第1話


「じゅ~んぺ~」

 放課後の開始とともに、緩みきった声が俺に投げられた。

「どうした圭介」

 圭介。真部圭介。そう俺、佐藤順平の友人である。

「ジム行こーぜ!筋トレ!」

 初手に緩みきった声を出していた人物からとは思えない提案である。なんでも、夏に向けて体を鍛えておきたいそうだ。

「やっぱ夏といったら海。海といったら水着。水着といったらマッチョ!」

 水着といったらマッチョ、の部分のつながりは、いまいち理解に苦しむ。しかし、夏に向けて体を鍛えたがるのは、若い男の定番的行動といえる。多分。

「お前は普段から親父さんにしごかれてるし、ある程度体できあがってるかもしれねーけど。俺は何か目的でもないと体を動かさねーの」

 だから付き合ってくれと俺に懇願する圭介。とはいえ、"夏に向けて筋トレ"なんていうが、結局は遊びの誘いのようなものだ。全くもって断る理由はない。しかし、自己の意思という部分で断る理由はなくても、自己の意思によらない外的な要素、つまりは用事の存在という点で断る理由ができてしまう。

「すまん。今日もその親父さんにしごかれる日なんだ」

 圭介は「やっぱりなぁ」と肩を落とす。いつもこの理由でせっかくの誘いを断っている。別に圭介に限った話ではない。それが祟ってか、俺には休日や放課後に一緒に遊ぶような友人は、全くといっていいほど存在しない。というか圭介しかいない。

「なら今度、行ける日があったら順平から誘ってくれや。絶対な。俺はいつでも大丈夫だからさ」

「ああ。そうする」

 圭介は満足そうな表情をを浮かべ、それじゃあと教室を出ていく。置き勉しているのだろう、相変わらず手に持つバックは軽そうだ。そんなところは小学生の時から変わらない。俺をいつも遊びに誘ってくれるところも含めて。

「俺も帰るか」

 一部教室に人は残っていたが、誰にも聞こえない程度にそう呟き、教室を出た。

 正直、学校にいる間が、一番心身ともに安らげる時間だと感じている。それもこれも、親父によるしごきが原因なわけであるが。しごきといっても、別に虐待やイジメといったものではない。れっきとした、いわゆる稽古である。稽古と聞くと剣道だったり弓道、柔道といったものを想像するかもしれないが、残念ながらどれにも当てはまらない。強いて言えば剣道であるが、あれを剣道と呼んでしまっては、世の剣道家から、お仕置きよろしく、面への一撃を食らうかもしれない。俺が稽古をつけられているのは、殺しのための剣技。より実戦向けの剣術である。なんだか中二病的な臭いがしてきたが、残念ながら大真面目である。これが純粋な剣道であれば、俺も高校の剣道部に入って、爽やかな青い春を感じる部活ライフを送れていたのかもしれない。

 これまで、そしてこれから教えられるだろうものが一体何の役に立つのか、俺自身全く予想できない。いや、明らかに何の役にも立たないことは明白であるが、予想できないもの、というある意味の自己完結をすることで現実を見ないようにしているのかもしれない。だって、一般人による刀剣の帯刀など、この国、というか全ての近代国家において、大手を振って認められているところなどどこを探してもないはずである。そんな中で実戦的な剣術を学んだところで、宝にすらならないものの持ち腐れになりかねない。いやそもそも、役に立つ立たない以前に、実の息子に殺しの方法を教える親っていうのも、それはそれでどうかと思う。

 とはいえ、殺しの方法を教えられながらも、こうして必要最低限の一般常識を有した高校生として成長できたのは不幸中の幸いといえなくもない。おそらく、ただ殺しの方法を教えるだけでなく、同時にその力との向き合い方や心構えも叩き込まれていて、それが俺自身の人格に対して善性に寄った影響を与えていたのだろう。良い教育なのか悪い教育なのか、なんだかよくわからない。

「まあ、今さらこの日常に対して異議を唱える気もないけどさ」

 と誰に聞かせるでもなく声に出してみる。他意は無い。


 校舎を出ると湿った空気が体を撫でた。まだ6月も初頭であるが、季節は夏を待ちきれないらしい。若干フライングのような気候である。校門にいた二人の女子も制服を着崩し、やや露出が多いように見える。目のやり場に困るほどではないがあまりどぎまぎするのも情けない。それに、明らかにスクールカースト上位層に位置する人種だ。そういうものは、もはや雰囲気でわかる。特異な日常を送る俺にも、そういった一般的な学生が有する嗅覚は身に付いているらしい。俺とクラスは別なようだが変に下に見られるのも癪だ。堂々とすれ違おう。

 そんな一戦を交えつつ、俺は俺の日常へと向かっていくのだった。



***



 早く行かなければ。友達のようなものを待たせてしまっている。

「外木さん。もう少し、そのなんて言うか、微笑む感じでお願いできるかな?」

 カシャリ。と乾いたシャッターの音が響く。フラッシュの光が少し眩しい。

「ごめんね~。急にお願いしちゃって」

「いえ」

 帰りのホームルームが終わるとすぐ、担任の女性教諭が声をかけてきた。学校紹介用パンフレットに載せる写真の、モデルをやってくれないかというお願いだった。人を待たせている状態だったが、普段お世話になっている先生の頼みだ。断ってしまうのは申し訳ない。

