第3話


「え~体育委員の佐藤と、あと真部」

 午前中最後の授業が終わるなり、体育教師の岡部が俺たちの教室にやって来た。

「なんすか~?」と圭介。

「天気も悪いし、午後の体育は体育館でバドミントンにするからよ。昼休み中に倉庫から道具運んどいてくれや」

 バドミントンの道具は、体育館内の倉庫とは別の倉庫に保管してある。道具自体はそこまで大がかりなものでもないため、運ぶのが苦というわけでもないが、多少の時間がかかる。その多少の時間が非常に問題なのである。

 育ち盛りの俺や圭介は持参した弁当程度では腹の半分も満たされない。そのため毎回購買で追加の食料を調達しているのだが、この購買が某遊園地の人気アトラクションかのごとく混雑するのである。その結果、購買での食料調達と僅かな食べる時間だけで俺たちの昼休みは終了となる。そんな激務のもと、体育用具の運搬などという仕事を組み込める余地など無いのである。

「どうするよ、じゅんぺー」

 まぁ余地は無いなどと大げさなことを言ったが、そう困ることでもない。一応の策はある。

「仕方ない。運搬は俺がやるから、圭介は俺の分の飯も買っといてくれ」

 そうして、圭介は購買、俺は倉庫に向かうこととなった。


 朝方より雨は強くなっていた。倉庫へと繋がる外廊下には幸い屋根があるが、それでもかなりの雨が吹き込んでいた。

 倉庫の入り口が見えてきたあたりで、突然倉庫の扉が開く。午後に体育があるのは俺のクラスだけのはずだが、倉庫には先客がいたらしい。出てきたのは二人組の女子で、昨日、俺が下校するときに校門で見かけた二人のようだった。なにやら楽しげな雰囲気を醸し出しているが、どこか陰湿な感じを受けるのは何故だろうか。

 すれ違う時に目があった。受けている稽古柄なのか、俺自身は人と目が合うということに敏感であるが、あちらはそうではないだろう。そもそも、お互い言葉を交わしたことがないどころか、名前も知らないような関係である。きっと目があったことなど、完全にすれ違った後には忘れてしまっているに違いない。まぁ覚えていてほしいなどとは特に思わないが。

 倉庫の扉の前まで来ると、中から人の気配がした。先客は先ほどの二人だけではなかったようである。急に開けては驚かせてしまうと思い、気持ち大きめの足音を立てつつ扉の前に立ち、取っ手に手をかける。


ガラガラガラ


 少し重めの扉を開けると、一人の少女がいた。背中の上三分の一ほどまで伸ばした綺麗な黒髪。スカートや袖から露出している肢体は色白で、決して肉付きの良い方ではないはずなのに、女性特有の肉体的な柔らかみも感じる。そして、なにより驚くべきは、彼女から感じる形容しがたい絶対的な儚さである。色白で細身という身体的な特徴だけではこうはならない。もはや生まれもっての才能。守られるために生まれたという存在意義。そんな神聖なものの領域である。


 どれくらい声を失っていたのだろうか。いやきっとものの数秒のはずだ。何か言わなければと口を開こうとしたとき、彼女が先に声を発した。

「ごめんなさい。一度外に出ていてもらえますか?」

 そこで我に帰り、彼女の回りに何か紙のようなものが大量に散らばっていることに気がついた。彼女はそれを拾おうとしているようだ。そこでようやく俺も声を発せるようになった。

「あ。えっと。て、手伝います」

 薄暗くてよく見えなかったが、落ちているのは紙ではなく、写真のようだ。

「いえ!外に出ててくださいっ!」

 と、やや強めの口調で言われ、驚き、たどたどしく「す、すみませんっ!」といいながら慌てて倉庫の外に出る。


 一分ほど経過しただろうか。彼女がおそるおそる倉庫から出てきた。ひどく陰鬱な表情を浮かべている。

「ごめんなさい。人には見られたくなかったものなので」

 彼女の手には十数枚ほどの、紙、おそらくは写真が握られていた。見られたくはないが大事なものではないらしい。ひどくグシャグシャにしながら握っている。

 最初に感じた、あの神聖で絶対的な儚さの正体は何だったのだろうか。その時の片鱗は感じられるにしても、今では普通の少女として接することができる。とはいえ、とても美人だ。

「こちらこそ、ノックをすべきでした」

「あなたは悪くないです」

 そう言いながら少女は笑顔を向けてくれたが、どうもその笑顔にも影を感じる。嫌なことでもあったのだろうか。

「えーと。名前を聞いてもいいですか?あ!俺は1-Bの佐藤順平です」

 やや居心地の悪い沈黙が訪れようとしていたため、とりあえず名前を訪ねる。本当は、何か嫌なことでもありました?と聞こうとも思ったがなんとなく野暮に感じた。

「1-Aの外木真菜です」

 トノギマナか。と脳内で呟いた時、突然ポケットに入れていたスマホが振動する。驚きのあまり咄嗟に電話にでてしまう。どうやら圭介からの電話だ。彼女も俺のその様子を見て、自分がいては電話の邪魔になるだろうと思ったのか、軽く会釈をしてその場を立ち去ってしまった。

