第4話


 回収した写真をぐちゃぐちゃに握りしめ教室に戻ると、そこには居心地の悪い空気が漂っていた。

 男子は私から目をそらし、女子は私を見ながらヒソヒソと話をしている。先程の写真をめぐる顛末が気になるのだろう。直接的に関わっていなくても、クラスメイト全員でこのような空気を漂わせているのでは、結局クラスメイト全員からイジメを受けているのと同義だと思う。

 しかし、そんなことはどうでもいい。学校、それもクラスなんていう小さく閉鎖された世界では、きっとどこも同じようなものだ。今さらそんなもの気にならない。それよりも、その元凶である藍川さんと城田さんが教室にいないことの方が気がかりだ。普段あの二人は教室でお昼を食べている。たまに屋上にも行っているようだけれど、今日は雨だからそれはないだろう。まだ戻っていないにしても、机、教室後方のロッカーのどちらにも荷物がないのはおかしい。先程の倉庫では何か新たに企んでいることがあるような素振りを見せていたけど、それと関係があるのだろうか。

 誰かに聞こうにも、こんな空気の中でクラスメイトに話しかけるなんて私にとっては少々難易度が高い。


 結局、藍川さんと城田さんが帰ってくることはなく、放課後になってしまった。 クラスメイトが話しているのを盗み聞きしたところ、どうやら病気を理由に早退したようだ。

 病気なんて絶対に嘘だ。間違いなく裏がある。

 しかし、これが何を意味するかなんて今の段階ではわからない。あの二人が実際にアクションを起こしてはじめて、私の知ることとなるのだ。そしてそれは十中八九、私にとっては不利益なことになる。きっともう耐えるしかないんだ。下手に明確な反応を示せばそれは二人を喜ばせることになる。甘んじて不利益を受けて、可能な限り無反応を貫く。これが今の私にできる、もっとも適切な振る舞いだと思う。


 帰り際に佐藤君を見つけた。彼はなぜだか私のことを助けてくれそうな気がする。別に佐藤君が誰にでも手をさしのべる、博愛主義者のようにみえているわけではない。きっと私のことだけを助けてくれる……。

 いや、そんなわけない。なぜそんなのことを思ったのか。だって理由がない。それにお互いに今日初めて存在を知ったような関係だ。そもそも、佐藤君が今日私と話したことを覚えているかも正直怪しい。

 というか、なんでこんなに佐藤君のことで頭の中をグルグルさせているのだろうか私は。いわゆる少女漫画的な展開であれば、ヒロインがこれを恋だと自覚するシーンなのかもしれないが、今の私の場合それは絶対に違う。どちらかと言えば、そう、保護者を見つけたような。いやそれも違うかな。


 私の家と学校は比較的近い場所に位置している。しかし、考え事をしていたからだろうか、いつもより少し遅い時間での帰宅となった。とはいえ、帰りが遅くなったところで私を心配してくれる人はいない。お父さんだったらすごく心配してくれるのだろうけど、もういない。

 私は身元のわからない捨て子だったようだけど、お父さんは本当に血の繋がった娘のように愛してくれていた。お父さんのいる家だけが私にとっての憩いの場所だった。

 今日は、なんだか特に孤独を感じる気がする。でも別に孤独を感じているからって、誰かに会いたいというわけではない。

 こんな気分の時はさっさとお風呂にはいって、早く寝てしまおう。たとえまた悪夢を見るのだとしても、あれはもう慣れてしまっている。

 そういえば今日は朝ご飯に食パンを食べただけで、他には何も食べていない。今日のお昼は食べる気になんてならなかったし。かといって今おなかがすいているかと言えばそういうわけではない。これなら、夜ご飯も特別食べる必要はない。


 お風呂から上がった頃には完全に日が落ち、外は一面の闇に包まれていた。私の部屋もその例に漏れず、お風呂場の明るさで暗闇に慣れていなかった私の目には特に、まるで闇の壁がそこにあるかのような感覚であった。

