それぞれの思い

12月26日 将来の夢

05-1 乱取りやってみないか?

 リュウとの同居三日目。


 世記としきは珍しく早く目覚めた。というよりあまり眠れなかった。

 ブログのコメント欄がまた変ににぎわっていないかと気がかりでなかなか寝付けず、挙句明け方にぱっちりと目が覚めてしまったのだ。


 空が白み始めた頃に一度チェックしたが、コメント欄は落ち着いている。

 そこでようやく安心したのだが、ぐっすりと眠ることはできず、結局早朝に起きることになってしまった。


 どうせ起きたのだから体を動かすか、と、トレーニングウェアに着替えた。


 ここ数日はリュウとの同居のごたごたでサボってしまっていたが、毎日何かしらの運動はするように心掛けている。


 まだ寝ているであろうリュウを起こさないようにと、そっとマンションの部屋を出ると、肌を刺す冷たい空気に体がぶるりと震える。昼にすればよかったかなと、ちょっと後悔した。

 体を動かし始めれば寒さも気にならなくなるだろうと、階段を一段飛ばしで駆け下りてマンションの裏の庭に出る。


 先客がいた。


 世記と同じく高校の体操服を着た寿葉ことはだ。

 相手がいると想定しての型の稽古らしい。


 寿葉に直接聞いたわけではないが、おそらく合気道だろうと世記は見ている。

 相手の打ち込みに手刀をあわせ、手を取り、肘でうちながら投げる。

 世記にも寿葉の前に相手がいるかのような錯覚を起こさせる。


 彼女が着ているのは濃い青を基調としたトレーニングウェアなのに、道着と袴を着用して正式な大会で演武を見せている姿さえ想像できる。


 世記は寒さも忘れて見入っていた。


 やがて、寿葉が世記に気づき、動きを止める。


「おはようございます丹生にぶくん。なんですかそのアホづらは」


 静かな口調でこき下ろされて世記は中途半端な笑みを口元に浮かべた。


「ひどいな。二階堂さんに魅了されてたんだよ」

「ありがとうございます。しかし間抜けた顔で見つめられると思わず笑ってしまって集中できません」

「気づいてたのかよ」

「はい。丹生くんが庭に来た時から」


 それなのに集中を乱さずにあの動きか、と世記はうなった。


「リュウくんは?」

「まだ寝てるよ。起きてたら絶対に一緒に行くって言うだろ」

「そうですね」


 寿葉は柔らかく笑った。リュウの様子を思い浮かべているのだろう。

 彼女は本当にリュウのことを大切に思っているのだなと実感する。


「丹生くんもトレーニングですか?」


 問われて、世記は「あ、うん」とうなずいて、ふと思いつく。


「なぁ。せっかくだし、乱取りやってみないか?」


 我ながら名案だと世記は思っていたが、寿葉はいい顔はしなかった。


「丹生くんは空手が基礎でしょう? つまり異種格闘技で試合しあうことじゃないですか」


 ずっと挑戦を断られている世記は、そこまでイヤかと頭を掻いた。


「別に勝負するつもりはなかったんだけど……、どうしてそこまで断るのか、よかったら聞きたいんだけど」


 寿葉は世記を真正面から見つめて、そうですね、とうなずいた。


「では逆に、丹生くんはどうしてそんなに勝負したいんですか?」

「そりゃ、同等の極めし者とやれる機会なんてそんなにないし」

「勝負できればそれでいい、ということ?」

「やるからには勝ちたいけどね」

「極めし者として、あなたの目指すのはどこですか?」


 どこと問われて、世記には答えがなかった。別に格闘家を目指しているわけでもないし、闘気を使う職に就きたいわけでもない。


「異能を使うことができるようになったら、それを使ってみたいと思うのは、自然なことだと思うけど」


 代わりに、試合しようと誘うことは変じゃないだろうと答えてみる。


「自然なことかもしれません。ただ、わたしはその理由では試合をしたくないというだけのことです。異能を手に入れたら戦いたいという動機が変でないように、目的のない人との戦いはしたくないという拒否の理由も変ではないと思います」