 少し残念に思いながらも、電話の方に意識を傾ける。

「おーじゅんぺー。飯買えたから教室戻るぜー。そっちはどう?」

 そこで自分が倉庫に来た理由を思い出す。

「ああ!やっべ!」

「やっべって、どうした?手伝いにいった方がいいか?」

 美人な女の子に見とれてて全然進んでないとは言えず、

「い、いや今もう運び終わる!」

 そう言って慌てて作業に取りかかる。必要以上に疲れた気がする。



***



 なんだかすごくトギマギしていた様子だけど、見られてない、よね。

 右手に握られたものに目をやる。グシャグシャになっていはいるが、その卑猥さは健在でひどく不快に感じる。

 こんなことになってしまった自分のうかつさにうんざりする。


 午前の授業が終わり、お手洗いから戻ってくると、机のなかに入れていたはずの例の忌まわしい写真がなくなっていることに気がつく。ここ最近、私に降りかかる不都合はほとんどすべて、藍川さんや城田さんによって引き起こされている。私はとっさに藍川さんの席に視線を移す。案の定だった。城田さんと共に、わざとらしいほどのリアクションをとりながら、例の写真の観賞会をしている。ひどいことに回りの男の子にまで「これすごくよくない?」などと触れ回っているではないか。

 止めないと。

 私は慌てて藍川さんの席の方へ向かう。藍川さんと城田さんは、それを待ってましたとばかりに、素早い動きで写真をまとめ、教室を出ていく。そして廊下に出るなり「学校のマドンナのエッチな写真売りまーす!」などと叫びながら、どこかへと走っていく。私は慌てて追いかけた。前の授業が早めに終わっていたため、私たち以外廊下に誰もいなかったのが幸いだった。


 追いかけていった先は、倉庫だった。体育で使う用具の一部が保管されている場所であるが、ほとんどの用具はグランドの奥の倉庫や体育館内の倉庫に保管されているため、こちらの倉庫に人が来ることはほとんど無い。それもあってか、素行の悪い学生の憩いの場になっているようである。タバコの吸い殻や使用済みの避妊具などが落ちていることもあるらしい。

 あまり気は進まないが、あの忌まわしい写真を二人の手元においておくわけにはいかない。私は二人が開けたであろう重い扉の隙間から、倉庫の中へと入っていった。

 中は薄暗かった。普段であれば蛍光灯をつけなくても、天井近くの壁についている小窓から光が入ってくるのだろうが、今日は生憎の天気である。中の様子がわからないという訳ではないが、視界が良好とは言えず、また、気分をひどく落ち込ませるには十分な暗さであった。

 少しの間睨みあっていたが、先に口を開いたのは藍川さんだった。

「あんた、ほんっとつまんない」

 ため息混じりにそう言う藍川さんは次いで、写真の束を私に投げつけてきた。数枚が体に当たった程度で、ほとんどが私と二人の間にヒラヒラと落ちただけだった。しかし、私にとっては完全に予想外の行為だったため、過剰に体をびくつかせてしまった。この反応が二人にとっては満足のいくものだったようで、

「そうそう!あんたのそーゆーのが見たいのようちらは!」

「あなたはいつも反応が薄いのだもの」

 私の反応が気にくわないのなら放っておけばいいのに。そう言ってやりたかったが、昨日の件も含め、この二人には何を言ったって聞きやしない。私の薄い反応が気にくわないというのであれば、徹底的に無反応を貫けばいいのだ。それが今の私にできる反抗の形。

「もういいかな?」と素っ気なく答え、私は写真を拾うために体を屈めた。すると、

「ああ。あなたのそれ。本当イラッときた」

 城田さんの冷たい声を聞いたと同時に、屈んだ私の肩に城田さんの足裏が押し付けられる。それに気がついたときにはもう遅く、私はそのまま乱暴にグイッと後ろに押し出され、尻餅をつかされた。

「痛いっ」

 実際、痛み自体はそこまでではなかったが、ここまで明確な暴力を受けたのは始めてて、驚きの声が痛みとして発せられた。そして追い討ちをかけるように、体を浮かさんばかりに、私の胸ぐらをリボンごと掴んでくる。

「わたし、気にくわないのよね。そうやっていつもすましてるあなたが。それでいて男のことたぶらかして、あげくわたしの大川先輩まで獲って」

 暴力を受けたという事実に驚いて声がでない。城田さんはどうやら完全にキレてしまっているようだ。

「まぁまぁ一旦落ち着いて」

 そう城田さんに声をかける藍川さんは心の底から楽しそうだ。私は捕まれた胸ぐらを乱暴に離され、再度後ろに尻餅をつく。

「どうする?もううちらでやっちゃう?」

 なにをされるのだろう。

「いや、わたしたちではやらない。でも徹底的にやる」

 そう言って、城田さんまで心底楽しそうな表情を浮かべる。実際にはとても醜悪で歪んだ表情だけど。

「ごめん。取り乱した。とりあえず今はもういい」

 城田さんはそう言い残し、倉庫の出口へと体を向ける。

「あっそ」

 少し不満そうに答える藍川さんだったが、後ろからみる二人の背中は、盛大なイタズラを思い付いた幼子のようにウキウキとしているようにみえる。しかし、二人の腹黒さを考慮するならば、実際はそんな可愛らしいものではないだろう。