 と、その闇の中心で、ひとつの小さな光が無機質に点滅していた。はじめは何の光かわからなかったが、暗闇に目が慣れてしまえばなんてことはない。それはメッセージ受信を伝えるスマホの通知光だ。

 私はなんだか嫌な予感がして、裸のまま、すぐさまスマホを手に取る。メッセージの送信者は、藍川さん。送信者の名前を見ただけで気が遠くなりそうだったが、とりあえず本文に目を走らせる。


『写真データをばらまかれたくなかったら、今すぐ学校倉庫まで来なさい』


 そうか。データがあった。現物の写真を回収したところで無意味だったんだ。でも、早い段階でそれに気づけたところで何ができた?そして、今になって何ができる?

 とにかくあのデータはどうにかしてもらわないと。

 倉庫っていうのは今日のお昼の倉庫で間違いない。気は進まないけど、行かないと。

 メッセージを受信してからもう10分以上が経っていた。私は慌てて着替えを済ませ、学校へと急いだ。


 駐車場には警備会社のものと思われる車が止まっていた。なぜわざわざこんなリスキーな場所を指定場所としたのか疑問だったが、指定されている以上仕方がない。とりあえず、正門から堂々と入るのはかなり危険だ。それに例の倉庫なんだとしたら校舎裏の入り口、正確には壊れた柵の隙間から侵入するのが得策だろう。

 その柵の隙間は学生の間でのみ共有されている秘密の入り口となっている。一部の学生は休み時間を利用し、その隙間を出入りしながら、近くのコンビニへと買い出しに行ったり、サボって帰ったりしているようである。

 まさか自分が使うことになるとは思わなかった。それも夜の学校に侵入なんて、隙間利用者の中でも特に悪いことに使っているのではないだろうか。

 しかし、なりふり構っていられる状況じゃない。私は隙間をスッと通り抜け、カモフラージュとなっている植木をかぎ分けて、学校の敷地へと入っていく。ここまで来てしまえば倉庫はもう目の前である。

 倉庫の扉の目の前に立ち、ひとつ深呼吸をする。

 扉に手をかけ、音のでないようにゆっくりと開ける。ひどく重く感じた。


 小窓からの光が、倉庫内を薄く照らす。その光は月明かりではないのだとすぐにわかる。月明かりであればもっと柔らかい光のはず。これはどこかの街灯の光が漏れ入っているだけの、冷たい明かりである。

 目の前に藍川さんがいる。その隣には城田さん。二人はひどく醜い笑顔を浮かべている。しかし、ここにいるのは私を含めた三人だけではない。まわりには男、男、男。その表情はさながら、お腹をすかせた理性なき獣のよう。

 私は、酷く女性的な、否、動物的な恐怖を本能的に感じていた。オスにとって、メスなどという存在は結局、蹂躙するための対象でしかないのだと、この空間の雰囲気がそんな現実を私に突きつけてくる。

「おいおい、話には聞いていたが、めちゃめちゃ上玉じゃねぇか」

 金髪の男が歓喜の声をあげる。

「でしょ。うちらに感謝してね。あとは好きにしていいから」

 この場における、好きにしていいという言葉の恐ろしさは計り知れない。ましてや好きにされる対象が私なのだから特にだ。

「藍川さん。こ、これは一体」

 声が震える。いや、もはや体の震えが止まらない。逃げたいけど、逃げられない、体が言うことを聞かない。

 藍川さんは私の問いには答えず、私に背を向けて座り込み、なにやら準備を始める。

「いやね。写真データをネットで売りさばこうかとも思ったのだけど、」

 かわりに城田さんが答える。

「コラの裸体よりも、やっぱり実際の裸体の方が売れると思うの」

 何?何を言っているの?

