通だ。まだあの倉庫の惨状が明るみになっていないのか?確かにあの倉庫はほとんど人が立ち入らない場所ではあるが、それにしたって平凡に時を刻み過ぎるているのではないだろうか。

 待てよ。この場合、俺が警察に連絡すべきなのか?いや、あれはもう警察にどうこうできる代物ではない。人の世にあって、人の営みからは外れている何か。直感ではあるが俺はそう認識している。

 しかし、関わりたくないものと思ってはいても、悲しいかな、俺はもう一度あの倉庫に行かなければならない。全くもって気は進まないが、おそらく俺のスマホがあの倉庫の近くに落ちているはずなのだ。

 昨晩は一心不乱に逃げるあまり、スマホになんて構っていられなかったが、今のご時世、スマホが無いのは非常に不便だ。今日の朝だって、アラームが鳴らず、母親に起こされる始末だ。いや、今日に限っては母親に起こされて良かったと言えるかもしれない。なんてったって、もはや気絶をしていたような状態だったのだ。誰かからの呼びかけがなければ、大げさな話、そのまま永眠していてもおかしくはなかっただろう。


 倉庫は昨日の日中に来たときと、何ら変わりの無い姿でたたずんでいた。しかし、それが余計に不気味だ。昨晩俺が出くわした怪異の現場は、間違いなくここなのだ。

 起こされてから朝ご飯も食べず、一目散に学校まで来たため、今日倉庫に来た学生としては、間違いなく俺が一番のりだろう。スマホが誰かに拾われているとすれば、教職員か警備員だ。その場合には職員室に届けられているはず。仮に学生が拾っていた場合、その学生は昨晩の事件と何らかの関係がある可能性が高い。要警戒だ。

 倉庫周りを一通り見て回ったが、スマホは落ちていない。倉庫の中はどうだろうか。昨晩は中をのぞいただけで実際に立ち入ったわけではない。中にスマホがないことは間違いないが、確認する必要があるだろう。これは、俺の見た怪異が本当に現実だったのかの確認、という意味合いも含んでいる。しかし、この確認はどちらに転んでも俺にとっては喜ばしくない結果だ。怪異の痕跡がある場合、それは、俺の見た怪異が実際に事実としてあったという何よりの証明になり、もうただ単純に恐ろしくて仕方が無い。逆に、痕跡がなかった場合、俺の見た怪異はただの俺の妄想だったということになり、俺は良いとこの病院で早急に心理カウンセリングを受けなければならない。いや、断然後者の方がましか。

 倉庫の扉に手を掛ける。こういうのは一気に、ひと思いに開けてしまった方が、精神衛生上好ましいにちがいない。俺は覚悟を決める。

 ・・・。

 扉が開け放たれる。力みすぎて扉を開ける音が耳に入らなかった。

 一瞬、鉄の匂いがした。しかし、扉を開けるとすぐ、その匂いは消え失せた。昨晩見た惨状を思えば、特に変わったところは見受けられない。しかし、気になる点が二つ。まず一つは、不良の落とし物だろうか、小型のナイフが落ちていること。思わず拾ってしまいそうになったがやめておこう。こんな詳細不明の物体に触れるものではない。見たところ、血痕の付着や刃こぼれは確認できない。これは何か事件性のあるものとは考えにくい。

 もう一つは、床の埃がたまっていない点だ。少しの人の出入りでは、さすがにここまで埃がたまらないということはない。昨日の日中に来たときは、もっと埃っぽかったはずだ。明らかに何者かが中に入って、動き回っていたような形跡だ。

 とはいえ、これらの形跡がただちに俺が昨晩目撃した怪異と繋がるわけではない。鉄の匂いだって、保管してある用具の金属部分の匂いの可能性もある。そもそも、不良が入り浸っているという噂もある場所だ。この程度ではむしろ、普段と変化なしといえるのかもしれない。

 なんとも中途半端な結果となってしまった。どちらかといえば、昨晩の俺は気が狂っていた、ということになるのかもしれないが。いや、ここは寝ぼけていただけと考えておこう。その方が気が楽だ。なんてことない。きっとこの流れでスマホも職員室あたりに届いているだろう。


「いえ、届いていませんねぇ」

 事務職員らしき女性が気怠げに答える。

 現実はそう甘くない。一体俺のスマホはどこに行ったのだ。登下校の道のりにはもちろん、一番心当たりのあった倉庫付近にすらなかったのだ。もうお手上げだ。学生証までも一度になくしたことになる。

 