 倉庫から出るときは、一切私の方に目を向けなかった。


 二人が倉庫を出たのを確認し、私は立ち上がる。制服のシワを直し、スカートの埃を払う。その手はすこし震えていた。気が動転しているのか、今後に恐怖を感じているのか、はっきりとはわからない。しかし心が締め付けられて苦しいのは確かだ。

「これ。拾わないと」

 消え入りそうな声で、一人呟く。やる気はでないが、この写真が誰か知らない人の手にわたるようなことは絶対に避けたい。いや、知り合いにだとしても同じか。

そうして、写真回収のため動き出そうとしたとき、


ガラガラガラ


と、突然倉庫の扉が開け放たれる。

 やばい。誰か来た。とっさに扉の方に体を向ける。

 驚いた様子の男の子が立っていた。同じクラスの人では無い。先輩だろうか。いや今はそんなことどうでもいい。とにかくこの写真を見られたくない。

「ごめんなさい。一度外に出ていてもらえますか?」

 急に出ていけというのもおかしな話だけど、もうそう言うしかない。

「あ。えっと。て、手伝います」

 そうしてその男の子は、近くの写真を拾おうとする。

「いえ!外に出ててくださいっ!」

 焦りのあまり、強い口調で言ってしまった。傷つけてしまったのではないかと罪悪感に苛まれたが、男の子は慌てた様子で倉庫から出てくれた。出たといっても外で待っているようだ。

 写真の内容、知られちゃったかな。とはいえ、あんなに強い口調で言うことはなかった。あとで謝ろう。

 私は一枚たりとも拾い逃しの無いよう、素早く正確に散らばった写真を拾っていく。なんだか惨めな気持ちになってくる。こんな埃臭くて薄暗い倉庫で、加工されたものとはいえ、自分の見るも恥ずかしい写真を集めている。どうしてこんなことをしてるのだろう。写真を一枚一枚拾っていくたびに、心にチクチクと細い針が刺さっていくような感覚を受ける。拾い終わるころにはやけに疲れていた。体ではなく心が。


 回収を終えたところで扉を開け、外に出る。やはり男の子は外で待っていたようだ。

「ごめんなさい。人には見られたくなかったものなので」

 まずは謝罪。そして、人には見られたくなかったもの、という表現に対してどのような反応をするかで、この写真の内容に気づいているか、気づいていないかを探ってみる。

「こちらこそ、ノックをすべきでした」

 メンタリスト的な試みは失敗のよう。でもわりと、紳士的な男の子なのかもしれない。

「あなたは悪くないです」

 これは本心。そもそもこんなことになったのも私のうかつさが問題なわけだし。

 ひとまずホッとすると同時に、そこではじめてその男の子の姿をハッキリと見ることができた。

 身長は低くはないけど高くもない。でも、なにかスポーツでもやっているのかな、すごくバランスのとれた体格だと思う。顔つきも無愛想にみえるけど、どこか暖かみを感じる。

「えーと。名前を聞いてもいいですか?あ!俺は1-Bの佐藤順平です」

 明らかに、会話が途切れて気まずい空気になるのを避けたいがための質問だ。そのぎこちなさが可笑しくて、少し笑ってしまいそうになる。おかげで、気持ちが少し楽になった気がする。

「1-Aの外木真菜です」

 きっとこれでまた会話が途切れる。そしたら佐藤君はどうやってこの場を繋ぐのだろう。

 本来、会話というのは言葉のキャッチボールだ。なのに私は、佐藤君が話題をふってくるのを待つばかりで、それが当然だと思っている。なんだかすごく嫌な女になった気分だけど、すごくこれが自然なことのように感じる。

 佐藤君の次の言葉に少しのワクワクを感じながら待っていると、スマホのバイブレーションの音が微かに聞こえてきた。どうやら佐藤君のポケットからのようだ。

そういえば、倉庫には何か用があって来ていた感じだった。私とお話ししていたら迷惑をかけてしまうかもしれない。もう、電話に応答してしまっているし、私は退散した方がいい。

 不思議な名残惜しさを感じつつ、私は電話の邪魔にならないよう、無言の一礼をしその場を立ち去る。

 佐藤君のおかげで気持ちが少し楽になったように感じていたが、藍川さんと城田さんの問題は健在だ。

 でも、きっと大丈夫。受け流し続けていれば彼女たちもすぐ飽きる。

 しかし、この時、受け流しきれない事態が迫っていたことに、私は気づくことができなかった。いや気づいていたとしても、これは避けられない運命だったのかもしれない。

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