05-4 そっちの方がよっぽどたち悪い

 午前中の勉強タイムが終了して、世記としきは大きく伸びをした。


「やっと数学終わったー!」


 思わず声にするほどに、苦手教科の宿題の克服は難儀だった。


「兄ちゃん、ことは姉ちゃんに聞きまくってたな」

「解き方だけな」


 リュウのツッコミに、世記はちょっとムッとする。

 高等数学の恐ろしさを知らない子供に何が判ると睨みをきかせると、リュウはにぃっと笑って「ごめんよぉ」と応えた。


「けど、ま、二階堂さんにたくさん助けてもらったのは確かだな。ありがとう」


 礼を言うと寿葉ことはは微笑して「いいえ」と応えた。


丹生にぶくんの理解力は悪くないと思います。もうちょっと普段から問題を解いておいて慣れておけば成績がぐっと上がると思いますよ。問題集など買ってみてはどうですか?」

「え? そう?」

「はい」


 まさか苦手の数学でそんなふうに言われるとは思わなかった。


「姉ちゃんほめるのうまいよなー」

「できることはできると言わないと。できないと思い込んでいるのは損なのよ」


 リュウは、ふーんと相槌をうった。

 彼には今一つ理解できないようだが、世記はなるほどなぁと感心した。


「やっぱ教師とかにむいてるなぁ」


 思わずつぶやきが漏れた。

 聞こえたようで、寿葉は微笑を返してきた。


 あっ、将来の話は禁句なんだっけ?

 思わず寿葉の教育係の柏葉を見た。

 キッチンで昼食を作っている柏葉には、こちらの会話は聞こえていないようだった。


 なんとなくほっとする。

 柏葉はとてもよくしてくれていて感謝しきりなのだが、なにせ顔つきが怖いのだ。いつも不機嫌そう、あるいは怒っているかのような顔で、にこりとすることなど稀だ。怒られていないのに怒られている気分になってしまう。


 そんなふうに柏葉を見ていると、彼女がこちらを見たので世記はのけぞった。


「お砂糖を買い忘れました」


 柏葉の報告に、世記は「ほぇ?」と間の抜けた声を漏らす。

 それは、俺に買って来いってことかなと世記が腰を浮かせるが。


「買ってきます。みなさんはくれぐれも外にでませんよう」


 柏葉は言いおいて、さっさとキッチンを出て行った。

 思わず長い溜息をついた。


「ミナエねーさん、やさしいのに、顔がなんかこわいよなぁ」


 リュウのつぶやきに世記は大きくうなずいた。


「前はもっと柔らかい表情の人だったんですけど」


 寿葉が柏葉について少しだけ話した。


 柏葉は八年前、寿葉が小学二年生の頃から彼女の専属家庭教師としてやってきた。当時は笑顔も多く、とてもよく話す人だったそうだ。寿葉だけでなく他の人にも好かれる明るい性格だった。