「じゃあ次は立ち姿撮るね」

 グリーンバックを背にイスから立ち上がり、スカートのシワをすこし整える。また同じシャッターの音が鳴る。すこし切ない印象を受けるのは、この後のことが憂鬱だからだろうか。

「うーん。おーけー。これで十分かな」

 撮った写真を確認した先生がそう呟く。

「ありがとう。これで終わり。出来上がったパンフレットの見本は外木さんにもあげるから。楽しみにしてて」

 別に欲しいとは思わなかったが、くれるというならもらっておこう。

「じゃあ。私、帰ります」

「うん。お疲れ様。また明日ね」

 入口付近で一礼し、部屋を出る。話があるという人を待たせている。すこし面倒な面子だが、行くしかない。


 校門には、予定通り私を待つ二人の女の子がいた。わざわざ校門で話なんてとも思ったが、きっと私が逃げるのを防ぐためだろう。

「真菜。遅かったね」

 これは藍川さん。少し怒っているのだろう、眉間にシワがよっている。

「ごめんなさい。先生から頼みごとをされてしまって」

 淡々とした口調で答える。いつも私に酷いことばかりしてるのだ。少し待たせたくらいで、こちらが悪びれる必要はない。

「頼みごとってなによ?うちらを待たすほどのことなの」

 あなたたちを優先することなどないと言ってやりたかったが、そこは堪える。別に喧嘩をしたいわけではない。ここはおとなしく答えておこう。

「学校紹介用パンフレットの作成の手伝い」

「手伝い?何の?」

「写真のモデル」

 これを聞いてなぜかさらにムッとした様子を見せる藍川さん。なにが気にくわないのだろうか。

「ふん。さすが学校一の美少女様は違うわね。それで?一体どんな色目を使ったのかしらね」

 色目?先生に色目を使って、写真のモデルにしてもらったとでも思っているのだろうか。本当に何のことだかわからない。と、いつも藍川さんに加勢している城田さんが、先ほどからうつむいてばかりで、黙りこくっていることに気づく。それと関係があるのだろうか。

「何のことかわからないけど。時間ももったいないし、話って何?そのために呼び出したのでしょ」

 またさらにムッとしたようだ。一体何段階までムッとできるのか。

「あんた、大川先輩に告白されてたでしょ?」

 大川先輩。ここの高校の2年生。確かにお昼の時間に屋上に呼び出され、好きだと告白され、お付き合いを申し込まれた。しかし、断った。そもそも私は、この手の話は全て断っている。中学のときもそうであったし、高校に入ってからも全てそうだ。

「確かに告白された。でもそれがどうかしたの?」

 なんとなく予想がついてきたがあえて聞いてみる。そこで、それまで黙っていた城田さんが口を開く。

「わたしから大川先輩を盗った。わたしが好きだったのにっ」

 今にも泣き出しそうな声をしている。

「入学してからずっとアプローチしてて、最近いい感じだったのに、急にだよ。あなたの存在を知ってから急に。わたしのことなんて興味なくなってた。ねぇ何したの?どんなことしたの?ヤらしてあげるとか言ったんでしょ」

 全くもっての誤解。そもそも私は、大川先輩の存在を知ったのは今日が初めてである。それに、色目を使ったなんて、あまりにも話が飛躍しすぎだと思う。きっとあまりのショックで気が動転しているのだ。いや、ただそういうことにして、私のことを心から憎みたいだけなのかもしれない。

「それは勘違いだよ城田さん。それにお付き合いの話は断ったし」

「なるほどね、またそうやって男をその気にさせてたぶらかしてるのねあんた」

 完全に泣き崩れてしまった城田さんの代わりに、藍川さんがフォローする。これはダメだ。とにかく私を悪者にしたいらしい。何を言っても無駄だろう。

 もしかしたら、いやもしかしなくとも、どうやら私はモテるらしい。これは本来喜べることなのかもしれない。私自身、異性との恋愛にも普通の女子高生程度には興味を持っているという自覚がある。しかし、恋愛がしたいことと、モテることは違うベクトルのものだと思う。現に、モテてしまう私は、いつも急なお付き合いの申し出を受ける。知らない人から急に好きだと伝えられても困ってしまう。少なくとも私はそうだ。これは私がウブ過ぎるだけなのだろうか。

「黙ってないで何か言ったらどうなの?」

 黙るも何も会話が成立しない相手には何を言っても無駄だろう。これはもう話は終わったとみていい。帰ろう。

「男の子をたぶらかすなんて器用なこと、私にはできないしする気もない。それに、大川先輩のこと、私はどうも思ってないから。それじゃあ」

 これだけはハッキリ伝えておいた。聞く耳を持ってるかは怪しいけど。

「ちょっと待ちなさいっ」

 追いかけてこようとするが、泣き崩れる城田さんを介抱するので精一杯なようだ。私は一切後ろを振り向かず家路につく。正直、明日からまたイジメがエスカレートしそうでさらに憂鬱になった。しかし、この状況をどうにかする力は私にはないし、とにかく今は、早くここを去りたかった。もうほんと、なんで私にここまで突っかかってくるのかな。




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