 教室に戻る頃には、登校してくる学生のピークの時間となっていた。廊下の窓から外に目をやると、学生の群れがぞろぞろと校舎ないし教室に入っていく様子がうかがえた。

 こうして登校してくる学生の一人一人は、多少の差異はあれど、基本的には皆同じ格好をして、同じような一日を過ごしている。よく考えれば学校という場所は、異常なほど閉鎖的で、実に奇妙な場所だ。あまりに奇妙な場所過ぎて、何か魔的な物を引き寄せたりしてしまうのではないだろうか。

 普段は俺も、だいたいこの時間に登校してくるため、こうして登校中の学生の群れを客観的に見る機会はこれが初めてであった。我ながらおかしなことを考えるものだ。これも昨晩の出来事のせいだ。もう忘れてしまおう。あれは寝ぼけていただけ。寝ぼけていればきっと変な物を幻視するのだろうし、スマホだって無くす。なにもおかしなことは無い。これは現実逃避か?いや、非現実からの逃避という方が意味的には近いな。ところで、そんな逃避は可能なのか。

「佐藤君」

 突然背後から声を掛けられ、振り返る。昨日初めて言葉を交わした少女が立っていた。確か名前は、

「えーと、外木、さん。だっけ?」

「そう。覚えていてくれたんだ」

 そう言って彼女は優しく微笑む。この表情を引き出せたのが俺だと思うと、無量の喜びを感じる。あまりに大げさな感情だ。昨日今日で少し言葉を交わしただけの少女に、どうしてここまで心を揺さぶられるのか。一目惚れってやつか?そんなシンプルな感情でもない気がする。

「それで、何か俺に用でも?」

 そうして差し出された右手を見て、俺は驚愕する。彼女の手に握られていたのは、紛れもない、俺のスマホだった。

「ど、どうして、君が、それを・・・?」

「拾ったの」

 拾っただって?いつ?どこで?彼女があの惨状を作り出したというのか。

 待て待て、落ち着け佐藤順平。彼女が昨晩の件に関わっていると考えるのはまだ早計だ。

「でも、ごめんなさい。いつどこで拾ったか覚えて無くて。おかしな話でしょ。たぶん無意識で拾ってたようなの」

 “拾った”ということは覚えているのに、いつどこでなのかは覚えていない?そんなことがあるのか。

「そうなんだ・・・。でも、ありがとう。ちょうど探してたところなんだ。助かったよ」


 まず大前提として、俺がスマホを落としたのは、俺の家から学校の倉庫までの道中であることは間違く、高確率で倉庫付近だ。そうなれば彼女が俺のスマホを拾えるタイミングは三つほどだ。

 一つ目は昨晩、例の現場にいた場合。自分のことを棚に上げるわけではないが、あのような時間に学生が倉庫に来るのはおかしい。来ているのだとしたら、ほぼ間違いなく、彼女があの怪異と何らかの関係がある人物ということになる。

 二つ目は今日朝一番に倉庫に用があった場合。彼女の今の装いを見るに、ちょうど登校してきたといった様子だ。朝から倉庫になんて行く用はないはずだ。あるとすれば昨晩のことについて何らかの事情を知っている可能性が高い。

 三つ目は、登校の途中で拾ったという場合。この場合、俺と彼女の登校ルートはどこかのタイミングでかぶっているはずだが、今まで一度も彼女と遭遇したことはない。それにこの時間に来た彼女が拾っているのならば、早く来た俺が拾っているはずだ。

 拾ったときのことを覚えていないということが真実にしろ嘘にしろ、三つ目に該当しないことが明らかな時点で、彼女は昨晩の事件の重要参考人であるといえる。

 どう探っていくべきか。あれだけの惨状と関わりがあると思われる人物だ。刺激しすぎるのは問題だが。さて、


キーンコーンカーンコーン・・・


 始業五分前のチャイムが廊下に響き渡る。俺の意識が下界へと戻ってくる。いけない。突然黙りこくってしまった。

 彼女はきょとんとした表情を浮かべている。いやしかし、笑えない冗談だが、美人というのは謎の多い生き物なんだな。

「私、何か佐藤君の気に障るようなこと言っちゃったかな?」

「いいや!違う違う!気にしないで。ちょっと考え事しちゃってただけだから。それよりもう教室に戻らないと!」

 その後、お互い二三言挨拶を交わし、彼女は俺に背を向け、自分の教室へと向かっていく。俺はその後ろ姿を、なんともいえない表情で見つめ続けた。

 

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