 それが、五年前に人が変わったかのように表情が暗くなり、目つきが怖くなった。

 寿葉に対する気遣いや優しさは以前のままだが、それまでのような、他の人にも好かれる雰囲気はなくなってしまった、という。


 最初は、寿葉が高学年になったから軽々しく他人を寄せ付けないように嫌われ役になったのか思っていたが、どうやらそうでもないらしい。


「そこまで変わるなら何かきっかけがあるんだろうな」

「身近な人に何かトラブルがあったらしいことは、ちらりと聞きましたが、さすがにそれ以上つっこんで聞けることでもありませんし……」


 まぁそりゃそうだ、と世記はうなずいた。


「二階堂さんが親の仕事は継がないって言った時あんまり反応してなかったけど、反対されてないのか?」

「そういうのはないです。そもそもそういった話を柏葉先生としていませんし、多分、お仕事以上のことには口を出さないと思います」


 寿葉が学校でトップクラスを維持できることというのが親から言われている柏葉の「仕事」なのだろうと彼女は言う。


 おそらく、親には寿葉の将来についてビジョンがあって、彼女がそこからそれようとしていることはまだ気づいていないのだろう、とも。


「親とそういう話し合いをするのはわたしがやらないといけないことですから、無関心ならその方がありがたいです」


 静かに、しかし強く言い切った寿葉に世記はすごいなと思った。


「姉ちゃんは、なにになりたいんだ?」

 リュウが尋ねた。


 それは世記もひそかに聞いてみたかったので、ナイス質問、と心の中でリュウをほめる。


「やまとのいえにボランティアに行き始めて、児童養護施設の現状とかを見たり聞いたりして、親と離れて暮らす子供達の力になりたいって思うようになったんです」


 直接施設で働く職員になるのか、役所などで施設をサポートする方にするのかまでは決めていないが、とにかく児童養護に関わる仕事をしたいと思っている、と寿葉は答えた。


「現状を見て、って、ひどいからどうにかしたいってことなのか?」


 尋ねながら世記は寿葉からリュウに視線を移した。


「いい環境とはいいがたいですし、もっとひどい施設もあると聞きます」


 環境の悪い施設だと、子供達の中で序列が決まっていて、上の子に従わない子供はとことんいじめられたり、施設内での「村八分」のようなこともあるとか。


「女の子や、ちょっとかわいい男の子は、しっかり身を守らないといけないようなこともあったり……」


 性的虐待をにおわせる寿葉に世記は嫌悪を覚えた。


「あー、無理やりじゃないけど、うちでもあるぞ」

「えっ!」


 リュウのとんでも発言に世記だけでなく寿葉も驚きの声をあげた。


「だれとだれがくっついてるかとか、なにやってるかわかる年のおれらは居場所に困るんだよなー」


 うんざりしたようなリュウに寿葉は言葉を失っている。


「子供らのそういうの見逃しておいて、チンピラ撃退した俺らはバケモノ扱いかよ。そっちの方がよっぽどたち悪い」


 世記は、けっ、と息をついた。


「丹生くん、あの時よほど腹が立ったのですね」


 寿葉が表情を崩してくれたので、世記は「あはは」と照れ笑いしながらも、重い雰囲気が少し和らいでほっとした。


「ましなほうと思ってたやまとのいえでもそういう現状なら、やっぱり、わたしにできることをしたい」


 寿葉の声にかぶるように、玄関のドアが開く音がした。

 柏葉が帰ってきたのだろう。

 三人で顔を見合わせ、誰からともなく話題を替えた。

 こうして、同盟の密談は終了した。


「おかえりなさーい。早かったですね」


 世記の何気ない挨拶に、柏葉はぴくりと肩を震わせたように見えた。


「あなた達がおなかをすかせているかと思って、急いで行ってきました」


 言いながら柏葉は料理を再開した。


 何か違和感あるな、と世記は考えた。

 その時。

 部屋の電話が鳴った。


 据え置きの電話が鳴るのは、マンションに常駐してくれている諜報員からの連絡と聞いている。

 今度こそ、柏葉は肩どころか全身で反応した。

 もちろん、世記達もだ。


「はい。柏葉です。……え、はい、判りました。申し訳ございません」


 電話に応える彼女の後姿を「に×3=同盟」のメンツは顔を並べて凝視する。


 柏葉はすぐに受話器を置いた。


「なんだって?」

「不審者がマンションに侵入したみたいです。外に出ないように、とのことです」

「えっ、オートロックなのに?」


 世記が驚いて問うと柏葉は気まずそうな顔になった。


「わたしの後について入ってきたみたいです」


 気づかずに申し訳ない、と柏葉が頭を下げる。


「ミナエ姉さんが気にすることじゃないぞ。さそい入れたとかじゃないんだからさ」


 リュウが笑って言うのに世記と寿葉も同意した。

 柏葉はとても恐縮している様子だ。

 ここまで気にしているのにさらに責める言葉など誰もかけようとは思わなかった。


「おなかすいたよー。ミナエ姉さん、ごはん、ごはん」


 気を使ったのか、素なのか、リュウは柏葉に昼食の催促をした。

 気を取り直したように柏葉もうなずいて、フライパンに向かった。


 それからまもなく、不審者を捕まえたという連絡が入って、世記達はほっと胸をなでおろした。


「どうしてこのマンションに入ってきたのかはこれから聞き出すそうですが、……明らかにガラの悪い男だそうで、暴力団関係者かもしれないから、外に出る時は注意してください。だそうです」


 柏葉を通して諜報員から与えられた忠告に、関係なかったらいいのにな、と三人は顔を見合わせた。

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