06-2 なんでスパイになったんだ?
二十三日の朝、鈴木が
まずは父親である二階堂社長の了承を得ようと、鈴木は社長とサシで向かい合った。
社長は「何の見返りもなくそのような危険が伴うかもしれないことを娘に任せるわけにいかん」と断ってきた。
そういわれるのは想定内であった鈴木は、こう切り出した。
「ただでとは言いません。株式会社ニカイドー内での横領を調査しますよ。証拠が揃えば会社の資金を私的に流用している者を追い出すことができるでしょう。御社にとって利のある話だと思います」
実は、警察からそのような案件を持ち掛けられていたところだった。しかし優先度は低い案件なので手が空いた際に調査することになっていたと鈴木は言う。
そこへちょうど今回の騒動が重なったので彼にしてみれば渡りに船だったわけだ。
「手が空いたら、ということは、この話を断ってもそのうち調査が入るのかね?」
「いずれは。しかしいつになるかは判りません」
「ならば警察が捜査するのでは?」
「会社の内偵となると警察では時間がかかると思いますよ。警察は潜入捜査などはなかなかできませんし」
そのような会話がなされたそうだ。
うわぁ、うまいこと言うなぁと
内容を判っているのかいないのか、リュウはふんふんとうなずいている。
二人の反応を笑顔で見ながら鈴木は続ける。
鈴木の返事を受けて、二階堂社長はしばらく考えた末、申し出を受けることにした。
鈴木にとって意外なことに、社長が横領の調査のことまで二人に告げた。その辺りは彼女達は知らなくていい情報だと思っていたが社長は黙ったままでだますような真似はしたくなかったのだろう。
寿葉に、会社のために頼むと深々と頭を下げたのだ。
彼女はすぐにうなずいた。「会社のためもありますが、なによりリュウくんのためです」と彼女はきっぱりと告げた。
そこで強く異を唱えたのは、柏葉だった。
会社のためとか、少し関わった小学生のためとか、そんなことより寿葉お嬢様を危険にさらさないことの方が重要ではないのかと。
彼女の勢いに社長が呑まれそうになっていることを察した鈴木は先手をうった。
「なによりご本人の意思を尊重しましょう」
寿葉が本気でリュウのために力を貸したいと思っていることを踏んでの発言だった。
鈴木の読み通り、寿葉はリュウのそばにいたいと告げた。
ではそういうことで、と話をまとめかけた鈴木に柏葉が叫びながら迫り、あっという間もなく鈴木は右腕を逆手にねじ上げられていた。
すぐに寿葉が止めてくれたので腕をひねられていたのはほんの数秒だったが、五日前のことなのにまだ肘に違和感があると鈴木は右肘をさすっている。
「柏葉さんは私から離されても私を疫病神とののしってました。柏葉さんは寿葉さんが心配で仕方ないのですね。長年教育係をしていて、年の離れた妹のように大事に思っているのでしょう」
そんないきさつがあったのか、と世記はうなずいた。
「そりゃ大切なお嬢さんが胡散臭い男に言いくるめられて危険な目に合うかもしれない、って思うと許せないよな」
「そんなに胡散臭いですか?」
「自覚ないのかよ」
「ひどいですね」
世記と鈴木は軽口をたたきあって笑ったが、リュウは少し悲しそうな顔をしている。
「なんか、おれのせいで悪いことしちゃったな」
「おまえが気にすることじゃないと思うぞ」
「そうです。悪いのは犯罪者なのです」
世記の慰めに鈴木もうなずいた。
「うん。むずかしいことはおっちゃんにまかせて、おれらは『に×3=同盟』として身をまもってればいいんだなっ」
まだ少し気にしている様子のリュウは、それでも笑顔を取り戻した。
なんだかんだで年末まであと四日、何事もなく解決すればいいと世記はうなずいた。
夜中、いったん寝付いがなぜかふと目覚めてしまった世記は、隣の部屋の電気がついていることに気づいた。
布団から出てそっとふすまを開けると、鈴木がキッチンのテーブルでノートパソコンを広げていた。
真剣そのものの顔は、今までに見たこともないほど厳しいもので、少し怖い。
あれがスパイとしてのおっさんの顔かなと世記は思った。
視線に気づいたのか、鈴木はふと顔を世記に向けて、いつもの笑顔になった。
「起こしてしまいましたか?」
「そういうわけじゃないよ」
「それならよかったです。遅いですから世記君は寝てくださいね」
「うん。……けど目が覚めちゃったから、少しだけここにいてもいいかな」
目が覚めたからというのは嘘ではないが、これを機に鈴木に聞きたいことがある。
