第2話


 そこそこ距離があるはずだが、一瞬で詰められてしまう。木刀の先が喉元へ迫る。しかし、これは躱せる。問題は二撃目だ。反撃に転じるためにも回避動作は最小限に抑えておきたいところだが、食らってしまっては反撃も何もない。かなりオーバーな動作となるが俺はその場に思いっきりしゃがむ。目の前には親父の腰。獲った。しゃがみ込んだ勢いを利用し、やや斜め前方へ一歩。親父の体の横側に出る形で斬り払う。しかし木刀は空を斬る。親父は後方へ飛び退いていた。斬り払いを終えた俺は、無防備な状態のまま、後方に飛んだ親父に、自ら接近していくような形となる。これは勝負あり。低い姿勢をとる俺の真上から、親父の木刀が振り下ろされる。


コツン


 なんとも間抜けな音が道場に響く。あくまで稽古だ。本気で木刀で殴られるようなことはほとんど無い。たまにあるけど。

「おしいな順平」

 勝負ありとみて、俺に背を向けながら親父が呟く。

「思い切りのいい動きは評価できるが、身のこなしをもっと素早くしないと良い的にしかならんぞ」

 そうなのである。剣術の稽古ではあるが、漫画とかアニメに出てくるような、派手で格好の良い技・特技を教えられているわけではない。あくまで刀を使った殺しの方法である。ある程度得物の扱いになれてしまえば、重要なのは身のこなし、そして速さである。殺しの作法など、突き詰めてしまえば、ひどくシンプルなものである。

「これが本物の刀になったらさらに重いわけだし、これ以上速くできる自信なんてないな」

 右手に握る木刀を、適当に振り回しながら答える。

「それではだめだ。いざとなったときに使命を果たせん」

「そのいざって時はいつで、果たすべき使命ってなんなんだよ」

 この質問はもう幾度となくしてきた。しかし決まって「その力を振るう必要が、無いことを願いたいな」と質問の答えに全くなっていない返答をされる。

 最近感じていることは、実は親父自身もその使命とやらを理解していないのではないかということである。というのも、親父もずっと、俺のじいちゃんによって、俺と同じような稽古をつけられていた。しかし親父は一度大きな事故を経験している。俺が物心のつく前の話だから俺自身は記憶にないが、かなり大きな交通事故だったらしい。だいぶ大量の輸血が行われたとかなんとか。その事故以来、じいちゃんが親父に稽古をつけることはなくなり、じいちゃんと親父が稽古についての話をすることもなくなった。唯一俺が聞いた、じいちゃんと親父の稽古についての会話は、じいちゃんが死ぬときに親父に「順平の稽古を頼む」的な言葉を交わしていた、その一度だけである。そこまで稽古の話をろくにしなかった間柄だ。使命云々の話をしていなくてもおかしくはない。事故以前の稽古中に話していた可能性もあるが、なら今の俺に、その使命の話を一切しないのは意味不明だと思う。おれももう高校生、事理を適切に認識できる程度には成長している。

「今日はもう終わりにしよう」

 その提案は大いに賛成である。俺はしかめっ面を沈め、せっせと片付けを開始する。まぁ正直、俺の中での稽古の位置付けは、少しハード目な良い運動程度にしか思っていない。だから、今さら使命だなんだと言われても正直困るところではある。遊びの時間が必然的に制限されてしまっていることは不満ではあるが、もはや日常のルーティンとして完全に定着してしまっているのも事実である。そういう意味では俺が思う穏やかな日常の中には、稽古の存在は必須なのかもしれない。

 日も落ち始め、窓から差し込む橙色の光が道場の床を照らす。反射する輝きが、今日も一日頑張った俺を祝福しているようだ。この光景は悪くない。稽古については不満も多いが、まぁ明日以降も頑張ってもいいかもな、なんて思うのだった。



***



 夢を視ている。

 ここで言う夢は"将来の"とかそういうものではなく、寝ているときに視る夢。それも、どちらかと言えば悪夢に近い。

 いや。これがただの夢であるならば、夢を視ていると自覚している時点で、夢の内容をある程度コントロールできるのではないか。たしか明晰夢とかって言ったっけ。

 しかし、私にはこの明晰夢をコントロールできない。もう何度も同じ夢を視ておきながら、この様なのだから不可能なのだろう。

 もしかしたらこれは夢ではないのかもしれない。では、なんだろう。過去の経験の追想?まさか。そもそも時代背景がおかしい。少なくとも二十一世紀の日本ではない。それに私には、刀や拳銃を持った人々に追いかけ回される心当たりなどない。