「でも、すなおに裸体を撮らせてなんて言っても、あなた応じてくれないでしょ。なら無理やりしかないなって思って。それでどうせ無理矢理なら、その無理矢理の部分から動画で撮ったほうが良いかなって思ったの」

 と、嬉しそうに語る城田さんの横で、それまでの準備を終えたのか藍川さんがこちらに向き直る。その手にはビデオカメラが握られていた。

「いいよ。はじめて」

 藍川さんの事務的な声音が、鼓膜を刺すように冷たく響く。

 いやっ!やめて

 この声は、しっかり声として発っせているのだろうか。後退る私に、重機のような男の体が覆い被さる。

「ひぃあははっ、いい気味いい気味!」

 城田さんの狂いきった声が聞こえる。

「ずっと気に食わなかったのよっ!あなたのその体とか姿とか全部!いるだけで男を惑わせて、同じ女には劣等感抱かせて!ほんとなんなの!喧嘩売ってたんでしょ。ねぇ!」

 城田さんの絶叫をよそに、男の手がワタシの体をまさぐりつづける。脇、胸、おなか、そして下半身にも手が延びる。

「あぁ!もどかしい!ハサミねぇかハサミ。もう下着とか切っちまおうぜ」

 金髪の男の言葉に、首もとにタトゥーのある男が反応する。

「ナイフならある」

「むしろハサミより良いじゃねぇか」

 そして、ジャージを無理矢理たくしあげ、ブラの紐をナイフで乱暴に切りにかかる。

「あんたら、まじでがっつきすぎ~」

「安心しろ藍川。お前じゃここまで興奮しねぇから」


 ナイフの冷たい刃先が素肌に触れる。


 あぁ私、どうされちゃうんだろう。こんな乱暴されたくないよ。怖い。怖い。怖い。助けて。助けて。助けて。

 でもきっと誰も助けに来ない。私は一人だから。そう一人。もう、私しかいないんだ。私は死んじゃだめなんだ。私が死ねばみんな死ぬから。助け来ない。なら。自力で。助からないと。

 でも、そのまえに。いやまえじゃないのかな。もうよくわからない、でも、そう、なんだか


 おなかすいたなぁ。




***



「一体、なんなんだ」

 恐ろしいほどの焦燥感に駆られ目が覚める。夜は完全に更けきっている。

 稽古疲れのある今のような状態では、夜中に目が覚めてしまったことなど一度もない。そもそも、焦燥感で目が覚めるなんて聞いたことがない。しかし、もっと驚くべきは体の震えである。

 この震えは怯えから来るものでも、ましてや体の冷えから来るものでもない。

 間違いない、これは武者震いだ。戦いを前にした者に訪れる、興奮からの震え。戦いの前準備。

 思考を落ち着かせ、荒ぶっている自分の心に問いかける。この感覚は何だ。何が自分をこのようにしている。

 答えは出ない。しかし、自分には今すぐいかなければならない場所があると、本能が猛烈に訴えてくる。

「……学校」

 こんな時間の学校に、何の用事があるというのだろうか。自分の行動の意味を、自分自身でよく理解できていない。心と体がバラバラだ。いや、バラバラなのは理性と本能か。厳密に言えば、先走る本能を、理性がそれで良しと黙認しているというのが適切かもしれない。

 とにかく今は、自分の精神分析などをしている暇は無い。学校に行ってみよう。こんな時間では完全に不法侵入になってしまうが、そんなもの今はどうでもいい。机の上のスマホを取り上げ、ハーフパンツのポケットに雑に放り込む。

 幸い、家族は全員寝ているようだ。何をするために外出をするのか自分でもよくわかっていない状態である。こんな状態で家族と出くわしても、外出理由をうまく説明できるはずもない。なるべく音をたてないように家の玄関へ向かい、外へ出る。出てしまえばこっちのもんだ。俺は、学校までの全力駆け足を開始する。

 自分でいうのもなんだが、俺は足がかなり速い。というか、運動神経がかなり良い。正直、稽古で鍛えられたとは思えないため、これは生まれつきなのかもしれない。


 相変わらず、本能が俺に急げと言っている。言われなくても急いでいる。もう、学校も見えてきた。

「さて、」

 これはどう入るべきか。閉ざされた校門を前に考える。しかし、校門自体、俺の身長より少し高い程度の代物だ。あたりに人の気配も感じないし、飛び越えて侵入するのが一番手っ取り早いだろう。

