12月23日 に×三=同盟

02-1 信用できないんだけど

 冬休み初日の朝、世記としきはこれでもかというくらい惰眠をむさぼっていた。

 頭の端には関東の実家で自分の帰りを待っている弟のためにも早く宿題を済ませねば、という意識はあるが、初日ぐらいのんびりしてもいいではないかと誘惑に負ける。


 しかしさすがに昼近くになってゴロゴロしていると時間の無駄遣いな気がしてくる。

 元々、そこまでぐうたらな性格でもないのだ。


 寝ぐせのついたぼさぼさ頭をガシガシと掻きながら起き上がって、惰性でテレビをつける。十四インチの小さな画面では天皇陛下の誕生日を祝うニュースが流れている。


「そっか、天皇誕生日だっけ」


 小さくひとりごちて、ま、関係ないけど、と付け足して台所へ向かう。

 朝食、というより昼食は何にしようかと冷蔵庫を開けると同時に来客を告げるチャイムが鳴った。


 なんだよ昨日といい今日といい、食事のタイミングで。

 世記は、ふん、と息をついた。


「はい」

「私、鈴木と申します」


 中年男性のちょっと軽い声だった。世記の知ってる声ではない。


「どちらの鈴木さん?」


 セールスが最初から会社名を名乗るとドア開けてもらえないので個人名で訪問したり電話かけてくると聞いたことある。その類かとさらに憤慨の息が漏れた。


「昨日の騒ぎについて聞きたいことがあるので開けていただけませんか?」


 ドアの向こうの男は予想外の、答えになっていない言葉を返してくる。世記はいら立ちを覚えた。


「警察にはもう事情説明したけど」

「存じてます。ですからこうしてお邪魔しているのです」

「ですから、ってつながってないし」


 世記の感情を乗せた声に何か思うところがあったのか、扉の向こうの男は少し間を空けてから、小声になった。


「実は私、とある諜報組織の者です」

「ちょうほう……?」


 耳慣れない言葉に世記は首を傾げた。


「あまり公にできない事案を調査する組織と取ってくださって結構です」


 男のささやき声に、あぁ、と納得した。


「スパイ映画とかの諜報組織?」


 世記の確認に男は満足そうに肯定の返事をした。


「なんで、チンピラが暴れてただけなのにスパイが出てくるんだ?」

「それをご説明したいので、入れていただけませんか?」


 なるほど、そんな事情ならドア越しに会話する訳にはいかないだろう。

 ただし男の言うことが全部本当だったらの場合だ。


「いきなりそんなこと言われても信用できないんだけど」

「用心深くていらっしゃる。いいことですね」


 拒否されたというのに鈴木は嬉しそうな声だ。


「からかってんのか?」

「まさか、大真面目ですよ」


 とてもそうとは思えない、軽めの声。


 どうするべきかと世記は考える。もっとも、開けない方が正解だろうと最初から思っているのだが。


 なかなか返事をしない世記にじれたのか、鈴木と名乗る男の声がまたドアの外から聞こえる。


「さすがに私の素性をすっかり明かすことはできませんが、半日でこれだけ調べられる立場だということを証明いたします」


 安アパートの部屋のドアと地面の隙間から白い紙らしきものが差し込まれた。

 世記は音を立てないようにドアに近づいて、紙を拾った。

 別に気配を殺す必要もないんだけどと自分の行動に苦笑しながら、二つに折りたたまれた紙を開いてみる。


 そこには世記のプロフィールが印字されていた。

 生年月日や出身地は言うに及ばず。

 家族構成や、なぜ地元の横浜を離れて奈良の私立高校に通っているのかも書かれてある。


 たった半日でこんなことまでと怖く思う一方で、ここまでやるからには鈴木を今ここで拒絶したとしてもしつこく訪ねてきそうだと思えた。


 世記はドアの鍵を開けた。

 スーツ姿の、思っていたよりもかなり長身の男が笑顔で立っていた。

 一八〇センチは超えている四十歳ぐらいの男だ。イケメンでもなければ不細工でもない。特徴がないのが特徴と言えるような感じだ。