 毎回ほぼ同じ内容の夢という点が引っ掛かるが、きっと日々のストレスがこんな悪夢を見せるのだ。最近は特に、藍川さんと城田さんからのちょっかいも多かったし。


ピピピッピピピッ


 目覚ましの音とともに、悪夢が途切れる。

 朝の目覚ましの音に、救済の意味を見いだす女子高生なんて、私ぐらいなのではないだろうか。とはいえ、昨日の帰り際の件を思い出せば、現実だってそう良いものではない。昨日は嫌になってそそくさと帰ってしまったが、もう少しフォローしておけばよかったと後悔。登校するのがすごく憂鬱だが、今休んだりしたら不登校まっしぐらな気がする。

 気分的に重みを感じる体を起こし、身支度を整える。朝御飯は軽く、イチゴジャムを塗った食パン。お父さんが生きていた頃は、もっとまともな食事をしていたけれど、一人になってしまってはこんなもの。かなり寂しさを感じるけど、かといってお父さんの親戚の家で生活したいとは思わない。きっと、私がいたら迷惑なのだろう。そんな表情を隠そうともしないような家ではゆったりできるはずもない。まぁ、滞りなく生活面のお金を工面してくれているところは、心の底から感謝している。こうして学校にも通えているわけだし。


 登校の準備を終え、外に出る。今日は、霧吹きで吹いたようなきめの細かい雨が降っている。降っているというよりは舞っているという表現の方が適切かもしれない。こういう雨が一番嫌い。傘が無意味だし、学校に着く頃には、びしょ濡れ、とはいかないまでも不快な濡れ方をする。

 とはいっても、私の家と学校はそう距離があるわけでもない。脳内で天気についての不満を言い終える頃には、もう学校が見えてくる。

「おはようございます!」

 校門では挨拶運動の腕章をした生徒会のメンバーが、登校してくる生徒に朝の挨拶をぶつけている。この天気のなか、本当にご苦労様である。

「おはよう……ございます。」

 決して元気ある挨拶とは言えないが、返さないというのも申し訳がなく、もしかしたら聞こえていないかもという程度の声量で、生徒会の頑張りに報いてみる。

 なんとなく良いことをした気になって、すこし気分が晴れやかになっていたが、直後そんな気分も今日の雨のように霧散してしまう。

 挨拶運動をしている生徒会で同じクラスの女の子が、私を見つけるなり悲しそうな表情を浮かべ、慌てた様子で目を逸らすのである。仲良くお話をするような間柄の女の子ではなかったが、なんだかんだで私のことを気にかけてくれている、比較的好印象のクラスメイトであった。

 今の振る舞いはなんだろうか。すごく嫌な予感がする。

 

 教室に入るなり、その予感は的中することとなる。

 私の机は、なんとも妖艶な肌色でびっしりと埋め尽くされていた。漠然とした印象を抱いたのも、はじめそれが具体的に何であるか理解できなかったからである。机に到達するなり理解する。裸の女性の写真が、大量に貼り付けられていたのである。中には、がっしりとした体格の男性に凌辱されている女性の写真もある。しかし、どんなシーンの写真かなどという興味が薄れてしまうほどに、驚くべき共通点が一つあった。その女性すべてが、私の顔を有しているのである。それがまた良くできていて、一瞬、この写真はいつ撮られたものだろうかなどと考えてしまうほどであった。けれども、私は処女であるしそもそも人前で裸になるなどということはしたことがない。この学校には水泳の授業など無いし。

 そう、なんてことない、ただの合成、加工、いわゆるコラ画像といわれるものである。

 これを誰がやったのかなど、推理するまでもなく明確である。実際に作成したのは別の人間であるにしても、主犯は間違いなく藍川さんと城田さんだ。そちらに目を向ければ案の定、藍川さんは嗜虐心を秘めた不敵な笑みを浮かべ、城田さんは憎しみに満ちた睨みをきかせている。何か言ってやろうかとも思ったが、それでは火種を大きくするだけであるし、なにより面倒であった。

 私は無表情のまま二人に目をやった後、黙々と写真を剥がしはじめた。幸いセロハンテープで張り付けてあるだけであり、剥がすのに苦労はしなかった。問題は処分方法である。写真の内容が内容なだけに学校に捨てるわけにもいかない。しかたない、とりあえず家に持って帰って、中の見えない袋に入れて捨てよう。

 燃えるごみは何曜日だったかなどと呑気な思考に耽ることができるあたり、このときの私はまだまだ余裕があったのかもしれない。

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