世記の思惑を知ってか知らずか、鈴木は軽くうなずいた。
「いいですよ。あ、ちょっと待っててくださいね」
そう言うと鈴木はノートパソコンを閉じて立ち上がり、冷蔵庫を開けた。ホットミルクを作ってくれているようだ。
「また睡眠薬入り?」
意外と優しいなと思いつつ、つい憎まれ口をたたいてしまう。
鈴木は笑って「もうしませんよ」と応えた。
今回はあっさりとメロンパンの件を認めた鈴木に、世記も笑った。
いつの間にか、鈴木を「イヤなヤツ」とは感じなくなっていた。
「あなたのお父さんに電話で協力をお願いした際『世記は警戒心がすごく強いから、きっとすぐに言うことは聞かないだろうから、最初は無理やり引っ張ってってくれていいですから』とおっしゃったので言葉通りさせていただきました」
「くそ親父め」
「しかしお父さんの分析はとても正確でしたよ。あのままあの部屋で話していてもきっとあなたは協力することになかなかうなずいてくれなかったでしょう」
それは確かに、と世記は思う。
「だからって睡眠薬はやりすぎじゃないのか?」
「極めし者相手に殴って気絶させて、なんて手段が通じるとは思えませんし」
それも確かに、と世記は思う。
しかしそう答えてしまうのは、なんだか悔しい気がして、世記はこの件に関してそれ以上は言わなかった。
「それで、何かお話があるのですか?」
鈴木は出来上がったホットミルクを持ってきて、世記の前にマグカップを置いた。
あっさりと見透かされていたが、そこはさすがスパイだと思うことにしておく。
うん、と相槌を打ってから、鈴木にどう呼びかけようかと世記は迷った。
自分が聞きたいを聞くのに「おっさん」では失礼かなと思い、しかしリュウのように「おっちゃん」と親し気になるつもりもない。「鈴木さん」ではなんだかすごくかしこまったみたいで、今までわりと失礼な感じで話していたのに気恥ずかしい。
「あのさ、なんでスパイになったんだ?」
結局呼称は省略して本題へと突入した。
「諜報に興味がわきましたか? あなたのような若い極めし者はいつでも大歓迎ですよ」
鈴木は大げさに喜んで見せている。
「まさか。自分から危険に首つっこむなんてしたくないよ」
「残念です」
「本気かよ?」
「はい。世の中に難事件があふれていて我々は多忙ですから」
つまり諜報組織はブラック組織ということだ。絶対に就職などすまいと世記は今この瞬間改めて心に誓った。
「諜報員になろうと思ったのは、身近にたまたま諜報員がいたからです」
「影響されたのか」
「はい。とても苦労されていて、彼を助けたいと思ったのです」
「意外に安直なんだな」
世記が笑うのに、鈴木も倣った。
「安直でいいんですよ。職に就く動機なんてどうでもいいと思います。大切なので自分がやると決めたことはできるだけ貫くことじゃないでしょうか」
「できるだけ、なんだ」
「はい。無理なら退くのもまた素晴らしい決断です」
軽く言うのに重みがあると世記は感じた。
「将来の道が決まらないのは焦るかもしれませんが、決めるのはいつでもいいと思うのですよ。ブログのコメントでカイリさんもおっしゃっていたように大学に入ってからでも十分でしょう」
「スパイになろうと思ったのはいつ?」
「大学受験の前です。いよいよ志望校を絞る段階になって決心しました」
スパイになるのにどんな大学に行ったかと問えば、情報系の大学にしたと鈴木は答えた。今ほどインターネットなどが発達していなかった時代だからこそ、これからどんどん発展するであろうパソコンを使いこなす必要が出てくるだろうと見越してのことだそうだ。
そしてその読みは大正解だったと鈴木は得意顔だ。
「今はまだ、漠然としたことでもいいと思いますよ。無理やり見つけるのではなくて、きっと生活する中で見つかるものだと思います」
鈴木は、話に一区切りをつけて、ホットミルクを美味しそうに飲んだ。
世記もつられるようにマグカップを手に取る。
温かいミルクが喉から胃へとゆっくりと降りていくのを感じながら、なんとなくほっとしている自分に気づいた。
いけすかない、うさんくさい男に将来への不安を見透かされて諭されたというのに、嫌な気はしなかった。むしろ、慌てることはないのだと言われてなんだか安心した。
「口うまいよなぁ」
それでも素直に礼を述べることはしなかった。
「口八丁がなんぼの職ですからね」
にやりと笑う鈴木は、世記が作った
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