 腕を伸ばし、門の上に手をかける。そのままジャンプと懸垂の要領を重ね合わせ、ひょいっと一気に飛び越える。

 敷地内はいやに静かだった。

 校舎に入るには、窓ガラスを破壊するしかないわけであるが、そこまではしたくない。俺の精神を荒ぶらせる原因が校舎外にあることを願い、とりあえずまずは敷地内を探索しよう。

 ところで、夜の学校というのは、どうしてこう不気味に感じるのだろう。怪談の舞台として利用されることが多いからだろうか。いや、そもそも不気味だから怪談に利用されるているとも考えられる。鳥が先か卵が先かの議論と同じ。


 そんなとりとめもないことを考えていると校舎の裏側まで来た。明らかにおかしな気配を漂わせている建物がある。今日、というか昨日、昼休みに体育の授業で使う用具を取りに行った倉庫だ。たしかすげぇ美人とも出くわした。

 俺は恐る恐る倉庫の方へ近づいてみる。明らかに中に誰かいる。教員の可能性もある。

 開ける前に、耳を澄まし、中の様子に注意を払う。


ぐちゃり ぐちゃり


 おかしな音がする。水っぽいというか。あまり心地よい音ではない。

 扉を静かに、覗ける程度の隙間を開ける。しかし、覗くまでもなく異変は起きた。

 おぞましい程の鉄の匂い。いや、ただの鉄の匂いならどれほどよかっただろうか。これは明らかに、血の匂いだ。それもこれほどの強い匂いだ、相当な量と考えられる。

 俺は慌てて中を覗き込む。そこは暗黒の世界。深淵。


『深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている。』


 俺は深淵に覗かれていた。覗かれていたとわかるのだから、俺は中の状況をかろうじて認識できていたようだ。

 俺と深淵の間にはおびただしい量の“塊”があった。その塊が何かはわからない。わかりたくない。ただ吐き気を催すほどにおぞましく醜悪なものであることは確かだ。深淵はその塊を飲み込もうとしている。いやそれは現在進行形で飲み込んでいる。


 ちがう!ちがう!深淵ってなんだよ!あれは人だ!俺と同じ人間だ!人間が“塊”を食らっているんだ!じゃあその“塊”は一体なんだ……?だめだ考えるな!

 気がつけば、目覚めたときに感じていた焦燥感や、催していた武者震いは収まっていた。今は打って変わって恐怖しかない。動物的な本能が、理性を押さえつけ俺に逃げろと言っている。本能が先走ってそれを理性が黙認しているだと?あんなのは本能などではない。今のこの、必死に俺に逃げろと訴えているこれこそが本能だ。本能とは情けないほどに動物的なんだ。

 俺は一心不乱にその場から逃げ出した。スマホを入れていたはずのポケットはやけに軽かったが、そんなものになりふり構っていられない。今は逃げろ!逃げろ!逃げろ!

 

 その後どういう道を辿って家まで帰ってきたのか覚えていない。本能に従った逃走であったが、俺の本能には下校ルートが刻み込まれていたらしい。こればっかりは面倒な登下校の習慣に感謝である。

 この事件がこれで終わるわけはない。俺は居合わせてしまったのだ。明らかに人としての営みから逸脱してしまっている何かに。しかし、これが俺に与えられていた運命だというのであれば、俺自身も、何か、人の営みからは逸脱してしまっている存在なのかもしれない。


 今はもう、やけに落ち着いている。いや、落ち着いているというよりは頭がぼんやりとしているだけだ。きっと、許容できる認識の限界を超える代物を見て、脳みそがオーバーヒートしてしまったんだ。

 そのままベッドに倒れ込むと、俺の意識は強制停止を敢行した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る