 頬に少し大きめの薄いアザなのかシミなのかがあるのが目立つほどだ。


「開けていただき、ありがとうございます」


 鈴木はにこにこと笑っている。

 だが直接対してみて世記は気づく。鈴木から放たれる威圧感を。


 圧倒される世記の横をすり抜け、鈴木は無遠慮にもさっさと靴を脱いで部屋に上がっていった。

 世記が慌てて後を追うと、鈴木はちゃっかりと部屋の真ん中のテーブルの前に胡坐をかいて座っている。

 彼の落ち着きぶり、どちらが部屋主か判ったものではない。


 世記は一つ大きく息をついて、鈴木の向かいに座った。


 鈴木は何か紙袋を持ってきていて、彼の傍らに置いている。

 緊張で今まで気づかなかったが、そこから香ばしい香りがゆるりとただよってきた。

 途端に、世記の腹の虫が騒ぎ出す。

 こんな時に鳴るなよ、と意識すればするほど腹の中がうごめくから不思議だ。


「さて、お話を伺いたい――」


 鈴木の声にあわせて、ぐきゅうぅぅるる、とかなり派手に世記の腹が限界を訴えた。

 世記は、あ、と小さい声をあげる。

 でもここで「すみません」と謝るのもなんだか悔しい。


(俺は俺で好きに生活しているところにそっちが割り込んできたんだし。俺悪くないし)


 心の中だけは強気である。


「よかったら、これ、食べます?」


 鈴木はニコニコ顔を崩さず、紙袋を開けて中を見せた。

 メロンパンだ。サクサクの表面にこんがりと焼き色がついていてとてもうまそうだ。先ほどから軽く香っていた美味しそうな匂いが世記の鼻にダイレクトに飛び込んできた。


「さすがにそれは悪いというか……」


 超正直なところ、とても美味しそうでほしかった。だがここで飛びついたらいけない気がして世記はしり込みする。


「同僚に頼まれて買ったのですが、頼まれた数より多めに購入したので大丈夫です。本当はお昼時をずらして伺うべきところをこちらの都合で今しか時間が取れなかったもので。お詫びと受け取っていただければ」


 鈴木が申し訳なさそうに軽く頭を下げた。

 なんだ、意外に話が分かるヤツじゃないか、と世記は鈴木の殊勝な態度を見て少しだけ気分がよくなった。


「それなら、ひとついただきます」


 袋の中に手を伸ばしてメロンパンを手に取る。

 かじりつくと、さくさくのクッキー生地と、中のふわふわのパン生地が絶妙な風味を醸し出している。甘みが口いっぱいに広がって世記は思わず幸せそうにため息をついた。ところどころほろ苦いのがまたいい。じっくり焼き上げた香ばしさを感じる。


 世記がメロンパンをほおばるのを、鈴木は嬉しそうに見つめてくる。

 やはり自分が持ってきた食べ物を美味しそうに食べるのを見るのは嬉しいものなのかもしれない。


 あっという間に食べきってしまって、世記はもうちょっと味わうべきだったかと少し後悔した。


「ごちそうさまでした」

「いえいえ。気に入っていただけたようで何よりです。――さて、改めましてお話を伺いたいのですが。あなたは襲われていた小学生の西田リュウくんとは元々お知り合いでしたか?」


 鈴木が真面目くさった顔になって尋ねてくる。


「いや。昨日初めて会った。たまたまもめてるところに通りかかったから」


 世記は隣の施設前の出来事と、その後に警察で話したことを、順を追って鈴木に話し出した。


 鈴木は、世記の話に相槌をうちながらメモを取っている。

 話し始めて五分近く、警察署での事情聴取とお説教、それについて面白くない旨を打ち明けた辺りで、ふわふわとした眠気に襲われ始め、世記は何度も目をこする。


「なるほど、よく判りました。こちらからもお話を、と思いましたが、とても眠そうですね。またの機会にいたしましょうか」


 ぼんやりとした頭にかろうじて届いた鈴木の声に世記はうなずいた。


 その後にも何か言われた気がするが、覚えていない。

 テーブルに突っ伏すようにして、世記は眠ってしまった。

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