 それは確かにそうだ、と世記は感じた。


「そうだな。無理強いはしたくないから、もう頼まないよ」


 世記の反応に寿葉は口元をほころばせる。


「ありがとうございます。わたしからも、一つ伺ってもいいですか?」

「うん、何?」

「去年の十月に不良に絡まれていましたが、知り合いなのですか?」


 ドキリとした。

 そんな輩と知り合いだなんてと責められるのではないかと眉根を寄せる。


 しかし自分に拒否権はないと世記は思う。

 くだんの小競り合いの最中に偶然通りかかった寿葉に助けてもらったのだ。彼女が不良達を追い払ってくれなければどうなっていたことか。


 今まで言及してこなかったのは単に無関心だったのか深入りしたくないと避けられていたのかは判らないが、今尋ねてきたのには何か心境の変化があってのことだろう。


 この件に関しては恩人である彼女が聞きたいというのだから、答えなければならない。


「知り合いっていうか、因縁つけられてた感じなんだけど」


 言い訳のように話し始めながら、世記は事のはじまりを思い出していた。




 一年半近く前の、夏休みのことだ。暑いさなか、世記は受験生らしく塾の夏期講習に通う日々を過ごしていた。


 このころは地元の横浜の公立高校を受験するつもりでいた。志望校は家からそんなに遠くなく、ランクもさほど低くはない高校だった。

 ところが、不良達に目をつけられてしまったために地元を離れることになってしまった。

 弟の俊記しゅんきの友人がカツアゲ騒動に巻き込まれ、俊記に相談されて世記も関わったがために。


 不良達は世記と同じ中学を卒業した高校一年生で、在学中から何かと問題を起こしていた三人の男子生徒だった。当たり障りなく中学生活を送っていた世記ですら彼らの顔と名前は憶えているぐらい悪名は高かった。


 弟の俊記は当時小学五年生で、同級生の友人の兄がその不良グループと近い存在だった。いわゆる腰ぎんちゃくのようにこびへつらっていたのは、彼なりに被害者にならないための苦肉の策だったのだろう、とは後になって思う。


 ある日「腰ぎんちゃく」くんが不良達に弟の愚痴をこぼしてしまったのが事のはじまりだった。

 弟の方が成績もよく品行方正なので両親は弟ばかりひいきする。両親や親戚はお小遣いやお年玉を弟にばかりあげたがる。


 こんなことを聞いて黙っている不良達ではなかった。

 なら弟から巻き上げればいい。そうすりゃおまえもスッキリするし俺らも儲かる。一石二鳥だ、と。


 最初は少額だった。弟くんも小遣いから言われるままの額を払っていたそうだ。

 それがどんどんとエスカレートし、お盆に祖父母の家から帰った頃に、一気に額が跳ねあがった。親戚にたくさんもらえただろう、というのだ。


 実際その通りだった。今回払う分には足りている。

 しかし弟くんはこれ以上言うがままになっていてはそのうち親にもばれてしまう、どうしよう、と友人である俊記に相談してきたのだった。


「兄ちゃん、どうすればいい?」


 俊記に困り顔で尋ねられて世記も困った。


「どうすれば、って、親は? 知ってんのか?」

「あいつ、タクミは親に言うのはイヤなんだだって」

「なんでだよ。被害にあってんだからきちんと話しておかないと。兄貴も手ぇ貸してるんだろ? だったらなおさら――」

「だからだよ。今でももう親との関係がかなり悪いらしくてさ。これ以上問題起こしたのがバレたらお兄ちゃんがお父さんに殺されるかもしれないって」


 弟くん――タクミがそんなふうに言うぐらいなら、家庭内はかなり荒れているのだろう。両親と兄の間で何度も喧嘩したのかもしれない。


「このままだとあいつ、お兄ちゃんをかばって不良達にお金を渡し続けちゃうよ」


 どうにかしてほしい、と俊記は世記を見上げた。


「どうにかっつったってなぁ」


 せいぜいそのバカ兄貴と話をつけるしかできなさそうなのだが、赤の他人がしゃしゃり出て話をしたところで聞いてくれるようなヤツではなさそうなのは話を聞いただけで判る。


「今日、呼び出されてるんだって。兄ちゃん、何とかしてくれよ」


 世記は困った。弟の頼みは聞いてやりたいが、明らかにトラブルになると判っているところに首を突っ込む気にはなれない。


「兄ちゃん、極めし者になったんだろう? こういう時に助けてくれる力じゃないの?」


 俊記の言う通り、世記はつい二週間ほど前に闘気を扱う呼吸法を安定させた。通っている空手道場の師範から、ここまでできるなら極めし者を名乗ってもよいほどだとお墨付きをいただけたのだ。


 だが、極めし者の力はやすやすと使ってよいものではない、とくぎを刺されもした。

 法律上のこともあれば、力を持つ者としての責任もある、と。

 それを、たとえ男の子を助けるためとはいえ不良を懲らしめるのに使ってもよいものか。


 うーん、とうなる世記にじれたのか、俊記は「じゃあいいよ」と一言残して家を飛び出して行った。


 まさか、あいつ一人で友人のところに行く気か。

 弟の行動を察した世記は慌てて後を追った。

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